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ありがとうをつたえてみた

「中学校の先生へ」


「母へ」


「お父さん・お母さんへ」


「あの日 助けてくれた病院スタッフの皆さまへ」


「ダンスの先生へ」


「同級生へ」


「大阪の先生へ」


「住まいを提供してくれた 消防団の仲間へ」


「近所のおばあちゃんへ」


「高校の先生へ」


「高校の先生へ」


「高校の先生へ」


「妻へ」


「先生へ」


「部活動の先輩へ」


「働く船へ」


「祖父へ」


「双子の姉へ」


「夫へ」


「支援を続けてくれるプロ野球コーチへ」


「同級生へ」


「同級生へ」


「日本舞踊の先生へ」


「父へ」


「お父さん・お母さんへ」


「父母へ」


「中学校の保健室の先生へ」


「妹たちへ」


「硬式野球部のみんなへ」


「両親へ」


「気仙沼の皆さまへ」


「おばあちゃん・お母さんへ」


「お母さんへ」


「両親へ」


「3年3組へ」


「中学・高校バスケ部関係者のみなさまへ」


「家族のみんなへ」


「近所のお姉ちゃん・お兄ちゃんへ」


「高校の先生へ」


「心のつながりありがとう❣️」


「夫へ」


「日本一周で出会った皆さまへ」


「東北電力ネットワークへ」


「全国の皆さまとお世話になっている代表へ」


「出会ってくれたすべての皆さまへ」


「子どもたちへ」


「喫茶店の店主へ」


「気仙沼市の皆さまへ」


「気仙沼の皆さまへ」


「家族へ」


「お世話になった職場へ」


「実習先の水産加工会社のみんなへ」


「夢をくれた看護師へ」


「気仙沼の酒店へ」


「母親へ」


「ボランティアに来てくれた人たちへ」


「離れて暮らす母親へ」


「家族へ」


「夫の家族へ」


「妻へ」


「県外から応援に来てくれた派遣職員へ」


「夫へ」


「妻へ」


「たい焼きの先生へ」


「東京都北区職員労働組合女性部へ」


「妻へ」


「気仙沼へ」


「友人へ」


「気仙沼での生活を支えてくれる人へ」


「応援してくれた皆様へ」


「気仙沼の宿主へ」


「気仙沼の皆様へ」


「ボランティアに来てくれた人たちへ」


「喫茶店の店主へ」


「友人へ」


「職場の上司へ」


「指導教授へ」


「工場再建に尽力した食品加工会社の社員へ」


「ラジオ気仙沼」


「モリグチ様へ」



鎌田康文さん・涼子さん

気仙沼のありがとう委員会さま

あの2ヶ月前、スポーツの取材も兼ねて陸前高田市民体育館でバレーを見ました。あの3月11日より毎年、この時季に三陸の各地を愛車で訪ずれています。とっても明るく笑顔でいろいろと取材に応えてくれる皆様より、こちらがやる気と勇気と明日への希望もらっています。秋田は横手の赤坂より三陸地方の各地へエールを送り続けます。共に未来へFight

鎌田康文・涼子より


宮城の職員一同さん

"全国伊達会"会員のさま

全国各地から、災害復旧・復興の応援職員として2ヶ月から最長2年を超える期間、うちの職員と一緒になって様々な業務に一生懸命働いてくれたこと…本当に感謝しています!!いつも寄り添ってくれてありがとう。

宮城の職員一同より


尾形誠さん

照代さま

「さかなの駅の営業は終了するよ!」突然の話でびっくりしたでしょう。「11年間ごくろうさま!」と言われた。胸にグッと来た。私の事は何でも理解してくれる(たぶん)ありがとう!家事も孫の育児もしっかりこなしてくれる。我が家の大黒柱だと思っています。毎日おいしいごはんを作ってくれてありがとう!支えられてばかりだけどこれからは少しずつ手伝うからね。これからもよろしくね!

尾形誠より


森谷利男さん

齋藤きそ子さま

あの日、12年前の3月11日午後3時すぎ、私がお宅を訪れたとき仏間でお座りしてたあなたに声を掛けましたね。「一緒に逃げよう!ばあちゃん」「はい!」と素直に応じてくれて、二人で手を取り合いちびっこ広場への坂道を上りましたね。その坂道、近くても長かったね。
私が、あのときばあちゃんに会わなければ!と思うと、今でも背筋が凍りぞうっとします。今こうして元気で居られるのも、あの時ばあちゃんに会ったおかげです。助けていただき本当にありがとうございました。
助かった命、大事にしてこれからも長生きしてください。

森谷利男より


登米市 3.11を忘れないさん

国内外から、
温かい支援をくださったたくさんの皆さま

震災後、国内外から心温まる支援をたくさんいただきました。私が勤務した小原木小学校では、震災後の1年間、大学を休学して子供たちの学習や遊びのお世話をしてくださった学生さんがいらっしゃいました。私の赴任の1月前に、お別れに送っていただいた「一歩」という曲は、子供たちや先生方を励ましてくれる曲になりました。今は、登米市や本吉町の小学校の卒業式でも歌われて、東日本大震災を忘れないための曲にもなっています。

登米市 3.11を忘れないさんより


松井 敏郎さん

海鮮 黒澤 厚仁さま

気仙沼市の飲食店「海鮮」が令和5年2月21日に閉店することとなり、長年、お世話になった「目黒のさんま祭気仙沼実行委員会メンバー」が親方(黒澤厚仁さん)へ感謝の気持ちを表しました。

松井敏郎より


美智子さん

モリグチさま

一昨年、9年かけ、西表島に流れ着いた杭を、浜辺で自給自足生活するオジサンが見つけ、由布島で水牛をひく友人が、震災の記憶を伝え継ごうと「マンタの浜」へ立ててくれました(以前、私が暮らす気仙沼の仮設住宅に来てくれたことが)遅ればせ、先日やっと、感謝状を届けに行きました。ジャングルをかき分け、見つけてくれたオジサンのところへも一緒に行くと、今度は「宮城県」と書かれたライトが!それも立ててくれるそうです!

美智子より


お兄さんに助けられた子供さん

あの時声をかけてくださった方さま

2011年3月11日、当時私は小学2年生でした。下校途中に経験したことのない、子供の足では立っていることがやっとの揺れに襲われました。子供たちだけで下校していたので本当に怖く、どのような行動をとればいいのかが解りませんでした。そんなときに信号待ちで止まっていた車から降り、私達に声をかけてくださったお兄さん。その時とるべき正しい行動を教えて下さり本当にありがとうございました。私は今年20歳になります。お兄さんのように強さと優しさを持った成人になり、誰かに優しさを伝えていきたいです。

お兄さんに助けられた子供より


ヨシコさん

逃げなと声を掛けて下さった方さま
海上自衛隊の方々さま

車で営業で回っている時に地震にあいました。父は津波を避けるため近道を急いでいたら思ったより早く浸水していて、そのまま津波にのまれて、その時はどうすることもできずにパニックだったと聞きました。その時アパートのベランダから逃げな!!!!と大きな声にハッとして幸運な事に窓が開いてて隙間から何とか車によじ登り何とか…それなのに追い打ちをかけるように雪が…もうダメだと半分諦めそうになったそうです。その時に助けて下さったのが海上自衛隊の方々でした。少しでも違う方向だったら、、、今こうやって一緒に居られるのは皆さんのおかげです ありがとうございました!!!!

ヨシコより


ももさん

宮城県 石巻市・女川町の皆さま

毎年温かく迎えて下さり、誠にありがとうございました。 私は、震災から2年ほど経った中学1年次、初めてそちらを訪れ、何か力になれないかと、中学3年次から学校の活動に参加し、伺わせて頂いておりました。回数を重ねるうちに、住民の皆さんの笑顔が見られ、皆さんの優しさに反対に私が温かい気持ちにさせられておりました。 大学1年生を最後に2年ほど行けておりませんが、勝手ながら第2の故郷と感じているため、就職活動が終わったらまた伺わせて下さい。

神奈川県川崎市 ももより


16歳の井ノ原担さん
16歳の井ノ原担さん感謝状

井ノ原快彦さま

辛いことがあった時、井ノ原くんの存在に助けられました。このような番組を続けてくれているのもうれしいです。ぜひまた宮城に来てください。井ノ原くんの存在がみんなを幸せにします。

16歳の井ノ原担より


結生さん
結生さん感謝状

増田貴久さま

貴方の魂の歌を聴いたから今日も私は生きています。貴方の歌が世界中を包んで皆が幸せになりますように

結生より


HONEYYY(シホ)さん
HONEYYY(シホ)さん感謝状

手越祐也さま

いつも心に寄り添ってくれる手越祐也くん♡心から感謝の気持ちを伝えたいです。いつもありがとう♡

HONEYYY(シホ)より


ラヂオ気仙沼 尾形勝一郎さん
ラヂオ気仙沼 尾形勝一郎さん感謝状

ご支援下さった世界中のみなさま

東日本大震災では、多大なご支援をいただきましてありがとうございました。これからも頑張っていきます。

ラヂオ気仙沼 尾形勝一郎より


ラヂオ気仙沼 佐藤りかさん
ラヂオ気仙沼 佐藤りかさん感謝状

佐藤益雄さま、佐藤牧子さま

震災で家が流され、お義父さんのご両親が行方不明という、本当に大変な中、「明るいニュースはうれしい!」と、結婚を賛成していただき、翌年には盛大な結婚式まで挙げてくれてありがとうございます。親孝行で返していくね。

ラヂオ気仙沼 佐藤りかより


ラヂオ気仙沼 西城淳さん
ラヂオ気仙沼 西城淳さん感謝状

東京消防庁のみなさま

地震直後の大変な時から、日々の炊き出しに助けられました。おかげで暖かい食事をとることが出来ました。
本当にありがとうございました。

ラヂオ気仙沼 西城淳より


彼女(現在の妻)さま

震災の一報の後、一時的に連絡がつかなくなった当時の彼女(現在の妻)。長距離トラック運転手だった私は、荷物の卸先である岐阜から彼女の住む宮城県へ夜通しかけて向かいました。瓦礫やご遺体が散乱する地獄のような光景を越えて2日目の朝、彼女とそのご家族と会う事ができました。生きててくれてありがとう。

トラック運転手より


弘前市のりんご(もと)むすめさんより

岩手県野田村の皆様、職員の皆さま

弘前市では、令和4年8月、記録的な大雨で河川が氾濫し、河川沿いにある収穫前のりんご園地に大きな被害が出ました。泥水につかったりんご園地の片付けに、移動だけでも4時間以上かかる「岩手県野田村」から駆けつけてくださいました。「弘前市の皆さんには東日本大震災でお世話になったから…」そう言って、残暑の中、大粒の汗を流して、作業を続けてくださったあの日の事、忘れません!慣れない作業でしたが、一緒に園地清掃ができて、皆様の気持ちの温かさにふれることができて、心に残る日になりました。「ありがとう」の気持ちを込めて♡

弘前市のりんご(もと)むすめより


つばさ会の皆様

つばさ会の皆さま

精神福祉会のつばさ会の皆様、磐梯のつどいの実行委員を努めていただきありがとうございました。コンサートや選択活動までありがとうございます・又、よろしくお願いいたします


まゆみぷらす&学園、ありがとう

まゆみぷらす&学園、ありがとう

まゆみぷらすの皆さん、学園の皆さん掃除の支援、ありがとうございます!私達を助けていただきました。これからも支援をよろしくお願いいたします。


東京マラソンで「気仙沼からありがとう」

東京マラソンで
「気仙沼からありがとう」

魚町出身の私と夫は東京マラソンがきっかけで結婚しました。そして私達はその翌年に東日本大震災を迎えます。私達は当時の東京マラソンで「がんばろう気仙沼」を伝えました。あれから10年余りで気仙沼は大きく前進しました。私達は喜ぶと共にこれまで支えてくれた方々に感謝を伝えたいと思いました。そこで2年振りに開催された東京マラソンで、「気仙沼からありがとう」を伝えました。


東日本大震災ボランティア

東日本大震災ボランティア

2012年3月・9月~13年3月までボランティアで宮城県に滞在していました。その後、地元に戻り宮城県で経験したことを知人に伝えたり、宮城県のお祭りに家族と行ったり、職場の書店で、写真を展開したり、できることを続けました。ボランティアを通して見えた景色や世界は今でも財産です。第二の故郷を見付けられたことに感謝しています。


気仙沼仮設住宅同窓生のみなさんへ

気仙沼仮設住宅同窓生のみなさんへ

復興支援で気仙沼に行った私達夫婦は、皆さんと共に暮らず日々の中、反対に、大切なことを沢山学ばさせて頂きました。人生が変わったと言っても過言ではありません。ずっと気仙沼で暮らせと言ってくださった皆さん、しかし熊本地震がおき「熊本も、よろしく頼む」と、遠く離れた被災地を、同じ傷ついた故郷と思い、背中を押してくださった皆さん。宝物の志をありがとう。私達はその「も」を繋ぎ続けて行きます。


N.Tさん
N.Tさん感謝状

東日本大震災を経験された皆さま

あの日から、今まで。大切な人の死や、大切な居場所が無くなったりと辛く、苦しいことが沢山あったと思います。私はその頃何も知らずに過ごしていた子供で、皆様の気持ちを完璧に分かることは出来ません。それでも、これだけは言わせてください。生きていてくれて、ありがとう。前を向いてくれて、ありがとう。皆さまの明るい声や、笑顔に救われた人が沢山います。私もその1人です。最後に、無責任かもしれませんが。「どうか、これからも前を向いて進んでください。日本のどこかから応援しております。」

N.Tより


えみさん
えみさん感謝状

みさきさま

息子は、みさきちゃんとお付き合いを始めた頃から、礼儀正しく私にも優しくなりました。みさきちゃんのおかげです。なんにもできないふつつかな息子ですが、末永くよろしくお願いします。

えみより


小学三年生だった私たちさん
小学三年生だった私たちさん感謝状

私たちに声をかけて下さったお店の方さま

あの頃、小学3年生だった私たちは下校中に震災が起きました。関東に住んでいた私たちですが、まだ10歳で何が起きたのか全くわからず、慌てて走って家に帰ろうとしました。その時、お店から出てきた女性の方に「走っちゃだめ、こっちにおいで」と声をかけてくださいました。パニックで友達も泣いていたため声をかけて下さった時、とても安心しました。あの頃、10歳だった私たちはいま20歳、無事成人を迎えることが出来ました。これからは私たちが支える側として周りの人を助けていきたいです。ありがとうございました。

小学三年生だった私たちより


わかな.。さん
わかな.。さん感謝状

NEWS 小山慶一郎さま

2011年3月、当時私は高校2年生でした。中学生の頃から大好きだったNEWSのCDを聴くのが日課でした。東日本大震災当時、NEWSも大変な時期だったにも関わらず小山くんはたくさん被災地に足を運んでくれましたね。一NEWSファンとして沢山勇気を貰いました。それから毎年コンサートで宮城に来て下さる度にそっと空に手を合わせてくれているのを見ています。本当にありがとう。大好きです♡

わかな.。より


小野寺幸史さん
小野寺幸史さん感謝状

小野寺 真貴子さま

ずっと貴方を振り回してきました。広島出身で東京暮らしをしていた貴方をさらに気仙沼まで呼びました。結婚直後は2人暮らしだったけど、2010年に晄里が生まれて、間もなく、実家の両親との同居に応じてもらいました。 震災はその時期に起きた災害で,ただでさえ晄里の子育て、親との同居暮らしで大変な思いをしていたのは分かっていたけど、他の家庭に比べれば、家も無事、仕事もある。頑張れる家庭は頑張らなきゃ、まちは元に戻らない。そう思って,貴方を残して東京に単身赴任に出ました。
それから今日まで似たような生活を続けてさせてもらっています。家のこと、晄里と創輝の子育てにあまり悩まず来ましたが、思い返すと私の見えないところで貴方の支えがあったおかげなんだなぁと実感。公務員の仕事は終わりがないので、この復興事業に一区切りついても、次の仕事が待っています。これからも振り回すことになると思いますが、よろしくお願いします。今日までどうもありがとう。

小野寺 幸史より


坂本正⼈さん

千葉 秀宣 さま
鈴木 武雄 さま

あれから10年経ちましたね。3.11から9ヶ月紫神社で共に生活し、今一度南町に商店街を作る事を皆で話し合い9ヶ月後に52店舗の紫市場を作り、3年前に本設の紫神社前商店街が出来ました。ここまでこれたのは自治会長のおかげだと思っております。全て失った人達を暖かく見守ってくれ、食事も気仙沼一おいしいものを出して頂き、一緒に風呂に入り、拾ってきた酒を飲み、夢を語りましたね。二度とおこってほしくない事ですがあの9ヶ月の会館での避難生活はすてきな思い出になっています。
10年目を迎える日に本当にありがとう。

坂本正人より


柴田静佳さん

佐々木理枝さまへ

私の人生が180度変わってからもうすぐ丸10年になります。母として、祖母として沢山サポートしてくれてありがとう。死にたいなんて親の前で言っちゃいけない言葉なのに何度も言って、でもただ黙って泣きながら聞いてくれてありがとう。
陽太のことも沢山面倒見てくれて、沢山かわいがってくれて、怒ってくれてありがとう。
おかげで私も思う存分仕事ができてここまでやってこれました。
いつもただ私の幸せを願ってくれてありがとう。
そしてまだまだずっと宜しくね。ずっと元気で長生きして下さい。
お母さんを早く楽にさせれるよう、私もまだまだ頑張ります。

柴田静佳より


佐藤佳奈さん

佐藤健一さまへ

いつも家族の事を思ってくれてありがとう。
自宅北側のお風呂は少し寒いけど、毎日安心して一緒に過ごせるようにしてくれてありがとう。
私に、いろいろなものを、思いを譲ってくれて本当にありがとう。
パパとみんなで私が大好きなここ南町に居れて今とっても幸せです。
これからも街を一緒に見て行きましょう。

佳奈より


菅原大樹さん

あの時(2011年3月11日)
「逃げろ!」と注意して下さった警察官さまへ

はじめまして。私は震災発生時、気仙沼市入沢にいた、当時大学生だった者です。大変失礼ながら、私はあなたがどなたなのか存じ上げません。
ただ、今回震災から10年という1つの節目にどうしてもお礼をお伝えしたくて、感謝状を書かせていただきました。あの時、私は津波の状況が気になり、その様子を見るために危険な場所に足を踏み入れそうになりました。そこをあなたに「危険だから逃げろ」と注意をされたのです。あの言葉がなければ、私自身も危なかったかもしれません。また、言葉はもちろんですが、あの時、地域の人のために危険な場所に留まり、注意喚起を行っていたあなたの姿勢が今の私の心の在り方に大きく影響しました。私もあなたのように「誰かのため」「地域の人のため」に何かできる人間でありたいと思っています。
あの時は本当にありがとうございました。

男山本店 菅原大樹(あの時の大学生)より


成宮崇史さん

泊 政彦・とも子さま

多くの不安やご迷惑をおかけする中で、突然未来さんとの結婚の話を進めてしまったこと、申し訳なく思っております。それでも、未来さんとの結婚を認めていただき、また気仙沼という地で活動しながら暮らしていくことを応援いただき、心より感謝しております。
いつも本当にありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。

成宮 崇史より


佐藤由実さん

気仙沼でともだちになってくれた皆さま

震災後、大変だった時期に、外から移住してきた私と、「ともだち」として付き合ってくれて、ありがとう!私も、皆さんとともだちになれて、「気仙沼の人」になれた気がします!

サユミ(佐藤由実)より