2017年11月11日 (土)

立花誠一郎さん

今日のブログは「せかいま」とは直接は関係ありませんが、

以前、私が取材をさせて頂き、先日お亡くなりになった方についてです。

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今から8年前に放送された、私が関わった番組の一場面です。

写っているのは、立花誠一郎(たちばな・せいいちろう)さん、当時88歳。

立花さんは、第二次世界大戦中にオーストラリアで起きた日本人捕虜の脱走事件「カウラ事件」の生存者として、体験をお話くださいました。

 

陸軍の通信兵としてニューギニア戦線に従事していた立花さんは、

昭和19年、アメリカ軍の猛攻撃を受けて捕虜となりました。

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収容されたのは、シドニーから西へおよそ330キロのカウラという町にあった捕虜収容所。

ここで、日本兵たちは集団で無謀とも言える脱走を試み、230人以上が命を落としました。

戦時中、日本兵の間には「捕虜となるのは恥ずべきこと」という教えが存在していました。

「生きて帰るぐらいなら、脱走して監視兵に撃たれるほうがましだ」と考え、命を落とすことを分かっていながら脱走を試みたのです。

この「カウラ事件」の記憶を後世に残そうと、現地には日本人墓地が建設され、式典も開かれています。

 

立花さんは戦時中にハンセン病と診断され、戦後は岡山県瀬戸内(せとうち)市の国立ハンセン病療養所・邑久光明園(おく・こうみょうえん)で暮らしていました。

「カウラ事件」を目撃して生還した数少ない証人である立花さんに、私は岡山放送局に勤務していた時、何度もお会いし、そのお話を番組として放送させて頂きました。

 

あれから8年。

今日、当時、私と立花さんをつなげてくださった地元の方から「立花さんがお亡くなりになりました」とご連絡を頂きました。

仲間をおいて自分だけ生きて帰ってきたことに対する負い目を感じながらも、平和への思いを語り続けていた立花さん。

取材のときにおっしゃっていた、「たとえ私が他界しても、カウラの問題は風化せずに永久に生き残っていく」という言葉が思い出されます。

立花さんが私に託してくださった思いに応えられるよう、これからも自分にできることを考えていきたいと思っています。

 

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(写真撮影:野村泰介氏)

 

立花さんが使用していて、捕虜収容所から持ち帰ってきたというトランクです。

来月(12月)27日まで、東京・千代田区にある、戦傷病者史料館(しょうけい館)で展示されています。

 

 

 

投稿者:芳川隆一 | 投稿時間:20:50


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