2018年05月25日 (金)町工場が見た"激動の平成"


※2018年5月2日にNHK News Up に掲載されました。

“平成”も残り1年。今回も平成ネームの企業を深掘りします。訪ねたのは平成元年に「平成製作所」と会社名を改めた、兵庫県尼崎市にある町工場。工場を取材すると、震災そして経済危機と“激動”だった「平成時代」がかいま見えてきました。

ネットワーク報道部記者 佐藤滋・高橋大地・田辺幹夫

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<“平成”の町工場を訪ねて>
民間の信用調査会社、東京商工リサーチがデータベースから調べた結果、社名に「平成」が含まれている企業の数は全国に1270社。
今回、取材チームが話を聞きに行ったのが兵庫県尼崎市にある「平成製作所」。金属加工が専門の町工場です。JR尼崎駅から南西およそ5キロ、工場や大型倉庫が建ち並ぶ一角にあります。

mat180502.2.jpgmat180502.3.jpg工場で迎えてくれたのは社長の別府昌夫さん(48)。この工場の2代目で、くしくも入社は平成元年。この頃はバブルまっただ中。仕事がたくさん舞い込み、将来への不安は全くなかったそうです。

別府社長が入社した平成元年は工場にとっても特別な年でした。社名が「別府鉄工所」から「平成製作所」に変わった年でもあります。
社名の変更は、先代の社長の父・清則さん(77)が元号に込められた思いに共感。「世の中とともに従業員の人生も平和であってほしい」と願って名付けたそうです。

入社以来、そして社名変更以来30年間、別府社長は、建設機械の部品やガスボンベのバルブなどを従業員数人とともに作ってきました。学校の教室ほどのスペースに旋盤などの機械が所狭しと並び、大きな音を立てて金属が削られ、パイプやボルトなどの部品が作り出される町工場。その歴史は、“激動の平成”に、左右されながらの日々だったといいます。


<阪神・淡路大震災の記憶>
平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が起きました。

当時、マンションの14階に住んでいた別府さんは、妻とともに生まれて2か月の長男の大樹さんを抱えて階段で1階に逃げました。近くを通る高速道路から、電気がショートしたようなバチバチという音が聞こえたことを鮮明に覚えていると言います。

mat180502.4.jpg家族にけがはありませんでしたが、「工場は大丈夫やろか」、その思いがよぎりました。すぐに車に飛び乗り、10分ほどの距離にある工場へ急ぎます。ところどころで陥没している道路を走り、工場の周辺までたどりつくと、近くの古い建物が倒壊しているのが目に入りました。心配しながら工場に入ると、一部の旋盤で部品がゆがんで壊れていましたが、ほかの機械は無事でした。

ただ、ほっとしたのもつかの間でした。

高速道路の再建に必要な大型のねじの発注がきました。“震災の復興に貢献したい”その思いで発注を受けたものの、当時、工場にあった機械は小さすぎて、うまく削ることができませんでした。

別府さんは、家族で工場に寝泊まりしながら、ねじを作り続けました。試行錯誤の結果、削る作業の回数を調整することでなんとか、ねじを供給できるまでたどりついたそうです。翌年、阪神高速道路が全線開通したのを見て、復興に貢献できたと実感したといいます。

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<リーマンショックの荒波>
平成の30年間は、バブル崩壊以降、経済危機がなんども叫ばれる時代でもありました。別府社長の町工場にとって、いちばん大変だったのは、リーマンショックの影響が日本各地に波及した平成21年ごろだったそうです。

mat180502.6.jpg仕事は激減。売り上げは約1/3にまで落ち込み、3000万円を超える借金を抱えました。この頃、別府さんは、毎日「いつになったら仕事が入ってくるのかなぁ、もう無理なんかなぁ」と思っていたそうです。


<苦境を乗り越えた「言葉」>
生活が苦しくなる中、家族を養っていくために夜は運送会社で荷物の仕分けのアルバイトをしてなんとかしのぐ日々。

そんな別府さんが苦境を乗り越えることができたのは、「もう一人のお父さん」と慕う、税理士の早瀬福さんの存在です。

mat180502.7.jpg長年、経営を見守ってきた早瀬さんには「会社をたたまないといけないかもしれない」と弱音をこぼしながら、さまざまな相談をしていました。

そのとき、早瀬さんがかけた「冬はいつか春になる。今のお客さんを大切にしなさい」という言葉が、大きな支えになったと言います。その言葉を信じ、どんなに納期が厳しい注文でも断らずに製品を作り続けました。

やがて、景気が回復し始めます。すると、この間、大切にしてきた取り引き先から次々と注文が回ってくるようになりました。「冬はいつか春になる」、その言葉を愚直に守り続けた結果、会社を再建できたと言います。

当時の別府社長の様子を早瀬さんは、「華やかなところはひとつもないけども、辛抱強く、粘り強い。たいしたもんだと思っていました」と語っていました。

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<“平成”を受け継ぐ息子へ>
別府社長を支えたもう一つの存在が家族です。

リーマンショックで苦しむちょうどその時期に、娘が誕生。かわいい娘のために、何が何でも仕事を続けようと思ったと言います。
そしてこの春、阪神・淡路大震災の時に抱きかかえて避難した、長男の大樹さん(23)が平成製作所に入社。跡取りとしての期待を込め、別府社長は基礎から教え込んでいます。

mat180502.9.jpg息子の大樹さん(手前)
でも、技術以上に学んでほしいことがありました。取り引き先やほかの従業員など仕事で接するすべての人を大切にする気持ちです。平成の社名を引き継ぐ3代目として、名前に込めた思いも受け継いでほしい。別府さんの願いです。
「工場という基礎の部分を作ってもらった自分ができることは、ものづくりを極めること。何か世の中の役に立てるものを作ることで、世の中の平和に貢献できる人間になりたいです」
(長男 大樹さん)

mat180502.10.jpg「元号が変わっても、会社の名前は変えません。世の中も従業員も家族も、みんな平和になってほしいという思いが変わらないからです。息子にもこの思いを引き継いでもらって世の中の役に立つ製品を作り続けてもらい、いつか、平成製作所を日本一の町工場にしてくれることを夢見ています」(別府社長)


<元号ブームは来るか?>
気になる、新たな元号や発表時期について、政府は、国民生活や企業活動への影響や政治日程なども考慮しながら、今後、慎重に検討を進めるものと見られます。

企業のブランディングに詳しい「電通」の望月真理子部長は、また新しい元号を、社名に取り入れるブームは来るのではないかと語ります。

mat180502.11.jpg「企業名は、会社のアイデンティティーを具体的に表したもので企業理念や創業者の名前、創業地を入れることが多い。元号は、創業した時代や元号に込められたプラスの意味を取り入れたいと考えて社名に入れることがある。平成の次は、従来と大きく異なり、元号が代わるタイミングがあらかじめわかっているので、会社設立や社名の変更を検討している企業は準備がしやすく新元号を社名にするブームが来る可能性も十分あると思う」

投稿者:高橋大地 | 投稿時間:14時43分

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