先輩たちの仕事

テレビだけでなくさまざまなメディアに
コンテンツを届けていきたい

ディレクターとは
ディレクター(番組制作)制作局 第3制作ユニット 勝目 卓 (2004年入局)

アップダウンの激しい学生生活

大学では何かに熱中したいと思いアメリカンフットボール部に入部しました。ところが、全治6か月の大怪我をしてしまい、一年ちょっとで退部。目標を見失って、いろいろなことにやる気がなくなり留年しました。留年中はアルバイトでお金を稼いではいましたが、精神的にひきこもりでした。「このままで良いのか」という危機感から社会復帰を果たすと、勉強が意外に面白いことに気づいて大学院まで行くことに。アップダウンの激しい学生生活でした。大学院では「調べて、書いて、発表する」という機会が多く、わりと好きだったので、そうしたことができそうなNHKを志望しました。

初任地3年目から仕事も楽しくなった

鹿児島放送局に赴任して最初の2年間は、5分の企画すら満足につくれず、たびたび辞めたいと思った時もありました。それが、3年目になって仕事が楽しくなりました。きっかけは鹿児島の伝統行事「くも合戦」の番組をつくったことでした。コガネグモという大きなクモを戦わせるおじさん達を追いかけました。イメージカット撮影のために自宅でもクモを飼ったりして楽しかったですね。番組は評判も良く、全国放送されました。50分間の番組がつくれたことで自信にもなり、それからは提案も通るようになって仕事が楽しくなりました。
地方では人と人との距離が近いことが東京と最も違う点です。取材に初めて伺うお宅でご飯をいただくことが普通にありましたし、泊めていただいたこともありました。あの距離感は都会にはないものです。自分の仕事に誇りを持って一生懸命暮らしている人に大勢出会えたことも強く印象に残っています。

海外派遣制度を利用して、アメリカへ

鹿児島で5年半過ごした後、東京の放送センターへ。クローズアップ現代やNHKスペシャルなどの番組づくりをするうちに6年が過ぎました。「テレビが見られなくなり、このまま目の前の番組づくりに没頭しているだけで良いのか?」と考えるようになりました。少し離れたところから考え直したいという気持ちもあり、海外派遣制度に応募しました。
スタンフォード大学に2か月籍を置き学びました。一番良かったのはデジタルジャーナリズムの第一線で活躍している人を毎週1人呼んで話を聞き、ディスカッションする授業です。テレビ局でSNSを運用している人や、テレビ局でネット動画をつくっている人、起業してドキュメンタリーをつくっている人など。デジタルの世界でジャーナリストとしてどう生きていくのか、みんな悩んでいました。アメリカでも誰かが正解を持っているわけではなかった。でも、多くの人が自分の仮説をもとに自分なりのチャレンジをしていることがわかり、励みになりました。
日本とアメリカでは環境も違うので、安易に比較はできませんが、アメリカでは「テレビを見る」という前提をみんな全く持っていませんでした。「テレビから離れた人は戻らない。であるならば、離れた人にどう情報を届けるか」ということを前提に議論していたのが興味深かったです。

「みんなで筋肉体操」はテレビの外へも

帰国後、自分の活動領域をテレビに限定する必要はないという意識が強く芽生えました。例えば、現在私が手掛ける「みんなで筋肉体操」という番組は、初オンエアされたのは深夜で視聴率にしたら2〜3%でしたが、放送前にSNSでプロモーションをして、放送後すぐにYouTubeで映像を流しました。それが話題となって、いまだに動画再生回数が伸びています。話題の発信地としてテレビは大きな力を持っているので、ウェブとうまく組み合わせれば影響力も強くなります。
「みんなで筋肉体操」は国内放送以外にも国際放送やウェブ、AR、イベント、本などで多角的に展開しています。放送法やそれに関連する規制はありますが、これからもさらに幅広く多様なメディアにコンテンツを載せることにチャレンジし続けるつもりです。

私のリアルとは

番組が放送されるだけでは単なる映像でしかありません。ただ、それを見た人に何らかの影響を与え、行動に変化が生まれることがあれば、それはリアルな仕事をしたと言えるような気がします。