赤くてかわいい『宮沢橋』 その知られざる歴史とは?

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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ジャス隊、覚えてくださってありがとうございます…!

広瀬川にかかっている「宮沢橋」について調べてほしい、という投稿です。
まずは場所を確認してみましょう。

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仙台駅の南、国道286号線の根岸交差点のそばにあります。
赤くてかわいい見た目ですが、現在架け替え工事中で、もう少しで見られなくなってしまうそうなんです。
そこで、なくなってしまう前にその歴史を調査してきました!


橋を見に行ってみよう!

20220519_kobayashi.jpg今回はこちらの隊員(筆者です☆)が調査してきました!

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隊員
「投稿にあった通り、レトロな赤でかわいいですね。
こちらから見て手前側で工事をしているのがよく分かります。
だいぶ幅が広くなっているように見えます。」

広瀬川の静かな水面によく映えます。

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都市計画道路の整備事業の一環として、令和元年度から始まった架け替え工事。
新しい橋が完成するのは令和7年度以降で、完成後に今の宮沢橋は撤去される予定だそうです。


宮沢橋ができる前のお話を聞いてみた!

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宮沢橋のすぐそばで生まれ育ったという大竹 誠一さん。
今年で80歳だそうです。
(傘寿おめでとうございます!)

宮沢橋は大竹さんが学生の頃にできたそうです。

大竹さん
「今の宮沢橋の50メートルくらい下かな。本当の板橋。板一枚の橋で“一銭橋”というのがありました。」


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その貴重な写真がこちら。
明治時代にかけられたこの橋は、個人が所有しているものでした。
渡る際には通行料として“一銭“払っていたそうです。

大竹さん
「5つくらいの時ですから、その橋はおっかなかったですよ。
大倉ダムがない時代ですから、水量も多かったし、子どもにしてはちょっと一人では渡れなかったですね。
うちの祖母は小学校6年間、南材木町小学校に通うのに橋の上はおぶわれて通ったって言いますから。」


昭和13年、仙台市に寄付された「一銭橋」。
その後、新たな橋を築くも、水害で2度流されてしまいました。
そして昭和30年にできたのが、今の「宮沢橋」なんです。


渡り初めを行った染物店の方にもインタビュー!

橋が完成した時に、親子三代で行う「渡り初め」。
宮沢橋の竣工の際に渡り初めを行ったという髙橋さんのお宅に伺い、お話を聞きました。

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髙橋さん
「私がちょうど小学校入るかその前くらいの年なんですね。
渡り初めっていうのは昔から『三代続くように』と三世代夫婦でやるのが普通だったらしいんですね。そういうわけで私の家にお願いがあったんです。」


髙橋さんのお宅にあるアルバムに、渡り初めの様子を収めた、とても貴重なお写真も残っていました。

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髙橋さん
「前から順に、曽祖父母、祖父母、両親です。」


髙橋さん自身はまだ幼かったため、当時のことはあまり覚えていないといいますが、こうして家族の歴史が受け継がれていくのは本当に素敵なことですね。


安藤のひとこと。

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安藤さん
「今回は“橋が架け替わる”ということをきっかけにお話を伺ったんですが、とても貴重なお話、町の記憶が浮かび上がってきました。
橋自体はどんどん形を変えるものだと思うのですけれど、人の心にある色んな橋の姿・景色というのがあると思いますので、ぜひこうした機会をきっかけに身近な方に昔の町の記憶を聞いてみるといいと思います。」



編集後記

どんどん新しくなっていく街なみですが、振り返ってその歴史を調べてみると新たな発見や興味深い歴史を知ることができました。
便利になる、綺麗になるということに気が向きがちですが、その背景でなくなっていくものにもたくさんの歴史があって、地域の人たちの思いや暮らしがぎっしり詰まっているんだなと感じました。
今回の宮沢橋のように、身近なふとした疑問が、貴重な歴史を知るきっかけになれば良いなと思います。



※放送内で「南染師町」を「みなみそめしちょう」と読んでいますが、正しくは「みなみそめしまち」でした。
大変失礼しました。


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