90歳、今日も高座へ 落語家・三遊亭金馬①

ざっくり言うと
心不全と脳梗塞 疲れてしまうほどリハビリに打ち込み、見事復活
小学生のときにレコードで知った、憧れの柳家金語楼
2019/05/24 すっぴん! 「すっぴん!インタビュー」三遊亭金馬さん(落語家)

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2019/05/24

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【出演者】
源一郎さん:高橋源一郎さん(金曜パーソナリティー)
藤井アナ:藤井彩子アナウンサー(アンカー)
金馬さん:三遊亭金馬さん(落語家)


「すっぴん!インタビュー」から、落語家の4代目三遊亭金馬さんの回を2回にわたりお送りします。
現在の現役最古参で、90歳になった今も寄席の高座に上がっています。しかし昨年は大病のため入院。生死に関わる病床にあっても落語を忘れなかったことが励みとなり、リハビリテーションを続けたお話などを語っていただきました。


誕生日は年に2回

源一郎さん: 師匠、お元気ですねえ。
金馬さん: ええ。おかげさまで、どういうわけか生きてますね。
源一郎さん: 僕がことし68(歳)なんですけど。
金馬さん: ああ、そうですか。まだお若い。

源一郎さん: いやいや(笑)。(「お若い」なんて)言われることないんですけど。『お笑い三人組』、僕はラジオで聴いてたんです。
金馬さん: ああ! なるほど。そりゃそうでしょうね。
源一郎さん: 今回金馬師匠がいらっしゃるので調べて、びっくりしたのは…腹話術なさってましたよね?
金馬さん: やります。
源一郎さん: テレビでもやられたことは…?
金馬さん: あります。
源一郎さん: 僕ね、失礼ながら…お相手、名前何でしたっけ?
金馬さん: ター坊。
源一郎さん: ター坊はすごく覚えてて。
こっちにいた金馬師匠のこと覚えてなかったんです。
金馬さん: 同じようなご年配の方に、「よく学校へ来てやってくれたのを聴いた」とか、「なんとか子ども会でもって見た」ってよく言われますよ。
源一郎さん: すごく鮮明な記憶はあるんで、「あれ、金馬師匠だ」って、60年ぶりに気がつきました。
金馬さん: あの時分は、何でもやらなきゃ食えねえ時代だからね。頼まれりゃあ何でもやるし、ご注文の多いものはいつでも「はい!」ってすぐ飛んで行ったもんだからね。

三遊亭金馬師匠は昭和4年、東京生まれ。小学校卒業後、12歳で3代目三遊亭金馬師匠に入門、終戦直後の昭和20年8月に「三遊亭小金馬」で二ツ目に。昭和30年代にはNHKラジオ・テレビの人気番組『お笑い三人組』で国民的なスターとなりました。
昭和33年「小金馬」の名前で真打昇進。昭和42年4代目三遊亭金馬を襲名し、昭和45年に芸術祭優秀賞、平成12年には瑞宝小綬章を受章。現在は落語協会顧問も務めていらっしゃいます。

藤井アナ: 金馬師匠は、戸籍上の誕生日は3月19日なんですけど、本当に生まれたのは5月19日。
金馬さん: そうなんですって。自分が生まれた日は覚えてないんですけどね。
源一郎さん: どうして2か月もずれちゃったんですか?
金馬さん: それはね、あとで聞いたんですけどね、おやじがだいぶ年取ってから私が生まれたんです。
前に兄貴が1人いたんですが、これが早死にした。だから「なるべく早く子どもの小学校へ上がるのを見たい」っていう希望から、5月だと1年遅れるから、3月にすれば早く上がれる、ってえんだけどね。
子どもは災難よね。
藤井アナ: 2か月違えば大分違いますもんね。
金馬さん: 大分違います。おかげさまでそういうわけで、3月と5月と両方でお誕生日を祝ってます。
源一郎さん: 誕生日が2つ。
藤井アナ: 5日前に90歳になられたばかり、ということなんですね。
金馬さん: 本当の。
藤井アナ: おめでとうございます。

大病で倒れても、残った落語

藤井アナ: 今も元気に高座に上がっていらっしゃいます。ことしの初席(はつせき)にも出演されましたし、先月上席(かみせき)と中席(なかせき)、それぞれ鈴本(演芸場)と浅草(演芸ホール)に出ていらっしゃいました。
金馬さん: 使っていただけるだけ、ありがたいですよね。お客さんも、出てくると、「よおよお、まだ生きてるか?」みてえなもんだよね。
ありがたいのは、噺家(はなしか)って、おしゃべりするだけですからね。座ってでも腰掛けてでも立ってでも、おしゃべりして皆さんに笑っていただき「おもしれえな」って言っていただければよろしいわけですから。体を使う商売じゃ続かない。
源一郎さん: 金馬師匠は去年の7月に倒れられたと伺っています。
金馬さん: 心不全と、それから脳梗塞を起こしていた、っていうんですよ。心不全って、心臓が止まっちゃって血液が止まるんですから、それっきりになるんで、それをなんとか抑えこむことはできたけど、脳梗塞はちょっと後遺症が残りましてね。
おしゃべりのほうも、それから体のほうも、あんまりいうこときかなくなっちゃったんで、「これでもって俺も噺家商売はだめかな」と思ったんですよ。
だんだん落ち着いてきて、夜中にポツンと病室でもって目覚まして起きて天井を見ながら、「噺を忘れちゃったかな?」と思いながら、クチャクチャしゃべってみると、これができるんですよね。
源一郎さん: 1人でやられてたんですか?
金馬さん: もちろんです。だから、「こうで、こうで、こうで、ああだこうだ」って言いながらやってると、「これでいいんだ!」なんて思うのがある。声を出して人に聴いてもらったわけじゃないけど、覚えたとおりちゃんとできるってことはうれしいですね。
特に、早口を回すような「蝦蟇(がま)の油」だとかね。
源一郎さん: 心不全で脳梗塞というと、大病っていうか…。
藤井アナ: 5日間意識が戻らなかったんですよね。
金馬さん: そのときは5日間意識不明。
もっとその前に、急に心肺停止っていうのを起こしましてね。これも、よくまあ生き返ったもんですわね。なんせ、往来でパタッと倒れて息ができなくなっちゃったんで。ほったらかしときゃあ、今ごろ十何回忌かやってるわけでね。
藤井アナ: それが平成10年ですね。
金馬さん: 生き返ったのがうれしくて。ここでペースメーカーっていうのを入れてもらって、心臓をむやみに止まらないようにしてもらったんですが、そのおかげでやってこられたってことはうれしいことですね。

リハビリのライバルはひ孫

源一郎さん: 今回、リハビリが大変だったんじゃないですか。若い人でも、脳梗塞になったりするとリハビリ大変なんです。失礼ですが、90近い方がリハビリするって…。
金馬さん: 90近いですな、私は。
源一郎さん: 大変だったんじゃないですか?
金馬さん: 大変っていうよりも…リハビリテーションっていうのはね、おやりになった方もおありでしょうけど、まず動かなくなった機能を戻す、そのための訓練ですからね。
足をけがした方、手を折られた方、そういう方々ももちろんいらっしゃるし、私たちみたいに半身不随になった者にも運動を与える作業療法と、それから理学療法という2つの療法がある。
作業療法は、何でもないようだけど、台の上でもって板を削るみたいなことやってみたり、指先をやってみたり、ってやるでしょ。背筋を伸ばしたり手を伸ばしたりする訓練とかね、それをやってるとだんだん動くようになる。それが作業療法なんですよ。
理学療法は、動かなくなったあちこちの体をほぐしながら、それで…本当にバランスなんですね。赤ちゃんが動き始める“よちよち”と、まったく同じなんです。
源一郎さん: 赤ん坊から始めるみたいな感じなんですね。
金馬さん: そうそう。よちよちと「あの方面行こう」なんて思うとこへ足を向けて両足を運んでいく。それが自然に戻ってくる。教えなくても、「こうやるんだよ」ってやんなくとも、赤ちゃんが戻ってくるのと同じように、大きな大人もだんだん取り戻していくんですよ。
源一郎さん: リハビリはつらくてやめちゃう人もいるんですが、師匠は平気だったんですか?
金馬さん: いや、平気じゃありません。初めは「何だ、こんなことをやったって…」と思うんですよ。だけどね、少し動き始めるとうれしいんですよね。「ここまできたんだ。何とかしよう」と。
一番びっくりしたのがね、床で治療してもらって、寝返りを打つ。これ、できないんですよ。
何でもないでしょ? あおむけに寝ててコロンとうつ伏せになる。何でもないことですよ。ところが、できない。
うちの孫が子どもを産んで、ひ孫ですね。これが昨年2月に生まれて、私が7月に入院するころには6か月近くなった。「あの子が歩けるようになるまで、俺も一人前に歩けるようになろう」と思って。
源一郎さん: 競争ですね。
金馬さん: ところがね、その6か月くらいの子どもが、「おじいちゃん、こんにちはして」なんて、横に寝かされたんですよ。「いい子いい子、大きくなったね」なんて言ってると、この赤ん坊が目の前で寝返りを打ちやがるんです。
源一郎さん: 自分より動ける(笑)。
金馬さん: 腹立ったね。1週間やっても寝返りが打てないのに、コロンと寝返りして「おや?」ってな顔して見てるんだよ。「まったく。こいつに負けちゃいけない」と思って、一生懸命やりましたよ。
源一郎さん: すごいね、ひ孫がライバルですよ。
藤井アナ: それはすごい。
金馬さん: 今治療してる方もいらっしゃるでしょうし、リハビリをどうしようか考えてる方は、ぜひお医者さんの言うとおり、療法士さんの言うとおりに指導のとおりやってください。できないことはないんですから。
ただ私、一生懸命やって、体が動かなくなっちゃった。丸2日食欲もなければ、ひたすら眠いんですよ。何だかわけがわかんない。
しばらくしてお医者さんに聞いたら、「それは疲れですね」って。
源一郎さん: 一生懸命やりすぎたんですね。
金馬さん: 女房に「疲れだってさ」って言ったら、女房が「当たり前よ。年を考えなさい」。90になってあれだけ運動すると、大変疲れますよ。「なるほど、そうだな」と思いましてね。
皆さん方にぜひ言いたいのは、脳梗塞をやるなら若いうちにやりなさい。早く治る。
源一郎さん: そりゃそうだ。

金語楼師匠に弟子入りしたかったが…

<柳家金語楼「落語家の兵隊」音源>

藤井アナ: これは、柳家金語楼師匠の「落語家の兵隊」の一部です。
金馬さん: 私が一番先に覚えた落語ですよ。
源一郎さん: 金語楼師匠は、僕が観たときは落語家というよりもコメディーをやる方でした。
金馬さん: お芝居の方が有名になっちゃった。喜劇俳優でね、エノケン・ロッパ・金語楼という3大喜劇人といわれたんです。
源一郎さん: もともと落語家だったんですね。
金馬さん: 私がレコード聴いて「落語家になりたい」と思ったころには、もう「金語楼劇団」を作って立派に仕事をやっていらしたんで、「私を弟子にしてください」と言ったら、「落語の弟子は取らない」って断られちゃった。
それからほかのつてで金馬師匠の弟子になったと、こういうわけです。
源一郎さん: それは何歳のときですか?
金馬さん: それ12歳…11歳か12歳ぐらいですかね。
藤井アナ: 入門が昭和16年です。
金馬さん: 小学校出るか出ないか、ですね。
藤井アナ: 小学校卒業して落語家になろうと思われたのは、どうしてだったんですか?
金馬さん: 小学校時代に金語楼さんのレコードを覚えてた。
うちの親父とおふくろが食堂やったんですよ。簡単な食堂。「まんぷくホール」っていうんですがね。『お笑い三人組』の「まんぷくホール」ってのは、私の実の家なんです。
藤井アナ: モデルだったんですね。
金馬さん: そこの悪ガキ。何しろ下町ですからね、下が10畳かそこらにテーブルを5つ並べて、中華そばを作って焼きめし作ってたりしてた。
下で仕事して、2階に私たち。「早く寝ろ」ったって、うるさくて寝られないですよ。夜中にノコノコ起きてきて、飲んでる客に、
「おじさん、俺、落語知ってるんだよ」
「へえ、そうかい。やってみろ、やってみろ」
小学校1年の子どもがそんなことやったら、大概みんな笑ってくれますよ。「おもしろい。うん、お前、大きくなった落語家になれ」なんておだてられたんです。
源一郎さん: すっかりその気になっちゃった。
金馬さん: 子どもにそういうこと言っちゃいけない。その気にさせられたんですよ。

戦時中の「禁演落語」

藤井アナ: (昭和)16年といえば、だんだん戦争が激しくなっていくころです。いわゆる「禁演落語」っていうものを覚えてらっしゃると思うんですけど。
金馬さん: 当時の軍人さんっていうか、おまわりさんまでが、自分の手柄にしたくて、「国民1億総動員であって、こんなたるんだことをしててはいかん」なんてなことを言いだす人がいたんですよ。「この非常時に、ふざけた、くだらない、お女郎買いの話なんてとんでもない、女を口説くなんて何てことだ」と、そんなことを言われた。しょうがないから、「舞台でもしゃべりません」と、寄席をやりません。これ全部埋めましょう、っつって。
一応ね、台本だかなんだか知らないけど、「はなし塚」っていうものを作って。今、浅草の田原町のお寺にまだ残ってますよ。そこへ埋めたんですよ。
源一郎さん: 話せなくなったんですか?
金馬さん: 寄席ではやらなくなったんです。
藤井アナ: 誰かから「やめましょう」って言われたんですか?
金馬さん: うるさいから。
源一郎さん: 忖度(そんたく)ですね。
金馬さん: 忖度っていうか、「しょうがねえから、形だけしときゃいいや」って。だって、いくら台本を埋めたって、本を埋めたって、頭に入ってるんだもの。
藤井アナ: そりゃそうですよね。
源一郎さん: じゃ、実際にはしゃべってた?
金馬さん: しゃべってますとも。私らは仕事でそういうのはなかったんですけど、うちらの師匠方は「軍隊の兵隊さんの慰問に行ってください」なんて、いろいろお仕事ちょうだいした。その慰問に行った先でもって、ご注文が「お女郎買い」の話なんです。
源一郎さん: 結局そういう話をしているわけですね。
金馬さん: そうそうそう。
源一郎さん: 言ってることもめちゃくちゃだよね。
金馬さん: そんな時代ですよ。

<すっぴん!インタビュー 落語家・三遊亭金馬②>につづく

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