星空届ける。私は「宙先案内人」(前編)

ざっくり言うと
『病院がプラネタリウム』 誕生日の夜空や星座、宇宙を旅するプログラムを上映
「すべての人に星空を」。宇宙を感じてホッとする時間を持ってもらえたら
2019/10/15 ラジオ深夜便 明日へのことば 「星と人をつなぐ」髙橋真理子さん(宙先案内人)

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2019/10/15

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移動プラネタリウムなどを通して宇宙へ人を誘う「宙先(そらさき)案内人」、髙橋真理子さん。活動の中心の「病院がプラネタリウム」では、病院のみんなで宇宙を旅したり火星を投げたり。星と人、人と人をつなぎたいという夢を、“語って”実現させてきた髙橋さんのお話を2回にわたりお届けします。


「病院でプラネタリウム」

――「宙先案内人」、ロマンチックな肩書です。ご自分で考えたんですか?

髙橋さん: 一緒に一般社団法人「星つむぎの村」をやっている共同代表の跡部浩一が考えてくれました。
「星空案内人」という言葉はあって、「星空解説」や「プラネタリウム解説者」というのもあるんですけれども、基本的には「コスモスナビゲーター」っていうカタカナ名があるんですが、地上から見える星空だけじゃなく、その先にある深い宇宙、その宇宙と自分とのつながりというのが自分自身の一番のテーマなので、そこにいざなう意味合いでの「宙先」です。

――活動の大きな柱が「病院がプラネタリウム」プロジェクトです。2014年1月から本格的にスタートして今年で6年目。年々希望する病院が増えているそうですね。

髙橋さん: 最初の年は15件だったんですけれども、25、42、52、80と年々増えて、ありがたいことです。
いろいろきっかけはあって、自分の中にもいろんな思いがあったんですけれども、十何年も前から医療や福祉に関わる親しい友人がいたのにも大きな影響を受けています。具体的には、今も大事なお付き合いをさせていただいている山梨大学医学部附属病院の小児科のお医者様でいらっしゃる犬飼岳史先生と2007年にお会いして、犬飼先生は昔、天文少年で天文大好きな先生だったものですから、「プラネタリウム、やってみたいんですよ」ってお話ししたら「やろう」ということで、二つ返事でやらせてくださったんです。そのときはまだ私は山梨県立科学館での仕事がありましたので年に1回だけっていうぐらいだったんですが、本格的に始めるときも、犬飼先生からはいろいろ口添えをいただいて、いろんな病院に広げることができたんです。

――準備や打ち合わせなど、大変なのではないですか。

髙橋さん: まずはどうやってやるのかが、みんなイメージできないわけです。今は口コミで広がっているので、医療関係者が「これはいいよ」って言ってくださると、新しくオファーしてくださる方たちにも伝わるんですけれども、具体的に何をどうやるかをお伝えしながら、例えばプラネタリウムのドームが入るのか否か、どんな子どもたちがいるのか、行く先々で環境や患者さんの様子が違いますので、1つ1つ、相当打ち合わせをしながら行っています。
ライブであることをいちばん生かす、という感じでやりますが、基本形としては、まずはその日の夜の星空。でも私たち、家の外に出て満天の星が広がる場所に住んでいる人は今やもう少ないわけで、「夏の大三角が見えるよね」とか、一等星なんかを目印にして見ていって、「みんなの力を借りて全部電気を消すことができたら、見えてくるものがあるんだよ」って言って、みんなで目をつぶって、10から0までカウントダウンして、パッと目を開けてもらったときに満天の星になっているという、その瞬間こそがプラネタリウムのだいご味だと私はいつも思うんですけれども。
満天の星空を見て、そしていわゆる星座を見て、「お誕生日の星座」も必ずやっています。みんな誕生日があるので、みんな星座があるわけですよね。どんな人にも誕生日が絶対あるっていうことを強調しつつ、季節によって見えないものもあるんですけれど、でもそれはわざと全部見せるんです、12個全部。自分の星座が見つかると、やっぱりとてもうれしいので。

そして、「星って想像を膨らませてくれるものだけれども、ほんとは星ってどこにあるのかなぁ」とか、「空ってどこまで空なのかな」とか、「宇宙はどこまで広がっているのかな」っていうことを考えながら、「じゃあ、今度はみんなで宇宙旅行に行こう!」って言って地球を飛び出すんです、映像の中で。私たちが使っているのは優れたインタラクティブなソフトで、自分でパソコンのマウスを動かしながらゴォ~ンと本当に宇宙に飛び出ることができて、自由自在どこでも好きな所に行ける。そういうことができるんですね。
「きょうはどこ行こうか? 好きな惑星、言ってみて」って言って、「水星!」「火星!」って言う子もいるし、定型的な感じでは、火星行って木星行って土星行って……、とかやるんですけれども、例えば火星にどんどん近づいて行って、ドームや天井にどんどん火星の赤い表面が近づいてくると、もうみんな「あ~、つぶされるぞ~」なんて言って、その火星をみんなで「よいしょ!」とか言って投げるんです。
自分で何かを動かすのが難しい子たちが、子どもだけじゃないですけれどそういう人たちが、火星を「投げる」という。そういうこともまじえつつ、惑星を旅したあとは太陽系を俯瞰(ふかん)して、銀河系を俯瞰して、宇宙の果てまで行って、遠く遠くを調べていく中で、私たちがいる場所っていうのがどんどん分かってくる。かつ、自分たちの生命の歴史をずっとたどって138億年前の宇宙の始まりまで行ってしまって、そこからずっと空間的にも時間的にも続いて「今」なんだよ、っていうのを見せるために、宇宙の果てのようなところから最後にバーッと地球に帰って行く。そうするとみんな、地球を見たときの、本当になんて言うか、幸福感というのか安堵(あんど)感というのか。

地球に帰って再びそこから星空を見ながら、今度は夜明けまで行くわけです。広大な宇宙にある数千億の銀河の1つが天の川銀河で、天の川銀河の中の数千億の星の1つが太陽で、太陽の周りを回る惑星の中に1つだけ生命の星があって、そこに生命が38億年、リレーが途絶えることなく続いて、今、ここ。「ここでみんなで、星を見たね」って、必ず声をかけて。そして朝になるっていう。
そういうことを20分だったり30分だったり、そんな感じでやりますね。何か常に本当に一体感がものすごく作れるんです。それがやっぱり、移動プラネタリウムのいいところだなって思ってるんですけれどもね。

広大な宇宙を感じてほしい

――子どもさんたちはどういう反応ですか。

髙橋さん: ドームが紺色なんですけど、小さな子どもたちですとワクワクする子もいればちょっと怖がる子もいるわけです。しかも暗い所に入るので最初は「嫌だ」とか「怖い」とか言ってた子が、入ったらもう本当にうれしそうな顔をして……、っていう子はほぼ毎回います。私がお伺いするところの利用者さんや患者さんはいわゆる難病の方たちも多くて、重度の障害を持っている子どもたちだと言葉で表現するのがすごく難しいけれども、ニコニコになる子もいれば足をパタパタさせて喜びを表現してる子もいて、さまざまな方法で喜びを伝えてくれますよね。
プラネタリウムのおもしろいところは、親御さんはもちろんお医者さんとか看護師さんとかボランティアの方たちとか、子どもだけじゃなくていろんな立場の人がフラットになれるってことです。広大な宇宙の中では上も下もなく、お医者さんと患者さんだと、治す・治してもらうという関係性にどうしてもなってしまいますけれど、そういう関係さえも越えて、一緒に口をぽかんと開けて「オ~」とか「ア~」とか言ってるお医者さんを見て、子どもたちが喜ぶ、安心する場面もたくさんありますよね。
看護師さんたちも「自分が夢中になっちゃいました」とか「癒やされました」とか言って、患者さんはもちろんなんだけれども、ケアにあたる人たちの気持ちが広いものでないとなかなかケアに当たれないと思うので、とても忙しく生と死に向き合う人たちにこそ、広大な宇宙の視点というのがあると自分を持ち直すというかホッとする時間が持てるんじゃないかなっていう願いがすごくあるので、医療関係の人や福祉、人の命に関わる方たちには特にお見せしたい思いがありますね。

――やりがいを感じるのはどんな瞬間ですか。

髙橋さん: 毎回ありがたいなと思いながらやってるんですけれども、生まれた瞬間からNICU(新生児特定集中治療室)に入ってずっと病院にいる子どもたちも多くて、そのお母さん方に、その子のお誕生日の星空を見せたりもするんですね。自分の子どもが生まれた日はNICUに入った日で、空を見る余裕なんかもちろんなくて、でも「その日にこんなきれいな星空が輝いていたんだ。この子が生まれてきた意味がやっと分かりました」って言ってくださったお母さんがいたり、難病の子どもが2、3歳になるまでずっと1時間睡眠が続いていて、「誰か私を殺してほしいと思っていたあのときの自分に見せたかった」って言ってくださるお母さんとか、先の見えない重い病気の子を持つ家族にとって、その子のお誕生日を祝うことそのものも先のことを思うとつらいけれども、でもこうやって連綿と続いてきた命のなかで、その子は自分を選んでここに来てくれたんだなって思ってもらう、そういう感想をいただけることがままあるので、本当にまだまだやらないといけないなっていう感じがします。

星野道夫とオーロラに憧れて

――髙橋さんの現在に至るまでのお話を伺いたいんですけれども、高校まではスポーツ少女だったそうですね。

髙橋さん: 小学校のときは全然そうじゃなかったんですよね。中学は器械体操部、高校ではボート部をやって、結構強い学校だったんですよね、全国大会に毎年出るような。その時代に鍛えた体力で今も生きてますね(笑)。
器械体操部の1歳上の先輩にすてきな人がいたんですけれども、「自分のやりたいことは絶対人に言ったほうがいい」「自分の夢は人に語れ。できないと恥ずかしいから、語るのがいいんだ」と言ってる彼女がとてもかっこよかったんですけど、それをやろうと思って、でも当時の私は自分が何になりたいかまだ全然分からなかったんですけれども、やってみたいことを口にする習慣はつきました。

――理系ではなかったんですね。

髙橋さん: そうですね。中学校のときは一番英語が好きだった感じですし、高校に入ってもすぐに理系と思ったわけではなくて、3年生になって理系と文系に分かれたんですが、物理のとてもいい先生に出会ったおかげで物理が好きになって、そこからようやく理系っぽい勉強をし始めた気がします。

――もう1つ、今の道に進むきっかけになった方がいらっしゃるそうですね。

髙橋さん: 写真家の星野道夫さんです。1996年に43歳で亡くなられてしまいましたけれども、いまだに写真も文章もいろんな人たちに愛されてると思います。その星野道夫さんと、オーロラの研究をされている赤祖父俊一先生っていうアラスカ大学の先生(当時 アラスカ大学地球物理学研究所長)が、アラスカの自然、特にオーロラについて話している記事を見つけたんです。4ページぐらいのカラー記事で、オーロラの大きな写真があったわけでもないんですが、大きな自然の中に入ると人は謙虚になると。その中でオーロラの研究っていうものに心がピンと動いて、かっこよさそうだなと思って、次の日に学校の図書館で赤祖父先生の『オーロラ写真集』を早速借りたのを覚えてます。
赤祖父先生の肩書を見て、ちょうど物理が好きになったときでもあったので「地球物理学」という響きもかっこよく感じて。「オーロラの研究は絶対かっこよさそう!」と思って、急にスイッチが入ったようにオーロラについて調べ始めたんですね。進路を考える時期でもありました。ボート部だったわけですけれども、3年生のときのインターハイが北海道の網走だったんです。飛行機から見た北海道の雄大な広がりにまたとても感動して、どれだけ時間かけてもいいから北海道を全部回りたいなと、そのとき漠然と思ったんですよね。そういうこともあって、「北海道」っていうのがキーワードになり、調べましたら北海道大学に地球物理学科があることを発見し、「私にはもうこれしかない!」って思って、そこを目指すことになったんです。

<星空届ける。私は「宙先案内人」(後編)>につづく

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