NHK札幌放送局

北海道 激動の平成を生き抜いた人たち

北海道クローズアップ

2019年5月10日(金)午後3時16分 更新

北海道クローズアップがスタートした平成5年の7月、北海道南西沖地震が発生。北海道の番組として、被災者の声を伝えていくことが番組の原点となりました。
あれから26年。放送は745回にわたり、番組は “平成” という時代と向き合ってきました。その平成が終わりを迎えようとしているいま、取材したあの現場はどうなっているのか。
激動の平成を振り返り、次の時代へのヒントを探ります。

南西沖地震 語り継ぐ災害の教訓

2018年に発生した胆振東部地震の記憶も新しい北海道。平成の30年間、北海道は自然災害に相次いで見舞われました。

平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震では、奥尻島を大津波が襲い、198人が犠牲となっています。

当時15歳だった三浦 浩さんは、午後10時17分、海沿いの自宅で大きな揺れに襲われました。

懐中電灯を持って、祖父母と3人で自宅裏の坂を駆け上がった三浦さん。揺れが収まってからわずか3分で津波が押し寄せたといいます。

そのとき一瞬、目に飛び込んだすさまじい光景。

押し寄せる津波、炎を上げながら流される家、白い車……その中には人の姿も見えました。

この経験から、人の命を救う仕事がしたいと強く願った三浦さんは、島の消防署に就職します。

その頃から気がかりだったのが、津波の記憶の風化。危機感を覚えた三浦さんは、仕事のかたわら津波の経験を伝える活動を始めました。

[学校で講演をする三浦さん]

「地震が起きてから津波が来るまでの時間が、命を守るための時間です。地震を感じたらすぐに最初から安全な場所へ逃げることが大切です。」(三浦さん)

そして3年前、三浦さんは消防署を退職。「不便な離島ではなく、札幌に近い場所に移り住んで、語り部の活動に力を入れたい」と決意し、奥尻島を離れて道央の栗山町に移り住みました。

「『奥尻で消防士をやってるだけが人生なのか?』『15歳のとき、7月12日、そのときにした経験、地震津波の経験を伝えなくてもいいのか?』って。奥尻島にいるだけでは伝えきれないって。人生って長いようで短いから、この命ある時間、そのうちに伝えなければならないので。」(三浦さん)

41歳になった三浦さんはいま、福祉施設で仕事をしながら道内、また全国各地を回り、あの日自分が見た光景を紙芝居にまとめ、命を守った経験を子どもたちに伝えようとしています。

津波の経験を次の時代に語り継ぐ。そして一人でも多くの命を守っていく。それが自分の使命だと三浦さんは考えています。

[紙芝居を使って講演する三浦さん]

「津波と歩んだ人生だったなって。常に毎日考えていますからね、あの日のことを。一日一日、一瞬一瞬が自分の糧。自分が生きているという実感をしていて。少しずつですけど、これを積み重ねていけば、何か後世に残せるもの、命を守るために残せるものがあるんじゃないかなと。」(三浦さん)

有珠山噴火 “火山とともに生きる” 人々

豊かな自然から恩恵を受ける一方で、その脅威にもさらされてきた平成の北海道。平成12年には有珠山が噴火しました。

当時、温泉街では観光客が激減。飲食店の店主・永井 信久さん(当時37歳)も苦境に立たされました。

観光協会の一員だった永井さんは、噴火の翌年、復興の計画案づくりに携わります。

「いつまでも被災者じゃいられない。何ができるかということでいろんなことを探っていって、自分たちの力で生きていこうという考えを持っていますね。」(永井さん)

あれから19年。56歳になった永井さんはNPO法人を立ち上げ、火山と共存する町づくりを進めていました。
噴火の被害を受けた公共浴場や団地を当時の姿のまま保存。地元の人だけでなく観光客にも「噴火はまた起こりうるんだ」と伝えるため、その爪痕を目に見える形で残そうとしています。

「災害というのはどこでも起きるので、(洞爺湖は)“災害を伝える町” という役割として、あってもいいんじゃないかということですよね。」(永井さん)

人は自然から恵みとともに災いも受けるもの。その中で生きていく知恵を次の世代に学びとってほしいと永井さんは考えています。

「火山と共生していくことでこの観光地が成り立っているので、基本的には山がちょっと悪さをしたときに、我々が一緒に持ちこたえるだけの体力をつけられるか、ですよね。何回も乗り越えてきたので、乗り越えてくれるんじゃないですか?次の世代も。」(永井さん)

不況にあえぐ赤平市 人口減少社会を生き抜く

北海道拓殖銀行の破綻に代表されるように、平成は “不況の時代” でもありました。その象徴として多くの人たちが指摘したのが、人口が減って町の活力が失われる “人口減少社会” です。

平成元年の北海道の人口はおよそ564万。しかし平成10年をピークに減り始め、この30年で30万人あまりも少なくなりました。全国より10年以上早く人口減少に直面した北海道。縮小日本の象徴といえます。

そんな中、12年前に未曽有の事態が起きました。夕張市が総額353億円の借金を抱え、財政破綻に追い込まれたのです。このニュースは全国に衝撃を与えました。

このころ、“第二の夕張” になると危惧されていたのが赤平市です。市立病院の経営悪化などにより、30億円の赤字を抱えていました。

公共サービスが次々と打ち切られ、苦悩する市民。市の公共施設が次々と閉鎖される中、NPO法人の理事長を務める佐藤 智子さんたちは、市民が気軽に集まって活動できる場所を作りました。使われなくなった信用金庫の支店を借り受け、公民館として市民に開放したのです。

「いまこういう赤平が大変になったときに、不特定多数の人が集まれる場所が絶対になければならないと思うんですよ。」(佐藤さん)

あれから11年。この公民館はいまも市民の手で運営されています。
佐藤さんたちが始めたNPOの輪は大きく広がってきていました。

赤字がふくらみ市の財政を圧迫していた市立病院では、ボランティアが活躍。タオルをたたんだり、食堂で調理をしたり、50人以上が参加しています。

人口減少が進む中、地方の都市が活路を見いだせるかどうかは、自分たち一人一人の力にかかっていると佐藤さんは考えています。

「行政に『やってちょうだい』と言うのではなくて、『私たちはここまでやるから、ここで行政は手を貸してくれませんか?』とこちらから問いかける。自分たちのことは自分たちでなんとかしたいというのがスタートであり、ずっと流れているものですよね。」(佐藤さん)

人口減少社会を乗り切るヒント 地元企業の挑戦

市民とともに赤平の町を活気づけてきたのが、地元の企業です。財政危機から5年後、ある町工場の挑戦が世界から注目されました。

もともと建設機械に使う磁石などを作っていた工場が、ロケットのエンジンの開発に成功したのです。その後、小型人工衛星の事業も軌道に乗せ、年間5億円を売り上げる企業に成長しました。
いまでは「この会社で働きたい」と道外からも続々と若者がやって来ています。

研究開発を担当している稲石 卓也さんは、愛知県出身。新たな分野を積極的に開拓する姿勢に強くひかれたといいます。

「この会社の目指しているところがロケットだけではなくて、“どうせ無理” をなくすという社会づくりをしたい、社会づくりをする仲間がほしいと話を頂いたので、それだったら僕の思いに沿っているということでここに決めた。」(稲石さん)

いま稲石さんが力を入れているのが、地元のものづくり企業同士の連携です。小さくても赤平らしい商品を作り出そうと、仕事のあとに集まって試行錯誤を続けています。

銃のおもちゃ、髪留め、のし袋など、開発した商品はこの5年で20種類以上。互いの技術や素材を持ち寄ることで、新たな価値が生まれています。

「ほかの企業のものづくりを知ることで自分たちの考える幅が広がりました。もっと地元の企業が身近になるきっかけになっていくんじゃないかなと思います。」(稲石さん)

そしてもうひとつ、稲石さんたちが取り組んでいるのが、次の世代の育成です。市内の小学校を回り、ものづくりの楽しさを教えています。

「人が増えることもひとつかもしれませんが、そこに住んでいる人が成長できるというのも地域の活性化ですよね。『赤平に住んでいて良かったな、もっと赤平でものづくりをしたいな』と思えるようになるんじゃないかなと思って、いま活動しています。」(稲石さん)

激動の平成を生き抜いた人たち。逆境から立ち上がり、地域のために、そして次の世代のために、確かな一歩を踏み出そうとしていました。

2019年3月8日放送
北海道クローズアップ
「北海道 激動の平成~あの現場はいま~」より

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北海道クローズアップ

北海道の“いま” を見つめ続ける報道番組 1993年4月に放送を開始した「北海道クローズアップ」。 昨年度は、大きな被害を出した胆振東部地震について、被害の深刻さやそれに立ち向かう人々の姿を様々な角度から伝えてきた。また、AI農業の最前線や、TPPなどで貿易の自由化が加速する中での人々の新たな取り組みなども見つめ、北海道の様々な課題に向き合ってきた。この26年間の放送回数は、746回を数える。 平成から新たな時代にかわる節目の今年、番組では新たに新キャスターを迎え、番組の更なる飛躍を目指す。北海道の“いま”を、より分かりやすく、より深く。 「北クロを見れば、今の北海道がわかる!」 そんな報道番組をめざし、新たな可能性を探っていく。

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