地域の人々に愛された「秋保電鉄」の歴史
今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!
昭和36年に廃線し、今は「乗ったことがある」という方のほうが少ないかと思います。
秋保温泉駅から長町駅の間を走っていた秋保電鉄、その歴史について調べてきました!
当時を知る人に思い出を聞いてみた!
庄子さん 「中学生の頃から、仙台の中学校に通うために乗っていた。 大人になるまでずっと利用していましたよ。 運転手さんとか車掌さんの顔も分かってるので、家族的というか。 通学通勤をしている人間にとっては懐かしいです。」 |
秋保電鉄に乗る人はみんなが顔見知りで、遅刻した人がいたら発車時刻を過ぎても待ってあげたり、列車が脱線した時にはみんなで押してレールに乗せたりしたといいます。
駅のなごりは残っていないの?
駅舎があった場所へ案内してもらうと、今は個人宅になっていました。
リフォームをして新しくなっていますが、駅舎の外観からなるべく変えないようにしているそうです。
そしてそのすぐ隣にはレトロな雰囲気の車両がありました!
秋保電鉄の車両でしょうか?
庄子さん 「これは秋保電鉄ではなくて仙台市内電車です。」 |
まさかの仙台市電でした...
使われなくなって置き場に困っていた車両を、住民の方が個人で引き取ったそうなんです。
秋保電鉄の車両は、残念ながら現存していません。
創業者のお孫さんにお話を伺いました!
こちらは、創業者の3代目である小林和夫さん。
和夫さんのおじいさん・小林八郎右衛門さんは、秋保電鉄の前身である「秋保石材軌道株式会社」を設立した一人だそうです。
和夫さん 「秋保地方で“秋保石”という石が採れた。 レールを敷いて、馬車鉄道で石を運んでいた。」 |
こちらが「秋保石」。
加工がしやすく耐久性に優れているので、建築物の土台や敷石に使われていました。
しかしコンクリートの普及で秋保石の需要は減少してしまいます。
秋保温泉の観光客が増加したこともあり、大正14年に電気鉄道として営業を始めたそうです。
和夫さん 「台車の上にござを敷いて、詰めるだけ人詰めて。 今なら許可ならないでしょうけど。」 |
お祭りがある時はより観光客が増え、車両に人をぎゅうぎゅう詰めに乗せて走っていたそうです。
それでも、普段は通勤通学で利用する人が中心で、秋保電鉄の経営は常に厳しかったといいます。
さらに自家用車やバスの急速な普及により鉄道の乗客が減少し、昭和36年、秋保電鉄は廃線になりました。
和夫さん 「愛してやまなかった電車がなくなるっていうのは寂しい思いをしました。」 |
秋保電鉄の最後を見るのが辛く、和夫さんは廃線の時、県外に出ていたといいます。
秋保電鉄についての歴史を保存している場所があるらしい!
訪れたのは、秋保温泉にある「秋保・里センター」。
実際に使われていた看板や時刻表など、秋保電鉄に関するたくさんの展示と丁寧な説明があり、当時のことを詳しく知ることができる施設です。
中でも人気なのがこのジオラマ。
ボタンを押すと、小さな車両が走ります。
細かいところまで丁寧に作りこんであり、訪れた人たちは興味深そうに見ていました。
(特に小さな子どもたちは、何度もジオラマを走らせてとても楽しそうにしていました♪)
興味が湧いた方は是非足を運んでみてくださいね!
地域の人々に愛されていた秋保電鉄。
車両やレールが残っていなくても、当時の温かい日常や利用していた人たちの思いは、これからもしっかり残していきたいと感じました。
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