NHK札幌放送局

笑顔を灯す人形を作る 人形作家・宮竹眞澄さん

北海道クローズアップ

2019年7月25日(木)午後5時21分 更新

旭川市に住む人形作家・宮竹眞澄さん(69)は、40年にわたり人形を作り続けています。どこかで見たことのある懐かしい光景。明るくたくましく働く人々の姿。今にも話し声の聞こえてきそうな笑顔の人形たちは、多くの人の心をとらえて離しません。つらい出来事があるたびに、人々を勇気づける作品も手がけてきた宮竹さん。そこに込められた思いを見つめます。

北海道で生まれた心温まる人形

まだ雪の残る3月、宮竹さんの旭川の自宅を訪ねました。

宮竹さんの人形作りは独学です。これまでに500体以上の人形を作ってきました。材料は紙粘土。おおよその形を作った後は、少しずつ粘土を足したり削ったりしていきます。

作る過程に合わせて、さまざまな道具を使い分けます。一番時間をかけるのは表情。細かい部分はまち針を使い、丁寧に仕上げます。1つ作るのに1か月以上かかることもあります。

「微妙に口元とか、上げ下げでほほえんでいる感じになったり、下に向けると暗い顔になったりする。少し口角を上げるように。」(宮竹さん)

大分県出身の宮竹さんは、上京して夫の博信さん(70)と結婚した頃、趣味で人形作りを始めました。しかし当時作っていたのは、すまし顔でほっそりとした西洋風の人形でした。

作風が変わったのは、28年前。会社員だった博信さんが仕事を辞め、自営業を始めたいと東川町に移住したのがきっかけでした。夫の仕事が軌道に乗らず、3人の子育てに追われる毎日。慣れない土地での生活に不安を感じていました。

そんなときに宮竹さんを支えてくれたのが、近所の農家の女性たちでした。宮竹さんに作った米を分けてあげたり、畑でとれた野菜を持っていってあげたり、近所の人はみんなで温かく迎え入れました。

「うちにいろんなものを持ってきてくださるんですよね。『いらなかったら、なげたらいいんだよ』って、おおらかな気持ちで持ってきてくださるときの、話すお顔であったり声であったり、笑顔がやっぱりいいなって。自分もこんな顔できたらいいなと。」(宮竹さん)

自分を元気づけてくれた人たちの笑顔を形に残したい。そんな思いから、にっこりと笑った人形が生まれ始めました。生き生きとした表情の人形を作るうちに、宮竹さんの心も次第に明るくなっていきました。

笑顔の人形には、農家の人と接する中で感じた “力強さ” も込められています。

畑で働く4人の女性の後ろ姿をコミカルに表現した作品。お尻はあえてちょっと大きめに作りました。きつい農作業を、楽しく明るく乗り切る。大地に根をはって生きる人たちの底力を感じたといいます。

「寒い冬を乗り越えて、雪がとけてさぁ働くぞという、雪どけのあとの短い間を楽しもう、働こうという、たくましいところも表現したい。」(宮竹さん)

人形を全国の人に見てもらおうと展示会を提案したのは、夫の博信さん。場所選びや会場の設営、チラシ作りなど、妻を陰ながら支えてきました。

11年続けてきた、手作りの人形展。2人で手分けして準備を進めます。北海道から九州まで、全国で開いてきた人形展は99回。これまで10万人以上が訪れています。

人形が人を支える

宮竹さんの人形に特別な思いを寄せる人がいます。

福岡県豊前市に住む、吉村みゆきさんです。毎年春になると、宮竹さんが作った一組の人形を自宅に飾ります。

この地域で200年近く続く春の祭り、宇島(うのしま)祇園。歌い子と山車をひく男たちを表現しました。

吉村さんは6年前、一人息子の拓也さんを事故で亡くしました。当時29歳。拓也さんは祭りの青年団長を務めていて、幼い頃から祭りが何よりも大好きだった明るい子でした。

「息子の死は私にとって遠ざけたいというか、逃げてしまいたいような気もした。」(吉村さん)

突然の死を受け入れられず、息子を思い出させる祭りも見ることさえできなくなった吉村さん。悲しみに暮れるなか、以前見た宮竹さんの人形をふと思いだし、展示会に足を運びました。ほほえむ人形が、つらい気持ちに優しく寄り添ってくれているように感じました。

宮竹さんの人形となら、息子の死に向き合えるのではないか。吉村さんは、制作を依頼します。

2年後。宮竹さんが作った人形が届きました。息子を失った悲しみが少しでもいやされ、前向きな気持ちになってほしい。そんな宮竹さんの思いが込められた人形たち。

それを見るたびに、吉村さんの心は穏やかになり、今では祭りを楽しみに迎えることが出来るようになりました。

「この人形たちが教えてくれてるんじゃないかなと思って。私は息子が他界してから(祭りが)嫌いになったんだけど、息子は、『お母さん、そんなに嫌いならないでよ』って言ってるんじゃないかなという気持ちがします。」(吉村さん)

宮竹さんの人形は、災害に遭った人たちも勇気づけています。

東日本大震災で被害を受けた、岩手県南三陸町の今野益二郎さんと、みのるさんの人形です。津波で家を流され、再起を目指す今野さん夫婦を人形が奮い立たせてくれました。

「じっと見ていると本当にほっとします。やっぱり支えになります。」(みのるさん)

2018年9月、胆振東部地震の際も宮竹さんは人形を作り続けました。

「大変な思いをした人たちにも少しでもいい日が来るようにとか、それを見てもらった人たちには、まだ大変なんだなって思っていただきたい。」(宮竹さん)

ふるさとで思い新たに

宮竹さん夫婦は自家用車で各地を回り、これまで移動した距離は地球3周分を超えます。人形を詰めた箱を車いっぱいに載せ、旅を続けてきました。

しかし100回の節目となる今回の人形展で、全国を巡るのは最後にしようと2人は考えています。70歳を前に、大規模な展示会を続けるのは体力的にも難しくなってきたからです。

その100回目の場所に、宮竹さんはふるさとの大分を選びました。

訪れる人は人形に自分の人生を重ね、思いをはせます。

「すごいなあ。涙が出る。」
「よくできていますね。昔の自分たちの時代を思い出します。」

ひと月で訪れたのは3500人以上。その人たちとのふれあいが、宮竹さんにとっての一番の楽しみです。会場をあとにする人と丁寧に言葉を交わしたり、握手をしたり。最後の1人まで、笑顔で見送ります。

「終わりました。ちょっとほっとしました。最後のお客様は、思わず手を振ってくれて。年を取ると涙腺弱くなってね。なんだかんだ言って終わりました。」(宮竹さん)

11年続けてきた、夫婦と人形の旅。たくさんの出会いをもたらしてくれました。

大切な人との思いをつなぐ

宮竹さんには、北海道へ帰る前に会いたい人がいました。大分に住む、幼なじみの長谷川照美さん(70)です。

2人は同じ中学、高校に通った同級生。宮竹さんが20歳で九州を離れるまで、親しく過ごしてきました。その後、長年会う機会がありませんでしたが、6年前の大分での人形展以来、九州に行くたびに訪ねるようになりました。

長谷川さんは、ふるさとで人形展を開く宮竹さんを支えています。

「来るたびに弁当をこさえて、様子を見に来てくれて。片付けの時もまたお弁当を一生懸命作ってくれて。帰るときにまたここへ寄らせてもらって。来るたび、もう最後かなと思いながら。」(宮竹さん)
「やっぱり昔に戻るというか。だから話もこんなに。」(長谷川さん)
「ついさっきまで一緒にいたみたいな。」(宮竹さん)

玄関には、宮竹さんが感謝をこめて贈ってきた人形が並びます。長谷川さんにとって、離れて暮らす友人を思い起こさせてくれる存在だといいます。

「毎日会ってるみたいな感じ。このお人形さん見れば、眞澄ちゃんの顔が思い出される。だからいつも一緒にいるという感じ。」(長谷川さん)

人形は、大切に思う人同士をつないでくれているのです。

旭川の自宅へ戻った宮竹さんは、新しい人形作りに取り組み始めていました。これからも多くの人の心に寄り添い、前へ進む力になりたい。そんな思いのこもった人形は、明るいまなざしでほほえんでいます。

「どこかでまた見ていただけるという目標があって。今そんな思いですね。前向きな気持ちでこれからもやり続けるというか、日々を送っていけたら。」(宮竹さん)

人形作家・宮竹眞澄さん。
見る人の心にあたたかい笑顔をともす人形を、今日も作っています。

2019年6月14日放送
北海道クローズアップ
「笑顔を灯す人形を作る」より

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