未来への証言 石巻市南浜で見た津波

今回は、宮城県石巻市の高橋広子さんです。
高橋さんは当時36歳。市の文化センターに勤めていましたが、
揺れの瞬間は、市役所の5階にいました。
揺れの後、高橋さんは市の中心部にある市役所から、
海のすぐそばにある文化センターに戻ってしまいます。
聞き手は、NHKアナウンサーの黒澤太朗です。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

高橋)様子を見るというかたちで、4階のほうにちょっと降りたんですね。
そうしましたら、やはり予想通りパニック状態といいますか、
混乱していまして、これはいったん戻ろうという風に考えて、
ちょっとその場は後にしたというかたちですね。

高橋)公用車のラジオをつけながら戻った時に、
宮古で10mっていう声が聞こえたんですね。
戻る最中もなぜかわからないですけど、
そのまあ、みんながいないといいなと。
とりあえずもう職場の事務所に、事務室に入りまして、
「津波来るってよ」って叫んだのは覚えています。

高橋)私自身は同僚を乗せて、一旦山に向かうということで出たんですね。
駐車場を出るときに、川から水がすーっと流れてきた、
駐車場をはってきたんですね。なので、少し急ぎました。
まあ普段行かない道路ではあったんですが、
警察署の官舎がありまして、ここちょっと高いなというのを
横目で見ながらまっすぐ進んで、
進んだ先にはあの門脇保育所というのがあるんですけど、
そこを抜けてと思っていたら、そこにたどり着く前に、
あの津波が横切ったんですね。3mは超す津波に私は見えました。
え、って思いまして、で、急いでバックをして官舎に入ったんですね。
間一髪でしたね。

高橋)ちょうど津波が来たころ、雪が降ってきていまして、
一旦屋上に上がったんですけど、逆にあの凍えそうだったので、室内に戻りまして。
門脇小学校のあたりといいますかその日和山のたもとが
ずっと火災が起きていたのはずっと見ていまして。
自分が避難した場所の近くでもあのガスボンベか何かわからないですけど、
爆発する音がすごくてですね。実は。あの、バンバンっていう。
振り返るとやはり、戻ってしまうという一番よくない行動をしていたこと。
反省の材料がたくさんある行動だったなと思ってます。

高橋)私よりも先に職場を出た同僚がいまして、
その同僚が実はいまもね、行方不明という形で、
一人だけ実は職場の中では犠牲になっているんですね。
何年経ってもつらい事実ですね。

黒澤)震災っていうものから、気づかされたことだったり、
何かあったりしますか。
高橋)3月11日に多くのものを失って。
命もそうですし、電気、水道、携帯電話ももちろん全部止まっちゃいますし。
私の場合は家があの床下ぐらいで済んだので、
家の中であの生活できたからなんですけど、カーテンを全部開けて、
月明りで過ごしたり話したりっていうことができていたんですね。
そうしたときにちょっと思ったのが、やっぱりその、
私たちはその自然の中で生きていて、人間が生きていられるのは
自然のおかげなんだよっていうところを、自分が感じたので、
それを感じることによって見方が変わるし、生き方っていうかね、
変わったなって自分なりには思うんですよね。

高橋)私はあの日からカーテンは閉めてないんですよ。寝室ですけどね。
閉めると見えないけど開けると見えるんだよっていうのが
なんでも同じかなと思って。
見えなくしてるのは自分なんだなっていうことだと思います。