NHK札幌放送局

「島の人に勇気を」 津波から救出され生まれた月明かりのランナー~目撃!にっぽん

NHK北海道

2018年8月6日(月)午後7時30分 更新

北海道南西沖地震から25年。当時母親のお腹にいた安達杏子さん(24)は、津波から奇跡的に救出され、地震後に生まれました。現在は奥尻島で保健師として働く杏子さんに、島の人たちは特別な思いを寄せます。そんな杏子さんは今年、初めて島の「ムーンライトマラソン」に参加。島の人たちと、家族に対する特別な思いを込めて、杏子さんは走ります。

復興や希望を象徴する存在

25年前、1993年7月12日に起きた北海道南西沖地震。日本海観測史上最大級となるマグニチュード7.8を記録した奥尻島には、地震発生からわずか3分で、高さ最大30メートルの津波が到達し、198人もの犠牲者が出ました。

島に住む安達杏子さん(24)は、当時母親のお腹にいました。杏子さんの母親は近所の人と一緒に車で高台に避難しようとしましたが、車ごと津波に襲われます。

津波に飲み込まれた杏子さんの母親は、なんとか車から脱出し、沖合100メートルのところで海に浮かぶ家の屋根につかまっていたところを、いかつり船に救助されました。そしてその翌年、杏子さんが誕生。

杏子さんは、3年前札幌の大学を卒業し島の母親のもとに戻ってきました。現在は保健師として島の人たちの自宅を訪ね、健康状態をチェックしています。そして今年初めて、杏子さんは島の「ムーンライトマラソン」に参加することを決めました。

震災の5年後から始まった「ムーンライトマラソン」は、悲しみを乗り越える復興のシンボルとして続けられてきました。コースは津波に襲われた海沿いを走ります。

母親が津波から救出され、生まれた杏子さん。島の人たちは杏子さんに対し、特別な思いを抱いています。

杏子さんの親戚で、夫を津波でなくした赤平ユリ子さんは、杏子さんがムーンライトマラソンを走る姿を目に焼きつけたいと思っています。

「あのときお腹にいた子が走ると思うと、また別な感情が湧いてくる。生まれてなかった子どもが走るって、すごいこと。よくぞ生まれて、ここまで成長したと。」(赤平さん)

そして杏子さんの母親を船で救助した林清治さん(69)も、杏子さんが走ることに特別な思いを寄せています。

林さんは、震災当時、船で杏子さんの母親を含め20人ほどを海で救出しました。しかし、港に戻ってみると、林さんの自宅のあった地区は壊滅状態。両親や親しかった人たちは津波の犠牲になっていました。「もっとほかに、自分にできたことがあったのではないか」という思いを今も持ち続ける林さん。杏子さんは、林さんにとって救うことができた数少ない命、かけがえのない存在なのです。

「みんなを助けたかったけどなあ。今回のマラソン、勝ち負けはいいから、勇気をください。勇気をもらえれば、俺ももう少し生きられるかもしれない。」(林さん)

島の人たちにとって、震災からの復興や希望を象徴する存在のような杏子さん。そんな島の人たちの思いとは別に、杏子さん自身にとっても、このムーンライトマラソンを走ることは特別な意味があります。

実は杏子さんの母親、敏美さんは、津波に襲われたときの心の傷がまだ癒えていません。津波や地震のことも、家族以外の人に教えてもらって知ったと杏子さんは言います。

「第三者から教えてもらったところが大きくて、直接家族からは聞いてないです。心に深い傷として残っていて、あまり話したくないから、私も家族から聞いたことは、実はほとんどないです。」(杏子さん)

車ごと津波に襲われ、真っ暗な海の中で何時間も死と隣り合わせの状態だった敏美さん。杏子さんは、壮絶な経験をしてトラウマを背負った母親をずっと気にかけてきました。自分が走ることで、地震や津波を生き抜き、自分を生んでくれた母親への感謝の気持ちを伝えたいと考えています。

「普通の出産でも大変なのに、地震や津波という大変な経験の中、自分を生んでくれたというのは感謝の気持ちしかない。今は自分が母を支えて、今までの分、少しでも返していけたら。」(杏子さん)

島の人たちの思いをのせて

2018年6月30日、全国から500人以上のランナーが集まり「奥尻ムーンライトマラソン」が開催されました。島からの参加者は7人。大会当日は小雨で、島は霧に覆われました。杏子さんは約21キロのハーフマラソンに参加します。

同じ頃、港では林さんが船の出航の準備をしていました。津波で唯一流されなかった大漁旗を用意する林さん。目的地に着き、漁り火を灯します。疲れがたまるコース後半の場所で、杏子さんを待ちます。

親戚の赤平さんも、自宅の前で杏子さんを待ちます。そして家の前を通過する杏子さんに気づいて、走ってあとを追い声援を送る赤平さん。

「(通過する杏子さんに気づき)杏子じゃないの?杏子、ガンバレー!」(赤平さん)

そして霧が濃くなった海岸線を走る杏子さんに、林さんは船上で大漁旗を大きく振りながら応援します。

「安達さん、ガンバレ!安達さん、ガンバレー!」(林さん)

杏子さんも、船で旗を振る林さんに気づき、手を振り返します。

そして、杏子さんにとって最も大切だったのは、母親の敏美さんに走る姿を見てもらうこと。しかし、自宅周辺の海岸線には、母親の姿はありませんでした。

実は、母親は祖父母と共に、少し離れた場所で杏子さんを見守っていました。

「(林さんは)大声を出すのも大変だし、大きな旗を振るのも大変なのに、すごく力強く応援してくれて、林さんだと気づいて嬉しかったです。最初、(母親は)もしかすると天気も悪いし、こないかなという気持ちもあったのですけど、応援してくれていたのは嬉しかったです。」(杏子さん)

杏子さんは、およそ1時間50分で無事ゴールイン。女子で6位と、素晴らしい走りでした。
島の人たちの思いをのせて走ったムーンライトマラソン。

「思っていたよりもたくさんの人が応援してくれて。本当に応援してくれた人、沿道にいた方に感謝したい。それを良い方向に、力に変えることができたので、最高の大会でした。」(杏子さん)

大会後の7月12日、25回目の慰霊の日。林さんは、津波で亡くなった人たちの冥福を祈るため、灯籠を海に流しました。全てを奪われた海と、これからも生きていく決意をする林さん。

「あのときの子どもが今ね、もう25年でしょ。その子どもが今、走るというより奥尻を導いていくという気持ちがすごい。俺も、もう少し頑張れるな。」(林さん)

地震のあった日の夜10時17分、黙祷を捧げる赤平さん。杏子さんの走りを見たときの自分の変化に驚いたと言います。

「(自分が)あんなに走るなんて思ってもいなかった。それだけ感情がこもって応援に熱が入ってた。杏子ちゃんが、勇気を与えてくれた。」(赤平さん)

マラソンを走り終えた夜、母親の敏美さんはこれまで見たことがないような笑顔で、「よく頑張ったね」とねぎらってくれたと杏子さんは話します。

「特別何かあるわけじゃないですけど、きれいな海と、森と、あとは人とのつながりが温かいところがここの特長じゃないかな。恩返ししたいという気持ちがあっても、まだまだできていない部分がたくさんあるので、少しずつでも、これから続けて恩返ししていきたいと思います。」(杏子さん)

島の人たちに救ってもらった命。杏子さんは、これからもこの島で生きていきます。

2018年7月22日(日)放送
目撃!にっぽん
「奥尻島 月明かりのランナー」より

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