山田太一の『絶望名言』

ざっくり言うと
2018/11/14 ラジオ深夜便 絶望名言「山田太一」 文学紹介者:頭木弘樹
ドラマ『輝きたいの』のセリフから
ハキハキ、理路整然としゃべることだけが立派なんじゃない

エンタメ・音楽

2018/11/14

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<ラジオ深夜便>の名物コーナー、頭木弘樹さんが古今東西の“絶望しているときに聞きたい”名言を紹介する「絶望名言」。今回は「上手くしゃべれない事に関する名言」というテーマで、脚本家・山田太一さんが手掛けたテレビドラマ『輝きたいの』の中からご紹介します。

『真面目で、本気で、ハキハキしとるなんちゅう奴ら、ハリ倒したくないか?
そういうのんばっかり光が当たったら、忌々しゅうないか?』


なかなか過激なセリフです。
『輝きたいの』というドラマは、女子プロレスラーを目指す少女たちが主人公です。少女たちは新人オーディションを受けて合格しなければなりません。そのオーディションで、女子プロレスの団体の社長が、真面目で本気でハキハキしてる少女たちばかりを合格させるんですね。それに対して女性コーチは面白くない。それで自分が見つけてきた不良少女も採用しようとして、その不良少女にさっきのように言うんです。
ちょっと聞くと不思議な発言ですね。真面目で本気でハキハキしている。全部、普通はいい事ばっかりです。それを、「ハリ倒したい」。「そういう人達ばっかりに光が当たったら忌々しい」。ハリ倒したいまで言ってしまうと暴力的なので、作者の山田太一さんがある講演会でおっしゃっていた言葉もご紹介します。

『何にでもテキパキ意見を言うなどというのは、いかがわしくないでしょうか?口ごもり、迷っている人の方が自然だし、むしろ温かい気がします』

こちらの言葉だともっと納得できる人が多いのではないでしょうか。
以前、あるドキュメンタリー番組を見ました。社会に出てなかなかうまくいかない青年が、改めて研修などを受けて再就職を頑張るという内容だったんですけれども、その青年はハキハキしゃべれない。テキパキ意見を言ったりできないんです。研修で名刺交換の練習シーンとかあるんですけれども、相手は「○○会社の××です」とかはっきり言う。ところが青年の方は「あの~えっと、その~えっと」とかなって、ちゃんと言えないわけです。まあ確かに、例えば営業で誰かがやってきて、自分の社名も名前もちゃんと言えないと、この人と取り引きしようという気にはなれないかもしれません。
じゃあそんな事も言えない青年はダメかといえば、全然そんな事はない。ハキハキものが言える若者より、ずっと魅力があるわけです。ただ、その魅力がビジネスのシーンでは生きないというだけなんです。ただそれだけの事で、その青年はダメ出しをされ、辱められ、採用試験に不合格になり、自分はダメだと落ち込んでしまう。でも、この青年が研修とかの成果でハキハキものが言える若者に変身してしまったら、むしろその方がずっと怖い事ですし、無残な事ですし、残念な事じゃないでしょうか。

ハキハキものが言える、自分の意見をテキパキ言える。本当に素敵な事なんでしょうか?言えないよりは言える方がいいんでしょうか?

実は、私は小学生の頃、自分の意見をテキパキ言える子どもだったんですね。今でこそこうしてモゴモゴしてるんですけれども、その頃は全然違うタイプで、私は11歳年上の兄と、6歳年上の姉がいたので、そういう年上の兄弟と話していると、どうしても同年齢の小学生よりは口が立つようになるんですね。
ある時、クラスである男子とケンカになりました。取っ組み合いしてる所に先生がやって来て、「ケンカせずにどういう事なのかちゃんと口で説明しなさい。どっちが良くないのか、先生が判断してあげます」と言われたんです。それで私は「これこれこうで相手の方が良くないんだ」って事を、まあとうとうと説明したわけです。相手の方も言い返すかと思ったら、ほとんど何も言えない。
それは相手の方が悪いからではなくて、単に上手く説明できないんです。それでモゴモゴしてしまって、ろくに反論できない。先生は「これは頭木くんの方が正しい。あなたがいけませんよ」と相手の子を叱りました。相手もそれで素直に謝ったんですね。
私はこれでビックリしましてね。これは明らかにおかしいわけです。相手がうまくしゃべれなかっただけで、実際には私の方が正しいってわけでは全然ない。ただ口が立っただけなのに、私の勝ちになってしまう。こんな事が許されていいのかと思いました。相手に対しても「何で素直に謝るんだ」と聞きたいぐらいでした。これじゃあ殴り合って腕力の強い方が正しいってのと同じなんです。その時以来、ハキハキしていて自分の意見をテキパキ言えるなどという事に、非常に不信感を抱くようになりました。

そのあと、これは大人になってからなんですが、沖縄の離島の宮古島という所に移住しました。するとそこにとっても話の面白い人がいました。その人の話を、2時間聞いても3時間聞いても、何が言いたいのかさっぱりわからない。じゃあその話が面白くないのかっていうと、そんなことはない、すごく面白いんです。何時間聞いても楽しい。でもモヤモヤしてて、結局何が言いたいかわからないんです。つまり、全く理路整然としてないんですね。だから最初は失礼ながら、この人は理路整然としゃべれないのかなって、そんなふうに思ってました。でもどうも違うんですね。
その時気がついたんですけど、この人は理路整然とせずにしゃべる事ができる人なんだなと。
理路整然としゃべるって事は、実は多くの事が抜け落ちてしまうんです。理路整然という網にうまく乗っかることだけをしゃべってる。他のモヤモヤした思いは切り捨てられてしまってるわけです。
例えば絵を見て感動した時、その感動を理路整然としゃべるなんて事はできない。誰かを好きになった時に、何で好きかって事を、理路整然とは語れない。理路整然と語るって言うのは、例えて言うと、箸でつまめるものだけをつまんでいるわけです。だから、スープみたいな物はつまめない。そういうものは切り捨ててしまってるわけです。その宮古島の人のしゃべりには、そういうスープがたっぷり入ってたんですね。理路整然としていないからこそ豊かなわけです。理路整然としていたら抜け落ちてしまったはずのものも、たっぷり含んでいたわけです。だから何時間聞いても面白いんですね。

それ以来、私は本を書く時にも、こうしておしゃべりをさせていただくときにも、理路整然としすぎないように気をつけています。言葉にするって事はどうしても理路整然としやすいんですね。でもそうすると失ってしまうものがあります。しかも肝心なものを失ってしまう事があります。綿あめの中心の割り箸だけ残って、肝心の綿が落ちちゃうっていうような、そんな事にもなりかねないんですね。

これは、編集者から聞いた話なんですけど。ある人気作家がいて、本がとてもよく売れるんですけれども、文章が同じ事を何回も言ったりグルグルグルグル回ったり、実にすっきりしない。それであるやり手の編集者さんがもらった原稿に全面的に手を入れて、理路整然としたすっきりした本に書き換えた。ところがその本だけ売れなかったって言うんです。やっぱりその理路整然としていないところにこそ、その作家さんの良さがあったわけです。
                                          
というわけで、ハキハキしていて自分の意見をテキパキ言える人だけが素敵なわけではなく、むしろそうできない人の方に中身がたっぷりという事もありうるわけです。誰もがハキハキ・テキパキを目指すのはちょっと違うんじゃないかなと私は思います。
今回は山田太一脚本のドラマのセリフをご紹介しました。

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