仙台駅前のカッコウ歓迎塔、どうしてカッコウだったの?
今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!
まずはこちらをご覧ください。
およそ50年前の仙台駅前の様子です。
駅の正面に2本立っているのが歓迎塔で、その上に設置されているのがカッコウのモニュメントです。
1963年に作られ、1977年に撤去されるまで30分おきにカッコウの鳴き声が響いていました。
カッコウは今も見られる!
歓迎塔に使われていたカッコウのモニュメントが今もあると聞いて、やってきたのは仙台市宮城野区にある原町商店街。
その一角にある公園に…
安藤さん 「見えてきました。投稿にあったカッコウですね。 どこか愛きょうのあるデザインで、温かみのある商店街の雰囲気にもマッチしている感じがします。」 |
可愛らしいモニュメントですが、60年前に作られたものとは思えないほどきれいです。
その理由は、このモニュメントが公園に移設されてきた経緯が関係していました。
詳しい人に聞いてみた!
仙台駅前のシンボルだったカッコウですが、ペデストリアンデッキを作るため1977年に撤去されることに。
それをもらい受けたのが原町商店街でした。
地元で表具店を営む安附 剛久(あんつき よしひさ)さんにお話を伺いました。
安附さん 「なにか将来役に立つんじゃないかっていうので、足元から切ってそのまま軽トラックに乗せて連れてきたわけなんです。」 |
しかし使い道がわからず、長年保管されたままだったといいます。
事態が動いたのは、21年後の1998年。
新しく作られる公園のシンボルとして活用することになったのです。
安附さんを中心に地域の人たちが資金を出し合い、サビを落とし、新たな柱を作りました。
安附さん 「今ではすっかり定着して、子どもたちも『カッコウ公園で会おう』なんて。 復活してよかったなと思いました。」 |
しかし安附さんにも、なぜ歓迎塔のモニュメントにカッコウが選ばれたのかは分からないといいます。
安附さん 「それが私も謎なんです。 作った方が工芸指導所の安倍所長さんなんですよね。 安倍さんの子孫の方に聴いたらいくらか分かるのかな…」 |
制作者のご家族に会えることに!
調査を進めた結果、カッコウの制作者の娘である河内 眞土子(かわうち まにこ)さんに会えることになりました。
安藤さん 「眞土子さんのお父さまがカッコウ歓迎塔をデザインしたんですか?」 |
河内さん 「はい、そうです。」 |
眞土子さんの父・安倍 郁二さんは、国の産業デザインの研究所に勤め、デザイナーとしても活躍しました。
仙台の西公園にあるこけし塔も、安倍さんが設計したそうです。
安藤さん 「当時の記憶はありますか?」 |
河内さん 「ございます。 お茶の間で図面を広げていろいろデザインを描いて見せてくれて。 なぜカッコウにしたかとかいろいろ言いながらしておりましたから、よくそれは覚えております。 仙台はもともと杜の都っていうことでしたから、『やっぱり杜の都はカッコウだね』と父が言ったんです。」 |
都市開発が進み、カッコウはその数を減らしたものの、当時は仙台市内にたくさん生息していて身近な存在だったといいます。
杜の都仙台。美しい自然がいつまでも身近にあるように。
そんな願いをカッコウに託したのではないかといいます。
河内さん 「いつも美しいものに囲まれて、豊かな気持ちでみんなが暮らしていかなきゃいけない。 よくそれを口癖のように言っていたので、そういうのがカッコウ塔にも結び付いたんだと思います。 カッコウも、いつもみんなの中にあるように。 仙台を愛しておりましたから。」 |
市の鳥に選ばれたのも…
この歓迎塔が建てられた8年後、仙台市の鳥を公募で選ぶことになりました。
その時選ばれたのは、モニュメントとしても長年親しまれてきたカッコウでした。
本当に市民みんなの中にカッコウがいたんですね。
安倍さんの思い、しっかりと実現しています。
安藤のひとこと。
安藤さん 「カッコウの謎を紐解いていくと、仙台の守りたい風景がありました。 今も子どもたちが通りかかると鳴きまねをしたり地域の人の交流の場になっていたりと、たくさんの人に愛されながら今も地域を見守っています。」 |
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