不思議な"町の境"の謎

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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大きな川があると、そこが地区の境のになるイメージがありますが、そうではないところもあるんですね。

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こちらは名取川周辺の地図で、赤い点線は市や区の境界です。
川をはさんでも同じ地名の地区がいくつかありますね。
特に「四郎丸」地区は、太白区と若林区の2つに分かれていることが分かります。


四郎丸に行ってみよう!

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やってきたのは太白区四郎丸にある仙台市東中田市民センター。
地域の歴史を調べて語り継ぐボランティアサークル「かにっこ語りの会」の皆さんにお話を伺いました。

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大原さん
「名取川は暴れ川であったと伝えられています。
ある時期は四郎丸の北を流れていたけれど、その流れが変わって四郎丸が分かれてしまったんです。」

洪水が起きて川の流れ自体が変わってしまったことが理由だったんですね…!

ちなみに…

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なぜ「かにっこ語りの会」という名前で活動しているのか伺ったところ、四郎丸地区にある県の指定文化財「落合観音堂」にまつわる、度重なる洪水から生まれた民話が由来だと教えてくれました。

その民話をご紹介します。

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「江戸時代の四郎丸。観音堂の周りには市がたつほど栄えていました。」

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「ところが雨で名取川が氾濫して、観音様が流されてしまいました。」

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「村人が慌てて探したところ、なんとたくさんのカニが観音様を抑えて海に流されるのを止めていました」

このカニのお話にちなんで「かにっこ語りの会」という名前になったそうです。

名取川はいつから今の形?

仙台市博物館で所蔵する、江戸時代の四郎丸地区の絵図では、文政5年時点ですでに名取川の両岸に四郎丸村があることが描かれています。
この時代に支流がまとまり、本流が四郎丸地区の中を流れるようになったため、この後は洪水が減ったと言われています。

そしてこの状態のまま現代になるのですが、1989年に仙台市が政令指定都市に移行した際に行政区画審議会が開かれ、若林区と太白区で決めた「大きな川で区切る」という基本ルールにのっとり、今の区割りにになったということです。

かにっこ語りの会によると、袋原や日辺も名取川の位置の変化が影響しているのではないかと話していました。



「地名について調べることは今の暮らしに生きてくる」

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地域の歴史に詳しい尚絅学院大学の千葉正樹教授にお話を伺ったところ、

千葉教授
「古くから残る地名や伝承には知識のかけらが集まっている。
地域の歴史を知ることは今の暮らしに生きてくる。
地元の人にしかできない大切なこと」

と話していました。


不思議な分かれ方をしている地域について調べてみると、そこには度重なる災害にあってきた地域の歴史がありました。
教科書には載っていない“その地域の歴史”を知ることは、教授の言う通り地元の人にしかできない大切なことだと改めて感じました。
この機会に、皆さんもご自身の身近な地域の歴史について調べてみては?



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