はたちの抱負~あの日を忘れない

東日本大震災から11年のことし、当時の小学3年生が新成人となりました。震災で大きな被害を受けた沿岸部の女川町で地域の人に支えられながらバスケットボールに青春を燃やした少女は、その経験を胸に大人への門出に立ちました。
仙台放送局石巻支局の藤家亜里紗記者が取材しました。


<多くのことを乗り越え>
女川町出身で県内の大学に通う小林杏奈さんは、1月9日に女川町で行われた成人式で実行委員長を務めました。式の最後には感謝の気持ちを込めてあいさつを行いました。

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小林杏奈さん
「当時小学3年生だった私たちも多くのことを経験し、乗り越え、本日成人式を迎えることとなりました。社会に出たり目標に向かって勉強したりと頑張っている途中なので、これからも温かく見守ってください」


<震災後、支えられた青春>
11年前、海から2キロほどの場所にあった小林さんの自宅は津波で流されました。小林さんと家族はおよそ8か月間、自衛隊が設けたテントでの避難生活を余儀なくされます。

生活に必要なものを失い支援物資に頼る生活の中、小林さんを支えたのは、震災の半年前に始めたバスケットボールでした。全国から届いた練習道具やボランティアの助けにより避難先でも練習を再開できました。

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小林杏奈さん
「大変な生活な中でも、バスケをしている時間は震災の怖さも忘れられてすごい楽しかった」

中学に入ると部活動でキャプテンを務めました。震災後に減った部員はわずか5人の時期もありましたが、県の新人戦で優勝するなど全国大会を目指すほどの強豪チームを引っ張りました。

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その目標を一緒に追いかけたのが女川町の人たちです。チームの練習相手を引き受け、試合の応援にも駆けつけてくれました。中学最後の試合では大きな円陣を作り、選手たちを直接鼓舞する場面も。こうした地域の人たちの温かい支えが目標に向かう小林さんの原動力になっていました。


<次は私が恩返しをする番>

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大学に入ってからもバスケットボールを続けた小林さんは、おととし、けがが悪化したことを理由に部活動を断念しました。生活の中心だったものが一区切りとなり、すぐに新たな目標を見つけることはできませんでした。「やりたいことがないというのはこんなに大変なのか」。悩んでいたところ、子どもと遊ぶのが好きな娘の姿を見ていた父から保育士の道を勧められました。

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背中を押された小林さんは、地元の女川町で保育士として働くことを考え始め、現在は公務員試験の勉強をしたりピアノを練習したりする日々を送っています。

自分を支えてくれたのは、家族や町の人たち。今度は自分が支える側になりたい。小林さんは、バスケットボールに明け暮れたおよそ10年を振り返りながらはたちの抱負を掲げました。

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小林杏奈さん
「両親は自分のために時間を割いて支えてくれ、周りの皆さんも忙しい中で練習や応援に来てくれた。バスケを通して周りへの感謝に気づかされたしそういう気持ちを持つこともできた大事な時間だった。次は私が恩返しをする番。いつも笑顔でみんなに頼られるような町の保育士になりたい」

 

 


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仙台放送局 記者 藤家亜里紗
2019年入局 2年余の事件担当を経て2021年11月から石巻支局
海の幸に胃袋をつかまれました!(写真は5年前の成人式です)