YMOレコーディングスタッフ・藤井丈司が見たマジック①

ざっくり言うと
名曲「メトロポリス」は“東京歌謡”、「ライディーン」は“浮世絵”
録音技術・環境が最高だった時代の音楽
2019/05/10 すっぴん! 「すっぴん! インタビュー」藤井丈司さん(音楽プロデューサー)

音楽

2019/05/10

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【出演者】
源一郎さん:高橋源一郎さん(金曜パーソナリティー) 
藤井アナ:藤井彩子アナウンサー(アンカー)
丈司さん:藤井丈司さん(音楽プロデューサー)

藤井丈司さんは1957年岐阜県生まれ。22歳のときにYMOのアシスタントとして音楽業界に入り、1983年の12月YMO「散開ツアー」までアシスタントを務めました。
その後シンセサイザー・プログラマー、共同プロデューサーとしてサザンオールスターズや桑田佳祐、布袋寅泰などの作品にも参加。90年代に入ると音楽プロデューサーとして、玉置浩二「田園」、ウルフルズ「明日があるさ」、広末涼子「MajiでKoiする5秒前」などのプロデューサー、アレンジャーとしてミリオン・ヒットを数多く手がけています。
3月にYMOの作品制作過程を通じてその音楽性に迫った著書『YMOのONGAKU』を出版した藤井さん。今回のインタビューでもYMOのエピソードが次々と語られます。


初仕事がYMOのアシスタント!

藤井アナ: 音楽プロデューサーとして今も活躍されている藤井丈司さんですが、最初に携わったアーティストがYMOなんですか?
丈司さん: そうですね。アシスタントしていました。
源一郎さん: アシスタントは、どういうことをするんですか?
丈司さん: 何でもやるっていうか。楽器を運んだりセッティングしたり、タバコを買いに行ったり、出前を取ったり、みたいな。ラジオでもアシスタント・ディレクターの方とか、そういうお仕事されてます? わからないんですけど。
藤井アナ: あります、あります。
丈司さん: そういうことをやっていました。
源一郎さん: これは偶然なの? それとも、YMOと知ってて行った、とかじゃないですよね?
丈司さん: 細野(晴臣)さんが学生のころから大好きで。つてをたどっていったら、「ちょっとやってみない?」って言われて、始まったんです。
藤井アナ: 好きな音楽は“はっぴいえんど”の辺りですか?
丈司さん: まさに“はっぴいえんど”、そして細野さんのソロ・アルバムがすごく好きで、音楽を聴いてるうちに「この人に会えないだろうか」と思って。
源一郎さん: そしたらYMOができ上がっていた。
丈司さん: ちょうどでき上がっていくところ、みたいな感じでしたね。
藤井アナ: 音楽性としては違う世界に入っていた時期ですよね。
丈司さん: びっくりしました。「あの細野さんがこういう音楽をやるのか!」と思って。最初、YMOの初めてのライブを偶然観に行ったんです。
源一郎さん: それも偶然?
丈司さん: 偶然なんです。だから、坂本(龍一)さんや(高橋)幸宏さんの名前も知らなくて。
「3人が並んでる」みたいなことを観てたんです。
源一郎さん: 歴史の証人ですね。
丈司さん: いやいやいや…。

聴く時代で異なる響き

源一郎さん: 僕、今回この話を受ける前、別の雑誌でYMOの40周年特集がちょうどあって、「書いてくれ」って言われて、全曲聴いてたときだったんですよ。なんで、感想があったのに「どこかで言えないかな」と思ったら、ちょうどいい。僕が一番喜んだ。
丈司さん: うれしいです。
源一郎さん: 最初にびっくりしたのは…1枚目の『イエロー・マジック・オーケストラ』。音、音圧が大きいですね。もうちょっと軽い感じだったっていう記憶が…。
丈司さん: 当時は?
源一郎さん: 当時はしてたんで、今聴くとものすごく迫力があって…。
丈司さん: おもしろいですね。
源一郎さん: 軽々と、楽しく、浮遊して、遊んでるようなイメージだったんだけど。
丈司さん: 今聴くと…。
源一郎さん: ものすごい力、ものすごいパワーがあって、自信たっぷり。「これが僕らの音だ」みたいな感じで今は聴こえる。
丈司さん: YMOって、今聴くと違いますよね。
藤井アナ: 聴こえ方、変わってますか?
丈司さん: 色あせないということもあるんですけど、最も違って聴こえる音楽じゃないかなって気がするんです。

最先端テクノロジーと“和”の折衷

藤井アナ: きょうはたっぷり聴いていこうと思うんですが、まず何の曲からいきましょうか?
丈司さん: 「ライディーン」からいきます。
源一郎さん: これ、YMOの代表曲っていうか、YMOっていえばみんな最初にイメージするのは、この「ライディーン」…。
丈司さん: か、「テクノポリス」の両方ですね。
源一郎さん: これが79年ですか。僕、曲を聴くとあのときがどんな時代だったか思い出しますよ。すごく明るくて、都会の中をみんなが歩くと楽しい。それでちょうどYMOの音が聴こえてくると…。
丈司さん: 合う。
源一郎さん: でっかい広告があちこちにあって、当時はやってたいろんな広告の全部のBGMがYMOみたい、という感じがするんですよね。僕、原稿書いたときに思ったのは“TOKIO”。あれって発明したわけじゃないですか。東京じゃなくて。
丈司さん: “東京”じゃない。確かに。
源一郎さん: 世界中どこにでも街があって、そこにYMOが流れてる、みたいな。
丈司さん: 細野さんは…言っていいのかわからないんですけど、戦後、占領軍の米軍の兵士たちに自分の街を「トキオ」と呼ばれた。「東京」と呼ばれていた街を「トキオ」と呼ばれたことに、いろんな思いがあった。このときに「テクノポリス」で“TOKIO”として、自分が戦後の街で感じた…メッセージっていうか、いろんな気持ちをこの“TOKIO”に込めてるということを、いつかおっしゃっていらしたんです。
藤井アナ: 「ライディーン」はどのようにでき上がったものなんでしょう?
丈司さん: 「ライディーン」は、細野さんが…「テクノポリス」は、細野さんが坂本さんに「“東京歌謡”を作ってくれ」って言って。
藤井アナ: で、「ライディーン」は?
源一郎さん: 幸宏さんですよね。
丈司さん: 幸宏さんには、「“浮世絵のような曲”を書いてくれ」って。
藤井アナ: 浮世絵?
丈司さん: “東京歌謡”って音楽でオーダーする坂本さんと、“浮世絵”っていうビジュアルで…しかも古い東京、「江戸時代のものを書いてくれ」って言ったらしいですね。
源一郎さん: これ、江戸時代じゃないよね。
丈司さん: でもなんとなく、北斎の絵とか、白波が立って、尻端折り(しりはしょり、着物の裾をまくって、端を帯にはさむこと)したかごかき(江戸時代、かごに人を乗せて運ぶ職業)が走ってるとか、富士山とか、そういうイメージで書いたらしいんですよね。
源一郎さん: 今もありますよね。「クールジャパン」とかいって海外に輸出する場合に、そういう浮世絵みたいなものがCGになって、そのバックにエレクトリックな音楽が流れてる。
丈司さん: 最近の音楽でアジアっぽいメロディーを使って「クールジャパン」として出していくことは行われてると思うんですけど、最初に…「クールジャパン」っていう言葉・考え方がなかった時代に、そういうことをやった、考えたのは多分細野さんだと思うんです。だから「浮世絵」と。

スタジオ・エンジニアリングの全盛期

藤井アナ: 続いてはこちら。ファースト・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』から「ファイアークラッカー」。ファースト・アルバムの中でも最初に録音されたものなんですね。
丈司さん: これが1番初めに録音された曲です。
源一郎さん: A面の2曲目なんですけど、すごくいいんで気分が上がるんだよね。これは、全体の基調を決めたような感じがあります。
丈司さん: 「この曲をこういうアレンジ、ディスコ調でシンセサイザーの音だけでやる」というのがYMO自体のコンセプトだったらしいんですね。
藤井アナ: こういうことをやりたくて、始めた? これをやりたくて?
源一郎さん: でもメロディーはアジアなんだよね。このミスマッチな感じが…。
丈司さん: これは、マーティン・デニーっていう人の、アジアのメロディーを使ったイージーリスニング・ジャズ、エキゾティカって呼ばれるジャンルなんです。こういうものをそのままディスコ調に、そしてシンセ・ポップにしていって、イエロー・マジック・オーケストラというものをやろう、となった。
藤井アナ: 録音されたのが1978年7月10日と、藤井さんの著作『YMOのONGAKU』にも書かれていたんですけど、このときの音楽業界はどんな感じだったんですか?
丈司さん: まだ大きなスタジオがあって、ちゃんとピアノがあってマイクもたくさんあって。今はパソコンで作るんで自宅で作るっていうことが多くなってる。この40年の間にすごく変わったんです。多分1978年が、スタジオの録音技術が最も豊かな時代だったと思うんです。
ここから変わるんです。シンセサイザーで音楽を作るってなってから、「じゃあピアノいらないね」「部屋は小さいくていいね」「マイクもそんなに要らない」「パソコンでできる」っていうふうに、だんだん変わっていくんです。
藤井アナ: 豊かな環境の中で、YMOはそぎ落とされたものでもできる。どんなふうに作っていったんですか?
丈司さん: このころはやり方のフォーマットがない。本当に1つずつシンセサイザーの音を重ねてやっていく。やり方としては大きなスタジオでやっていた方法とそんなに変わらないことを、シンセサイザーという楽器を使ってやっていたんですね。
源一郎さん: 数年の間に(アルバムを)5枚ぐらい出して解散、「散開」しちゃうんですけど、毎回新しい機具・機材が入ってるっていう感じですね。
丈司さん: あと音楽も変わっていく。あんなに売れた「テクノポリス」や「ライディーン」のような曲は2度と作らないんです。そこがすごいところだと思います。
源一郎さん: 毎回オーディエンスを裏切る。オーディエンスが憎まれてんのか、っていう。
藤井アナ: 期待するとその裏を行かれるっていう感じですか。
源一郎さん: 「これでも、まだまだ聴く気?」みたいな。逆にYMOの方から挑戦されてるような感じはね、それはなかなかね、サービス悪いなこの人たちって。
丈司さん: なるほどね。
源一郎さん: 不思議ですよね。資本主義の真ん中で最先端にいるのに、でも消費者を優しくしないんだもん。
藤井アナ: 期待に応えるというよりも、プロダクトアウトっていうか、自分たちが勝負できるものをどんどん出していくんですよね。
丈司さん: 普通そんなにできないと思うんですよ。裏切っていく、変えていくっていうことは。バックボーンに音楽的教養が非常にある、しかもそれが演奏できる、ということもあると思うんです。そこが、ほかのシンセサイザーのバンドと違うところだと思います。

解体、脱構築、引用…文化的潮流に乗るYMO

藤井アナ: セカンド・アルバムの話を伺っていこうと思うんですが、その前にこちらをお聴きいただきましょう。こちらはビートルズの「デイ・トリッパー」ですが、(YMOの「デイ・トリッパー」は)これをモチーフにした、っていうふうに考えていいんですか?
丈司さん: そうですね。これを“解体”していって、YMOの「デイ・トリッパー」になっていくんですよね。
藤井アナ: YMOのほうを聴いてみましょう。
源一郎さん: しみじみ思ったんですけど…これは、いわゆる「有名曲のカバー」になるんですけど。普通カバーというのは聴きやすいように、自分流に変えてやるんだけど、これはカバーじゃないよね。
藤井アナ: これ、カバーなんですか?
源一郎さん: カバーじゃないですよ。
丈司さん: “解体”ですね。
源一郎さん: おもしろかったのは、70年代後半から80年代にかけて文化的潮流として「脱構築」という、もとの文脈から外してまったく1から作り直す文化運動があったんだけど、音楽で最初にやったのはYMOですよね。
こういうような…カバーじゃないですよ。バラバラにして。
丈司さん: “解体”して新しい物語を作りだす。それは…失礼ですけど、源一郎さんの『日本文学盛衰史』とか読んで、「同じやり方だ」と思って。
源一郎さん: 僕も、今回まとめて聴いてシンパシーを感じたのは、YMOの人たちは過去の音楽をものすごく大事にしてるんですよ。もちろんほかのミュージシャンもそうだって言うけど、YMOぐらい引き出しが多い(のはそういない)…。
丈司さん: この人たちは身にしみてますよね。
源一郎さん: 確か丈司さんも書かれてたかもしれませんが、普通ミュージシャンって、向こうで流行したらアレンジするっていう、「今はやってるものをアレンジする」のはずっとあったけど、「音楽の歴史をさかのぼって、そこから持ってきたものをまったく違うものに変える」のを1つの形にしたのがYMOですよね。
丈司さん: もともと細野さんは、“解体”して輸出していくんだ、ということをYMOを組む前からおっしゃってて、それがYMOで結実すると思うんです。そこに坂本さんというパートナー、音楽を“解体”することをずっとやり続けてきた人が来る。
源一郎さん: 現代音楽とかね。
丈司さん: その2人が集まるだけだとまだ“音楽集団”だと思うんです。そこに幸宏さんという人が来た。「ビジュアルやファッションをどういうふうに見せていくか」を考える人が現れて、初めてイエロー・マジック・オーケストラになったと思うんですよ。

“欠かすことのできない3人” 奇跡の出会い

源一郎さん: 今回まとめて聴いてびっくりしたのが…ビートルズの比較でいうと、ビートルズって結局ジョン(・レノン)とポール(・マッカートニー)のバンド。今回聴いたら坂本龍一・細野晴臣・高橋幸宏って、みんな同じ割合ですよね。1人が欠けてもYMOにならない。
丈司さん: そうなんですよ。
源一郎さん: 僕、Yって坂本龍一(sakamoto rYuichi)のY、Mは細野晴臣のM(hosono haruoMi)、高橋幸宏(takahashi yukihirO)のOっ言ってたの。
藤井アナ: ちょっとこじつけっぽいけど。
丈司さん: すごく拾い集めてますね。写植のように拾い集めてますけど。
源一郎さん: YMOを拾い集めたの。でも、そうですよね。
丈司さん: (本を)書きながら、幸宏さんの存在の大きさをすごく思いました。
藤井アナ: 幸宏さんの存在感というのは、どの辺りに一番感じました?
丈司さん: 重要な曲、たとえヒット曲じゃなくても、「ここでYMOは変わっていった」っていう軸になる曲は、必ず幸宏さんが書いている。あるいは重要な役割を果たしてるんですよ。
源一郎さん: 一番ポップだよね。
丈司さん: そうですね。そしてもちろんボーカリストですし、ファッションを考えたのも幸宏さんですから。ファッション・デザイナーですから。そういう面で外への“マスのイメージ”というんですかね、そういうのを考えたのは幸宏さんだと思うんです。そのバランスがすごい。
源一郎さん: 絶妙のバランスだよね。
丈司さん: 40年間YMOのようなバンドが出てこないのは、この3人のようにバランスと実力両方を持ったバンドはなかなかいないから、と思いました。
藤井アナ: ある意味奇跡だった、ということですか。
源一郎さん: 今から考えるとね。
丈司さん: 本を書くとき、どうしてこのバンドができて、どうしてYMOのようなバンドが出てこないのかを解き明かそうと思って書き出したんですけど、結局それは無理だというか。
藤井アナ: ちょっと悲しい結論に。
丈司さん: 悲しいというか、それだけのことをやったんだ、と。
藤井アナ: 改めてすごさがわかったともいえるわけですね。
丈司さん: 改めてわかりました。
源一郎さん: まったく音楽的経歴が違ってすごい才能ある3人が集まっても、水と油になることがあるじゃないですか。
藤井アナ: 相いれない、というかね。
源一郎さん: ところがこれが有機的に結合しちゃったっていうのは奇跡だった。
丈司さん: ですね。何回も解散しそうになるんだけどしなくて、また次のアルバムを出していくところもすごくいいと思います。

海外で一番ウケた意外な曲

藤井アナ: もう1曲選んでいただいた曲は、2枚目のオリジナル・アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』から、「ビハインド・ザ・マスク」でした。
源一郎さん: これは超名曲ですよね。
藤井アナ: これはどんな位置づけの曲なんでしょうか?
丈司さん: 音色(おんしょく)、音色(ねいろ)がすごく変わっている。シンセサイザーで作られていながら、ローリング・ストーンズのようなロックンロールのリフを使っているところがおもしろいんです。
でも、作ってるころはYMOの中ではあまり評価されてなかったんですね。ワールド・ツアーをやってみると、この曲が一番ウケたらしいんですよ。坂本さんが、「これが世界でウケるポップスの要素なんだ」って、やりながら生身で感じたらしいんですよね。
そして、マイケル・ジャクソンにカバーされそうになったり、エリック・クラプトンがカバーしたりというような世界的なヒット曲になっていく、っていう曲なんです。
源一郎さん: これ、ヴォコーダーの音がきれいなんだよね。
丈司さん: そうですね。ヴォコーダーも大きな要素ですね。

<すっぴん!インタビュー 藤井丈司さん②> へつづく

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