クレイジーケンバンド横山剣 生涯現役で“イイネ!”①

ざっくり言うと
「悲しみの入り口」「黄昏」「青空の太陽」 作曲は我流のコードで
ノンジャンルの音楽好きに 中古レコード店のバイト体験
2019/07/08 ラジオ深夜便 「芸の道 輝き続けて」 横山剣さん(歌手、クレイジーケンバンド・ボーカル)

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2019/07/08

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クレイジーケンバンドのボーカル・横山剣さんのインタビューを前後編でお送りします!
1960年横浜市出身。中学時代からバンド活動を始め、1981年「クールス」のボーカルとしてデビューしました。輸出貨物の検査官や貿易会社の社員など勤めを変えながらもライブ活動を続け、1997年に「クレイジーケンバンド」を結成。ボーカル・作詞・作曲・アレンジ・キーボードを担当し、「タイガー&ドラゴン」などのヒットを飛ばすほか、和田アキ子さん、八代亜紀さん、平井堅さんなどに楽曲提供もしています。
まずは<ラジオ深夜便 深夜便のうた>として放送中の楽曲のお話から。(聞き手・徳田章アンカー)


音楽の原風景「故郷・横浜」

――6月・7月に<ラジオ深夜便>で放送している「Tampopo(タンポポ)」の風景は剣さんが生まれ育った横浜市の本牧という“港”ですよね。

横山さん: 港湾のあたりですね。産業道路という道がありまして、その道端に排気ガスにまみれて、それでも強く咲いてるタンポポ、みたいな。そういうイメージですね。
子どものときは考えもしなかったんですけど、横浜から東京の事務所へ行く途中そこを通るんですけど、ふと「あっ、そういえばこの辺、この一帯のことを歌にしてなかったな」と思ってですね。そう思ったときに道端のタンポポとか、コンテナとか、貨物船とか、いつも見ている風景がありがたみを増して返ってきた、みたいな感じですかねえ。

――灯台下暗し?

横山さん: あっ、まさにそれです。

――やはり音楽としても原風景は横浜、しかも本牧?

横山さん: そうですね。またそこに帰ってきた感じですね。ずっと本牧じゃなくて、途中、引っ越して18歳から20歳まで東京で生活したりして、逆輸入的に横浜ってこんなだったんだというのを、東京に引っ越してからありがたみが分かったというか、柳ジョージさんの『Y.O.K.O.H.A.M.A.』っていうアルバムがありまして、あれを聴いた途端に「横浜帰んなきゃ」って思って、20歳のときに帰ってきました。

“Aマイナー”は「悲しみ」、“C”は「青空の太陽」

――少年時代は音楽との付き合いはどうだったんですか?

横山さん: 歌謡曲も、演歌も、グループサウンズも、洋楽も、何でもありの時代だったので、ヒットチャートもさまざまなジャンルがベスト10の中に混在しているのはおもしろかったですね。
意識して聴くようになったのは、1968年のグループサウンズのころですね。小学校2、3年ぐらいですかね。

――作曲もなさるわけですが、当時からそういうインスピレーションはあったんですか?

横山さん: なんとなく脳内で鳴っていたんですけど、ちゃんとアウトプットするようになったのは、小学校5年生ぐらいですかね。テレコに録音して。

――テープレコーダーに。自分で歌うんですか?

横山さん: 自分で歌って。
ピアノはなんとなく。本当に稚拙な我流のピアノで、伴奏をつけたりはしてました。

――聞くところによると、誰にも教わらなくてもピアノが弾けたという。

横山さん: そうそう。イメージだけで和音を探して、「C」とか「Aマイナー」とか「F」とか分かんなかったんで、“夕暮れ”とか、“悲しみの入り口”とか名前を付けてました。「Aマイナー」が“悲しみ”で、「E」が“悲しみの入り口”。

――「C」だと、明るい?

横山さん: そうですね。“青空の太陽”とか。「Eマイナー」は“黄昏”みたいな。

――浮かんだメロディーとピアノで、何となくこれは“黄昏”かなあ、とか?

横山さん: そうですね。そういうバッキングを下手なりにやっていましたよ。
5、6年生ぐらいから、わりと曲らしくなってきましたね。頭の中でオーケストレーションも鳴っているんですけど、それを自分で再現できないのがすごく歯がゆかったんですね。もう本当、バート・バカラックとか、映画音楽みたいにしたかったなとか思いながらも、中学のとき、組んだバンドだと5人編成ぐらいなので、ギター、ベース、ドラムっていう音しかないんで、もう頭の中にはストリングスだったりオーケストレーションがあるんですが、思った通りになんないなという葛藤がありました。

――バカラックやフランシス・レイにやられた、それはアレンジでですか?

横山さん: ストリングスのアレンジとか、涙を誘うメロディーラインと言いますか。本当にその映画とともに押し寄せてくるんで、もう受け止めきれないぐらい感動しましたね、映画音楽は。

――『男と女』とか『白い恋人たち』とか。「僕もこうやってアレンジしたいな」と思っていらした?

横山さん: いつも思って、そういう人たちをリスペクトしながら、なかなかそこにはたどり着けないというのは長く続きましたけど。

――今はだんだん近づいていらっしゃるでしょうけども。

横山さん: いえいえ、とんでもないです(笑)。

小学生 “こぶし”に惹かれる

――若いときは葛藤もありながら音楽に取り組んで、情報源と言いますか、「こういう曲もあるんだ、ああいう曲もあるんだ」というのは、例えば、映画を見るような?

横山さん: 小学校のときに、ちょっとお手伝いしてた中古レコード屋さんからタダで段ボール1個分、いっぱいもらってきたやつ、ノンジャンルなんですけど、僕、音楽がノンジャンルになった理由は、このときもらった中古レコードがノンジャンルだったからだと思うんですけど、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」から、「佐渡おけさ」から、オーティス・レディングとかジェームス・ブラウン、サミー・デイヴィスJr.とか、それでバカラックとか。むちゃくちゃでしたね。

――片っ端から聴いていった?

横山さん: そうですね。琴線に触れたものは好きなもの、と。
メロディーがきれいなものもそうですし、歌ものの場合は、こぶしのある歌い回しのものに非常に惹かれて、日本の演歌も民謡もそうですがスティービー・ワンダーもすごいこぶしで、「こぶしがあればジャンル関係ない」みたいな感じにだんだんなっていきました。

――その中古レコード屋さんのバイトは大きかったですね。

横山さん: かなり大きかったですねぇ。だいぶ大きかったと思います。ベーシックになっています。

――そのときにレコードを露店で売ったって話もあるんですけど。

横山さん: そうなんです。その露店で売ってたのが中古レコード。

――「あんたにあげるから好きにしていいよ」ってもらった?

横山さん: 「好きにしていいよ」ってことで。ジャケットも何もなくて裸のままで傷だらけなんですけど(笑)。要らないレコードは、時計にするキットみたいなのが当時売ってたので時計にしたり。

――真ん中に穴が開いてますからね。どうでした、売れ行きは?

横山さん: 結構よかったみたいで、おじさんに褒められて。たまたま母親が通りかかって「あなた何やってるの?」、「見れば分かるじゃん」みたいなことを言って、そしたらおじさんが母親に「この仕事向いているよ、この子は」なんて言ってくれたんですけど。
音楽がなかったら、そんな上手にできなかったと思うんですけど、音楽を媒介にして、何か押し出されるようにしてできたんだと思いますね。

――バックに音楽をかけていたわけではないんですか?

横山さん: 音楽をかけながら、おじさんがやってたのは口上ですね。それを聴かせながら、レコードの上にのっけていくんですけど、だから現代のラップ的な感じですけど、当時で言うと口上ですよね。それをまねしているうちに「お前もやれ」って言われまして。ただそのとき、友達の植木屋さんのお手伝いをしていたんで、「ちゃんと社長に話つけてこい」って言われて、友達のお父さんなんですけど、「ちょっと自分の夢はこっちのほうだと思うんです」という感じでひとこと言って、移籍という感じで。電撃移籍、植木屋さんから(笑)。

「キャロル」に全部持って行かれた

――そのころから、「こんな音楽やりたい」と、バンドに憧れるということは?

横山さん: 6年生のときに、「チューリップ」という財津さんのバンドを見に行ったんです。はしだのりひこさんとか、加藤和彦さんとかが出るイベントだったんですけど、「チューリップ」を見に行ったんですが、飛び入りで出た矢沢さん率いる「キャロル」、これを見て「うわ~!」ともう、全部持って行かれた感じですね。

――「チューリップ」を見に行ったのに、また「キャロル」に、電撃移籍?

横山さん: 電撃移籍(笑)。「キャロル」のなんとも退廃的ながらもギラギラしてる感じに持っていかれまして、それでファンになっちゃいました。

――「僕もつなぎを着てリーゼントにしよう」とは思わなかった?

横山さん: もう、してました(笑)。

――中学生のとき?

横山さん: そうですね。小6と中1の間に知ったんですけど、中2ぐらいから「キャロル」のコピーバンドや、『アメリカン・グラフィティ』の曲とかもやったんですけど、そういうのを混ぜて「キャロル」の曲をやっていました。

――かっこよかったでしょうね。

横山さん: 髪の毛がフサフサしていたんで(笑)。

<芸の道 輝き続けて 横山剣さん②>につづく

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