NHK札幌放送局

悲しみに寄り添うために 加藤登紀子 サハリンへの旅

北海道クローズアップ

2018年12月19日(水)午後6時03分 更新

北海道から北に43キロの場所に位置するサハリン島。この島には、人々の悲しみが刻まれています。かつて日本領だったこの地にソ連軍が侵攻。激しい地上戦は終戦後もなお続き、多くの人が命を失い、そしてふるさとを失いました。2018年6月、この島を訪ねた日本人がいます。歌手の加藤登紀子さんです。加藤さんは、島の人々の悲しみに寄り添うために歌を届ける旅にでました。

悲しみの島へ歌を届ける旅

2018年6月下旬、歌手の加藤登紀子さんが東京からユジノサハリンスクへ向かいました。今年は、日本とロシアの親善をはかる日ロ交流年。今回、加藤さん自らがコンサートを提案して実現にいたりました。

加藤さんが空港に着くと、待ちわびた地元の人たちから思わぬ歓迎を受けます。「百万本のバラ」のロシア語による合唱です。

続けて、日本語の歌も始まりました。

♪もしもしカメよ、カメさんよ~
 世界のうちでおまえほど
 歩みののろいものはない~

加藤さんは笑顔で応えます。

サハリンは南北に950kmある、50万人が暮らす島。その南側の半分が、かつて日本の領土だった樺太です。加藤さんは長年、サハリンの人々や、その暮らしに触れたいと願ってきました。

さっそく加藤さんは空港から車で6時間かけて、かつて国境があった村へと向かいます。終戦間際、侵攻してきたソ連軍と日本軍との激しい地上戦がこの場所から始まりました。国境の周辺一帯で多くの人が命を落とし、サハリン全体での犠牲者は6千人以上にのぼります。

国境線の跡に到着すると、かつて国境を決めていた石碑が今も残されていました。しかし、加藤さんには石碑から何も伝わってきません。

「あまり、語りかけてこないですね。逆に言うと、私は国境がないものだと思いたい人だから。この国境に大きな意味を持たせたくないですよね。」(加藤さん)

歌手としての原点となった体験

加藤さんの家族もまた、故郷を追われた人たちです。加藤さんが生まれたのは、かつての満州、北の都ハルビン。そこは日本人、中国人、そしてロシア人が暮らす国際都市でした。満州鉄道の社員だった父のもと、3人兄弟の末っ子として生まれた加藤さん。2歳8か月までハルビンの地で過ごしました。しかし、太平洋戦争で日本が敗れると、ハルビンから日本人が一斉に引き揚げます。飢えや寒さで17万人が命を落とす中、加藤さん一家は全員が日本にたどり着きました。

「やっぱり紙一重ですもんね。旅の間に死んじゃうとか。例えば終戦から引き揚げまでの1年間だって、多くの人が死んだわけです。だからもう、生き抜くっていうことの素晴らしさがすべてですね。『生き抜けた』っていう。」(加藤さん)

一からの再出発となった加藤さん一家は、東京でロシア料理店を開きました。店で一緒に働いたのは、ロシア革命で祖国を追われて居場所を失ったロシア人たちです。店の中には彼らによるロシア語の歌声がいつも響いていました。

ふるさとや祖国を失ってなお、力強く生き抜いた人々の歌。それが、歌手、加藤登紀子さんの原点です。

残留邦人の心を支え続けた歌

旧樺太時代、この島には40万人の日本人が暮らしていました。終戦後、サハリンはソ連の支配下におかれ、まもなく日本人の引き揚げが始まります。しかし混乱の中、取り残された日本人もいました。サハリン残留邦人の数は1,400人以上と言われています。残された人たちは、どう生きてきたのか。

コンサートの前日、加藤さんは松崎節子さん(85)の自宅を訪ねました。戦前に樺太で生まれ、そのままこの地に残された残留邦人です。節子さんは現在、娘夫婦、孫夫婦、ひ孫と、四世代で暮らしています。

加藤さんを迎えてくれたのは、日本、ロシア、朝鮮半島などさまざまな料理が混在するサハリンの食卓です。節子さんがロシアでの生活で覚えたウォッカからおもてなしが始まりました。

すると、加藤さんはウォッカにまつわる思い出を語ります。

「父は亡くなるまでウォッカを飲んで歌っていました。」(加藤さん)

代表的なロシア民謡である「ステンカ・ラージン」をロシア語で歌い始める加藤さん。お返しに、節子さんは日本語の歌を披露します。

♪鳥が鳴く
 鳥が鳴く
 どこで鳴く~

途中から節子さんの娘ラリッサさんと、加藤さんも加わり合唱が始まります。日本語を知らない娘たちも、節子さんに教わった歌は大のお気に入りです。

節子さんがサハリンで終戦を迎えたのは12歳のときでした。すでに母はなく、父とたった一人の兄もソ連軍に連行されて生き別れになります。ひとり残された節子さんは生き延びるために、朝鮮半島出身の男性と結婚。そして、14歳で一人目の子どもを身ごもり、出産しました。

ちょうどその頃、日本人の引き揚げが始まり、ほとんどの日本人がサハリンを去っていきます。しかし、節子さんはその船に乗ることができませんでした。

「初めて産んだ子どもには、まあ憎くて憎くて。日本さ行かなくちゃならない、逃げていかなくちゃならないのに子ども産んだでしょ?子ども、私に邪魔になるんですよ。どこさ行っても何か段取りしなきゃならない。私一人でいれば、何かしてもポッと逃げていくことはできるけれど。」(節子さん)

異国の地となったサハリンに取り残された節子さん。待っていたのは、日本人への差別と貧しい暮らしです。庭に植えた桜の木が、唯一の日本語を話せる相手でした。

「日本人ってものは桜の気持ちだから。いつも桜見ればうれしいですね。寒くなったから苦労するべさ、我慢しなさいとか、なんとか。」(節子さん)

いつの日か祖国で兄と暮らしたい。その願いはかなわず、節子さんは5人の子どもを育てていくために、40歳を過ぎてソビエト国籍を取得しました。

苦しいときに節子さんがいつも口ずさんできた歌があります。

♪泣くな妹よ
 妹よ泣くな
 泣けば幼いふたりして
 故郷を捨てた甲斐がない

かつて兄の背中で聞いた子守歌です。

「胸が苦しいときになれば、日本の歌を歌えば、気持ちがぱーと大きくなって。どうにかして自分は生きていかなくちゃならない。」(節子さん)

12歳で迎えた終戦の日から70年あまり。兄が教えてくれた歌に、節子さんは遠い祖国を重ねて生きてきました。

歌は国境を越える

サハリン南部のユジノサハリンスクは旧樺太時代に中心地だった町。加藤さんのコンサートはこの町で開かれます。

コンサート当日、会場は地元サハリンの人たちで埋めつくされました。多くの女性がバラの花束を手にしています。

コンサートが始まり、日本とロシアで愛されている曲「百万本のバラ」を披露する加藤さん。途中から歌詞をロシア語に替えて歌います。

♪バラの花をあげたい
 ある日街中のバラを買いました
 百万本のバラの花を
 あなたにあなたにあなたにあげる
 窓から窓から見える広場を
 真っ赤なバラでうめつくして

この会場には、加藤さんが特に歌を贈りたかった人たちがいました。サハリン残留邦人とその家族です。加藤さんは全員で一緒に歌うことを提案します。

♪うさぎ追いしかの山
 こぶな釣りしかの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき故郷
 志を果たして
 いつの日にか帰らん
 山は青き故郷
 水は清き故郷

会場全体に響き渡る歌声。加藤さんは客席まで歩み寄り、残留邦人の一人一人と手を合わせながら歌います。その中には節子さんの姿もありました。

魂だけでも故郷に帰りたい

コンサートが終わり帰国の途に就く加藤さんには、サハリン滞在中の忘れられない出来事があります。節子さんの自宅を訪ねたときのやり取りです。

節子さん「こうやって今、子どもたちがいます。孫もひ孫もあります。でも、私がもしか死んだら、魂は日本の魂になりたいんですけども、日本の魂にはならないわね。」

加藤さん「そう? 子どもたちのそばにいたいじゃない。」

節子さん「それでもやっぱし日本人だから、日本の魂には入りたいです。」

加藤さん「いやぁ、それはもう、日本の魂ってどこにあるのか…。」

節子さん「死んでも、魂は日本人の魂になりたいです。」

加藤さん「ここに生まれてここを愛して、でも節子さんは節子さん自身だから。十分日本人です。」

国境のない世界を求めてきた加藤さん。しかし、魂だけでも故郷に帰りたいという節子さんの複雑な胸の内に理解を示します。

「彼女にとって日本人であるということの切実さを受け止められたかというと、受け止められないですよね。それだけに印象に残りましたし、胸に突き刺さりましたし、大事にしたいなと思ってます。」(加藤さん)

歴史に翻弄された悲しみの島への旅を終えた加藤さん。人を分け隔てる国境を越えたいという思いを込めて、これからも歌い続けます。

2018年8月24日放送
北海道クローズアップ
「故郷と祖国~加藤登紀子 サハリンへの旅~」より

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北海道の“いま” を見つめ続ける報道番組 1993年4月に放送を開始した「北海道クローズアップ」。 昨年度は、大きな被害を出した胆振東部地震について、被害の深刻さやそれに立ち向かう人々の姿を様々な角度から伝えてきた。また、AI農業の最前線や、TPPなどで貿易の自由化が加速する中での人々の新たな取り組みなども見つめ、北海道の様々な課題に向き合ってきた。この26年間の放送回数は、746回を数える。 平成から新たな時代にかわる節目の今年、番組では新たに新キャスターを迎え、番組の更なる飛躍を目指す。北海道の“いま”を、より分かりやすく、より深く。 「北クロを見れば、今の北海道がわかる!」 そんな報道番組をめざし、新たな可能性を探っていく。

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