NHK札幌放送局

ほっと通信(68)【瀬田宙大】

瀬田 宙大

2019年7月17日(水)午後1時09分 更新

きょう発表されることしの直木賞。前回のブログに続き、候補作のひとつ「平場の月」(光文社)の著者、朝倉かすみさんのインタビュー、昨夜ほっとニュース北海道でお伝えした内容をご紹介します。

朝倉さんと待ち合わせをしたのは札幌市中心部のバスターミナル。札幌近郊など各地を出発したバスが次々と到着します。この場所は朝倉さんにとって思い出の場所だといいます。
よく利用していたのは、短大卒業後、就職をせず札幌市で様々なアルバイトをしていた20代の頃。当時、朝倉さんはレジ打ちや事務のほか、狸小路のイベントのアルバイトなども経験したそうです。
その当時、バスの車内、待合室、昼食の時間などひとりの時間に本との付き合いがはじまります。

(以下、せ=瀬田、朝=朝倉さん)

せ)当時、本はご自身にとってどういうものだったんですか?
朝)違う世界に行けるもの。でも最初に読み始めたときはちっとも面白くなくて、いつ好きなものに会えるんだろうと思っていた。
せ)最初、面白くなかった?
朝)面白くなかったんです。だって当時の安い文庫本って名作系なんですよね。それで難しいじゃないですか。慣れていないというのもあるし、あうあわないもあるのでどこが面白いのかがわからなかった。
せ)その時はそこまで本が好きだったわけではないんですか?
朝)うん、凄く好きではなかった。
せ)でも、だんだんと本に触れあう中で…
朝)そう。森鴎外の「鴈」という作品を読んだときにものすごく好きになった。この言い表せない気持ちは何っていう、そこからすごく私の好きなものがあるんだなって思った。

朝倉さんはその後、40歳を過ぎて作家としてデビューします。なぜバスターミナルが作家としての思い出の場所なのでしょうか。

せ)作家 朝倉かすみにとってその当時の時間、この場所というのはどんな意味が?
朝)大事な場所。やっぱり、こうやって小説を書いて、ご飯を食べていけるのは何もしない時期があったからで、だからこういう場所とか、あの時にテレビ塔の下の喫茶店でシナモントーストを食べてとか、お金を数えながら支払ってとか、そういう時間を持てたというのはいまの仕事にはすごく大事だったと思います。それを許してくれた親に感謝しています。
せ)当たり前の日常。淡々とするけれども、確かに何かを得ながら生きていたみたいな。
朝)その時は「どぶに捨てていた」と思っていた。こんなに何年もどぶに捨てていいのかなと思っていたけど、やっぱり大切な時間。
せ)あの当時ここで過ごした時間がなかったら、もしかしたら今回の作品も含めて
朝)あ、というか。作家になっていなかったと思います。あの時間がなければ。

ことしの直木賞の候補、「平場の月」(光文社)。

中学時代の同級生、青砥健将と須藤葉子。
50代になって再会します。
須藤は病院の売店勤務。
ある日、同級生だった青砥が検査の為、病院を訪れます。
ふたりは離婚を経験して独り身。
心を寄せ合います。

物語は9つの章で構成されています。
タイトルはいずれも須藤の言葉。
中でも、朝倉さんが特に大切にしたのは「ちょうどよくしあわせなんだ」という言葉だといいます。

せ)セリフというのは書きながら生まれた言葉なんですか?それとも…
朝)先です。ここをこう書きますよって、須藤のセリフ、声が聞こえて。その言葉に向かって、須藤がこれを言うまでのことを私が書けばいいのねっていう感じでやっています。
せ)特に朝倉さんが大切にした須藤の言葉はどの言葉?
朝)「ちょうどよくしあわせなんだ」。
せ)この「ちょうどよくしあわせなんだ」、不思議な言葉ですよね。
朝)そうですね。仕事が終わって、こうぶらぶら歩いて、アイスをなめたり、甘いものを飲んだり、お行儀は悪いんですけど、私もすることがあって、やっぱりその時にもちょうどうよく、今ものすごく幸せだなって思う。それは私自身の実感。この「ちょうどよくしあわせ」っていう時間があるっていうことはいいことだなって。なんか慰められる自分がほめてあげることもできるし。
せ)でも、意外と気がついていないですよね。
朝)そうかもしれない…それはさみしい。うん。みんなにもたくさんあると思う。それで多分、大切な人が亡くなったりとかした時にはそのことを、何かふとした瞬間に思い出すんじゃないのかな。

58歳の朝倉さん。
50代は死が徐々に身近になる世代だと言います。
物語では、須藤の死も描かれます。

朝倉さんは、「人が死ぬ話なので、この人が生きていたことをちゃんと書きたい。そして、できれば読んだ後にずっと読者の中で生き続けてほしいと思った。これまでになく多くの人に読んでほしい。須藤の為にも」と話しています。

特別な人の特別な物語ではなく、「平場」という言葉に象徴される市井の人たちの姿を描きたいという朝倉さん。今後はどのような作品を生み出したいと考えているのでしょうか。

朝)できれば割に、顧みられない人たちを書いていきたいです。やっぱり気が付いてもらいたいという。それは小説の凄く大事なことだと思っていて、その名前がついていないし、どこにも書いていないからって、名付けられなかった感情とか気持ちとか、思いとか、そういうのは小説に書くことで、あ、これ知っているという風になることがたくさんある。そんな感じです。
せ)今後、作品を作る上でご自身の中で一貫して大切にしたい思いというのは、どういうことがありますか?
朝)なるべく洗いにかけた言葉を使いたいと思っています。ちょっと思いついたりとか、格好がいいからとか、そういうのではなくて、ここでこの言葉を書いたときに動かせない言葉っていうんですかね。ほかの言葉とは替えられない言葉で書きたいと思います。

朝倉さんは40代で「田村はまだか」を。そしてご自身も50代を過ごし50代の男女が主人公の「平場の月」を書き下ろしました。インタビューの中でも体験や経験はすべて力になると話しています。いまを生きる朝倉さんが現代をどのようにとらえ、次にどんな物語を紡ぐのか。お話を伺い、楽しみになりました。

それでは、また(^^)/


(2019年7月17日)


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