【髙木優吾】震災証言インタビュー/石巻工業高校 元主将 阿部翔人(あべ・しょうと)さん

石巻工業高校 元主将 阿部翔人(あべ・しょうと)さん
※取材当時(8月12日)26歳

(聞き手・構成:髙木優吾アナウンサー 令和3年8月12日取材)

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今回は、震災翌年のセンバツ高校野球に石巻工業高校の主将として出場した阿部翔人さんにお話を伺いました。
開会式で選手宣誓の大役を担った阿部さんのことは、とてもよく覚えています。
私自身、2012年は社会人生活が2年目に入ったところ。
阿部さんが選手宣誓で選ぶ言葉に「本当に年下の高校生?」と思っていました。
「人は誰でも、答えのない悲しみ受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」という選手宣誓。胸を張り、前をまっすぐに見つめ、よどみない言葉の1つ1つが心に残っています。
石巻工業の初戦の相手は、鹿児島の神村学園。当時、私は鹿児島放送局にいたので、試合内容もよく覚えています。石巻工業の粘り強さ、阿部さんを中心に全く諦めない姿が印象的でした。

そこから9年。今回、はじめてインタビューの機会をいただきました。
待ち合わせした時の第一印象は、「意外と小柄だ!」ということ。
ただ、日焼けした肌にキリっとした目つき。やはり当時の面影はありました。
あのセンバツでの阿部さんの姿は、とても堂々としていたのだなと感じました。
阿部さんはこれまではあまりメディアのインタビューには答えていませんでした。
理由は「周りから見られる自分と普段の自分とのギャップに悩んだ時期があったからだ」と、
話していました。石巻を背負っているという見られ方をすることに違和感があったそうです。

あの選手宣誓から9年が経ちました。1人の20代の若者の心がずっと揺れ動いていたことを今回はじめて知りました。一言で震災から10年といっても、1人1人それぞれの10年があることを、このインタビューを通じて改めて考えることができました。
阿部さんは、ことし4月から保健体育の教師として仙台一高に勤めています。さらに野球部の副部長として、野球の指導も行っています。環境が変わったことで、これまでの経験を話せるようになってきたということです。「震災以降、自分たちは絶対何とかしてやる!という思いで1日1日頑張った先に甲子園があった。野球だけではなく、生徒たちが報われるきっかけや環境を作ってあげられる教師になりたい」という言葉には、強い決意が表れていました。