NHK札幌放送局

樺太・千島戦争体験の絵(2)国後島から決死の脱出

樺太・千島戦争体験の絵

2018年8月15日(水)午後3時30分 更新

ある家族が下した決断。それはその後に続く悲劇の始まりだった。当時11歳の少年が見た光景は今も目に焼き付いたままだ。

島を脱出する決断

旭川市の榎信雄さん(84)は北方四島の国後島で家族9人で暮らしていた。

戦時中、島は比較的平穏だったが終戦後、ソビエト軍が侵攻し島を占領した。「男の子はウラジオストクに連れて行かれる」。人々の噂を耳にした榎さんの両親は島を脱出することにした。この決断が悲劇の始まりとなった。

榎さんが描いたのは浜辺に打ち上げられた3人の子どもの遺体。10歳の妹、そして5歳と3歳の弟の変わり果てた姿だった。

必死に難を逃れようとした

昭和20年9月24日の夜遅く、家族9人は集落の他の家族とともにロープでつなげた15隻の船で島を後にし、50キロ先の根室を目指した。しかし、海はしけとなり一行はロープを切ってそれぞれが避難することになった。榎さん一家を乗せた船はその後漂流。島で海産物の検査員をしていた父の悦郎さんは必死に難を逃れようとした。その姿を榎さんは忘れることができない。

父は櫓をこいで手の豆がつぶれて、両手が血だらけで真っ赤だった。死ぬ覚悟だったのか、その後櫓を失ってからは家族で船の後ろに集まって、ただ海を漂った。

榎さんは当時の様子を生々しく語った。この後、一家が乗った船は高波を受けて転覆。全員が夜の海に投げ出され榎さんの記憶はそこで途絶えた。次に目を覚ましたとき、榎さんは真っ暗な浜辺に打ち上げられていた。

口も鼻も耳も砂だらけ

9人いた家族のうち5人の姿が見えなくなっていた。辺りが明るくなり浜辺を探すと、そこに3人が打ち上げられていた。

見つかった弟と妹は口も鼻も耳も砂だらけ。さらに妹の体には海藻が巻きついていた。こんな死に方をするのかと思った。きのうまで元気に遊んでいたのに。

榎さんは声を詰まらせた。

供養をしたいと思いを込めて

残った家族は3人の遺体を小高い丘に埋葬し、その後仲間の船に救助され北海道へ渡った。6歳と0歳の2人の弟は見つからなかった。そこが国後島のオリコノモイ崎だったことは後になって知った。

引き揚げ後、一家は旭川で新たな生活を始めた。日々の暮らしにも困ったが、母の喜代さんは5人の子どもたちの月命日になると近くの寺を訪れ、地蔵に向かって静かに手を合わせていた。喜代さんは死ぬ瞬間まで死んだ子どもたちのことを思っていたという。榎さんは戦後、墓参などで国後島を2回訪問した。しかし、3人を埋葬した浜辺には近づくことができず、船の上から手を合わせるのが精いっぱいだった。「弟たちの供養が出来ていないのではないか」。榎さんは自分が見た光景を絵にすることで弟たちの供養をしたいと思いを込めてこの絵を描いたという。

なぜ、国後島からの脱出を決意したのか。

なぜ、5人の兄弟が命を落とさなければならなかったのか。榎さんはいまも問い続けている。

戦争がなければという思いが強い。あの戦争があったからこういうことになったんだと思う。戦争がなければ島を脱出することもなく、子どもたちも死ぬことはなかった。貧しい生活でも生きていればなんとかなったのに。

榎さんの目には涙が浮かんでいた。

※動画はこちらでご覧いただけます。

(2018年8月14日放送)

#樺太千島戦争体験の絵



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