僕の声優演技論 古川登志夫さん①

ざっくり言うと
『うる星やつら』の「諸星あたる」役は試行錯誤の集大成
声優本格デビュー作で先輩たちの「引き算」の演技を学ぶ
2020/06/07 ラジオ深夜便 「時代を創った声・アンコール」古川登志夫さん(声優)

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2020/06/07

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声優やナレーターなど「声のお仕事」のプロのインタビューをお送りしている<ラジオ深夜便>の「時代を創った声」から、2018年6月3日に放送された古川登志夫さんのインタビューをお届けします。代表的な作品『うる星やつら』のキャラクターの演じ方やデビュー当時の苦労した経験など、古川さんの演技に対する考え方に迫ります。


二枚目と三枚目が混在するキャラクターの演じ方

古川さん: <ラジオ深夜便>をお聴きの皆さん、おはようございます。もう起きているという方もいらっしゃるのではないでしょうか。アニメ『うる星やつら』の諸星あたること古川登志夫です。きょうは口うるさいラムがいないからいろんなお話を自由にしゃべっちゃいますよ。最後まで聴いてくれたらうれしいです。ニャハハハ。

――ありがとうございます。改めてご紹介いたします。きょうの「時代を創った声」は声優の古川登志夫さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

古川さん: こちらこそよろしくお願いします。

――古川さんといいますと、今演じていただいた『うる星やつら』の諸星あたる、『ドラゴンボール』のピッコロ、『機動戦士ガンダム』シリーズの数々の役、そして『北斗の拳』『キン肉マンⅡ世』などなど、ご出演していない作品はないのではというぐらい多くの作品に関われてらっしゃいます。
アニメ『うる星やつら』は1981年の放送でした。高橋留美子さん原作。浮気者の高校生「諸星あたる」と彼を愛する宇宙人の美少女「ラム」を中心に繰り広げられるラブコメディータッチのお話です。大人気になった作品ですが、古川さんにとってはどのような作品でしたか。

古川さん: それまでに担当させていただいたキャラクターは、ほとんどが当時人気だった巨大ロボットアニメの主人公やサブヒーロー、いわゆる二枚目の役が多かったんです。ですが、この『うる星やつら』の諸星あたるというキャラクターは一転して三枚目。この作品を機に、こうした役柄が増えていくんです。ひと言でいうと声優としての守備範囲を広げてくれた作品、代表作の1つでしょうか。

――三枚目っぽい役は初めてだったということですね。

古川さん: 役柄の幅というか、転機になったような気もします。

――初めての三枚目を演じられるときに難しかった部分はどんなところでしょうか。

古川さん: 何から何まで難しかったですね。アニメーションについては収録現場のことも分かっていないし、やったこともない。
放送が始まってまもなく音響監督さんに呼び出されました。
「声がキャラクターのイメージに合わないという投書がテレビ局にたくさん来ている。例えば声を変えてみるとか、演じ方を変えてみるとか、そんな工夫できないか?」
と言われたんです。
自分としては自分の持てる力の最大限でやっているつもりでおりましたし、変えるのは難しかろうと思いました。
「暗に、降板させて別の声優さんに変えるという話かな?」
と思って、非常にショックだったんです。降板ではなくて「頑張ってみてくれ」というお話だったんですが。
ところが当時、原作者の高橋留美子先生が時を同じくして、2~3回放送したあとに某アニメ情報誌でインタビューを受けておられた。その中で先生ご自身が、「古川登志夫がやっている諸星あたるの声はぴったりだ。イメージどおりだ」とおっしゃってくださったんです。
話をご存じであるとすれば、「助け船を出してくれていたのかな」という感じもするんです。そうしましたら案の定、アンチファンレターのようなものが来なくなり、そのまま続投させていただけることになった。自分はそう思って、今も高橋先生には感謝しております。
最初はそんな状態でした。

――見ている人はどこが合わないと思われたんでしょうか。

古川さん: それまではアニメがないわけです。圧倒的な人気のコミックスだったもんですから、原作者ファンの方、高橋留美子先生のマンガが好きな方が、お読みなっているときにそれぞれご自身の理想的なあたるのキャラクターの声を想像しておられたのかもしれません。そういうものと全然違う感じだった。原作者のファンの方たちが見てくださったので、「違う!」と。
それを高橋先生、原作者ご自身からお墨付きをいただいた感じになったので、あまりワーワー言われなくなった、ということなんじゃないでしょうか。ラッキーでした。

――原作者の高橋留美子さんが「あたるはこういう声のイメージなんだよ」と。

古川さん: 本家本元の方がそうおっしゃってくださるので、ファンの方たちも「しょうがないかな」と納得せざるをえなかった、と思うんです。

――声優さんにとって、そういうのはプレッシャーですか。

古川さん: プレッシャーですね。1枚のファンレターのご意見にはテレビ局も神経質になるでしょうし、送り手側の皆さんもそう考えるでしょう。
そのときはショックで、それは言い渡されたときには話を伺いながら足がガクガク震えるほど。「せっかくいただいたチャンスなのに、これでもう仕事がなくなる!」とショックを受けましたね。

――足が震えるほど?

古川さん: 足が震えるほどでした。その話を伺いながら、「これは降ろされるということなんだな。また仕事を失う。またアルバイト生活に戻る…」という感じでした。

――なんとか乗り越えて、人気が出ました。

古川さん: 1本目の主役をやったときは、その後に次から次へと仕事をやらせていただけるようになるとは想像もしていませんでした。最初のシリーズは「やっと1本やり終えた」という感じでした。

――新たな境地、転換期にもなった作品なんでしょうか。

古川さん: 初めての三枚目で、「殻を破らなきゃいけない」という感じだったですね。
一例を挙げますと、根が単純でもありますので、「三枚目は、笑ってもらえてナンボだろう」と思って、あらゆるシークエンスで視聴者をくすぐる、笑ってもらう演技を加えて、妙なことを試みたりしたんです。
例えば、浮気現場をラムに発見され、電撃を食らって丸焦げになるシーン。そこから立ち上がるときに、ダメージを受けながらニヤッと笑うような顔になる。そのときの笑いをこんなふうにやってみたんですね。文字に表すと「カカカカ…」とでも書くしかない感じ。
これは原作にないんです。ですが、それをやったらディレクターさんもシナリオライターの方も皆さん「おもしろい」と言う。「古川さんのあたる笑い」なんておっしゃってくださって、多用・多発するようになったんです。そんな工夫をしてみたり、いろいろ挑戦をしてみたんです。

――諸星あたるは三枚目の部分もありますけれど、急にシリアスで二枚目っぽくなったりするキャラクターでもありました。

古川さん: そこが難しかったですね。
1行のセリフの中で、前半は二枚目のヒーロー声でしゃべって後半軟派な感じになる、というのがあるんです。これをディレクターの方は「古川登志夫の不連続の連続演技」なんておっしゃるんです。頭は二枚目で始まるのにそのままいかず、1つのセリフの中で途中から三枚目に変わる。「不連続なんだけど、連続してできちゃう」と褒めていただいたことがあったんです。
具体的に言いますと、右手で女の子の肩を抱きながら二枚目の声で「愛してるよ」と言いながら、その後半のほうで、左の足で別の女の子のお尻に触っている。それで「愛してるよニャァ…」と変わるわけですね。
つながっているんだけど、演じ方は変わる。こんなことができないと、この役は務まらない。ということで、ディレクターがレクチャーしてくださって、「とにかくそれをやりなさい」と。
ところが、絵が急激に変わるもんですから、なかなか変わりきれないんです。一生懸命頑張ってやった記憶があります。

――どなたか参考にされた先輩はいらっしゃいませんでしたか。

古川さん: 軽妙しゃだつな演技をされる、大先輩で大好きだった富山敬さんがいらっしゃいました。『宇宙戦艦ヤマト』の古代進などで有名でしたが、その方の軽妙な役をやられるときはそんな笑い方を結構やられていた。「参考にしていいんじゃないか」と思って、一生懸命聞いてやってみましたね。
本当に富山敬さんに憧れていたんで、雑誌に載っている富山敬さんの写真を見て、サングラスも同じものを買って、着ているブルゾンも同じものを買って…というようなことまでやったくらい。ただの追っかけみたいな気分で憧れていました。

児童劇団で基礎を学ぶ

――古川さんは中学1年生のときに児童劇団に入団された。「子役」と言ってよろしいんでしょうか。

古川さん: まったくの子役上がりなんです。

――どうして入団されたんでしょうか。

古川さん: 田舎にいて、芸能界だとかの話も何もないような生活をしていたわけです。そもそものきっかけというのは、すでに東京に出ていた兄から両親宛てに届いた1通の封書なんです。その中に児童劇団の子役募集のチラシが同封されていて、「登志夫にこんなことをやらせてみたらどうか」と親に打診してきたんです。それがきっかけですね。

――ご実家はどちらですか。

古川さん: 栃木県。栃木県の農家の生まれですので、そんなことは何も考えもしないころですよね。

――お兄さんがパンフレットを送ってこられた。

古川さん: 東京にいたんで、東京の児童劇団のパンフレット。つまり「東京に出せ」というわけですよね。「俺が預かるから」みたいなことまで言ってきた。
それがきっかけ。それがなかったら、今は何をしていたか分かりません。

――ご自身でも「おもしろそうだな」と思われたんですか。

古川さん: そうなんです。1も2もなく、とにかく僕自身が「児童劇団に入りたい!」と飛びついたわけです。
どうしてかというと、当時小学生で、テレビで放映されていたヒーローものの子ども番組をよく見ていたんです。それを参考にして遊んだりしていたので、その番組に出演している子どもたちの顔を知っていたんです。彼らの写真が募集チラシに載っていた。
「こういうことができるのか。自分もドラマに出演できるのか」という夢を信じ込んじゃって、「東京へ出してくれ」と泣いて親に頼んだ。そういう記憶があります。

――東京へ出られて、お兄さんのもとで暮らしながら…ということですか。

古川さん: 親は最初大反対でしたよ。だけど、あまりに僕がしつこく言うので結局はやらせてもらえた。週に1回、日曜日だけ日曜クラスのようなときに通っていけばよかったんで、栃木県から東京まで単身通いました。
小学6年生ぐらいでそんな番組を見ていて、中学生になっていましたから1人で東京へ。毎週日曜日は朝早く起きて通って、レッスンをいくつかこなして、暗くなったら帰ってくる。1年間52回。1回も休まずに行ったんです。
親父は「どうせ務まるはずはないから、すぐに飽きて2~3か月やったらやめるだろう」とたかをくくっていたら、ずっと通い詰めちゃったのでびっくりしたと後で言っていました。

――通って初めての体験もたくさんおありだったと思います。

古川さん: 栃木県は非常に方言・なまりが強い。栃木県・茨城県・福島県辺りはアクセントが直らないんです。まずこれを直す。
カルチャーショックですよ。東京はビルも多いし人も多いし、そして言葉が違う。児童劇団の仲間たちはみんなきれいな標準語を話している。みんな近隣、せいぜい横浜ぐらいから来ている都会の子たち。みんな髪も伸ばしている。自分だけ丸刈りで田舎の少年です。
アクセントを注意されてばかりいて、最初は苦労しました。

――発声・滑舌(かつぜつ)もそこで学ばれた。

古川さん: テレビドラマにたまに出る。しかも端役も端役。
児童劇団ですから舞台公演もやらされました。途中からお芝居に夢中になってやるようになるんです。児童劇団自体は天真らんまん、いろいろやって楽しかった記憶があります。
ただ、児童劇団の子役としては全然鳴かず飛ばずでした。たまに脇役でドラマに出たりしていたくらい。

――だんだん成長されていくにしたがって、ご自分の将来を考えるようになられましたか。

古川さん: 親父は「いいかげん田舎に来て、銀行でも勤めればいいのに」なんて言っていたんです。
「芸能界はその後どうなんだ?」
鳴かず飛ばずもんだから僕も答えようがなくて、
「まあ、なんとかやってるよ。そのうちなんとかなるよ」
なんて言ってごまかしていたんです。
ただ、つらかったのは盆暮れ正月。ある程度年になってくると、帰省したら「お前と同期生はみんな働いて親にも小遣いを置いてくのに、お前はいまだに持ってくか」なんて言う。小遣いはくれましたけれど。
稼げなくてアルバイトばかりしていました。下積みが長かったですね。諦めが悪い性格なんです。

――おいくつぐらいまででしょうか。

古川さん: 僕が食べられるようになったのは30歳からです。仕事は25歳ぐらいからやり始めていました。大学を出てから劇団に入って、少し仕事をやっていました。ですが、28~29歳までアルバイトをやっていまして、やっと仕事がだんだんできて、30歳で主役のアニメをいただいてからアルバイトをしなくてよくなった。急きょ収入が増えてきたんです。
次から次へと、やつぎばやにアニメの主人公や海外ドラマの主人公をやらせていただけるようになって、自分でもあれよあれよという間に忙しくなってきてびっくりしました。

ロボットアニメの主役で本格声優デビュー

――きっかけとなったのが、1976年から放送された『マグネロボ ガ・キーン』という巨大ロボットアニメ。初めての主演。

古川さん: 「マグネロボ」ですから、その名のとおりマグネットで合体するという、今考えると非常に旧式のロボットです。

――『鋼鉄ジーグ』というのもありました。

古川さん: その次の番組だったんですね。
やったことがないんで、「とにかく見学しろ」と。やっと慣れてやったんですけれど、その後自分でも信じられないくらい忙しくなってきてびっくりしました。

――『マグネロボ ガ・キーン』はオーディションだったんでしょうか。

古川さん: そうです。今所属しているプロダクションの社長(当時はマネージャー)が「ロボットアニメの主人公のオーディションがあるんだけど受けてみない?」と声をかけてくださったんですね。すると「決まったよ」とあっさり連絡が来たんです。「主役はお前さんで決まったよ」と。
その連絡には「できるのかな?」とびっくりしました。

――それまでアニメのアフレコはされたことは?

古川さん: 1回だけ。たったひと言「はい」という返事をするぐらいの「男1」「兵士A」という感じです。それも見よう見まねでやっただけ。そんな経験値です。

――いきなり主役はびっくりします。

古川さん: 最初は怖かった記憶がありますね。

――決まったから、やるしかないわけですよね。

古川さん: 連絡をいただいたときはうれしかったですね。電話で連絡いただいたと思うんですが、電話を切ったあと飛び上がって「やった!」という感じですね。「夢じゃなかろうか?」という感じで、何度も飛び上がった。鮮明に覚えていますね。「ほっぺたをつねるような」といいますけれど、そんな感じでしたよ。「本当に俺なの?」という感じでしたね。
とにかくうれしかったです。

――アニメのアフレコの現場は、今までの顔出しの役者さんのお仕事とは違う部分もありますよね。

古川さん: まったく違いました。セリフを収録するときの現場の雰囲気がまったく違うし、マイクワークも全然知らないで、おきて破りのことをいっぱいやっちゃうわけです。先輩から注意されたり怒られたり、大変でした。いつも落ち込んでいましたね。収録が終わると落ち込んで帰る、という状況でした。

――どういう失敗がありましたか。

古川さん: マイクロフォンは3本ぐらいしかないのですが、出演者は12~15人もいる。順番にマイクロフォンの前に立ってしゃべるわけです。
そのときに先輩方が左手で台本を持っていれば左側から入れば、(自分が)入るときに先輩がどくときにぶつかるから、反対側から入る。そんな基本中の基本も知らないわけです。
台本を持ってらっしゃる側から自分も入ろうとする。先輩方は原則どおり台本を持っている側から抜ける。そうするとぶつかるわけです。
「お前さん1人のマイクじゃないんだから、ちゃんと勉強しろ」みたいなことを言われて、先輩方からは怒られた。緊張して硬くなってやっていましたね。

――丁寧に教えてくださる方は…?

古川さん: いらっしゃいました。
「こいつ、落ち込んでるな。主役なのに、こんなに落ち込んでいたらまずいな」と思ってくださったのか、レギュラーで一緒にやっている優しい先輩が、「お茶でも飲みに行こうか」と言って、喫茶店でいろいろ「こういうときはこうやればいいんだよ」と優しく教えてくださったこともありました。
厳しくも優しくもいろんなことで勉強させていただいて、その1本目で学んだことは多かったように思います。

――収録現場でのテクニック的な部分は、回数を重ねるにつれて慣れてクリアしていくと思います。

古川さん: 最初はやることばかりに夢中。先輩方のような力の抜けた演技がいいんですけど、自分は頑張っちゃうんです。「足し算」で頑張ろうとしてしまう。先輩方は「引き算」で余分なことはしない、必要なことをする。「演技巧者」の方がそろっていた。
「自分だけが下手くそ」というプレッシャーがいつもありました。演技巧者、プロという感じの方ばかりでしたので、怖かったですね。スタジオに行くのが憂うつになるくらい、プレッシャーがありました。

――せっかくの初めての主演ですし、やる気があって頑張ろうと思う。そのジレンマはどう乗り越えられたんでしょうか。

古川さん: 「ここで音を上げたら終わりだ。とにかくやるしかないんだ」という思い。それだけですよね。「せっかくつかんだチャンスだから、これをなんとかしなければならないんだ」。長い下積みがあったものですから、渇望していた部分もあるし、夢中にやっていましたね。

――古川さんにもそんな時代があったとはとても信じられないくらいです。

古川さん: 皆さん、最初はそうなるかもしれません。

<僕の声優演技論 古川登志夫さん②>

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