青葉城にお城がないのはなんで?

今回のみやぎUP-DATEでは、街でいただいたこちらの疑問にお応えします!

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ミクさん
「青葉城って書いてあるんだけど、ちゃんとした城の形がなくて、青葉城跡って跡しかないのはなんでかなって疑問に思いました。」

確かに青葉城ってお城がないですよね。
そういえばもとのお城の形も知らない…


どんな建物だったの?

青葉城について知るべく、青葉城資料展示館の大沢 慶尋さんにお話を伺いました。

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大沢さん
「もともと、皆さんがイメージするような天守閣というものはなかったんです。
お城の中心的な建物としては大広間、城下町からみたシンボルとしての懸造(かけつくり)、それから5つのやぐらがありました。」

仙台城をCGで再現したものがこちら。

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お城というより町のようですね。
この作りは、政宗公が中国の詩「仙台初見五城楼」から考えたそうです。
仙台という文字は「仙人が住む高台」という意味で、政宗公はそんな仙人が住んでいるような理想郷を作ろうとしたといわれています。


なぜなくなったの?

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大沢さん
「まず本丸なんですけれども、明治6年(1873年)の「廃城令」を受けましてお取り壊しになりました。
その9年後、二の丸については明治15年火事がありまして、ほとんどの建物が焼けてしまうと。
大手門と脇櫓(わきやぐら)、また三の丸の巽門(たつみもん)は1945年7月10日未明の仙台空襲で焼失してしまったわけです。」


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城にあった建物は、このように次々と亡くなってしまったそうです。
さらに今月、城跡で仙台を見守ってきた伊達政宗騎馬像が、3月に発生した地震による破損を修復するために東京へ行ってしまいました。

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政宗像までなくなってしまって、寂しい景色になってしまいました…。



門の復元を目指す計画が!

仙台市教育委員会生涯学習部文化財課の長島 栄一さんによると、失われた城の一部、大手門を復元しようという計画が始まっているそうです!
大手門は日本最大級の城門と言われた仙台城の正門です。

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長島さん
「この場所が仙台城の大手門が経っていた場所です。
明治以降、古写真が比較的多く残っていることと、詳細な設計図が専門家の手によって残されていたので。
復元の条件がクリアに近い状態になっています。」

今後は、柱の位置などを正確に知るための発掘調査をする予定ですが、一般的には少なくとも7~8年かかるといいます。
現時点では、2036~38年ごろを目標に復元計画を進めているそうなのですが…


復元を待てない人にはコレ!

10年以上待つのは長い…という人におすすめなのがこちら!

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大沢さん
「こちら、青葉城資料展示館で運営している、“仙台城VRゴー”です!」

バーチャル空間に再現されたVR空間をのぞけるこのゴーグル、あたかもその場にいるような気分を味わうことができるんです!

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安藤さん
「今、目の前に広がっています!ものすごく広い~
ここに鳳凰(ほうおう)の絵が!うわ~すごい!」

CGなので触れませんが、リアルなCGに安藤さんも興味津々です。


安藤のひとこと。

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安藤さん
「VRに大手門の復元計画など、当時のことを想像する手がかりができつつありますので、お城はないんですけれども、その場所に立って想像を膨らませる。
その楽しさを多くの人に味わってほしいなと思います。」


編集後記

伊達政宗像もなくなってしまい、寂しいとばかり思っていた仙台城跡。
ですがお城がないからこそ、建っていたらどんな感じだろう、当時はこの場所でどんな生活をしていたんだろうと想像することができます。
誰かと見に行って、それぞれが想像する当時の風景を語り合うのも楽しいのではないでしょうか?


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