「増田明美のキキスギ?」WEBマガジン

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  • 【R1】2018年11月30日[金]午後8:05~9:55
  • ゲスト:立石諒さん、山田拓朗さん、高城直基さん
  • パーソナリティー:増田明美さん
  • アナウンサー:塩田慎二

増田明美さんの身長は150cmぴったり♪

みこしゃんさん(宮城県)からのメール
「増田明美さんの話し方、ゲストから話を引き出す質問が上手で面白くて毎回楽しみにしている番組です。ここで増田明美さんに質問です。『our SPORTS!』というスポーツの魅力を伝えるNHKのミニ番組があるんですが、その中で身長150cmの増田明美さんという紹介をしますが、実際の身長は何cmなんですか?」

増田:
「みこしゃん、良い質問ですね。150cmぴったりなんです。だから私が基準になって色々使われているんですよね。なんか、私ばっかりでみんな飽きるんじゃないかなって思うんですけどね」

塩田アナ:
「150cmの基準が増田さんなんですね(笑)」

増田:
「多分、小学生ぐらいのレベルですよね」

塩田アナ:
「小学5、6年生で150cmの子もいますもんね」

増田:
「で、子どももいっぱい見てるし、チャレンジしてほしいから、ちょうど子どもぐらいの体格でって」

塩田アナ:
「そういうことなんですね」

増田:
「いや、みこしゃん、慰められるな、本当に。この番組が始まって今日で、何回目かな」

塩田アナ:
「今日で7回目ですね」

増田:
「7回目!もう本当にね、『キキスギ』なのに自分がしゃべってばっかりだなと思って反省することも多いんですけども、今日のお手紙に慰められました。がんばろ!」

塩田アナ:
「みこしゃんさん、ありがとうございました」

増田:
「ありがとうございました!」

元競泳選手の立石諒と、現役競泳選手の山田拓朗が登場

増田:
「立石さんは、私なんか、イメージががちょっと違う。今日のほうが、実際にお会いするとワイルドね」

立石:
「そうですね、今日は画(テレビカメラ)が無いってことで髭を剃ってないっていう(笑)」

塩田アナ:
「映像が無いっていうこと、でも(ホームページに掲載される)写真もありますからね」

増田:
「Tシャツですよ、Tシャツ。寒くないですか?」

塩田アナ:
「さきほどまで黒いパーカーを着ていらっしゃったんですけども、本番前に脱がれましたからね」

増田:
「さすが、本気モードっていうか、熱くなっていっぱい喋ろうって感じですね」

立石:
「そうですね、やる気に満ち溢れております(笑)」

増田:
「普段からは、どうなんですか?お会いすることっていうのは?」

山田:
「そうですね、普段はそんなにお会いする機会が無いんですけども、諒さんが現役でやっておられたころは一緒に合宿に行ったりもしましたね」

塩田アナ:
「実際に同じ合宿で泳いでいらっしゃったと、そんな山田さんと立石さんなんですけども。二人がどんな方なのか紹介しますと、立石諒さんは1989年生まれで現在29歳」

増田:
「落ち着いて見えますね」

立石:
「高校卒業したぐらいから急激に大人びて、現在も進行形で、見た目の年齢と実年齢が全然近づかないという・・・」

塩田アナ:
「それは、実年齢の方が若いということになるんですか?」

立石:
「そうですね、見た目がもう、結構行っちゃってるんでね」

増田:
「いやいや、貫禄があっていいですよ。重みのある感じがしてね」

立石:
「ありがとうございます」

塩田アナ:
「神奈川県のご出身なんですよね。2012年のロンドンオリンピック男子200メートル平泳ぎで銅メダル。去年、2017年4月の日本選手権で引退されたということなんですけども。ま、ざっくりと説明しましたけど、この間に色々あったので、それは後ほど、増田さんからもたっぷりと聞いていただきたいなと」

増田:
「実際、今も泳いでらっしゃる?」

立石:
「今はもう、ほとんどやってないですね。イベントとか、仕事ではプールに入らせていただく機会もあるんですけども、個人的にプールに行くということはほとんどないですね」

増田:
「じゃ今はどんなことをやられているかなんてことも楽しみですね。ゆっくり聞きますからね」

塩田アナ:
「そして、山田さんなんですけども、山田拓朗さんは1991年の生まれで、現在は27歳。兵庫県のご出身。生まれたときから左腕の肘の先がありません。3歳から水泳を始めて、2004年アテネパラリンピック、これが13歳のときに出場されたんですよね。当時でいうと日本人選手史上最年少ということになる?」

山田:
「そうですね」

増田:
「だって岩崎恭子さんが14歳でしたもんね」

塩田アナ:
「オリンピックの方ですけどね」

増田:
「13歳、子どもでしたね」

山田:
「そうですね。ほとんど覚えてないんですけど。どういう大会なのかもよく分からず終わってしまったというような印象ですね」

塩田アナ:
「その後も、北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続出場。段々と記憶が積まれていった感じですか?」

山田:
「そうですね。徐々に実力も上がってきましたので、その中で、より大会の凄さというか迫力というものを感じるようになりましたね」

塩田アナ:
「そして、リオデジャネイロパラリンピックでは、50m自由形S9クラスで銅メダルを獲得されたということなんですね」

増田:
「すばらしかったね、あれはね。だから2020年も本当に期待の星ですね」

山田:
「はい、がんばります」

増田:
「2年後だから、まだ29歳。今の立石さんの年齢ですもんね」

競泳は記録と記憶、両方大事

増田:
「山田さん、リオのパラリンピックでの自由形、振り返ってみてどうでした?」

山田:
「メダルを取ったことがなかったので、初めて取れたということは良かったんですけども、目標としてた記録がありまして、そこには届かなかったので、そういう意味で悔しさもあり、喜びもありということで、また次に向けて頑張ろうという気持ちになりましたね」

増田:
「26秒台でしたっけ?」

山田:
「26秒00だったんですけど、25秒台を目指してたので、少し届かなかったというところですかね」

増田:
「なんか、オリンピックの舞台というと、マラソンなんかの場合は記録なんか度外視なんですよ。もうメダルを取ること、勝つことに気持ちがいくんですけど、記録を気にしていたというのは意外ですね」

山田:
「そうですね、メダルを取るまではとにかくメダルを取ることが一番重要だと思っていたんですけども、実際にメダルを取ってみたときに、やはり記録が伴わないと満足しないんだなというのは感じましたね」

増田:
「そうなんですか。それは立石さんなんかもそうなんですか?」

立石:
「僕はメダル取ってうれしかったですけどね。タイムは・・・そうですね、水泳というのはタイムを出せば大体何位になれるかということを予想ができるので、メダルをねらう時点でタイムもねらっていくという、同時進行で基本的には動いていくので、タイムがでなかったけどメダルがとれたっていうのは、2つの条件が一致しないと満足度というのは100%にはならないのかなというのは感じますね」

増田:
「だけど、立石さんの場合にはメダルもうれしかったけど、あのとき覚えていますよ。北島康介さんに勝ったんだもん、あ、今、うれしそうな顔した(笑)」

立石:
「そうですね(笑)。もともとオリンピックに出たいと思ったきっかけが康介さんだったので、はやりオリンピックという舞台でずっと勝負したいなと思って水泳を続けてきて、まぁ正直メダルをとれなくても勝負できたことが一番幸せですし、オリンピック終わった後も仲良くしてもらえて良かったなというふうに、水泳やっていてよかったなと言うふうに思いますね」

増田:
「今も親しいですか?」

立石:
「そうですね、仲良くしていただいています」

山田拓朗選手が水泳を始めたきっかけ

塩田アナ:
「山田さんは水泳を始めたきっかけと言いますか、憧れの選手などは?」

山田:
「水泳を始めたきっかけはですね、3歳のときに始めたんですけども、もともとすごく水を怖がっていたみたいで、その姿を見た両親が、少しぐらい泳げたほうがよいだろうということで、近くのスイミングスクールに通わせてもらったんですけど、その後、続けていくなかで、2000年のシドニーオリンピック・パラリンピックがあったときに、当時所属していた障害者水泳チームの先輩が金メダルを取られまして、そのメダルを実際に見せていただいたときに、その時はパラリンピックっていうもの自体よく分かってなかったんですけども、メダルがとにかく格好良く見えてですね、いつかこれを自分で取りたいなと思ったのが本格的に競技の世界でやっていこうと思ったきっかけですね」

増田:
「当時所属していたクラブはどこで、金メダルを取った方はなんていう人ですか」

山田:
「神戸楽泳会(らくえいかい)という兵庫県のチームなんですけども、そこに所属していた酒井喜和さんていう、視覚障害の背泳ぎの選手ですね」

増田:
「ああ!背泳ぎの選手、100mでしたよね」

ウィークポイントを克服する

増田:
「これだけオリンピックを経験してくると、銅メダルよりさらに上にいくためには、あれもやんなきゃ、これもやんなきゃと新しいことをしたくなると思うんですけども、今やっている練習で新しく取り入れたこととか、考え方が変わったとか、自信をつける上で自分が変わったことってありますか?」

山田:
「新しく取り組むということではないんですけども、基本的にはスタートというところが一番重要なところなんですが苦手としている部分ではあるので、それは本当にリオの前からずっと継続してやっているところで、まだまだ満足できるレベルではないので、引き続き精度を高めるために練習しているというとこですね」

増田:
「スタートが早くなるための練習というのはどんな練習が大事なんでしょう?」

山田:
「飛び出しのパワーもありますし、角度もありますし、あとは入水の時の姿勢ですね。我々のような片腕の選手なんかは、ストリームラインという、水泳の中で一番抵抗の少ない姿勢をとることが出来ない選手が多いので、入水の瞬間に水の抵抗を大きく受けてしまうんですよね。そこをいかに抵抗を減らして、スムーズに浮き上がってこられるかというところが泳ぎだしのスピードにも関わりますし、一番重要なところですね」

4年に1度のパラリンピックでしか味わえない独特の空気を楽しむ

増田:
「パラリンピックの空気って独特でしょ?4年に1度のパラリンピックの空気をどう感じていますか?」

山田:
「障害をもつ全てのアスリートにとっての憧れの舞台がパラリンピックだと思うんですけども、行く度に思うのが、勝負出来ないと楽しめないということがまず一つと、あとは、それまで色々なことを犠牲にして、時間をかけて準備をしているので、もうほんとにこれ以上やりたくないっていうぐらい練習もしたりして臨んでいるんですけども、レースが終わってみると、またこの舞台に戻ってきたいと思えるような、不思議な空気のある大会だなというふうに思います」

増田:
「独特のね、緊張感もそうだし、なんかすごく、分かる。私はそれで負けちゃったの。その緊張感に。もう、みんなが4年に1度って思ってる、その結晶みたいな空気に負けたんだけど、山田さんの場合には、その空気だからやりがいがあるっていうふうに見える」

山田:
「そうですね。本当に他の大会にはない独特の雰囲気がある大会だとは思うんですけども、やはり、そういう雰囲気だからこそ、チャレンジする価値を感じるというか、すごく好きな大会ではあるので」

増田:
「好きって言えるって、いいね」

山田:
「そうですね、出る度にやっぱりこの舞台でいいパフォーマンスを出したいなというふうに毎回思いますし、時間をかけてそこに準備をしているので記録が良くても悪くても割と清々しい気持ちで追われる、不思議な大会だなというふうに思いますね」

塩田アナ:
「2年後は東京大会ですけれども、日本と海外の違いってどのように感じていらっしゃいますか?」

山田:
「パラリンピックなんかは国によって盛り上がりや認知度が全然違うんですけれど、パラリンピックの中で過去最高の大会と言われている2012年のロンドン大会は、パラリンピック発祥の地と言われているだけだって色々なお客さんがパラリンピックにも関心をもっていただけて、観客の皆さんもものすごい数の方が会場に駆けつけてくださいましたし、すごく温かい雰囲気の中で試合をすることができて選手としてもものすごく良かったんですけども、パラリンピックの認知度は国によってかなり大きな差があると思っていまして、日本に関してはまだ2年ありますけれども、本当に良い大会にするためにはもっともっと盛り上げていかなきゃいけないのかなというのは感じますね」

増田:
「私もロンドン行ってましたよ。あの水泳会場、スタンドの傾斜が厳しい感じだったんだけど、前の方の席は観客が小学生とか子どもたちが一生懸命応援していて、観客たちの見る文化も進んでるなって思いました」

山田:
「そうですね、スポーツの見方って言うんですかね、そういうのも日本と比べて進んでいるなって感じましたし、やっぱりお客さんが楽しんでくれて良い雰囲気だと、水泳なんかは競技中は水の音もあってあんまり歓声というのは聞こえないんですけども、それでも入場した時とか、レースが終わった後とかに温かい雰囲気というのを肌で感じることが出来るので、そういう環境だと選手としても競技をしていて気持ちいいなというふうに思いますね」

増田:
「お母さんが大興奮じゃないかなって。だって3歳のころね、お母さんの影響があって水泳を、ってエピソードで、そのお母さんが2020年の日本での大会、どんなふうに楽しみにしているのかなって」

山田:
「両親はアテネからロンドンまでは応援に現地に来てくれてたんですけれども、リオに関しては遠いのと、治安もあまり良くないということで来てなかったんですよね。ちょうどメダルを取る瞬間を生で見られずテレビで見たということなので、ぜひ生で見せてあげられるように頑張りたいなと思います」

立石諒さん・山田拓朗選手のコーチ、高城直基さん登場

塩田アナ:
「ここでもう一方、ゲストをお迎えしております。立石さんが現役のとき、そして現在は山田選手のコーチを務めています、競泳プロコーチ高城直基さんです。よろしくお願いします」

高城:
「よろしくお願いします」

増田:
「うれしい。お会いしたかった」

高城:
「ありがとうございます。私も一度お会いしたかったです」

増田:
「私、ほんとすごい方だなと思って、ずっと見てます。しかも今日3人ともイケメンですね」

塩田アナ:
「そしてお三方、胸の筋肉といいますか、胸のあたりがグッとなってて、今にも泳ぎだしそうなお三方だなと」

増田:
「高城さんって元々は選手だったんですか?」

高城:
「はい。私は元々選手で、平泳ぎをやっていました」

増田:
「だからですよ。筋肉がそのまま」

塩田アナ:
「高城さんは現在39歳で、東京のご出身で、ご自身も競泳の選手だったんですが大学1年生の時にコーチの道に進んだということなんですよね」

高城:
「そうですね。現役は高校3年生のときに辞めて。最初はもちろんコーチになるとかっていうのは全く無かったんですけれども、たまたま大学1年生のときに自分の家の近くを歩いていましたら、私が中学1年生ぐらいまで習っていた水泳のコーチにお会いしまして、『今、何やってるんだ?』ということで『ただ大学に通っている』っていう話をしたら、『ぜひアルバイトをしないか』ということで誘われて、入れていただいて、という形です」

増田:
「それが水泳クラブということですか」

高城:
「はい、そうです。スイミングクラブの方に」

塩田アナ:
「そこで教えていたということですね。そして2010年から立石さんと組んで、2012年のロンドンオリンピックで銅メダル。2015年から山田選手とパートナーとなって、リオデジャネイロ大会で自由形50mS9クラスで銅メダルということですけれども」

立石諒と高城コーチの出会い。
〜立石諒は“死んだ魚の眼”をしていた〜

増田:
「だけど、立石さんが挫折したときの話で『コーチとプールを失った』って言っておられたけど、時期はその辺・・・」

立石:
「そうですね、2010年に高城コーチにお願いすることになったその前は、実は僕が移籍をしようとして失敗しまして、大人の事情が色々とありまして、なかなか受け入れ先も見つからないという形になってしまった時に、僕の高校の顧問の先生だった恩師の堀川先生という方が、高城コーチが所属していたスイミングクラブに出向いていただいて、自分のコーチとして高城コーチを引っ張ってきてくれたっていうことになりますね」

増田:
「これも運命ですね」

高城:
「そうですね。もちろん立石諒という名前は神奈川(の水泳界)では誰も知らない人がいないぐらい有名だったので、僕も名前は知っていたんですけど、会ったこともなく話したこともなく、でもその時に来るらしいという噂を聞いて。最初はほんとに、来るんだ、っていうぐらいにいたので、実際に本当にやるってなった時はすごく驚きました」

塩田アナ:
「実際、お会いになってどうでしたか」

高城:
「いやもう、最初は本当に印象としては、これは色々なところで言わせてもらっている話なのですが、死んだ魚の眼をしてるというか、目に力がなく」

立石:
「当時はやっぱり、挫折と言うか、もうどうしたらいいのか分からない状況になって、これからどうしようかなと思っていた時期で。とにかくオリンピックを目指していたので、なかなか移籍先が見つからず一人で泳ぐっていうのも厳しい状況だったので、夢を諦めて辞めてくるねということでアメリカに渡りまして。当時、親友が向こうに住んでいたので、息抜きのつもりで親友の家に転がり込んで、のんびり過ごしていたら、日本の堀川先生から電話がかかってきまして、コーチが見つかったから帰ってきたら挨拶に来いということで、帰国して成田空港からそのまま高城コーチのところに行って、お会いさせていただいて、本心から言えばあんまりやる気がなかったですね。今からいきなり知らないコーチのところについてオリンピックなんて狙えるわけないだろうという、ヤサグレモードですね」

塩田アナ:
「それは引退を考えていたということでもあるんですか?」

立石:
「そうです。引退というか、水泳をきっちりやめさせていただいて、大学は僕、スポーツ推薦で入ったわけではないので、大学をみんなと一緒に卒業して、就職するのも道だということを考えていました」

増田:
「そうですよね、立石さんは慶応大学ですもんね。慶応大学在学中に北京オリンピックの予選があったけども、それはギリギリ、惜しかったんですよね。代表を逃して、その後の話なんですね」

立石:
「そうですね、北京で落ちて、もう一回やるんだって決めて移籍をしようとして、出鼻を2回もくじかれてしまったので、もう自暴自棄というか、やってらんねぇよっていうふうになって、ちょっと、そうですね、気持ちがすごくネガティブな方向に行っていましたね」

増田:
「でも死んだ魚の眼って言いすぎじゃないかしら?それぐらい覇気がなかったってことよね?」

高城コーチのもとで甦った立石諒

高城:
「本当に。これがそうなんだなっていうぐらい、初めてそういう覇気のない目を見たので。でもうちに来て1か月も経たないぐらいで、その年のパンパシフィック選手権とアジア大会の選考会がもう、日本選手権がある状態で来て、僕は最初、そこは関わってなかったので競技順序とか知らなくて本人に聞いたら『何がいつあるか分かりません』と。エントリーはしてあったんですけど、本人も出るつもりがなかったので、スケジュールも何も分からないまま、ほんと手探りでとりあえず二人でなんとか練習を始めたという形でした」

塩田アナ:
「でも、そういう状況から・・・まず何をしたのですか?」

高城:
「いや、まずは・・・大体大会まで1か月切ったら、トップ選手って調整期間というのに入るので、今から僕が出来ること無いから自分でスケジュール組んで、やりたいことを言ってもらえれば、それでタイム取ったりするから、それでとりあえず試合までいこうって言って。やりたいようにスケジュールとか出してもらって、僕はそれに対応するという形でいきました」

塩田アナ:
「そういう指導方法、逆に立石さんにとっては心地よかった?どうなんでしょう」

立石:
「そうですね、初めてでしたね。基本的には、今の日本の文化としてはコーチファーストで選手が後から付いていくという形が一般的かなというふうには思うんですけれども、その時に初めてアスリートファーストの方で、『諒がやりたいようにやりな。サポートするよ』という形をもらって本当の事を言うとすごく戸惑いましたね。どうしようかなと。何をしたらいいのか悩みましたけれども、いつも通りの動きをして、とにかく日本選手権に関しては勝つ気も無かったので、勝てる気もないし、自信も無かったので、いつも通りの形で練習できればいいかな、ぐらいのレベルの内容で対応していましたね」

塩田アナ:
「結果はどうだったんですか?」

高城:
「その時は、50m、100m、200mの3つとも優勝してきたので、多分会場で僕が一番驚いてたと思うんですけども」

立石:
「そうですね、あの時インタビューとかで、僕アメリカに行ってたのですごい練習してきたんだろうという記事も書かれたんですけど、一番ビックリしたのは我々二人ですね(笑)」

増田:
「(笑)そんな準備もする時間も無かったのに」

立石:
「はい。日本に帰ってきてからの調整期間もほんとにタイムが悪くて予選落ちするかなぐらいのレベルだったんですけれども、分からないものですね」

増田:
「だからか。北島康介さんがどっかで言ってましたよね。立石諒さんのことを『努力しない天才』って。これはちょっとムカッとこなかったですか?」

立石:
「いやいやいや、もう、僕にとって康介さんは本当に大先輩なので”なんもいえねー”状態ですね」

増田:
「(笑)努力しない天才って言われてるけど、すごい陰で努力してたんじゃないかしら?」

立石:
「自分にできる範囲では頑張ってました」

立石諒&山田拓朗&高城コーチのチーム結成

山田:
「ほんとになんか、奇跡というか。出会うべくして出会った、そのタイミングというのがやっぱりすごいなと思いますし、僕自身もきっかけというのがコーチがいなくて探しているタイミングで、リオの前だったんですけども紹介していただいて、諒さんと高城コーチが快く受け入れてくださったので、それがあってリオの結果もありましたし、なんか、高城コーチがそういう星のもとに生まれているんじゃないかって思いますね。困っている人が迷い込んでくるみたいな」

増田:
「そういう人っているよね」

塩田アナ:
「高城さん、自覚はどうですか」

高城:
「いや、なんか、なくもないかなという。よく相談を受けたりはするので」

増田:
「聞いているとやっぱり水泳も素晴らしいけれど、世界が広いっていうか視野が広い3人が縁あって対話をお互いしながら伸びていった。感性が合うっていうか相性っていうんですかね。水泳だけじゃないというのがすごく感じられるところ」

高城直基のコーチ論

塩田アナ:
「高城さんから見て山田選手はどんなところがいいですか?」

高城:
「立石選手と一緒なんですけど、基本的には自分のことは自分で知っている選手なので、僕が最初に担当するときも本人に言ったんですけど、僕は片手でクロールを早く泳ぐ術を知らないと。僕で本当に大丈夫か、ということを言ったら、『そこは自分でやるんで大丈夫です』と言ってくれたので、それなら大丈夫ということで一緒に始めたというぐらいなので、そういうところも全部任せられる。こっちは本人が嫌がるきつい練習をギュッとやってあげるだけで済むので、楽といえば楽な選手ですね」

増田:
「高城さんの頼りないところがいいですね。何ていうの、僕で大丈夫かって普通は聞かないよね」

山田:
「そうですね、でもなんかその、いい意味で波が無いっていうか、ブレないっていうか、そういうのが選手からすると安心感なんですよね」

増田:
「ああなるほど。だってほら、今年色々と問題があったじゃないですか。コーチのことね。やっぱり昭和の指導っていうのは ちょっと上から目線、俺について来い的な。だからこういうように、横から目線というよりも、下から目線ぐらいの感覚でやってくれると山田さんみたいに、楽ですねと、考える選手になりますか?」

立石:
「そうですね、昔の指導が全部が全部悪いってことでは無いとは思うんですけれども、たまたま僕であったり山田選手であったりっていうところはやはり、自分の軸がしっかりあるので高城コーチの指導が合っているんじゃないかなとは思いますし、中にはやっぱり、どうしていいのか、緊張して不安になる選手もいますし、日々の練習がこれで足りているのか、自分は頑張れているのか、すごく不安になる選手も多いので、選手がコーチを選べる次代にならなきゃいけないのかなっていうふうに最近思っていますね」

増田:
「なるほどね。選手がね、コーチを選ぶ。そっか」

塩田アナ:
「高城さんは山田選手に対して、具体的にはどんな指導をしているんですか?」

高城:
「少し前までは100mのバタフライを・・・まだルールが改定する前は(100mバタフライは)片手で泳げたので、僕の見た限りでは山田選手の体とか運動できる内容からすると、(バタフライが)すごく向いているかなと思って、2年間ぐらいチャレンジして、2年終わってから100mバタフライか、クロール50m、どっちが東京で金メダルに近いか探っていこうか、という話をしてたんですどルールが変わってしまって、片手のバタフライが無くなってしまったので、結局クロール50mに戻ってしまったんです。もう今はシンプルに早く泳ぐってことだけなので、たくさん泳ぐっというよりも、一かき一かきの質を高くとか、より強くとか、そういうことに特化して今は練習をしています」

塩田アナ:
「山田さん、高城コーチの指導方法、ほかのコーチと違うところってやっぱりそういうところなのですか?」

山田:
「(高城さんは)水泳というものをシンプルに捉えている方だと思いますし、引き出しがすごく多いというか、選手の要望に対して柔軟に対応できる。僕なんかものすごく練習とかに関しても気分にムラがある、やる気があったり無かったりっていうのが割と露骨に出る方なので、そういうのにもうまく対応してコントロールしてくれるので、結果的に、長期的に見て良いトレーニングが積み重ねられているというような感覚がありますね」

増田:
「高城さんは、その人の性格なんかも把握して向き合っている感じがあるんですけれども」

高城:
「そうですね、小学生とかに教えたりする時は僕が引っ張っていって、こういうふうになろう、ああいうふうになるにはこうしたほうが良いと指導しますけども、ここまで大人になってトップ選手になると、自分たちの感覚が優れていて、正直僕も平泳ぎの選手だったんですけれど立石選手が泳いでいたタイムには遥か及ばないところの感覚しか持っていないので、僕の頭の中だけで考えてしまうと彼の感覚より劣っている感覚しかないので、それだと足引っ張っちゃうので、トップ選手になったら感覚的には本人(に任せる)。ただやっぱりハードなトレーニングになると一人でやるというのは厳しいので、そこだけは僕が厳しい練習を作って、上で監視して休めないようにして。年齢とかレベルによって対応の仕方を変えるようにはしています」

増田:
「立石さん、練習メニューはかなり厳しかったですか?」

立石:
「そうですね、内容は結構・・・笑顔でエゲツないのを出してきたりしましたね(笑)。ただ、一番大事なのはやるかやらないかを自分に任せてくれるので、無理やり『ここは頑張るところだよ』と説明したあとに、頑張れないからふざけるなというのはなく、その日の体調などを加味しながら判断をしてくれるのは高城コーチの特徴なのかなというふうに思っていますね」

塩田アナ:
「立石さん、エゲツないってどんな感じなんですか?」

立石:
「僕が、(そのエゲツないメニューを)頑張ってしまうと次の日に熱が出るぐらいですね」

塩田アナ:
「それぐらい厳しいということですか」

高城:
「そうですね。山田選手とか立石選手とかは期待感がすごくあるので、練習でもすごい姿を見たいと思ってしまう。練習メニューを作るとボリューム的にも内容的にも頑張らないと厳しいメニューが、気づいたら増えている形です」

立石諒のロンドンオリンピック銅メダル秘話

増田:
「ロンドンで北島さんの背中を追ってきた立石さんが勝ったじゃない。あの時高城さんは見ていて、勝てると思っていたんですか?」

高城:
「予選はこれぐらいでいっても通るかなっていうのとかは話してて、ところが予選を頑張って泳いできたんです。予選が終わって、思ったより疲れたみたいな発言をして、これはまずいなと思ったのが準決勝で。準決勝はギリギリで端っこで通ったんですが・・・」

増田:
「7位でしたよね」

高城:
「決勝は北島選手が横っていうので、ずっと考えてきたのが(決勝は高城選手がコースの)真ん中の方で、世界新記録とか出るようなところで勝負してっていうのを思い描いていて、大分違う結果になってしまったので、まずいなというのと、でも北島選手が横にいる、1、2コースだけが今までの日本選手権と同じような雰囲気になれたので、それはそれでいいかなと思って。(気持ち的には)半々でした」

増田:
「隣に北島さんがいたというのが、立石さんにとって力が湧くことになった?」

立石:
「そうですね。余計に勝ちたいと思って出てきたオリンピックでしたし、とにかく日本の期待を康介さんが全部背負ってくれていたので、僕に対してのプレッシャーが非常に少なかったんですね。なので、自分のやりたい通りに泳ぐことができたので、気持ちはすごく楽でしたね。この人(北島選手)と勝負して、最悪メダルが取れなくても勝負ができることが楽しかったので、そこに集中できたというのがあの時一番良かった奇跡なのかなというふうに思いますね。隣になったのが」

塩田アナ:
「そして、ゴール前で僅か0.06秒差でかわして、北島選手に勝って銅メダル。これはもう・・・」

立石:
「そうですね(笑)」

増田:
「大騒ぎでしたよね、この時」

立石:
「結果として、メダルという形で応援してくれた人、辞めようと思った時に支えてくれた皆さんに持って帰ることができたのですごく嬉しかったですし、やっぱり夢が叶って、康介さんと勝負して勝てるという、夢が2つ叶ったので。もちろん金メダルを目指してトレーニングはしていましたけれども、非常に満足な気持ちで帰ってこれましたね」

山田拓朗のリオデジャネイロパラリンピック銅メダル秘話

塩田アナ:
「山田選手はリオデジャネイロパラリンピックで銅メダルを取ったわけですが、その時のお気持ちはどうだったんですか?」

山田:
「ずっとメダルは目指して準備をしていたので、結果的にメダルが取れたのはすごく良かったんですけど、もう一つ目標タイムというのがあってそこには少し届かなかったので、喜び半分と悔しさ半分という複雑な気持ちでしたね」

塩田アナ:
「コーチとしてはいかがでしたか、高城さん」

高城:
「選手村とかで事前のトレーニングをしていた時にちょっと話していたのが、目標は2020東京大会で金だということで、リオももちろん大事な試合なんですけどあくまでもチャレンジで通過点で、東京に行こうということで、本当に開幕する当日まで一番ハードなトレーニングをしていて、初日の400mクロール(練習)でとてつもなく疲労がたまっていて、とてつもなく遅いタイムで泳いできたので、言ってやらせたのが僕なんですけどすごく不安で、3日間ぐらいホントにそわそわしながら、これほんとに大丈夫かなと思って見てて。そして決勝で泳いでいるとき、40mか45mぐらいのときに、僕斜め後ろから見ていたので、山田選手が頭出ていたように見えて、近くにいた日本の方とかと、ずっと『金だ金だ!勝った!』と言ってて、ゴールしてやったと思ったら銅メダルで、先に金メダルをとったときの喜びみたいな気持ちで見ちゃってたので、銅メダルを見た時、逆にちょっと・・・(笑)。僕の中では悔しさのほうが大きかったという」

増田:
「今の話を聞いて、(山田さんは)金の自信があると思う。自信あるでしょ?」

山田:
「そうですね、リオが終わった瞬間にもっと行けるというふうに思ったので、まだまだいけると思います」

東京オリンピックの展望と課題

Q. 東京2020オリンピック・パラリンピック。オリンピックで注目している選手を教えてください。
立石:「みんなです」
山田:「僕もみんなです」
高城:「日本チーム、みんなです」

Q. パラリンピックで注目している選手を教えてください。

立石:「山田拓朗選手ですかね」
山田:「僕ですかね」
高城:「もちろん山田選手です」

Q. オリンピック競泳、パラリンピック競泳、それぞれメダルはいくつ取れると思いますか?

立石:「オリンピック競泳は、10個以上取れると思います」
山田:「パラリンピック競泳は、少なくとも僕が1つとって、30個ぐらい取るんじゃないですかね」
高城:「どちらも10個以上は取ってくれると思います」

増田:
「今の勢いでいくと、水泳すごいですよね。池江璃花子さんもそうだし、パラでは山田さんや一ノ瀬メイさんもいらっしゃるし、木村敬一さん。木村さんは私、ユースパラゲームの時に私が選手団長で、木村さんが主将だったの。あの人も面白いですよね。視覚障害者で、すごくご挨拶がうまいんですよ。私、次に挨拶するのがやりにくいぐらいうまくて、うまいねって言ったら敬一さんが『僕、何も見てないですからね』って(笑)。おもしろくて。山田さんは仲良しだって言ってましたもんね」

山田:
「そうですね。年齢も近いんで、遠征でも同部屋になることが多いですし、敬一君と同じだとメダル取れたりするんですよ」

一同:「へ〜〜!!」

高城:
「パワースポットだ」

増田:
「そうか、そういうことだ。えっと、立石さんがオリンピック競泳はメダルが10個以上っていいましたね。やっぱりそのぐらいの感触が今はありますか?」

立石:
「そうですね。10個以上と言っても色も大事になってくると思うんですけれど、リオは萩野公介選手と金藤理絵選手が金メダルを1つずつ取っているんですけれども、今回の東京2020は金メダルも増えるんじゃないかなと思いますね。やはり、世界のトップクラスのレベルで試合ができるようになってきているので。競った時に負けないとか、そういうところだけ気をつけるだけでも金メダルが見えている選手が何人もいるので。例えば萩野選手は連覇がかかっていますし、世界選手権の方で金メダルをとっている瀬戸大也選手もいますし、前回200mバタフライで銀メダルだった坂井聖人(まさと)選手もいますし、平泳ぎでしたら世界記録を持ってる渡辺一平というのもいますし、世界大会で銀メダルをとってる小関というのもいるので、非常に期待感が高まっている、金メダルが何個取れるんだろうその中でもメダル数で言ったら10個以上は間違いないんじゃないかなというふうに僕は思っていますね」

増田:
「高城さんも、だいたい今のメンバーですか?」

高城:
「そうですね。はい。僕も山田選手意外に、今大学生とかも教えたりしているんですけど、大学生を担当しているコーチの立場からすると、今の日本のトップの選手たちが強すぎるぐらい強いので、全くそこに入っている余地が無いぐらい圧倒的に強いので、選手たちが東京でやる盛り上がりを力に変えられれば確実にメダルに届いてくる選手は、今立石さんが言ったような選手は必ず届いてくると思うので、それぐらい行くんじゃないかなとは思います」

北島康介選手の前と後で日本水泳界は変わった

増田:
「強すぎるほど強くなったのは、何が良かったんですかね?」

高城:
「僕が感じたところで言うと、北島選手の前と後では違うというか、北島選手が2大会連続で2冠とかやって。僕も水泳に携わっている人間として、金メダルが取れるとかってあんまり考えたこと無かったんですけど、やっぱり彼がそうやって築いてくれたことによって、普通じゃないんですけれど出来るんだって。そういう気持ちが自然と皆に生まれてきて。みんながそういうレベルまで行けば本当に世界で勝てるんだっていう気持ちに日本の水泳界がなったと思うので、やっぱりその(北島選手の)後では違うと思いますね」

増田:
「なるほどね。風穴を開けてくれた。陸上なんかでもね、高橋尚子さんなんかがね、あの記録で頑張って後に続く人が多くなって、そういうのって大きいですよね」

立石諒のこれからのビジョン

塩田アナ:
「立石さんはアスリートのセカンドキャリアをサポートするお仕事をしていて、色々な世界を広げる活動をしているということですが、このあたりについては?」

立石:
「そうですね。現在、会社の代表をやらせていただいているんですけれども、基本的にはマネジメントであったりとか、まだまだ課題が多い中で将来的にセカンドキャリア、就職支援までできるような会社にはしたいな、というふうには思っていますし、僕の考えとしては現役時代から引退した後の生活まで考えなきゃいけない。だけど競技にも集中してもらいたい、そういうとこを手伝ってあげられるから今は競技に集中しなよ、という会社を作りたいんですよね」

増田:
「ジムのオーナー的なことをやられてるけど、それは、そういうレベルの人をそこでレッスンするということなんですね」

立石:
「あのですね、僕は深く考えて何かをやるというのが得意ではないので、やりたいなと思ったら全部やろうと思うタイプの人間なんですね。なので、ジムをやり始めたきっかけはですね、僕、泳ぎよりも筋トレの方が好きなんですよ。なのでジムやりたいなとずっと思っていて、時期が整ったのでジムを始めたりとか、現在は会社の設立の手続きをしているんですけれども、おじいちゃんが癌で早く亡くなってしまったというのもあるので、高齢者の方々が元気に生きてほしい、健康でいてほしいというところを考えまして、今、社団法人の方の設立を手続きしております。なのでやりたいことは全部チャレンジして、みんなに水泳しかもっていない、水泳しかやってこなかったから分からないというんじゃなくて、いろんなことにチャレンジしていく姿勢というのを見せていきたいなと思って今頑張ってます」

増田:
「人生100年時代ですから、健康長寿というのは大事ですもんね」

立石:
「平均寿命というのはすごく伸びているんですけれども、寝たきりの方も平均寿命の中に入ってしまうんですね。そういうわけではなく、健康寿命の延伸をしっかり行っていきたいというところで、スポーツに携わっていた人間として身体を動かすことを提供できるものを作れればなというふうに思っています」

増田:
「時代にぴったり合っていると思います!ぜひ頑張ってほしいと思います」

注目され始めたパラリンピックの光と影

増田:
「山田さんは4回パラリンピックを経験しているじゃないですか、どうですか、2020年東京に決まって選手たちの意識とか高まってきました?選手のレベルも上がってきましたか?」

山田:
「東京大会が決まったことによって選手を取り巻く環境っていうのは、特にパラリンピックに関してはこれまで全くと言っていいほど知られてなかったので、急速に変化していってる、すごく良くなっているというのはあるんですけれども、中にいるとか選手たちがですね、正直そのスピードについていけてないなというところもあったりしてですね。実際のところはなかなかパラリンピックなどの世界大会に行って日本の選手が活躍するのが難しくなってきているので、選手のレベルというか意識という部分ではまだまだ世界と差があるなと思うので、東京まであと2年しかないですけどもそこに関してはもっともっと高い意識をもって、とにかく開催国の選手活躍しないとというのがあるので、頑張りたいと思います」

増田:
「意識が高くないとはどのへんなのかしら?ロンドンパラリンピックの話もしてくれましたけど、選手のもうちょっとこうしたほうがっていうのは?」

山田:
「昔なんかだと本当にパラリンピックは注目されていなかったので、練習環境を確保するのも、かなり苦労したりとかいう時代があったんですけれども、東京大会が決まってから色々なことが、いい方向に向かっていて、いろんな選手がメディアに取り上げられたりだとか、そういういい部分があるんですけれども、実績が伴わなくてもそういう環境が手に入ったりとかメディアの露出が増えたりだとか、そういったところで選手自身も油断してしまう部分があると思いますし。でも実際は世界に出ると、ほんとにまともに勝負出来るのってごく一握りの選手しかいない状況なので、パフォーマンスとしてはもっともっと上げていかないといけないなというふうに感じますね」

立石:
「これも難しい話ですけれども、選手にメディアが付いてくるというところでやっぱり協会とか連盟からしても出してほしいという部分もあると思うんですけれども、出しすぎても良くないし、現役のうちにそれこそ東京オリンピックを狙うんであればコントロールする人が足りていないんですよね」

増田:
「そうですか。そういう問題点を聞けてよかった」

高城直基が目指す理想のコーチ像

増田:
「2020年に向けてアスリートとコーチの関係、こういうのが理想だっていうが聞きたいですね」

高城:
「僕の理想のコーチ像としては、理論とか科学的根拠とかに縛られすぎずに想像力豊かにやっていくということと、僕は選手が太陽でコーチが月だと思っているので、基本的に選手がベスト出したりすごく調子がいいときっていうのは、コーチは出ていかないで、選手が調子悪くなったときとか困っているときにちょろっと必要な分ぐらい出るっていう、そういうスタンスでいるのが、僕の中では理想のコーチ像なので、まだ出来ていないので、そういうコーチとしてもっと突き詰めて2020年に向かっていきたいなとは思っています」

ランナーズハイを知ったら走ることをやめられない

塩田アナ:
「どうですか、立石さん、山田さん、高城さん。今日は増田さんからの色々な質問がありましたけれど、逆に増田さんに聞きたいことってあります?」

立石:
「僕は走るのがとにかく苦手で、水泳の練習も好きじゃないんですけど、走ってるとすごく苦しいんですよね。増田さん、どのあたりで『走るの好きかも』って思ったんですか?」

増田:
「子どもの時から私は風が好きなのね。風を切ったり、風をまとったりしてる感覚が好きで。選手になったときにはね、練習によっては結構苦しいのを我慢しているとすごいいい気持ちになるの。ランナーズハイっていうのを後からあるの知ったんだけど、それを経験するとやめられないですよ」

一同」「へ〜〜」

増田:
「最近それ経験してないのよ。我慢してないから(笑)」

山田:
「水泳でも、たまにありますよね。長いインターバルの練習とか、しんどいんですけど、やってるうちに泳ぎが良くなってきて楽しくなってくるみたいなの、ありますよね」

立石:
「そうすると大体僕は熱が出るんです」

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