池澤夏樹×石川直樹 “旅”する生き方①

ざっくり言うと
池澤「日本という国と相性が悪くて出掛けたのが旅の始まり」
石川「その先に島があるか分からないのに移動した人類の不思議」
2019/05/01 ラジオ深夜便 スペシャル対談「そして新時代へ~ぼくたちの“旅”する生き方」 池澤夏樹さん(作家、詩人) 石川直樹さん(写真家)

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2019/05/01

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世界各地を旅しながら作品を生み出してきた“旅する作家”こと池澤夏樹さんと、地球全体をフィールドに活動を続ける写真家の石川直樹さんが、旅への目覚め、共通体験でもあるミクロネシアの伝統航海術などについてお話しくださいます。(聞き手・村上里和アンカー)

【出演者】
池澤さん:池澤夏樹さん(作家・詩人)
石川さん:石川直樹さん(写真家)
村上アンカー:村上里和アンカー


2人の縁を感じさせる旅

村上アンカー: 池澤さん、「文学全集」を編むというお仕事(『池澤夏樹個人編集『世界文学全集』『日本文学全集』各全30巻)、平成という時代最後の大仕事になりましたね。

池澤夏樹(いけざわ なつき)
作家、詩人。1945年北海道生まれ。ギリシャ、沖縄、フランスと住まいを移し、現在は札幌在住。1988年『スティル・ライフ』で芥川賞受賞以来、数々の文学賞を受賞。人と文明、人と自然の関係をテーマに作品を書き続けている。最新刊にエッセイ『科学する心』。2007年から『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』全30巻、『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』全30巻を刊行。まもなく完結の見込み。

池澤さん: なんであんなことしたんでしょうね。あのね、世の中には、これは大変なことだよなと思いながらついつい迂闊(うかつ)に始めちゃうことがあるんです。やっぱり大変だったよなと思いながら、でも始めた以上は先に進むしかない。進んでいくうちに、気が付くと、終わってるんですよ。うまくいく場合ですよ。うまくいかない場合も多々あるけれども。そんな感じでした。
村上アンカー: 石川さんは、20年を駆け抜けてきて自分の人生の半分を振り返られたこの写真集(『この星の光の地図を写す』)、改めてどんなことを思われましたか?

石川直樹(いしかわ なおき)
写真家。1977年、東京都生まれ。2000年、北極から南極まで人力で踏破する「Pole to Poleプロジェクト」に参加。2001年、世界七大陸最高峰の登頂を当時最年少で達成。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まで旅しながら作品発表。土門拳賞受賞の写真集『CORONA』、開高健ノンフィクション賞受賞の『最後の冒険家』など著書写真集多数。今年3月、作品集『この星の光の地図を写す』を刊行。

石川さん: 17歳の時から旅を続けてきて、今まであまり後ろを振り返らずに突っ走ってばかりいたので、たかだか20年ですけど振り返るのは自分にとっても大きな仕事で、今まで気付かなかったことに気付いたり、垂直方向にも水平方向にもいろんな場所に旅してきたなというのを改めて実感する機会になりました。
池澤さん: 昨日夜中に、時間をかけてゆっくり1ページ1ページ見たんですけど、まあ大変な密度ですね。
石川さん: そうですね。ほんとに山から川から海からいろんな場所に行ってきたので、僕自身も忘れていたことがたくさんあるんですけど、写真を見直すといろんな記憶が合体して紡がれて、振り返りっていうのがまた別な旅みたいな感じで体験できました。
池澤さん: 見ていると一緒に旅している気分になります。僕が行ったところもいくつかあったから。
石川さん: いろいろ重なっていますもんね。
村上アンカー: 私は池澤夏樹さんの『南の島のティオ』が大好きで何度も読んでいるんですけども、石川さんの写真集を見て、ティオの世界がここにあるっていうのを肌で感じたというか、今まで物語の中のことだと思っていたものが現実の世界にもあると感じて、ゾクゾクくるものがありました。
池澤さん: あれはミクロネシアが舞台で。僕が初めて日本の外に出て行ったのがミクロネシアだったんです。それで、なんだ、このくらい肩の力抜いてていいんじゃないか、と思ってね。ずいぶん通って、なんべんもいろんな話の舞台に使ったんです。それは本当にお写真にあるような、あの世界。
石川さん: 僕もミクロネシアには何度も行って、その後、ポリネシアの方にまで旅をして、星を見ながら海を渡る伝統的な航海術、ああいうものに強く関心を持って、最初はミクロネシアの小さな島から始まって、そこから人類の移動のルートに沿って、ハワイとかイースター島とか、ニュージーランドとか、ポリネシアの大三角形の中を旅するようになって。それは池澤さんのお仕事のいろんな小説やエッセイにも出てくるし、感化された部分は大きいです。
村上アンカー: 石川さんのおじいさまは、作家の石川淳さん。芥川賞を受賞された作家というのは、池澤さんはいつごろ知られたんですか。
池澤さん: ずいぶん早い段階で、うわさで聞きました。石川淳というのは非常に尊敬する作家であって、一度だけ食事の会でご一緒したことがあるんです。口はきかない。僕は一番末席にいたから。あれが石川さんだなと思って見ながら、ご飯を食べたことがあります。
石川さん: 福永武彦さん(池澤夏樹さんの実父)の本も、うちにいっぱいあって。祖父が集めていたのか、送っていただいていたのか分からないんですけれども。
池澤さん: だいたい送っていたと思います。
石川さん: 書棚に全集が全部ありましたから。そういった意味でも縁を感じましたね。
池澤さん: つながっていましたね。ただ、作家・石川淳とは全く違う方へスタスタ歩いて遠くまで行ってしまったのは、孫の方だから。
石川さん: そうですね。うちの祖父は、江戸に留学したとか言って時間を飛び越えて想像力の中でずっと旅をしてきた人なので。自分自身は自分でただ歩いてきただけなのでね。旅のやり方は違うけれども、っていう感じでしょうか。

日本と相性が悪いので出掛けた旅

村上アンカー: 池澤さんは70代になられた今でも積極的に旅を続けられていますが、なぜ旅に出るんでしょう。
池澤さん: 最近になって分かってきたのは、知らない土地を見る、そこの人に会う、言葉を聞く、食べ物を食べてみる、それが一番手応えのある楽しいことで。だから、生涯を旅で棒にふった道楽者ですよ(笑)。
村上アンカー: 池澤さんにとって初めての旅は、いつ、どんな旅だったんでしょう。
池澤さん: 若いころからできればよかったんだけど、僕は終戦の1か月前の生まれですから、なかなか混乱が残っていた。それから僕の家に事情があって貧乏だったので、ほとんどしてないんです、20歳までは。海外に出たいなと思っても学生の身分で動けなくて。一応勉強もしていたから。20代も後半になってから人に聞いて、ヒョイっとミクロネシアってところに行ってみたわけ。そこから始まって、あとはもう延々とあちこちまわって。もっぱら南の方のいわゆる貧しい国でした。インドとかね。
石川さん: 北のお生まれじゃないですか。でも、南を最初、志していた?
池澤さん: そうねえ。北海道にいると、その北はないんですよ。
石川さん: なるほど。確かにそうですよね。
池澤さん: カムチャツカまで行ってアラスカまで行って、というやり方もあるけれども、ひとまず南でした。
村上アンカー: 池澤さんを旅に目覚めさせたものは、何だったんですか。
池澤さん: あのね、僕、日本という国と相性が悪いと思ってた。だから居心地が悪いし、学校にはなじまないし、友達も少ないし。高度経済成長の熱い感じが嫌でね。どうしようもないと思ってくすぶっていたんですけど、いったん出てみたら、あっ、この手があったじゃないかと。出てけばいいんだと。出ていった先で見たこと聞いたことを書いて雑誌に載せればいい。最初は詩だったんですけれどね、ミクロネシアを書いたのは。

しかし日本語で書いているから、日本とのつながりは絶対に切れないんです。必ず帰ってくるし。全体として、外に行くとその国のやり方を見て日本とちょっと比べる。例えばフランスに行けば、フランスは町並みがきれいである、整っている、雑然とした感じがない。日本はそうではない。なぜかと。これは、どっちがいいかじゃないんです。フランスではこういうやり方をしているよと。規制が厳しくて建物の色だって変えられない、隣と同じような色じゃないといけない。その代わり全体の統一感があるというやり方ですよ、という報告をする。それが1つのスタイルでしたね。
石川さん: 住んで見えることと、旅ですれ違っていく中で見ることは違うんですけど、池澤さんはそのバランスが、お住まいになって長く滞在して見ていることもあれば、旅をして移動しながら見ていることもあって、旅人としては仙人みたいな人で(笑)。普通、旅人だったら、あちこちに行って戻ってくるんだけども、池澤さんの場合はいろんなところにお住まいになっちゃうというところがすごいことで。
池澤さん: 引っ越しちゃうっていうのが、変なことですよね。
石川さん: 腰が重い人はなかなかそういうことができないけど、ちゃんと住んでじっくりものを見るというのは、なかなかできることじゃないと思うんですけど。
池澤さん: だからね、作家にしては僕はほとんど蔵書がないんです、引っ越しが多いから。そんなに持って行けないから最小限にして。今でも次々来る本を新陳代謝してますね。ひととおり使ったら、もういいやと思って手放す。
石川さん: メモが膨大とか、そんなことはないですか。
池澤さん: う~ん。普通に見聞したもののメモというのは発表の目的がない限りあまり書かないですね。忘れないようにちょっとというのはあるけど、そうそう記録を取りながらではなかったみたい。
石川さん: そうなんですか! 僕なんか旅のディテールを忘れちゃうから写真に撮っている部分もあるし、山の遠征とかでは日記を書いたりもするんですけど。いろんなことを人間は忘れていっちゃって、それを思い返しながら、池澤さんの場合だったら小説になさったり。そういうことが、僕みたいな凡人にはなかなか困難というか難しくて。記憶を呼び起こしながら書ける、なんて言うのかな……、慣れてらっしゃるんですかね。
池澤さん: 作家業はみんなそうかもしれないけど、人の名前は覚えない、顔を覚えない、月日を覚えない。だけどエピソードは覚えているんです。記憶の種類が違う。どこそこでどんなことがあった、どんな奴がいてどんなことを話したっていう、その場面がしまってあるわけ。小説書いていて、あっ、あれがあったな、と思って、そこに持ってきてはめ込むんです。それは仕事柄、できる気がする。

20歳で知った垂直移動の旅

村上アンカー: 石川さんの初めての海外の旅は、インド、ネパール、17歳の時でしたが、ここに旅をした理由は?
石川さん: 高校の世界史の先生が元々バックパッカーをやっていて、授業の合間にインドの話をしてくれたこともあるし、アジアの旅行記とかも中高生のころ読みあさっていて。知らない世界に行ってみたいと思うんですけれど、アメリカとかあっちだと旅費がかかっちゃう。インド、ネパールだったら一泊数百円の宿があった。そういうことも全部関連して、高校2年生の夏休みに1か月間、学校には内緒でインドに行ったんです。いろいろぼられたり、だまされたりして、ネパールの方に逃げたんじゃないけれども落ち着きに行って、またインドに戻って、というのが最初の旅でした。完全に1人旅でした。
池澤さん: インドの匂い……。いたるところに匂いがあるでしょ。あれは、いいもんですよね。別世界に来たという気がする。
石川さん: 空港に降り立つとム~ッとして。なんて言うかもう、言葉で言いにくいんですけど……、全部が“来る”感じで。タクシーの客引きに腕をつかまれ足をつかまれ、こっち来いあっち来いとか、おびえる暇もないというか。なんですかね。西に行くのも東に行くのも自分で決める。親のせいにも先生のせいにも友達のせいにもできず、七難八苦が自分に振りかかってくる。そういう状態は、苦しいけどおもしろいことだなと思って。それ以来ずっと、旅をして写真を撮ったり文章を書いたりしてきたんです。
村上アンカー: これまでの旅先で特に印象深いところというと、どこになりますか。
池澤さん: 数限りなくあるでしょう。
石川さん: 池澤さんもそういう質問受けたら困ると思うんですけど、1つに絞れなくて。
村上アンカー: では、ここを思う時、自分の一番の原点を感じる場所というのは。
石川さん: 原点は、僕はアラスカのマッキンリーという山。今はデナリってなっていますけど。20歳の時に初めて登頂したんですが、あの時は高山のなんたるを知らずに高山病にかかって、頭も西遊記のサルみたいに痛くて、気持ち悪いし眠いし足も前に出ないしという状態で、でもなんとか頂上に這(は)いつくばるようにして立って。旅することって水平方向に移動することだと思っていたのが、垂直方向に高さの面でも旅ができるんだ、宇宙に段々近づいていくような、そういう旅もできるんだって思えたのが、20歳の登山でした。6194メートル。あれからもっと世界が広がった気がします。
村上アンカー: 水平だけじゃなく、垂直にも広がっていったんですね。
石川さん: 自分の場合はそんな感覚がその時にありました。

漂流ではなく意思のある旅

村上アンカー: 池澤さんが旅に目覚めたミクロネシアへは石川さんも訪れていますが、特に、スターナビゲーション(伝統航海術)というのは『南の島のティオ』にも出てきますし、石川さんにとっては大学院で研究されたテーマでもありますね。
池澤さん: あれは最初は「海洋博」、沖縄の。あの時に、チェチェメニという船が伝統の航海術、星だけを使う、星と波のうねりですよね。そういう自然情報だけで船を正しく何千キロメートル先のポイントにつけるということを実現してみせて、みんな感心したんです。
村上アンカー: コンパスとか、そういうのを使わないんですよね。
池澤さん: 使わない。星がコンパスなんです。それが広まった1つは、マウ・ピアイルグという大変上手な老人がいらして、そこへハワイからナイノア・トンプソンという若者が教えてくださいって行って、マウにいろいろ教えてもらった。ナイノアはそれを使って実際に航海をして腕をあげて仲間を増やして、最終的には、タヒチからハワイまでその航法で行き来すると。それもたくさん何隻も用意して。それらがほぼ同時にハワイに来るような大きなプロジェクトをナイノア・トンプソンがして、それで広まったんです。僕はチェチェメニも知ってたし、一応、原理も分かるし。あの時、ハワイに通って本を書いていたんです。『ハワイイ紀行』っていうね。ナイノアたちの船がホノルルに入る時に行って彼にインタビューをした。しかし、石川さんはもっといろいろやってらっしゃる。
石川さん: マウ・ピアイルグというミクロネシアのおじいさんに会いに行って、1か月間弟子入りさせてくださいって言って、いろんなさわりを教えてもらったあとに、彼と一緒にミクロネシアのサタワル島という彼の故郷の島まで一緒にカヌーで旅をさせてもらいました。それもまた僕の根っこにある体験で、風がよければ1週間で着くって言われたのに、12、3日かかって。最後の5日間は水がなくなって、雨雲の中にカヌーを突っ込ませてブルーシートに水をためようと言って、本当にブルーシートにたまった水を最後すくいながら飲んだり、大変な航海だったんです。

それでサタワル島に着いたんですけど、着いたら帰るすべがないんですよ。定期航路もないし。あとさき、僕も考えてなかったから(笑)。20歳そこそこのころだったんで。帰り方が分からないからずっといて、衛星電話を持ってるわけじゃなかったから音信不通になっちゃって。そしたら、アメリカからミクロネシアに食料を渡す船がたまたま来て、それに乗せてもらってグアムまで行ってそこから日本に帰ったというメチャメチャな旅をやったんです。
池澤さん: そうまでしてたの!
石川さん: そのあとにハワイにも行ってナイノア・トンプソンに会いに行ったりしたんですけど、いろいろ海のことを調べていくうちに、人類の移動のルートにすごく興味を持ち始めて。ミクロネシアからタヒチ、タヒチからハワイに北上したりして昔は行ったわけですけど、でも最初は海図もコンパスも、その先に島があるかすらも分からなかった。
池澤さん: あれが不思議なんですよ、ハワイは。
石川さん: ですよね。その先に島があるかどうかも分からないのに、島から島へ人類が移動していったことが、僕にとってはすごく不思議で。部族同士の抗争があって追い出されたとか、災害があってその島から出なきゃいけなくなったとか、不可抗力の事実もあったと思うんですけど、必ず中には冒険心で島まで行ってさらにその島から戻ってきた人がいる。そうしないと、その場所を伝えられないですから。海の航海者たちの冒険心、そういったものにすごく憧れて、というかひかれて、いったい、これはなんなんだろうって。それからポリネシアの旅を始めたんです。
村上アンカー: お2人が、伝統航海術、星を読んで航海をするスターナビゲーションに心惹かれたのはなぜ? そこには何があったんでしょう。
池澤さん: それは、意志のある旅だと。漂流ではなくて。それこそ、この先に島があるはずと思って海に出る。ただ、東南アジアの先端からニューギニアあたりまで、比較的点々と島があるんですよね。ポリネシアから先もある程度まとまっています。だから、そのつもりがあれば行けた。しかし帰ってくるには、漂流じゃなく航海術がいった。そうやって女たちを連れて行かないと、そこに社会は作れない。そこは分かるんだけど、一番不思議なのがハワイで、5000キロメートル先でしょ。途中、何もないんですよ。1つの社会がまるまる移住できたわけでしょ。それが分からないんだよね。
石川さん: ほんとに不思議です。岸辺に立って向こうに島が見えたら行きたいと思う気持ちは分かるし、アイランドホッピングをしていって島々に人が移住していくのも分かるんだけれども、ハワイまでは5000キロメートルのあいだに島がないにも関わらず、最初の人たちがどうして行けて、また戻ってきて、そしてまた移住が繰り返されて、今のコミュニティができているわけなんですけども。考えれば考えるほど、おもしろいというか不思議です。
池澤さん: ハワイの人たち、もともとの人たち、ポリネシアもそうだけど、みんな太っているでしょ。あれはね、南の方だから赤道直下だから暑いだろうと思う、そうじゃないんですよ。カヌーに乗って行くって、ずっと波しぶきを浴びているんです。とても寒いの。だから脂肪層が厚くない人は淘汰されて、太る遺伝子が残ったのね。
村上アンカー: がっちりした固太りのイメージがあります。
池澤さん: 小錦の体型ですよ、昔で言えばね。
村上アンカー: 太ってなければ生きていけない?
池澤さん: 島に渡れないということですね。

ミクロネシアでの伝統航海術の旅

村上アンカー: 今日はお2人に1曲ずつ、音楽を選んでいただきました。まずは池澤さんから曲の紹介をしていただけますでしょうか。
池澤さん: 「Hawai'i '78」、歌っているのはイズラエル・カマカヴィヴォオレ。非常に甘いいい声の歌手で、僕は生涯で一度だけ歌手にサインをもらうということをしたことがあって、それが彼でした。
石川さん: さっき話に出たナイノアたちもイズラエル・カマカヴィヴォオレの曲が好きで、よく航海の前にかけていました。
村上アンカー: どんな内容を歌ってるんでしょう。
池澤さん: ハワイ先住民たちが暮らしてきた島に白人がやってきて、結局、とられてしまったと。失われたハワイの土地を嘆く。「ハワイキ」っていうのは理想郷なんですよね、ハワイ語で。そのハワイキはどこにあるか。昔の王様、女王様がよみがえったら、この景色、光景を見てどう思うだろう。嘆くんじゃないかという、詠嘆の歌です。
石川さん: 『ハワイイ紀行』という池澤さんの本はハワイを書いた傑作だと思うんですけど、僕はあの本を読んでから、ハワイ語、ポリネシア語を意識するようになりました。ポリネシアってヨーロッパの3倍以上の大きさがあるのに、ハワイ語がタヒチ、ニュージーランドのマオリのあいだでも少し通じる部分があって、あれだけ広大な海域に言葉が広がっていったのはすごいことだと思っていて。ル・クレジオという文学者が、あのへんの海域のことを「見えない大陸」と呼んでいて、ヨーロッパはあれだけ国境がひかれてたくさんの言語が密集しているけど、さらに大きな海域に同じような言語が広がっているというのが、本当に奇跡的だと思うんです。『ハワイイ紀行』を読んで言葉の問題にも関心を持って調べていくうちに、そういうことをすごく思うようになりました。

<池澤夏樹×石川直樹 “旅”する生き方②> へつづく

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