ミャンマー第2の都市マンダレー。街なかの至る所にお寺や寺院が立ち並び、仏教が大切にされています。功徳を重ねながらも、明るくエネルギッシュに暮らす人々に出会います。
歩き方
街の基礎情報 マンダレー
場所:
ミャンマー中央部
人口:
120.8万(2019年現在)
景色:
平原に碁盤の目のように通りが伸び、街なかにはお寺や僧院が点在する。
人々:
誰にでも親切で、エネルギッシュ。仏教を大切にしている。
産業:
商業、鉱業、製造業
交通手段:
タクシー、三輪タクシー
行き方:
日本からマンダレーまでの直行便はありません。ミャンマーのヤンゴンやタイのバンコクからは直行便が出ており、どちらも1時間30分ほどでマンダレーに着きます。
通貨:
チャット
1チャット=0.072円(2019年現在)
歩き方
早朝、王宮のお堀端で元気なエアロビクス集団に出会います。街なかに入るとお坊さんに無償で朝食を提供する食堂の主人や、タナカと呼ばれる日焼け止めを売る女性に遭遇。街の南西に歩き進めると金ぱくの仏像が印象的な寺院マハムニ・パヤーを見つけます。食べるお茶の店や功徳のために仏像公園を作った男性、伝統のたて琴を教える教室に立ち寄り、住宅街では家族のように仲良く暮らす人々にも出会います。夕方、街の北にあるマンダレーヒルに登り、夕日を浴びて金色に輝くマンダレーの街を一望します。
街を歩いてみて(ディレクター談)
近代的に見えるマンダレーの街ですが、一歩路地に入ると昔ながらの住宅街が広がっています。子どもたちは路上でコマ回し、主婦たちは水場で洗濯や水浴びをしながら井戸端会議。そこには笑顔が絶えません。昭和の下町を思わせる、なんとも懐かしい光景でした。
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街のなりたち
マンダレーは18世紀から19世紀にかけ繁栄したコンバウン王朝ビルマの最後の都がおかれた街。2キロ四方の巨大な王宮を中心に、多くのお寺や僧院が立ち並ぶ仏教の街でした。1885年に国王夫妻がイギリス軍に幽閉され、コンバウン王朝が崩壊。1948年に独立を回復するまではイギリスの支配下に置かれました。独立後、マンダレーは人口100万を超える大都市となりました。今でも寺院や僧院、伝統工芸や芸能などが色濃く残る古都です。
出会い
街の「タナカ売りのおばちゃん」
大通りの朝市で真っ白な顔の女性を発見。これは「タナカ」というミャンマーの日焼け止めを塗っているのだそう。木の棒を湿らせて石ですりおろし、出てくる液を塗るのだとか。暑い日には涼しく感じ寒い日には暖かく感じるという、不思議な日焼け止めでした。
街の「功徳の心が込められた仏像公園」
大通りで、家よりも高い巨大な金の仏像を見つけました。その周囲にも大小さまざまな仏像が。これは不動産業で財を成した1人の男性が私財を投じて作り上げた仏像公園。オーナーによれば「生きているうちにいいことをしたい」という一念で作ったのだそうです。
街の「伝統のたて琴教室」
通り沿いのお宅からすてきな音色が響いていたので立ち寄ると、そこはミャンマー伝統のたて琴の教室。先生はたて琴に興味がある若者が来れば無償で教えているのだそう。「伝統文化が消えないように自分にできることをしているだけ」と言っていたのが印象的でした。
グルメ
【第1位】ヒン
ヒンとはミャンマーのカレーのこと。ヒンを頼むともれなく豪華な付け合わせがついてきます。煮物、揚げ物、漬物、ゆで野菜に生野菜まで合わせて10品以上。それがなんとお代わりし放題。付け合わせでテーブルは一気に豪華になり、食事の楽しさも倍増します。
<平均価格 約300円>
【第2位】モンピャータレッ
ミャンマー版お好み焼き。熱した鉄板に米粉を水で溶いたものを流し入れ、溶き卵をかけます。そこにパクチー、唐辛子、ひよこ豆、トマトをのせて、さらに卵を落とします。蓋をして2分ほど待てば完成。小腹が空いた時にもってこいの軽食です。
<平均価格 約150円>
【第3位】シャンカオスエ
マンダレーの東にあるシャン州の名物の麺。器にピーナツ油、揚げニンニク、醤油などを入れて、タピオカの粉を溶いたとろとろのソースを加えます。そこにさっと茹でたビーフンを加えて混ぜ合わせ、上に肉やネギを散らして出来上がり。朝ごはんの定番です。
<平均価格 約200円>