「増田明美のキキスギ?」WEBマガジン

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  • 【R1】2019年1月25日[金]午後8:05~9:55
  • ゲスト:荻原次晴さん、岩崎恭子さん
    ゲスト(塩田慎二のシリスギ):遠藤敦さん(スポーツファーマシスト)
  • パーソナリティー:増田明美さん
  • アナウンサー:塩田慎二

Q. オリンピックに出たことはありますか?

女性ゲスト:あります。
男性ゲスト:あります。

Q. いつのオリンピックですか?

女性ゲスト:バルセロナとアトランタです。
男性ゲスト:長野です。

Q. 専門競技は?

女性ゲスト:競泳・平泳ぎです。
男性ゲスト:スキー・ノルディック複合です。

Q. お名前を教えてください。

女性ゲスト:岩崎恭子です。
男性ゲスト:荻原次晴です。

一同:よろしくお願いしま〜す!

ーー岩崎恭子さんは1992年、バルセロナ・オリンピック競泳女子200m平泳ぎで金メダルを獲得。この時の年齢が14歳で、競泳史上最年少記録を更新。また、レース後のインタビューで「いままで生きてきた中で、一番幸せです」とコメントしたことも話題を呼び、一躍有名人になりました。その後、20歳で現役を引退し、指導者やスポーツコメンテーターとして活躍されています。

荻原次晴さんは1995年、スキー世界選手権で日本代表として出場し、団体優勝。1998年の長野オリンピックでは入賞を果たしました。引退後はスポーツキャスターとしてさまざまなメディアで活躍されています。

去年、少しだけ世間を騒がした岩崎恭子さんの登場ということもあり、増田さんは放送前からウキウキと楽しそう。何を聞きたがっているのか、ご想像にお任せします。そんな今回のもう一人のゲストが荻原次晴さん。開始早々「恭子ちゃんに聞きたいこといっぱいありますよね?」と含みをもたせたトークを展開。

増田:
「今日はもう、次晴さんいたら楽よね。聞きすぎてくれる気がする!色々と・・・」

荻原:
「恭子ちゃんに聞きたいこと、たくさんありますよね」

増田:
「タイムリーだからもう・・・(笑)」

とても楽しそうな増田さん。とんでもない放送になりそうだ。

荻原兄弟は子供の数(4人)と男女構成(女女男男)まで同じ

Q. 「今、何をしているんですか?」と聞かれたら、いつもどのように答えていますか?

岩崎:「子育てとお仕事です」
荻原:「スポーツキャスターです」

Q. 今、生活の中で一番時間をかけていることはなんですか?

岩崎:「睡眠」
荻原:「フリマアプリ」

Q. 最近、一番うれしかったことを教えてください。

岩崎:「娘の成長」
荻原:「去年(2018年)11月に4人目の子が誕生しました」

一同:「おめでとうございます!」

増田:
「元気ですね!塩田さん負けてるじゃん」

塩田:
「私のところは、3人です」

荻原:
「健司のところも僕と一緒で4人なんですよ。健司に負けるもんか!って」

増田:
「次晴さんと健司さん、それぞれのお子さんの男女比はどうなんですか?」

荻原:
「健司のところは、女の子、女の子、男の子、男の子。我が家は、女の子、女の子、男の子、男の子、あ、同じだ」

一同:(笑)

荻原:
「でも双子はいないですけどね。そして、僕ら荻原兄弟は、ほかに姉が3人いるんですよ。それぞれに子どもがいるので、年末年始に帰省すると、もう大変なことになるんです。(両親から見ると)孫が13人。だから、年末に帰るとおふくろが『やぁ〜よく来たねぇ』と言うんですけど、2・3日すると『早く帰れ』ってなるんですよ(笑)」

一同:(笑)

荻原:
「私自身が5人姉弟なので、子どもが2人や3人だと親孝行にならないかなと思って。でもさすがにこればかりは自分ひとりの力では成しえないことなんで、4人目が生まれた後、妻から『もう頼むからやめて。本当に最後にして』って。。」

荻原兄弟は兄・健司の方が破天荒だった

増田:
「私は会議でお兄さんの健司さんとよく会うのね。キャラが違うよね。お兄さんはすごく真面目な感じで必要以上のことはしゃべらない。ペラペラしないのね。それで次晴さんに会うと必要以上のことを喋ってくれるので、サービス精神が旺盛だよね」

荻原:
「健司はキャラを作ってますよ。金メダリスト然としなくてはならないという太い鎖に縛られて生きてる。子どもの頃、やんちゃをして先生に叱られたり、親が呼び出されたりしたのは、全部健司ですよ。僕は一度もない」

増田:
「それじゃ、もともとのキャラは、どちらかと言ったら健司さんのほうが破天荒?」

荻原:
「そうです!」

増田:
「それ聞いて思い出すのは、解説の仕事なんかでQちゃん、高橋尚子さんとお仕事することが多いんだけど、Qちゃんもやっぱり羽目は外したらいけないなというのがどこかにあるように見える。お酒もちょっと飲めるんだけど、飲まないね。アホな自分を見せられないっていうのかな。金メダルを取っちゃうとそうなってしまうのかな。あ、恭子ちゃん金メダル取ってるじゃない(笑)」

岩崎:
「さっきからなんて言ったらいいのかなって思いながら聞いてました」

塩田アナは、憧れの岩崎恭子さんに会えて・・・(照)

塩田:
「荻原さんは今、後輩に向けてメディアやSNSの対応などの講習をされているとか」

荻原:
「そうなんです。色々なスポーツ競技団体の所に呼ばれてインタビューの基本的な答え方とかをレッスンしています。コツは、質問をよく聞くということ。あとは、答えを急がない。答えたくない質問には『難しい質問なので今は答えられません』とお断りする、などですね。そういうことを我々は習ったことがないので、僕ら先輩がきちんと伝えていかなくてはいけないのかなと。あと今はSNSの時代なので、その講習もしています。若い人はSNSでプライベートなことをどんどん上げちゃいますよね。でもそこには危険が潜んでいる場合があって、この投稿をアップしてもいいのかどうか考えながらやることを伝えています。特にスポーツ選手って広告塔だったりするので、色々なブランドとの契約があります。プライベートだからといってなんでもアップする訳にはいかないんだぞ、ということをきちんと教えています」

増田:
「えらい!そういうマスコミ対応などを指導してもらえるとありがたいなと思う。そういう意味では、岩崎さんのあの名言はすごいよね」

岩崎:
「いままで生きてきた中で、一番幸せです」

塩田:
「荻原先生、この時のコメントはどのように評価されますか?」

荻原:
「これは有名な作家さんが考えたんですか?」

一同:(笑)

岩崎:
「自分の言葉です(笑)。今の選手のインタビューを聞いてると、みんなが同じようなことを言ってしまって少しつまんないなと思うことがありますよね。メディアの対応とか、自分の言葉でちゃんと話すというのが選手の一つの魅力かなとは思うんですね」

増田:
「あのとき恭子さんは14歳だったけれども、あの言葉があんなに世の中に広まって・・・流行語にもなったんじゃない?」

岩崎:
「ならなかったんですよ。多分長すぎたんじゃないですかね(笑)」

荻原:
「『そだねー』ぐらい短いほうがいい」

岩崎:
「(あんなに自分の代名詞みたいになるとは)思ってなかったですし、日本に帰るまであんなことになっているとは思わなかったです」

増田:
「そうだったんだ。素のままなのが一番心に響くのね。だって塩田さんなんかは当時、大変だったんでしょ?」

塩田アナ:
「実は私、岩崎恭子さんと同い年で、当時テレビで見ていて同じ中学2年生が金メダルですよ。そしてあの言葉を聞いて、勇気づけられました」

増田:
「塩田さんは本人を目の前にして遠慮してるんだけど、以前の放送で『一番自分が影響を受けた人は誰ですか?』ってあったの、その時に『岩崎恭子さん』って答えたのよ」

塩田アナ:
「・・・そういうことなんです(照)」

目標であり、ライバルでもあった姉・岩崎敬子の存在

Q. 岩崎恭子さんにとってのお姉さん=敬子さん、荻原次晴さんにとってのお兄さん=健司さんが同じスポーツをしていて良かったことは?

岩崎:「当たり前のようになんでも分かること」
荻原:「目標がいつも側にいました」

Q. 逆に嫌だったことは?

岩崎:「無いです」
荻原:「人から『オリンピックの金メダリストだ』と言われる(間違われる)のが嫌でした」

Q. 姉妹・兄弟アスリートあるある、何か一つ教えてください

岩崎:「3姉妹だったので、家に水着がすごく多かったですね」
荻原:「服がかぶる!」

岩崎恭子さんには、3つ年上の姉・敬子さんがいます。敬子さんは当時のジュニア水泳界でトップになるなど有名な選手でした。バルセロナ・オリンピックの前年に地元の静岡県で開かれたインターハイでは、当時高校1年生だった敬子さんが優勝を果たします。恭子さんもその年に成績が伸びたこともあり、地元では姉妹二人でのオリンピック出場に期待が膨らんでいったそうです。

小さい時から姉の背中を追って泳いでいたという恭子さんは、敬子さんが大きな大会で結果を残す度に、その大会の雰囲気を肌で感じ、自分ならどう泳ぐかシミュレーションを重ね、いざ自身がその大会で泳ぐことになったときも、緊張や恐怖は感じなかったのだと語ります。そういう意味ではお姉さんが歩いて整えてくれた道のおかげで、妹の恭子さんは伸び伸びと前に進めたとも言えるのではないでしょうか。

そんなお姉さんと恭子さんが、バルセロナ・オリンピックの選考会ではライバルに。その時の心境を語っていただきました。

岩崎:
「1992年のバルセロナ大会の選考会を姉と一緒に泳いでいるんです。私が2位で、姉が4位だったんです。差は1秒もなかったと思います。オリンピックには2人しか行けないので、1位の選手と私が行くことになりました。当時の女子競泳選手は高校生がメインだったんですよね。姉は高校2年生だったので、この選考会に懸けていたんです。私は行けたらいいなというぐらいの気持ちで臨んでいました。今になって姉の気持ちを考えると、選考会に対する思いは私と全然違っていたんだろうなというのはありますね」

増田:
「オリンピックに届かなかったお姉さんは、その時、どんな感じだったの?悔しそうにしていたの?」

岩崎:
「勝負なので明暗が別れてしまったんですが、それでも同じお家に帰ってくるんですね。もちろん自宅では特にお祝いとかも無かったです。私はナショナルチームに参加するために自宅を離れなければならなくなって、その時に姉は『がんばってね』と声をかけてくれました。今考えると、なかなか言えることではないですよね

私はただ呑気に姉の背中を追いかけていて、目標がいつも目の前にあって。いつも一緒に暮らしている姉だからなのか、お姉ちゃんにできることは私にもできるという意識でした。姉がいなかったらその後のメダルも無かったなと思いますね」


増田:
「恭子さんはすごく恵まれた中で競技生活をしてきたのね。姉の敬子さんはバルセロナに行けなかった後も泳いでた?」

岩崎:
「高校3年生まで泳いでました。でも大学では泳がずに、そのあとも就職して社会人として暮らしています」

増田:
「それじゃ、選考会の後は恭子さんのことを応援する立場に回られたんですね。どっちが才能があったと思いますか?」

岩崎:
「センスは姉のほうがあったと思います。それはみんな言います。勝負となると、というのはあるんですけど・・・」

荻原:
「優しいんだね、お姉さんは。最後の最後は、多分、恭子さんに譲ったんですよ」

増田&岩崎:
「それはないですよ!」

DJの方がチェケラッチョでカッチョイイ、と思っていた

増田:
「じゃぁ次晴さんは健司さんに譲ってきたの(笑)?」

荻原:
「譲ってはないですけど、健司が世界の一等賞で頑張ってくれているので、自分も一緒に頑張っているような気になっちゃって、少し甘えがあったのは確かだと思います。健司が頑張ってくれているから、スキーは健司に任せておけばいいかな、というような甘えがずっとありましたね」

増田:
「ということは、子どもの時からスキーの成績は健司さんのほうが良かったの?」

荻原:
「競技スキーを始めたのは僕が先なんですが、後から健司も始めて、どんぐりの背比べでしたね。中学1年生のときに、僕が全国大会に出場して健司は代表になれなかったんですよ。それから健司は猛練習、猛特訓するようになって、中学3年生のときに全国で1位になりました。それから世界を目指すようになりました」

その後、荻原兄弟は地元の群馬県を離れ、共に早稲田大学に入学します。しかし次晴さんはスキーから離れ、“花の都”東京に染まって遊びを覚えていきます。元々ブラックミュージックが大好きだったこともあり、クラブDJとしても活動を開始。DJネームは「DJ TSUN(ツン)」だったそうです。当時のことを赤裸々に語っていただきました。

荻原:
「僕はブラックミュージックが大好きだったんですけれど、そっちの世界がかっこ良く思えたんです。真面目に走って練習するような世界がかっこ悪く見えていたんですね。DJのほうがチェケラッチョでカッチョイイじゃんって、当時は思っていました。真面目に学校に行ってトレーニングしている健司のことを、退屈な男だなと思ってずっと見ていました」

大学時代を自分の気持ちに正直に生きた荻原次晴さん。これまで荻原健司の双子の弟としてしか見られなかった呪縛から開放されたかったのかもしれません。そんな大学時代の次晴さんでしたが、競技スキーに戻る転機が訪れます。それは、健司さんのオリンピック金メダルでした。

荻原:
「大学4年生のとき、健司が1992年のアルベールビル・オリンピックで金メダルを取っちゃったんです。それを見て、僕も変わったというか、変わるしかなかったんですよ。1992年は、夏はバルセロナ・オリンピックで岩崎恭子さんが金メダルを取りました。冬は健司が金メダルを取ったんです。最初はうれしかったんです。双子の兄弟がオリンピックで金メダルを取ったんですから。オリンピックに出場するってことだけで街は大騒ぎですからね。そのあと健司が日本に帰ってきて色々なテレビに出るようになって、どんどん有名になっていきました。すると、顔がそっくりな僕にもサインを求められるようになっていったんです。その時に『自分は弟の次晴ですよ』と言ったら『チェッ』って言われるんじゃないかって。言われたくなかったんです。でも、こんちくしょうって思って。この悔しさがオリンピックを目指すきっかけになったんです」

大学で自分の道を歩み始め、双子の呪縛から開放された次晴さんでしたが、オリンピック金メダルという健司さんの輝かしい成功によって「金メダリストの双子の弟」というこれまで以上に重い看板を背負うことになります。その看板が発する輝きは煌々と次晴さんを照らし続け、クラブDJだった次晴さんをスキーの世界に引き戻すことになりました。次晴さんの心を突き動かしたのは、「俺は、俺だ」というアイデンティティーとの闘いでもありました。

岩崎さんと荻原さん、2人にはいつも近くに目標となる兄・姉がいて、ライバルでもありました。追い越し、追い越されることを繰り返し、疲れて帰る家は同じ。2人は似た環境で育ったのだと、話を聞いて思いました。世の中には同じスポーツをしている兄弟姉妹がたくさんいると思います。そして、そんな兄弟姉妹が一番のライバルだなんてこともあるでしょう。面と向かってライバルだとは言えないけれど、一番意識しているし、負けたくない。だからこっそり練習する。比べられたくないけど、比べられてしまう宿命を背負っている。そんなことは分かっている。勝手に比べてくる人たちから逃げたくなるけど、逃げる先の家にはライバルが帰ってくる。逃げられない。だから勝たなきゃならない、あいつにも、自分にも・・・。そんなことを繰り返していたら、オリンピック選手になれた。荻原さん・岩崎さんを見ていると、そんなストーリーが頭をよぎりました。

岩崎恭子さんと塩田アナが・・・編集長、スクープです!

番組後半が始まると、いきなり衝撃の展開にスタジオがざわつきました。

増田:
「さっきね、放送中に音楽を流してるときにちょっと間があったときにね、恭子ちゃんが私にこそっと言ってたんだよね。塩田さんがタイプって」

塩田アナ:
「え!?タイプ!!?」

増田:
「こそっと言ってたのよ。『結婚する前に会いたかった』って」

岩崎:
「(照れ笑い)」

塩田アナ:
「何言い出すんですか!!増田さん(赤面)」

増田:
「人生はタイミングですからね(笑)」

・・・ということがありました (^_^;)
塩田アナ、この日はいい夢見たんじゃないでしょうか。

それでは、後半スタートです。

岩崎恭子「出産は痛すぎる!星が見えた。」

塩田アナ:
「一番辛かったことは?という質問に対して、岩崎さんは出産ということですが」

岩崎:
「産む瞬間は、ほんっとに痛かったんですよ!私、痛いのとか苦しいのが大っ嫌いで(よくスポーツ選手やってましたね by 次晴)。水泳選手ってあんまりぶつかったりとか痛さが伴うことがないので(でも苦しいじゃないですか by 次晴)。現役中一番嫌いだったのが潜水だったんですけど、上がっちゃえばいいじゃないですか。でも出産は上がれないから、初めて星が見えました。多分酸欠になったんでしょうね」

増田:
「分娩室に入ってからも長かったの?」

岩崎:
「30分で産んだんですけど(はやっ by 次晴)。すごく早かったんですけど。力み方が上手だよって言われて、何が上手なのか分からなくて」

増田:
「腹筋があるからだよ。宗兄弟の武志さん、弟の方ね、その奥さんのケイコさん。走り幅跳びの日本記録をもっていた人なのね。その人も腹筋があるから、分娩室に入ったら2秒で産んだって」

一同:「え〜!(先生も準備できないっ by 次晴)」

増田:
「あと、リディア・シモンさんっていうルーマニアのマラソン選手がいて、Qちゃんが金メダルをとったときの銀メダリストね。その人から出産の時の話聞いてね、『マラソンの方が楽だった』って」

荻原:
「そんなに辛い、産みの苦しみを、塩田さんは奥さんに3回も経験させているんですよ」

一同:
「次晴さんは4回じゃん!」

荻原;
「はいすみません。帰ったら謝ります」

フリーランスは不安と戦う毎日です

塩田アナ:
「現役を引退したあと、セカンドキャリアについて悩んだことはあるんでしょうか?」

荻原:
「毎日悩んでますよ!毎日!僕はセカンドキャリアに入って自分の人生が安泰だと思ったことは一度もないです。毎日不安で、ベッドに入っても不安のまま。いつも見る夢が事故とか、落ちるとか、そういう夢しか見たことがないんですよ。それを妻に言うと『そんなにストレス溜まってるの?』って」

増田:
「やっぱり子どもが4人もいるからじゃないかな?」

荻原:
「それもあります。あと、子どもって褒めると伸びるじゃないですか。『すごいぞ、ハーバード大学に行けるぞ!』って言っちゃうんです。でも言ったあとに(ハーバード大学って入学金とかすごくお金かかるんだった。。もう言うのやめよ)ってなるんです(笑)。不安で仕方ないです」

岩崎:
「私も不安です。倒れちゃったらおしまいだなって思って。でも私の両親が笑っている人たちだったんで、娘といるときは笑顔でいるように意識しています」

増田:
「今の話を聞いてても、女性の方が『なんとかなる』って気持ちが強いと思う」

荻原:
「だって塩田さん、僕たち男は一生経済活動ですよね」

増田:
「でも塩田さんの場合にはNHKだし、安定してるし。。」

荻原:
「いいな!俺もNHK入りたい。安定したい」

塩田:
「残念ですが、このお話はここで終了ということで・・・早く音楽いこ」

塩田慎二のシリスギ?「最新ドーピング事情」

「塩田慎二のシリスギ?」は、番組の進行を務める塩田慎二アナウンサーがオリンピックやパラリンピックに関する最新のニュースや雑学を深くお届けするコーナーです。
今回取り上げるのは最新のドーピング事情。ゲストにスポーツファーマシストの遠藤淳さんをお迎えし、ドーピングの基礎知識から深いお話まで、キキスギました。

スポーツファーマシストとは、最新のアンチ・ドーピング規則に関する専門的知識をもつ薬剤師のことを言います。薬剤師の資格を有した方が、(公財)日本アンチ・ドーピング機構が定める所定の課程(アンチ・ドーピングに関する内容)修了後に認定される資格です。いわゆる、スポーツ選手を守る薬剤師です。

遠藤:
「まずドーピングとは、スポーツの上で自身の競技力を上げたり、自分が薬を使っていることを隠したりといった、適切ではない薬の使い方をすることを言います。そしてドーピングが禁止されている理由は4つありまして、1つはフェアプレー精神に反するため。2つ目がスポーツの価値を損なう。3つ目が健康被害、4つ目はやってはいけない反社会的行為である、こういった理由から禁止されています。

ドーピングは身体に大きな影響を及ぼす事例が過去に報告されています。例えば、衝撃的な事例としてご紹介するのが、東ドイツの女性アスリート、ハイジ・クリーガー選手です。彼女が活躍した1980年代は筋肉増強剤がよく使われていた時代でした。彼女は筋肉増強剤を入れられすぎて、男性ホルモン多量摂取の影響で体が男性のようになり、性格までもが男性的になり、結果的に性別を男性に変えざるを得ないことになりました。当時の東ドイツでは、コーチから栄養剤として渡された薬を、選手は筋肉増強剤とは知らずに飲んでいたのです。その他の事例としては、筋肉がつきすぎて血管が潰されてしまい、血流障害で足を切断せざるをえなくなったアスリートもいます。筋肉増強剤には大きな副作用があります」


増田:
「日本は武士道の精神なのか、駄目なものは駄目という意識が子どもの頃から強いから、あまりやる人はいないですね」

遠藤:
「そうですね。日本人は積極的にはやらない人が多い。しかし、日本でもドーピングで失格になる選手が毎年5人~10人ほどいらっしゃるんですけど、ほとんどが風邪薬とか海外製のサプリメントとか、そういったものをよく調べないで飲んでしまい、結果的にドーピングになってしまうといったうっかりミスが非常に多い。例えば風邪薬としての漢方薬。入っているのが薬草成分なので安心というイメージで飲んでしまい失格になってしまったケースがあります。この中には興奮性の成分が入っているんですね。あとはインフルエンザに効く漢方薬として使われている麻黄湯も、同じく興奮性の禁止成分が入っているためアウトです」

岩崎:
「普通の風邪薬は絶対ダメなんですよね。風邪をひいてもドクターから処方されるのはビタミン剤などでした。だから選手を引退したら、そういったことを気にせずにドラッグストアなどでお薬を買えたりできるからうれしいんです」

荻原:
「ほんとに。引退して、風邪をひいて、ドラッグストアに一歩足を踏み入れた時の喜び。僕は自由に薬を飲んでいいんだ!薬に頼っていいんだ!という感じ」

増田:
「でも、どうしても飲まなきゃならない薬の時に届け出をしたら大丈夫って言うじゃないですか。そういうのはやらなかったの?」

岩崎:
「それでも市販の薬はダメなので、届け出をしてもダメなんです」

遠藤:
「そうですね。届け出をして許可される薬の条件が大ざっぱにいうと3つあります。まず1つ目が、その薬を飲まないと死んでしまうような場合。2つ目が、その薬以外に使える薬が無い場合。3つ目が、その薬を使ったことによって競技能力が上がるわけではないと認められている場合。この3つをクリアしていないと許可されませんので、市販の風邪薬では、当てはまりませんよね。

今の季節で言うと、インフルエンザ。最近の薬は飲むとすぐに熱が下るので、その効果の高さから逆に飲むのが怖いという選手が多いのですが、インフルエンザの薬はドーピングで失格にならない薬なんですね。インフルエンザに罹患してしまい、薬を飲めば熱が下げられるにも関わらず自力で治そうとしたり、コンディションが悪いまま試合を迎えたりという選手が多いんです。

この薬はダメだよということだけではなくて、この薬なら使えるよという提案も同時にできるような存在として選手の近くにいたいと思っています」

塩田アナ:
「グレーゾーンの薬ってあるんですか?」

遠藤:
「あります。ドーピングの禁止物質って明確に規定されているわけではないんです。明確に規定してしまうと、規定されたもの以外を加工して新しい物質を作ったりしたときに、それは使えるということになってしまってイタチごっこが起きてしまいます。なので筋肉増強剤は禁止とか興奮剤は禁止、などのようにざっくりとした規定になっています。このため、禁止物質を把握するのは非常に難しいんです」

増田:
「痛み止めはどうですか?長距離選手はよく使うんです」

遠藤:
「一般的な痛み止め、湿布薬とか飲み薬は禁止物質が入っていないので大丈夫ですね」

塩田アナ:
「過去の例ではジャマイカの事例も・・・」

遠藤:
「そうですね。ジャマイカの陸上選手が2008年の北京オリンピックで獲得した金メダルを、後になってドーピングの再検査で失格となり、メダルはく奪になったというケースがあります。この場合は、ドーピングの原因となった成分が2008年のときは禁止成分として明記されていなかったのが、2011年になって禁止成分に追記されたんです。そして2016年のときに検体を再分析したら出てきたので、その時はすごくもめたんです。2008年の時は知ることができなかったし、禁止成分として書いてなかったから。

オリンピックでは、ドーピング検査時の検体は10年にわたって保管することになっています。ジャマイカの選手で起こった例のように、新たな検査方法が確率されれば再検査ができる仕組みです。たとえ禁止成分とは規定されていなくても、今後禁止成分になるおそれがあるのです。だからなるべく体には余計なものは入れたくないのが、アスリートとしては正直なところでしょう」


塩田アナ:
「パラリンピックの選手の場合は、その判断が難しいというのがありそうですが」

遠藤:
「非常に難しいですね。普段から飲むお薬が、生死に関わるものだったり、代替のきかないものだったりしますので。パラリンピックの選手はそれぞれの方で状況が違うので、書類上だけで判断することは非常に難しいです」

塩田アナ:
「ドーピング検査の方法についても教えていただけますでしょうか」

遠藤:
「2種類あります。抜き打ちで来る場合と、試合の後です。基本的には検査員の方が来て説明を受けて、尿が出るまでスタンバイされるわけです。尿検査時も、尿が体から出ているかどうか、検査員の方が目視確認するんですね。カーテンもありません。ジャージを着ていたら、それを上着は胸まで上げて、下は膝まで下ろし、腕もまくって、体には何も隠していないし、全てが見える形で検査を受けなければならないんです。昔の検査ではすり抜けがあったりしたんですね。たとえば脇の下に他人の尿が入ったビニルバッグを入れて、透明のチューブを腕に添わせて、採尿する時に他人の尿を入れるといったことがありました。さまざまな違反行為をさせないためには、体から尿が出ていることを目視確認することが一番だということになったんですね」

増田:
「でも女性アスリートの場合は、女性の検査官ですよね」

遠藤:
「そうですね」

塩田:
「ドーピングを防ぐのに一番大事なことはどんなことだと思いますか?」

遠藤:
「ドーピングはすごく複雑な上に明確じゃないという問題があります。このためアスリート自身が自分の体に入れるものに対して最大限の注意を払う、ちょっとでも分からないことや疑問に思うことがあれば専門家に相談するのが一番大事だと思います。

ドーピング検査は嫌なことではなくて、一流の選手としての義務であるという認識が、若い時から持つというのが大事だと思います」


塩田アナ:
「今後の目標というのはありますか?東京大会はもう来年です」

遠藤:
「これから日本人の選手が一人もドーピングで失格にならないように情報発信とサポートを引き続き続けていって、本当にクリーンな金メダルを日本に届けられるよう、お手伝いしたいなと思っています」

東京2020で気になる競技は、荻原「サーフィン」、岩崎「競泳の池江璃花子」

Q. 2020東京オリンピック・パラリンピックで一番気になっている競技は何ですか?

岩崎:「競泳」
荻原:「サーフィン」

Q. 気になっている選手は誰ですか?

岩崎:「池江璃花子ちゃん」
荻原:「五十嵐カノア選手」

Q. 2020東京大会で一番の課題は何だと思いますか?

岩崎:「安心・安全」
荻原:「難しぃ〜」

塩田アナ:
「サーフィンの魅力ってどういったところなんでしょうか?」

荻原:
「やっぱり波と一つになれるということですね。波と一体になる楽しさは本当に気持ちいいですよ。東京オリンピックでは千葉県一宮町(いちのみやまち)がサーフィンの会場となりますが、夏の高気圧に覆われた一宮周辺の波の高さは膝とか腰くらいほどです。あまり大きくない。もしくはベタ凪(なぎ)となって、くるぶしサイズになるかもしれません。サーフィンの国際大会というのは、僕らの身長の2倍も3倍も高い波でやるわけですよ。ですから、オリンピックにふさわしい波が期間中にやってくるのかというのが、すごく気がかりです」

増田:
「そういう環境をチェックして決めたんだよね?」

荻原:
「もちろんそうでしょうけれど、あの会場周辺で大きな波が来るときっていうのは低気圧や台風のうねりがヒットしたときなんですよ。でも日本では台風で波が高い日にサーフィンをやっている人がいたら、危ないし非常識って見られるじゃないですか。高い波にアタックするサーファーに対して、世の中の見方が変わるかどうかも含めて、僕はサーフィンに注目しています。自分が愛しているスポーツだからこそ」

増田:
「日本のサーフィンは、メダルの可能性はありますか?」

荻原:
「十分あります。さきほど五十嵐カノア選手の名前をあげたんですけれど、彼はアメリカ・カリフォルニア州の出身で日本とアメリカの国籍を持っていまして、東京オリンピックでは日本の国籍で出るというふうに言っています。身長180cmで大柄で21歳、大きなサーフィンをします。世界のトップクラスの選手なのにも関わらず頭も良いんです。お父さんの教えで、波乗りしたいんだったら勉強も!ということできちんとやらせたんです。すばらしい選手です」

増田:
「楽しみですね。そして恭子ちゃんは競泳の池江選手ね」

岩崎:
「彼女はすごいスピードで成長しています。実はリオオリンピックの時に池江選手を見て、ここまでの選手になるとは思えなかったんです。それが毎年目に見える形で実力を伸ばしてきていて、メダルを狙えるところまできています。こんなに凄い選手はなかなか出てこないなと思って。取材したときに池江選手が『練習はストレス発散』って言ったんですよ。それを聞いて、びっくりしてしまって。それってすごいことだなと。競技を楽しんでいるのが伝わってきて、自分に照らし合わせてもすごいなと。しかも楽しむだけじゃなくて、レースが終わる度に分析して調整することもできる。只者じゃないなと思います」

増田:
「池江選手の性格が恭子さんに似てるなと思ったことがあって。それは、先日の日本スポーツ大賞の授賞式でお化粧室で池江さんとお会いしたの。受賞するからお化粧してたのよ。そこで私のおばさんパワーでチョコチョコ質問してたら、答える度に化粧を止めてこっち向くの。私としたら鏡越しに答えてくれたら良かったんだけれどね、その度にこっち向いてね。性格いいなと思って、きちんとしてるし」

東京オリンピック・パラリンピックではキャスターを目指します!

岩崎:
「マラソンなど屋外のスポーツは暑さが厳しいから大丈夫かな、と心配になります。また、私はバルセロナからロンドンまで現地に行っていて、駅などの施設で安全面に配慮がされているのを見てきて、それに比較すると日本の地下鉄とか大丈夫かなって心配になります。安心・安全に終われる大会であってほしいなと思っていますので」

増田:
「本当にそうよね。マラソンとか競歩など屋外で長時間争う競技は熱中症の心配があるし、テロ対策もしていかなくてはならないし、すごい一生懸命ですよね」

荻原:
「一生懸命やっていますよ。ピョンチャン・オリンピックのときも地元のボランティアの方が一生懸命頑張ってくれて、いい大会でした」

塩田アナ:
「その荻原さんは、課題への回答が『難しい』ということで・・・」

荻原:
「ちょっと難しく考えすぎちゃったかもしれないんですが、東京大会開催の意味を問われた時に答えられない自分がいるんですよ。なんでやるのかなって。1964年の前回大会は日本の高度経済成長と重なってインフラが整備されるきっかけになったり、生活面でもガラッと変わりましたよね。でも現在、これだけ成熟した東京という大都市でオリンピックがなぜ必要なのか、その答えが見つからないんですね。そこで僕が思っているのは、東京2020を実現した結果、日本人の心の変化とかに結びついていけばいいのかなって思ったんです。例えばスマホなどで僕らの生活はどんどん便利になってきていますよね、でもその一方で人間関係の希薄な感じが気になったりしています。豊かになっていくのはいいんですけど、これは本当に豊かさなのか。オリンピックによってそれぞれが豊かさを知る、そんなきっかけに結びつけばいいなと考えています」

増田:
「世界からたくさんの人が来るからね。そういう問題提起が大事よね。あとパラリンピックがいいんじゃない?共生社会とか多様性とか・・・」

荻原:
「パラリンピックいいですね。僕も、キャスターやりたい・・・」

塩田アナ:
「2020年は何してたいですか?」

岩崎:
「競泳のサポートができればと思っています」

荻原:
「解説でしょ?」

岩崎:
「解説、そうですね」

増田:
「キャスターもやって!」

岩崎:
「・・・はい!」

塩田アナ:
「そして荻原さんは・・・」

荻原:
「もちろんキャスターの座をつかみたいと思います!」

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