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これまで様々な番組で紹介してきた “すごい場所” “すごい人” “すごいモノ” をご紹介!!
先行き不透明な時代に「前を向く力、やり抜く力、次世代につないでいく力」

先行き不透明な時代に「前を向く力、やり抜く力、次世代につないでいく力」

誕生150周年を迎える埼玉県のイベントで東京オリンピック・パラリンピックを見据えて行ったトークショーの模様をご紹介します!

ゲスト:
伊藤華英さん(競泳オリンピアン)
加藤健人さん(ブラインドサッカー選手)
司 会:
堀尾正明さん(フリーキャスター)
與芝由三栄アナウンサー
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與芝

今日の出演者の皆さんをご紹介します。司会の堀尾正明さんです。

堀尾

與芝アナウンサーとは13年前NHKのサンデースポーツという番組で、ふたりで当初やってたんですよ。よろしくお願いします

與芝

そして、競泳で北京ロンドンと2大会連続出場されました伊藤華英さんです。伊藤さんはさいたま市ご出身

伊藤

そうですね、岩槻区っていうとこで生まれました。

與芝

埼玉でも結構練習されてたんですか。

伊藤

そうです。ずっと岩槻で15年ぐらい練習してました。

與芝

ブラインドサッカーの選手加藤健人さんです。
加藤さんはご出身が埼玉ではなく福島なんですよね。

堀尾

埼玉に来られたのはいつごろですか。

加藤

10年ぐらい今埼玉に住んでいると思いますね

~競技を始めたきっかけ~

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堀尾

伊藤さんは、水泳を始められたのが何歳の頃ですか。

伊藤

生まれて6か月からです。それから始まって、気づいたら泳いでたので、「泳げた」っていう感動は全くないです。

堀尾

それでもう10代の半ばぐらいから頭角を現し始めて自分って周りの人たちよりも速いなって思い始めたのはいつごろですか。

伊藤

小学校低学年ぐらいから、何か「お前は違うんだから練習しっかりしろ」って言われていたんですが、先生の言ってる意味がずっと分からなかったんです。

堀尾

違うんだから?

伊藤

「しっかりやれ」って、何が違くて、何でしっかりやらなきゃいけないのか、そこは若いというか、小さかったので理解できなかったんですけど。周りの人に支えられて、自分だけじゃなくて上に上がっていったんだなって思いますよね。自分だけで頑張ろうと思ってもなかなか難しくて、先生たちが「頑張れ頑張れって!」思っていないとなかなか上に上がらないですね。

堀尾

おだてられてって。

伊藤

そうですね。気付いたらトップにいってたっていう感じですね。感謝ですよね、周りの人には。

堀尾

競泳陣でものすごく強い人たちがたくさん出てきましたね。何かあります?埼玉県ならではの。川の流域面積が広いと競泳が強いと何か関係ありますか。
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伊藤

やっぱり川より海がないというところにあります。海がないので海に行かない、つまりプールに行く人が多いっていうところで。やっぱりプール行ってるから競泳が強いのかなっていうふうにも思うんですけどね。神奈川の人は、海でサーフィンいったりしますけど、私たちは習い事でプールに行ったりしますので。小学校の時はクラスみんなが、プールやってました。

堀尾

そして加藤さんはサッカーとの出会いは。

加藤

一番最初は小学校3年生からサッカーを習い始めました。それから、Jリーグに憧れて、やっぱり、いつかサッカー選手になりたいなって思ってましたね。

堀尾

そのころの自分のレベルはどうだったんですか。

加藤

ああ、始めたのがちょっと遅いですし、その自分が県福島市という事で、なかなかレベルっていっても下のほうで、小学校、中学校のサッカー部キャプテンもしてたんですけれども、なかなかやっぱりサッカー選手とかプロっていうのは難しいなとは思ってましたね

堀尾

それがパラリンピックの代表今、代表候補ですよね。
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加藤

今、お話ししたみたいに、僕、最初サッカーとの出会いがあったので生まれつき視覚に障害があったわけじゃなくて高校2,3年ですかね17歳18歳頃、遺伝性の病気で、徐々に視力が落ちていってね。その時に、これから先、何もできないんじゃないかなって落ち込んだり悩んだりしてたんですけども、自分の両親は違って何かできる事あるんじゃないかと、いろいろ探してくれて、その中でインターネットでこのブラインドサッカーというスポーツを見つけてくれて、またサッカーを始めるきっかけなりました。

堀尾

徐々に徐々に視覚がなくなっていくっていう、そういう感覚って自分たちから想像できないんですけど、その時どんな思いで、やっぱり人生の先を思ってらっしゃいました。

加藤

そうですね、身近に視覚に障害持ってる方がいなかったので、誰に相談していいかも分からず。視覚に障害がある方がどんな生活をしているかってのも想像できなかったんですよね。勝手なイメージだったんですけども、視覚障害者の人は、何もできない人っていうイメージが自分の中であったので、高校はなんとか卒業したんですけども高校卒業したら、やっぱり家に引きこもってしまって。これから先って高校生くらいだと本当に、進学進路とか就職だとか結婚だとかいろんなことがあると思うんですけども、全部が全部何もできないかなと思ってましたね。

堀尾

それで、このブラインドサッカーとの出会いっていうのは、どういう形だったんですか。
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加藤

父親が見つけてくれて。福島から一番近かったのが茨城のつくばにあるチームだったんでそこに、父と二人で見学しに行って。体験させてもらったんですけども、やっぱりアイマスクつけてサッカーをやるってすごい難しかったんですけども、そこにいるチームの方々が誘ってくれて。一緒にやろうと。今まだ、ブラインドサッカーの人口が少ない中で誘うのは当たり前だったのかもしれないんですけども、その時の自分にはすごい大きくて、やっぱり自分がなにもできないんじゃないかなとか、自分なんて必要ないじゃないかなとか思ってたので、そこへ新たな場所というか居場所が、ここにあるんだというか自分も必要とされてるんじゃないかなって、そう思えたんでブラインドサッカーやってみようと思いましたね。

~オリンピック・パラリンピックへの思い~

堀尾

トップアスリート同士ですけど、やはり伊藤さんから見たカトケンさんのようなパラのアスリートの人たちのすごさっていうのは、ひとしお感じますでしょ。

伊藤

フィールドは違うけどその中の卓越性っていうところは、本当に同じだなっていうふうに思います。上を目指していくっていうところに関しては、皆さん一緒かなと思いますし、私も同じ条件だとしたら、同じように泳げないので、そこにリスペクトが生まれます。それから、パラの選手は、貪欲な方が多くて、結構質問してくれる方がいらっしゃいます。競技を向上させたいっていう、本当に向上心がある方が多いなって思います。

堀尾

加藤さん何かあります?伊藤さんに質問は。

加藤

ずっとそのパラリンピック出場を目指してね。そこは、日本のブラインドサッカ目標でもありましたし自分の夢でもあったんですけども、なかなかやっぱり出場するのが難しくてアジアも2枠しかなくて。

伊藤

世界でランキングとらなきゃいけないですもんね。

加藤

アジア選手権がいつもあってですね、そこで2位以内に入らないと。いつもなかなか入れずに悔しい思いを毎回しているんですけども。

堀尾

今回は開催国で開くから開催国枠で、出場は必ずあるから。

加藤

そのオリンピック出場したときの気持ちというか、それはどうだったのかなって。 伊藤さんは、以前2回出なきゃっていう話をしてましたけど、僕らは1回出るか出ないかっていう話なので。

堀尾

いや、すごいですね!オリンピックが、もうマストだった自分の人生の中で。

伊藤

そうですね。周りがみんなオリンピックに行ってる人、仲間がみんなオリンピアンっていうところで、自分だけいけないのが、すごいやだって、恥ずかしいと思っていて、絶対行かなきゃいけないっていう気持ちもありましたし、そのプレッシャーを受け入れて、決まったときはうれしくて「やったー!」っていう感じではなくって何か本当に、肩の荷が下りたっていうふうに感じたので楽しめてなかったです。1回目の北京オリンピックは。2回目の方が面白かったんでオリンピックが始まるの。

堀尾

アテネオリンピックの代表選考から漏れたその時は、つらい気持ちを持ったわけでしょ?
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伊藤

やっぱりオリンピック目指すって甘くないんだなって思ったんですよね。もう絶対オリンピックに行けるって、期待されて高校生の若い選手が、どんどん練習してて速くなっていくなかで、速いだけじゃない、何と言うか、気持ちがないと心がないと、勝ちたいとか自分の信念みたいものがないと、オリンピックに行けないんだなって19歳の時にちょっと身をもって感じまして。やっぱオリンピックって、ただ者じゃないんだと。よく普通の大会だからって、先輩は教えてくれたんですけど、やっぱり構えてしまうところはあって、本当に謙虚な気持ちで競技に向き合っていかないと、オリンピックっていうチケットは手に入られないんだなと思ったので、常に謙虚に前向きに頑張ってました。

與芝

それは、オリンピック以外にも世界選手権が2年に1回あって、ずっと世界大会に出られていたのに、やっぱりこのオリンピックとは違うんですか

伊藤

そうなんですよね。2001年からもずっと世界大会は何回出た?6回も出てて、それでもオリンピックに行けなかったんで。2004年の時の、オリンピックって、4年に1回のこのエネルギーが、グッと集まる瞬間なんだなっていうふうに思います。世界も本気ですし、そのタイムもぐっとオリンピックイヤーにあがるので、そういう時に自分の気持ちをしっかりしないと、何か相手が気になっちゃって。相手がどれぐらい練習してるのかな?どのくらいのタイムでくるのかな?どういうウォーミングアップしてるのかな?と気になっちゃうと、もう負けちゃうんで。自分のワールドに入っていくっていう感じです。
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與芝

加藤さんもそのパラリンピックだけじゃなくてその世界大会に何度も出場されて、アジア選手権も出ていらっしゃるのに、やっぱりそのパラリンピックにかける思いっていうのはちょっと違うんですか

加藤

そうですね。まあまだ出場した事がないですし、オリンピックパラリンピックに出た方が言いますけど、やっぱり、そこは違うというか、出たらまた変わるというか

與芝

出たら変わると。

加藤

そうですね。やっぱりそういう舞台に立ってというか。

~壁にぶつかりながら、ライバルとともにさらなる高みへ~

堀尾

目がだんだん不自由になっていったこと以外に、この世界に入ってきてブラインドサッカーで壁にぶつかった事っていうのも多分あったと思うんですけれども、そこら辺の話しして頂けますか。

加藤

パラリンピックのアジア予選で負けてしまって、たくさん方に応援してもらったりサポートしてもらったり、その結果をって思ってプレイしたんですけども、やっぱり叶わない時に、4年間やってきて、そこで1つ、挫折じゃないですけども、これからどうしようっていうふうになりますよね。

堀尾

そういう時どうやって立ち直るんですか精神的に

加藤

やはり結果とかプレーで応えきれてないと思うんで。その感謝の気持ちを、自分たちのパラリンピックを目指して戦ってきたので、パラリンピックに出場してそこで、応えたいっていうのがあったので、また4年間頑張ろうっていう気持ちで切り替えてやったりしていましたね。

堀尾

今の選手、世界選手権でも金メダルを取らないとがっかりするみたいな、表彰台だけじゃ満足しないぐらいの何かこう高みを目指してるなってイメージなんですよね

伊藤

わたしたちの同世代で北島康介さんと言う方がいらして、今もプロリーグでやっていますけど、やっぱりああいう北島さんとかがリーダーシップをとってやって引っ張っていける事で、北島さんみたいになりたいとか、さらに上を行きたいっていう選手がいますので、1人そういう選手がいると引っ張られますよね。今の世代、元世界記録保持者がいたりとか、本当にたくさんすばらしい選手がいるので、その相乗効果で上がっていくんです。みんな仲いいといっても、さっきも加藤さん言ってましたけどライバルなんで。絶対負けたくない訳ですよ、仲間にも。だから、高いところでライバル心を持っていけてるのかなっていうふうに思います。

堀尾

サッカーはどうですか。

加藤

ブラインドサッカーも10何年って感じですけども、その中でも全然最初の頃とレベルが違うので。

與芝

広がってますね。どんどん押し上げて来年にぜひ埼玉T.Wings(ティーウィングス)を背負った加藤さんの姿を代表で見たいなと思います。

加藤

埼玉県内でブラインドサッカーの日本代表は僕だけなのでね

堀尾

ぜひ日本代表になってほしいと思いますよね

加藤

是非練習とか見学に来てもらえたらなと思いますね。

與芝

はい、ありがとうございます。「日刊!さいたま~ず」、ここまでお二人のアスリート競泳オリンピアンの伊藤華英さん、そしてブラインドサッカーの選手の加藤健人さんにお話伺いました。どうもありがとうございました!
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