追悼・白石冬美さん 「“パタリロ!”との運命的な出会い」

ざっくり言うと
ことし2月15日収録、生前最後のロングインタビュー
SKD(松竹歌劇団)から日劇ダンシングチーム、そして声優の道へ
2019/03/03 ラジオ深夜便 「時代を創った声 白石冬美」

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2019/03/03

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先日亡くなった声優・白石冬美さんを偲び、3月3日に放送した<ラジオ深夜便>【時代を創った声】から、白石さんのゲスト回をお送りします。
白石さんはアニメ『怪物くん』の「初代怪物くん」、『巨人の星』の星飛雄馬の姉「星明子」役などで知られるとともに、多くのラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍されてきました。
今年2月15日に収録した、生前最後のロングインタビューです。

【出演者】
白石さん:白石冬美さん(声優)


白石さん: 皆様、おはようございます。“チャコ”こと白石冬美です。今日は「深夜便」にお邪魔させていただいております。すごく楽しみにしてきました。
『怪物くん』をはじめとしてお仕事させていただいているので、そんなお話を交えて楽しく過ごしたいと思います。お覚悟めされ。

――アニメ『怪物くん』の初代「怪物太郎」、『巨人の星』の「星明子」、また『パタリロ!』で、「パタリロ」なども演じられ、多くのラジオパーソナリティーも務めてこられました。
『怪物くん』は1968年のモノクロの作品でしたね。

白石さん: 最初の『怪物くん』なんですけど、私の最初の主役なんです。女の子の主役っていうのはあるんですけど、タイトルになった主役は初めてだった。だからそれはもう舞い上がるほど嬉しくて。しかも、あのシリーズは主題歌を歌わせてもらえるんですよね。主題歌を歌うなんてことは、もう一生やることがあるかなと思ってたから「あるんだ~。」って思って。忘れない。

まず主題歌の録音があったんですよ。で、歌うんだなと思って。「ターンタタンターンタタン俺は怪物くんだ」って。そこが最初からうまくいかなくて。「ターンタタンターンタタン俺は」もう張り切って、「俺は」と言うと、シャーって止まっちゃうんですね。
「あれ? どうして?」って。じゃあ、もっと大きな声でと思って「ターンタタンターンタタン “ン”」って言わなきゃいけないの、本当は。シンコペーションで。それなのに、張り切ってるから「ターンタタンターンタタン俺は」って言っちゃうんですよ。何だろうと思ってたら、そうだ「“ン”(切分音)」を忘れてたんだと思って。「ターンタタンターンタタン “ン” 俺は怪物くんだ」って、やれたんですよね。
そうして、私だけ残されて。まずいところもあったもんですから。もう何度も何度も歌ったら、外が白々と明けてきて窓の外が。それでスタッフの方たちは、みんな青い顔をして。空も青くなってきて。それでも私、全然めげなくて。大体、レコードなんてこんなふうにしてやってるんだと思ってたから全然平気だったんですね。
翌日になって廊下を歩いていたら、取りかかる人が「大変だったんだってね。よく泣かなかったね」っていたわってくださるんですよ。だから本当にお優しいんだなと思いましたね。皆さんね。

――作品自体は、白石さんにとってどんな作品でしたか?

白石さん: ずっと女の子の役をやってましたから、男の子の役もタイトルロールになるのも初めてで。すごい勢いでやんちゃで、本当に個性的な3人の家来を連れて(笑)。でも本当に楽しくて幸せでしたね。その時のこと、忘れられないです。今でもフッと自分が立ち尽くしてた姿が。
初めて自覚したっていうのかな。だから忘れられないですね。その年に『巨人の星』が始まったり、深夜放送も始まったりとか、まとめてきちゃったっていうか。

――一気に仕事が増え出した時期でもあるんですね。

白石さん: いつも「イスに座ってる」ことだけが多かったんですけど。
あ、イスに座ってるって変な話ですけど、声優の仕事って、自分が出てないときはイスに座って出番を待つっていうのがあるから、座ってることの方が多かったのにね、ずっと立ちっぱなしで。立ちっぱなしって疲れないんだなって思いましたね。気分がよくて。
だって座ってたら、一生懸命お芝居して楽しそうにやってるのは、それでひと言かふた言とか。ちょっとした目立つ役でも順番が来なくちゃ立って行けないし、行ったらマイクは人数分ないわけですから、果たして先輩は退いてくれるのだろうかなんて。ドキドキしながら立って行って。
上手に入れ代わって立ち代わってね。まだフイルムだったかな? なんかの時も。ちょっとトチっちゃったりしたらまたやり直しなんてことがあると、本当に責任感じちゃうしね。

でも皆さん、そのころ本当にご親切でしたね。先輩方。教えてくださらないと次の仕事に行けないじゃないですか。だから一生懸命教えて下さって。みんなスクリーンの下に立って「チャコ。ここここ。ここに向かって『さよなら』って言うのよ」なんて言ってくださるんですよ。でも、それじゃあ距離が足りないって私は思いながら、感じはつかめるから一生懸命。本当に、本当にすばらしい先輩たちでしたね。そんなに怒るとかなくて。背中に来ると、ポンって合図してくれて。だから初めて私、うわ~、この世界もすてきな人たちがいるんだなと思いました。

――そもそも白石さんは芸能の世界、少女歌劇に入られて。どうしてですか。

白石さん: 私、本を読むことは小さい頃から大好きで、本屋さんの前では動かなくなる。教えて下さったのがうちのおばあちゃんだったんだけど、大人の本もカナが振ってあるんですよ。漢字に全部。で、それを「ここを読むと大人の本を読めるのよ」って言ったの。“あいうえお”を知ってれば。そしたら読めるじゃないですか。それでもう本のとりこになっちゃって。大人の本であろうと、なにの本であろうが、本って言ったら本屋さんの目から動かない子になっちゃうほど本が好きだった。

――そこからどうして演技の世界に行こうと思われたんですか?

白石さん: 演技の世界に行こうっていうのは、そういういろんなことをやるのが好きだった。ただし、私の場合は何もお稽古ってものをしてなかったんですよ。本は大好きだったし、空想するのが好き(だったけれど)。
私たち家族、引揚者だったんですね。まず舞鶴に引き揚げてきて。そこから中舞鶴。まだうちも引き揚げたばかりだから、歩いて山をひとつ越えてそこからバスに乗っていけばいいからって、西舞鶴の女学校に行って。帰りはバスに乗せてもらってもいいんだけど、私は歩いたんです。最初から。
なぜかっていうと、1人でその田んぼ道、山越えていくので空想する時間がたっぷりあるわけですよ。もうホントにいろんな空想をしながら歩くのが楽しみで。あと、おつかいに母が言ってくれっていうと、すごいうれしくて。1人になるのが好きでしたね。

――その後、芸能学校に通われて。

白石さん: まず、SKDの松竹歌劇を新聞で見て「わたしこれ受けたい」って言ったら、母は心配で「そんなこと」って言ったんですけど。父が「行ってきたら。どうせ落ちるんだから」って。え? 行ってもいいんだ、と思って行ったら、松竹歌劇だったから歌舞伎座がものすごい人数なんです。
(試験は)3日間かけてだったの。みんな稽古してきて、バレエなんかバッてやるんだけど、私本当にやったことない。日舞はちょっとかじったことあるんですけど、そんなきっちりできる方じゃないから、何にもお稽古しないで行ったの。
歌劇団だから「お歌はどの先生に習ってたの?」とか。「やってません」って言って。課題曲と1つ歌うの。そしたらね、その時はうまく歌えたのか意外とよかったんですよ。それでヒョイっと受かっちゃったもんですから、40人。
それで喜び勇んで「行く」って言ったら、父も嫌いじゃなかったですね。若い頃ね。医者になってしまったんだけど。「じゃあ、行っといで、行けば分かることもあるだろう」って、出してくれたんですよ。

そして行ったら、タップシューズちゃんと履いて最初からやるんですけど、やって来た人たちは最初から「タタタンタタタンタタタタタタン」ってやるんだけど、私なんか何にも音なんか出やしないの。足はちゃんと同じようにやってるのに。タップシューズも履いてるのに空中タップなんです。これじゃダメだなって。やっぱり基礎のお稽古って大事なんだなって思いだしたの。
で、夏休みが来て。私、もういっぺんやり直したいって言って芸能学校に転校しちゃうんです。そしたらなんと空中タップだったのが、最初の授業で音が出たんです。たとえ3か月でも4か月でも、やったことがあるっていうことだけで出たんです。だから「音が出るじゃない!」ってタップが大好きになっちゃって。

私は演技科だったんで卒業したら映画の方か、芸術座にも劇団があったから、そこに入りたかったの。なのに、配属されたところが日劇ダンシングチームだったんですよ。不本意だけど、それ嫌だっていたらどこも行くところ無くなっちゃうから(笑)。その時、最後に踊ったのもタップだったんです。
その時、オヒョイさんって藤村俊二さん。あの方が大学生で、その人と組んじゃったんです。そしたらあたしの腰持って、ポーンってあげたりする。タップしながらよ。そうするとね、ものすごくはっきりしてるから「あのさ、チャコさあ、ウエスト太いから持ち上げるの大変だから、後ろの人と替わってくれない」って。「ええ~っ」て言いながらも、後ろの方でもいいやなんて、そんな風だったんですけど。

――本当は演技の方に行きたかったんだけど、ダンシングチームに入ってしまって。

白石さん: いろんな芸人さんや歌手の方たちのショーがあって。小さなショーっていうのが、歌手の方たちのショーで、大きいショーが私たちの夏の踊り、秋の踊りとかだったんですね。だからその時にお稽古したり、映画があって映画を挟んであとお稽古してっていう感じでしたね。

3年目近くなると、やめたくなっちゃう人がいっぱい出てきちゃうので、みんな「なんて言って辞めよう」って言ってね。「引き止められるのよ」ってね。そうすると「お嫁に行くっていうと一番いいのよ」って言って教えてくれたりするんですよ。引き止められた人たちは。
それで、私もそれじゃお嫁に行くって言おうかな、なんて思って。言いに行ったの。決心して。事務所にあがって。「あたし、今回ちょっと嫁ぐことになりましたから」って言おうと、「と」まで言ったら、「はい。御苦労さまでした」って言われたの(笑)。引き止められなかったの(笑)。「チャコは、よそでやったほうがいいよ」なんて言われちゃって。

それから、さあどうしようと思って、また新聞を見たら映画会社が3つ合同で『大タレント大募集』っていうのが出てたの。じゃあちょうど辞めてすぐだし、これを受けてみようと思って行ったんですよ。申し込んで。
そしたらね、すごいオシャレした女の子たち、まぁ~美しい東京の若い女の子たちがいて。加賀まりこさんなんかもいたんですよ、その中にね。最後の14人に残ったんです。すごかったね。約2000人近かったんだけど。
最後で落ちたんですけど。ダメだったんだけれども、その後オーディションがあったんです。喉のお薬のね。お声がかかったんですよ。その時の人に。行ったらみんな紙を持っていらしてて。1人1人入っていって。待ってる間に「あ、覚えちゃおう」と思ったの。暗記しちゃおうと思ったの。で、そらでやったんです。そしたら「あの子がいい」って。それから大特訓が始まるの。ちゃんと係の方がついて、特訓です。それでテレビのアシスタントと司会のお手伝いと生コマーシャル。テレビの方にデビューしました。

――そこが始まりになるわけですね。そこに行くまで長い道のりがあって途中で嫌になっちゃったとは思わなかったんですか?

白石さん: 嫌にはならなかったんだけど、体が嫌になっちゃった。
ある日「女の子は、そんな黄色い目をしてちゃダメだよ」って言われたの。「黄色い目?」って見たら手も真っ黄色だったんですよ。黄疸になってたの。わたしお酒飲まないし、たばこも吸わないんですよ。そうしたら、うちの父は医者ですから「すぐ帰ってらっしゃい」って。肝炎になってたんですね。くたびれて。
忙しかったんでしょうね。本当に道ができかけていたんですよ。ちっちゃな役も付いてて。そんなふうになっちゃったから一度うちに帰って。お父さんが「治してもらわなくちゃしょうがないから」って言うんで。うちの父は、大家(たいか)になっちゃいましたね、肝炎の。でも娘に管を入れたりするのがすごくつらかったらしくて。「もう娘は見ない」なんて言ってましたけど。
約1年休んでた。でも帰ってきたのよ。そしたら、わたしがやってた方は全部塞がってました。本当に、もう塞がっているんですよね。どっこも。

――お仕事がないということですか。

白石さん: そういうことです。だから元のとこに帰ってもしょうがないなって思って、(実家へ)帰ろうかなと思ったんだけど、うちの父が「10年しろって言ったでしょ。10年経ってダメだった時は帰ってらっしゃい」って言って。「10年経たないうちに帰ってきても入れないよ」って言われちゃったの。みなさんが学校を卒業する年まではちゃんと応援してあげるけど、そこから後は自分でやりなさいって。辞めるのも続けるのも自由に。でも、そのかわり自分でやんなさいって言われて。
じゃあやんなきゃいけないんだなと思って、アルバイトを喫茶店でしたりして。それから声がかかるお仕事にはちょこっと出かけたりして。やってたんです。
そうしたら「君は声が変わってるね」って言われて、声の仕事やってみたらって言われたんです。「そうか」と思って。いろんな動いてやるのはしたから、じゃあ、声だけでするのもいいかなと思って。楽そうだって。本を持ってやれるでしょなんてね。

――でも、楽ではなかった。

白石さん: ないですよ。一番最初に行った頃なんて、真っ暗のところへ下りていくんですよ。階段下りてね。スタジオが。専門のスタジオがあって。いらしてる方たちっていうのは、声優っていうよりも、各放送局の劇団でずっと勉強して放送劇をやってきて。
吹き替えってお仕事が始まって、マイクを見たら、自分のマイクなんてどれ?っていう感じでしょ。人数分なんて立たないんだから。さあどうしようと思って。もう見事に最初は二言か三言しかないのに立ってるだけ。お稽古することもなにもないんですよ。今は、みんなお稽古するところがあるから、一応のことを勉強して、それでなおかつまた一所懸命して出てらっしゃるからいいんだけど。だけど、その時の先輩たちがものすごく皆さんやっぱりすばらしくてね。なっちゃんもそうだったんですって。

――なっちゃん?

白石さん: 野沢那智(のざわなち)さん。野沢那智さんも、八奈見乗児(やなみじょうじ)さんていう先輩がいらして、乗児さんに「何か仕事ないですかね?」って言ったら「じゃあ、アテレコやれば? 大丈夫だよ、那智」なんて言われて始めたんですよね。野沢さんは、一番最初に声優さんで出待ちの人が集まるようになったんですよ。録音してるところに。

――そんな野沢那智さんと1967年にラジオの深夜番組のパーソナリティー始められるわけですよね。コンビでずっと15年間続けられたんでしょう。

白石さん: 15年間あって、その後いろいろやったから25年です。

――すごいですね。ラジオの魅力。そこで学んだことだとかありますか?

白石さん: ラジオって、2人だけでしゃべっちゃダメなんですね。何となく、わたしたちが笑ってるときは、向こうの聞いてる方も笑ってなくちゃいけないのと、それから、例えば鳥が飛ぶじゃないですか。画面だと赤い鳥が飛んだ。見てる人は全部同じ1つの鳥しか見てないわけですよね。でも、もし私となっちゃんが「赤い鳥が飛んだ? えっうそ。赤い鳥? 何なのそれは?」って言ってると、「自分の鳥」が飛ぶんですよね。それぞれの頭の中に。それがすてきだと思います。そういうことが。

――想像力ですね。聴いてる人の赤い鳥が大きいかもしれないし小さいかもしれないし。
ラジオの仕事をやりながら、声優として『怪物くん』ですとか『巨人の星』『あしたのジョー』なども入ってくるわけですね。
声優で演じるのとラジオでしゃべる。同じ声の仕事だけれども、違いってどういうところがあります?

白石さん: 本を持ってやるか、全然なにもないところから言葉が生まれてくるってところが。聞いたこととか感じたこととか何でも言っていいっていうとこかしら。
ラジオは、自分のしゃべろうと思ってることをしゃべってるわけだから自由に好き勝手に、それがちょっとウケちゃったりすると嬉しかったりするんですけど、(声優は)そこに書いてあること、そこで語られていることをやっぱり演じるってこと、そこにあることを表現しなきゃいけないわけだから、うまくいかない時もあるしうまくいく時もあると思います。
女の子の方がやりにくかったですし、私は。でも最初から男の子なんか、こんな声だからできっこないって思ってたし、まず女の大人の(役)が来たのが『巨人の星』のときだったのよ。オーディションで男の子の、ちっちゃな近所の子供か何かのオーディションを受けに行ったんです。そしたらたまたま「そういえば、チャコの少し大きい女の人の声って聞いたことないな。ちょっとやってごらん」って言って。「何を?」って言ったら、「明子」って言ったから「いや~私、大人の役はできません」って言ったら、「明子は中学生だよ」って言われたの(笑)。
「できませんなんて平気で言っちゃう人っていない」って言われたの。だけどそんなこと、言って平気だと思ってたのね。本当にできないと思ってたんだと思います。そしたらやってみたら面白いじゃないですか。ずっと面白いです(笑)。

――『怪物くん』は後にカラーアニメになる時は野沢雅子さんが演じられましたけれども、ちょっと悔しかったんじゃないですか。

白石さん: 悔しいって言うよりも、始まるって聞いたときからコレはやばいぞ、と思いました。野沢さんになるって言うようなことじゃなくて。
だから、どんなに大事にしているかってことを分かって欲しいと思いましたね。だけど先生が「そりゃね。いくら原作者だってままならないことがあるんだよ」って。お願いしたわけじゃないんだけど。曲も変わる局も変わる、作るところも変わるってなったらね、いくら大先生だって何も言えないなって(笑)。

マコ(雅子)さんの、すごいすてきなとこはね。「マコ、チャコさんに挨拶に来た」って言ったの。だから私、『怪物くん』のことだなと思ったの。そしたらね、「マコもね、いっぱい自分がやってた、大事にしてた役を人に代わることいっぱいあった」って。「途中まで決まっていて、急に(他の)人に代わったりとか、そういう事情いっぱいあった」。それから、「ずっと大事に大事に自分が育て上げた自信を持ってたお話が、今度は違う人でやるって、そういうものいっぱいあったから、チャコが今どんな気持ちか分かる」って言うの。だから、挨拶に来たときちょっと感動しちゃって。「マコ頑張るからね。チャコの分も頑張るからね」って。
「頑張ってください」って言ったけど、頑張らなくたってできるんだもんな、マコさん。だって、あのセリフのない手を洗う動物(アライグマ)あるでしょ。あれなんかセリフに書いてないのをやっちゃうんですものね。それとやっぱりお芝居から叩き上げているっていう自信もある。すごくね。

――ご自身の気持ちの折り合いはどういうふうに付けられたんですか?

白石さん: 自分が立ち直るっていうか?
とにかく、のりしろが無いとダメだ。キリキリになっていたら、せっかくまた決まりそうな物でも自信がダンってなくなっちゃったりとか、しょげちゃうでしょ。
後輩の指導とかって言われるけど、指導なんて出来ないですよ。一緒にお勉強してるつもりなんだけれど。やっぱり今なおも、いろいろこう、出ていくことって難しくなってるから。悩みもあるしキリキリになって幅がなくなったり、のりしろが無くなっちゃってるなって。やっぱり自分ものりしろがなくなっちゃった時って、本当みんなダメだと思うから、「そういう時はお祈りをするといいんだと思う」って言ったら、「なんて言うんですか」って言うから、「『のりしろ』って言ったらいいんじゃない」って(笑)。とにかくとにかく、自分で貼り付ける場所を作る。

――おまじないで「のりしろ」と言って、自分の中の『のりしろ』を作ると。心の余裕を持つということですね。

白石さん: まあ、そうでしょうね。ないから。キリキリだから。これくっつかないじゃないですか。自分の幅をちょっと、くっつけるところを、ちょっとのりしろを。つきそうなところからつけていけばいいんじゃないって言ったりね。時々、そういうおまじないも役に立つこともあるよって。

――1982年にはアニメ『パタリロ!』のパタリロを演じられることになります。このパタリロ。魔夜峰央さんが原作で、架空の島国の国王パタリロが周囲を巻き込みながら繰り広げるドタバタのアニメです。ちょうど、そのラジオ番組が野沢那智さんとの終了したあとぐらいから。
印象に残ってる作品の1つだというふうに伺っていますが、これはどうしてですか?

白石さん: 事務所に行ってオーディションのキャラを見て「これ受けたい」ってよく言うんですよ。パタリロは絵姿は見てたんですよ。見てると別にすごくやりたいって言うキャラじゃない。南京豆みたいな感じの絵だったから。
そしたら社長が「今オーディションの真っ最中なんだけど、やり手がなかなかいないんだよ」って。「そうなの?」なんて。その時は別にいいやって言う感じだったのね。そしたらだんだん「あのね。あんまり変な子(キャラクター)だから本当にいないんだよ。チャコ受けてくんない?」って言われたの。

――キャラクターがちょっと変わってるからっていうことですね。

白石さん: 本当にやることなすこと変な子なんだ、とんでもないんだ。たから、もう本当にやり手がなくて、っていうの。みんなが断ったらしいの。だからあまりノリ気でもなかったんだけど、そうおっしゃるなら受けさせていただきますって。
行ったら、バーンって音が鳴った途端に、パタリロが、パカンクルクルクルパン!って出てきたの。
私ね、その頃もう、ちょっと図々しくて緊張のあまり台本が震えるなんてことなかったんですよ。そしたら、台本がハッと思った途端にカタカタカタカタと震えたんですよ。その時私ね、「ちょっと待って。私、この子やりたいのかな?」って思っちゃったの。それでやったんですよ。私がやりたくて震えたのか、パタリロがここに降りてきたのか分らないんだけど。

――へえ~。そういうことあるんですね。

白石さん: ビックリしちゃったの。自分でも。

――実際に収録が始まってどうでしたか?

白石さん: 一番最初の収録の時ね。絵がすごいきれいに出来てたんですよ。
それで1回目はね、大きなテーブルにたった1人でチョポンとごはんしてるの。淋しそうに。そんなだもの、かわいくないはずがないじゃないのって。そしてやったら、まず言われたの。「かわいすぎる」って。かわいくっちゃダメなんだよ。かわいくやるなら誰だってできるって言われて。3回目でOKになりました。

本当にもう、台本なんて見てる暇ないぐらいギャグだらけでしょ。出てる人が全員、みんな当時の売れっ子の若手さんたちで。(作品の中に)覆面をしてる親衛隊がいるんですよ。休む時にパッとマスクを取ると、みんなものすごく美男子で。役についてる人たちは、全員そういうキャラの人たちなんです。
時々、このパタリロもすごい美しい男の子になったりする。そうかと思ったらおじさんだったりね。変幻自在だったの。
永井一郎さんが教育係みたいな(役で)。このやりとりが、もうすごいんですよ。台本なんて本当に見てる暇ないの。丁丁発止でね。追っかけ回してやり合ったり、すごい面白かったの。永井一郎さんは、随分かわいがって下さったんだけど、たーっとマイクの前に降りてくると、「へたくそ」って私に言うんですよ。「チャコはへったくそ」って。でもね、言われても怒れなかったよね。下手くそだったんだから。きっとね。
そしたらね、そのパタリロの時にいきなり「あのさ、チャコ。僕は君のこと、大下手くそだと思ってたけどうまいんだね」って言ってくれたの。すごく、うれしかったです。その時。「うまいでしょ! こういうのやらせると」なんて。「のぼせるな」って(笑)。
本当いい先輩たちにも恵まれたしね。声優さんの世界に入って、こんな居心地のいいところはなかったです。

――今振り返ってみて、声優として大切なことって何だとお考えになりますか?

白石さん: そうだな。自分を大切にすることですよね。
一所懸命うがいしたりとか、気をつけたりなんていうような神経よりも、やっぱり時々は傷つくこともいっぱいあるわけですから、私もっと上手にできるはずだったのに、とかね。そういうこともあるし、それから本当にこれだけはやりたいって思ってたものに、入らなかったこととかいろいろ。それは誰にでもあることだと思うけど、でも諦めちゃダメでしょうね。

――声優を目指している若い子たち本当にたくさんいますけれども、アドバイスがあるとしたら?

白石さん: アドバイス? 一所懸命やって、やってることが楽しかったらずっとやってればいいと思う。楽しくなくなった時が終わりです。
だからお稽古なんだけど、ああまだダメなのかなと思いつつも、何とかなんないのかなと思いつつも、幕が下りる時があると思うんですよね。まず降ろしたくないならやっぱりやってなくちゃね。

――幕をまだ開けることができてない子たちは?

白石さん: その方たちは一番辛いよね。どこに行けば幕があるのよって。でも、その為にお勉強できるってことはすごいことだと思うのね。それでみんな下手に続けてないもの。今、私と接してる、一緒にお勉強してる人たちはね。反対に教わっちゃう時あるもん。

――最後に「深夜便」をお聴きの皆さんにメッセージをお願い致します。

白石さん: 夜、お散歩っていうのはいかがですか?
私はお月様を見るのが大好きなんです。真ん丸は特に大好きだけど、段々にいろいろな形に変わって行く時、本当におさまるのはお月様を見に行くことです。だから、外に出てみるとお月様が「いたー!」っていう喜びをぜひやってみてください。

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