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今年、NHK佐賀放送局は、佐賀県民の皆さんに戦争の経験や体験を絵に残していただき、個人の“記憶”を県民共有の“記録”にしていくことを目的に絵を集めるプロジェクトを立ち上げ、集まった絵の展示会を行いました。 さらに思いを伝えるため、2022年4月から8月までにご応募いただいた作品をホームぺージでも紹介します。
※絵についてのコメントは応募者の思いを伝えるため極力原文のまま掲載しています
昭和20年8月5日頃午後3時~4時頃佐賀市神野町大和紡績工場の近くの実家にて
昭和20年8月夜佐賀市東城内二ノ丸小路
昭和20年8月5日深夜佐賀市川副町
昭和20年8月5日佐賀市蓮池
杵島郡大町町宮浦町
昭和15年11月(推定)佐賀市(推定)
昭和20年6~7月頃白石町
昭和20年6~7月頃白石町の干拓地
昭和20年7月佐賀市多布施川のほとり
昭和20年8月5日(現在)佐賀市川副町
昭和20年8月9日朝9時頃佐賀市(旧大和紡績)
昭和20年8月9日佐賀市から見たきのこ雲
昭和20年8月9日学校工場から見たきのこ雲
昭和20年8月11日鳥栖市
昭和20年8月佐賀市東城内二ノ丸小路
昭和20年8月佐賀市富士町(北山)
昭和20年唐津市
昭和20年神埼郡三田川村目達原基地
昭和21年佐賀市
<おっとー、ぶんぶん>中国から引揚げて帰った父は結核(肋膜炎とかも云っていた)を患ってたので…
橋下小学校玄関前の木立の中(現在武雄市北方町蔵堂)
通学の列車の中(高校)
<傷病軍人の家族>幼い日暮らしに困った人達がお金や食物を求めて来ておられました。…
実家の母の稽古場で見ました。
太良町 防空ごうで
太良町 敵機が落ちる
唐津市高島
佐賀市
中学校の教室
戦後、投身自殺があった
投身自殺のあった場所
空襲から逃れた林の中で
福岡空襲
戦時中の暮らしぶり
戦時中の食事
多久市
佐賀市内の防空ごう
佐賀市空襲の被害
火の玉のように落ちてきた焼い弾
昭和20年8月佐賀~広島
小城市
女性(母たち)はモンペを履き、防空頭巾をかぶり、竹槍訓練や防火演習に行っていました。…
お米は配給で、3食食べる量は来ませんから。朝は毎日毎日からいものおかゆ(米の量よりいもの方が多い)昼は芋だけ。…
太良町から見た大牟田の空襲
国民学校も戦争の影響が
山の上の畑に家族の食べるための米をかくしに行く所
部落総出防空壕掘り。終戦間ぎわ。
学校は兵隊さんの宿舎。部落の神社が教室(小学1年生~2年生)
父は兵隊にとられ、母と小1の僕と2人で春の田越し。妹2人は田のあぜで遊ばせる。
戦争の時代、毒ガス研究部会にて、防毒・防除・除毒のため毒ガス完全防護服着装訓練。…
この度の絵は、海軍飛行予科練習生の像であり、左はパイロットの像です。…
昭和19年8月15日国鉄久留米駅のホーム
昭和20年8月久留米市荒木町
昭和20年太刀洗陸軍飛行場(福岡県三井郡太刀洗)①
昭和20年太刀洗陸軍飛行場(福岡県三井郡太刀洗)②
昭和20年広島県呉海軍基地①
昭和20年広島県呉海軍基地②
昭和20年8月6日広島での原爆体験①
昭和20年8月6日広島での原爆体験②
運搬船で攻撃を受け
長崎県大村市植松(軍の練兵場の側)①
長崎県大村市植松(軍の練兵場の側)②
長崎県大村市植松(軍の練兵場の側)③
亡き父の日記①
亡き父の日記②
亡き父の日記③
亡き父の日記④
姉5歳妹3歳(私)、戦時中衣類が手に入らず、母が古着の布を利用して下着を作ってくれましたが、…
昭和19年中国中支から青島
昭和十八年、父は、志願して出征。輸送船団で南方へ向け出港。護衛の駆逐艦は対潜行動のため「の字運動」を取りながら、同行したという。…
昭和20年スマトラ島パレンバン
昭和20年8月22日夜中国(当時山東省芝罘市)現在煙台市の港より出る軍艦の甲板で
昭和20年11月30日山口県青海島仙崎港沖
天津からの引揚げ①
天津からの引揚げ②
私は当時2歳で、日本が戦争に負けたので、朝鮮から親子6人で父の古里にお骨を抱いてボロボロの姿で佐賀に帰ってまいりました。…
満州からの引揚げ①
満州からの引揚げ②
シベリア
昭和21年3月頃台湾など