「一番町」「二番丁」...漢字が2種類あるのはどうして?

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

20220915_toukou.jpg
この地名は仙台市中心部、青葉区の県庁や市役所の近くなので、ご存知の方も多いですよね。
地図でいうとこのあたり。

20220915_tizu.jpg
オレンジ色の部分が一番町。百貨店や商店街のある賑やかなエリアです。
そして青く塗ってあるのが東二番丁通りです。

近くにあるのにどうして「ちょう」の字が違うんでしょうか?


実際に行ってみよう!

投稿にあった地区にやってきました!

20220915_teeeei.jpg20220915_dottimo.jpg
標識には「東二番丁」、近くの建物には「一番町」の表記が。
確かに「町」と「丁」の2種類あります。

これはどういうことなのか、地域の歴史に詳しい木村 浩二さんに聞きました。

20220915_syamurai.jpg

安藤さん
「この漢字の違いはどこから来てるのでしょうか?」
木村さん
「道標にもあるように、東二番“丁”の字を書いてますでしょ?
チョウと読みますけどね。
丁の字を表記するところは、江戸時代は全部“侍の町”という意味なんです。」

「丁」は侍の住んでいた町を指していたといいます!

大正元年の地図を見てみると、その名残がありました。

20220915_hyakkikouzi.jpg
東二番丁のところに「百騎小路」という別名が記されています。

この名前は、馬に乗る身分の侍が100人いたことからついたそうです。


じゃあ「町」は?

20220915_mati.jpg

木村さん
「町という字を書くところは、それ以外の人たち。
例えば足軽だったり、職人だったり、町人だったり。」


ということは、一番町は職人や町人の町だったのでしょうか?
その答えはすぐ近くにありました。

20220915_tuzini.jpg

木村さん
「ここにこういうものが建っています。
『東一番丁』って刻んでますよね。」

案内してくれたところにあったのは「辻標」
江戸時代の町名や通りの名前が記されています。

木村さん
「もともとは東がついて『一番丁』。丁の字が書いてありますよね。
いま一番町は町になっているけど、本来はこれが正しいんですね。
さっきの東二番丁と同じで侍の町なんです。
いまは買い物公園でにぎわってますけど、江戸時代は静かな中級のお侍さんたちの屋敷があったんです。」


よく知るアーケード街が、まさかお侍さんの住む町だったとは…!
安藤さんもびっくりです。

他にも仙台には「北四番丁」や「名掛丁」という地名がありますが、これらもかつては侍の住む町だったそうですよ!


どうして字を変えたの?

仙台市戸籍住民課の佐藤 斉課長に聞いてみると、

20220915_katyou.jpg
丁の字は昭和45年に法律をもとに変わった、とのこと。

実は当時、土地の名前=地番について全国的に大きな課題がありました。
それが「飛び番」という問題です。

どんな問題かというと…

20220915_tobibann.jpg
これまで地番が1から順に並んでいたところを、住む人が変わっていくなかで土地を分けたりすることがあります。
そしてその分けた新しい土地に新しい番号を振ることで、全体の番号の順番が崩れていってしまう、という問題です。

20220915_monndai.jpg
この「飛び番」の状態が多発することで住所をたどるのが難しくなり、郵便物が遅れたりパトカーや救急車、消防車の到着が遅れたりするなど、市民生活に支障が出るようになりました。

さらに戦後、仙台の街が復興するにあたり、それまでと街並みも大きく変わっていきました。
そのため、実態に合わせた新住所を作ることになったそうです。

20220915_kaimei.jpg
こうして、東一番丁は「一番町」、東二番丁は「五橋」や「中央」などの住所名に変わりました。
この他にも、いま私たちが親しんでいる多くの住所もこの時に生まれたそうです。


安藤のひとこと。

20220915_matome.jpg

安藤さん
「江戸時代からの地名がなくなる時に、当時の住民からは惜しむ声が多く上がったそうです。
こうして地名の由来を意識しながら町を見てみることで、新しい発見ですとか当時の人の思いなどに触れることができると思います。」





みやぎアップデートでは皆さんから「気になる・知りたい」を募集しています。
投稿は、NHK仙台放送局1階の投稿ボックスかこちらの投稿フォーム、
またはツイッターで #みやぎUPDATEをつけてお送りください。