追悼・兼高かおるさん③ 「“自分の国のこと”を書けなかった驚き」

ざっくり言うと
2019/01/26 ラジオ深夜便 「深夜便アーカイブス <"世界の旅"から見えてきたこと③>」 旅行ジャーナリスト 兼高かおるさん
自分の国のことを知らなければ、外国を知っても比較はできないし、自己陶冶にならない
旅先で知識や吸収し交流を広げれば国際人

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2019/01/26

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2019年1月5日に亡くなった旅行ジャーナリスト・兼高かおるさんのインタビュー後半です。
31年続いた紀行番組で150か国を巡った兼高さんが痛感したのは、海外で取材するにあたって必要なのは自国、つまり日本の文化や歴史に関する知識の重要性。比較するための基礎がなければ、旅先での比較や発見もうまく見ることができないといいます。その理由を詳しく伺いました。


「天の声」が告げた番組の終わり

――31年間、兼高さんの『世界の旅』の番組が続いたと伺っておりますが、何か区切りになることがありましたか。

兼高さん: 区切ることはなかったんですけどね。
ちょうど30年の時ぐらいでしたかしら、TBSの会長が、「体調が続けば、35年目指してください」っておっしゃってくだすって、「はい」って申し上げたんです。その年に、私の仕事をバックアップしてくだすった方がバタバタと亡くなっていったんです。

――バックアップというのは…。

兼高さん: いろいろ勇気づけてくれたりとか、そういう人が亡くなって、ガックリきましてね。それで、「やめる」って言わないで、「中休み」という意味で「中止を」と言ってしまった。
「2年ぐらい休ませてもらおう」と思いました。「2年ぐらい休めるならば、今までのものを片づけなきゃならない」と思って申し上げたら、やめるっていうことになって。新聞記者会見なんかになって、「あら」と思って。大騒ぎになりましてね。
でも、それがいつも運のいい方向に行くらしくて、「こういう時にはこういうもんだな」と思いましてね。やめました。

――「やめたほうがいい。自分の運なんだ」と思われたのですか。

兼高さん: ほとんど天の声です。「中休み」を「中止」と言ったのも私ですしね。ですから、それは私の思ってもいないことを口に出して。そういうのをチャンスというか…。

――チャンスと捉えたのですね。それまでは、人生の内の何パーセントを海外での仕事に…。

兼高さん: あのころは、人生の半分を使ってましたから。

――それは時間的でしょう。気持ちの上では、もっと高かったのではないでしょうか。

兼高さん: そうですね。寝ても覚めても、『世界の旅』しかなかったから。外国に行って取材して帰ってきたら、整理してナレーションを入れる。資料を調べたり、年中そこでやってましたからね。

――ほとんどの時間を費やして。

兼高さん: ほとんどですね。そして、パーティーも…外国の観光局がたくさん東京にありますでしょ。そういう方たちのパーティーには行くし、お呼ばれも行ってますから。遊ぶのも、それから美容院に行くのも、全部『世界の旅』に関わっていましたね。

――『世界の旅』とともに歩いてきた31年。終わることで暮らしがガラッと変わってしまったのですか。

兼高さん: いや、ガラッとでもないです。片づけなきゃならないのに1つも片づけてないし。「2年のお休みをもらいたい」って言ったのは、その間に片づくと思ったんですけど。いざやめてみたら、いまだに片づいてないです。

――番組が終了してから20年ぐらいですよね。「片づく」というのは、資料のことですか。

兼高さん: 資料が1部屋あります。しかも手書きですからね。自分でも読めないくらいの手書きですし、きちんとしてあれば、残しておいても何かお役に立つかもしれないけれど、私がいなくなる時には焼いちゃおうかな。「これは焼く」「これは焼かない」って分けたいと思いますしね。
それから面白いことに、テレビに出るようになったら、衣装を見てる方が多くて。同じものを着ると手紙が来るんですね。きっと「外国ではどういう服装なのか」「どういうファッションなのか」、そういうものを見る方がいらっしゃるんだと思って。しょっちゅう買うけれど、あんまり何べんも着ない。それがたくさん残ってますでしょ。それをどうしようかな。思い出があるもんですから捨てられないんですね。

――たくさんの物が思い出とともにあふれている。

兼高さん: もう私のうちは、私の寝る所だけが私のもの。あとは物ばっかりで。

――それだけ長い期間1つのことに没頭したら、そうなるのは当然ですね。

兼高さん: いい人生でした。

帰国して日本を学び始める

――最初の海外への旅でアメリカに留学されました。「帰って来てから日本のことを勉強し始めた」と伺いましたが、どうしてですか。

兼高さん: いかに日本を知らなかったか。面白いことに、今も私…若い、と言っても40や50代ぐらいの人たちとお話しても、日本のことを知らないですね。
私も、アメリカに行って日本を知らないのにびっくりしたんです。「これは大変だ」と思った。それと、日本へ帰って来て外国人のガイド頼まれるんです。向こうの方がかえって日本のことを調べてきてらっしゃることが多かったですね。

――それは日本の文化ですか。

兼高さん: 歴史も。文化を語る時には歴史も知らないとダメですね。ですから歴史を知らなきゃいけない。ところが、戦争中の学校ですから、あんまり本当の歴史じゃないことを教わってたみたいな気がします。
アメリカの大学で「留学生は自分の国のことを書け」って言われた時に初めて図書館に行って日本のことを読んだら、習ったこととだいぶ違うんですね。「おかしい」と思いましてね。
そんなこともあって、日本へ帰って来て、日本のことを調べて。外国人と話す時はそれがもとになって、その人の国の同時代のことと比較の話ができますでしょ。

――自分を知ると比較ができます。

兼高さん: 「こんなに自分の国を知らない国民なんているかな」と思うぐらいに、意外に知らない人も多いんでね。
アメリカの大学の時、面白かったですよ。留学生ばっかりのクラスでね。留学生でアジアからは私だけ、日本人だけでしたね。それから中南米が多くて、ヨーロッパも少しいて、中近東がいて。それぞれみんなに書かせるんですね。「自国の文字でいいから書きなさい」って。
まず中南米のほうは横に左から右に書く。そして私の隣を見たら、中近東の人は、右から左に書いていくんですね。クチュクチュッとした全く読めない文字。そうかと思ったら、私は上から下に書いたわけですよ。世界って、文字からでもこれだけ違う。

――理屈を超えてびっくりしますよね。

兼高さん: 何が書いてあるんだか分からないけど、とにかく「自分の国を書け」って言ったら、あれだけさっさと書けるんです。私はさっさと書けなくてびっくりして。そして調べたことがあるんですよ。そんなことで自分の国のことは知らなければ、外国を知るだけでは比較ができないし、自分をちゃんと映して見ることはできない。

――世界に飛び出しても、「ところで日本は」と聞かれて何も知らなかったことはありそうですね。

一人旅で思わぬ誤解をされる

――日本は旅をあまりなさらないんですか。

兼高さん: アメリカに行く前に日本を旅しました。1人で旅をしてますと…当時は女の一人旅なんてあんまりいませんでしょ。しかも私、すごく身軽に行くもんで。
石廊崎っていうとこありますね。あの辺の、ぶらっと入った旅館なんですけど、そこで1人でいましたら、夜、寝床でちょっと明かりつけて本読んでたら、廊下の外で「お客様、下で一杯やってるんで、いらっしゃいませんか」と声が掛かったんですよ。
私、普通なら行かないんですけど、その時なんとなく「はい」って言って、起きて行ったんです。お客様が1人、男のお客さん。それから、宿の番頭さんでしょうね。それと数人だけで。
お客様がギターを弾いてくれて。歌ったりして。飲んで。そしたら宿の方がしばらくしてたら、「この商売をしてますと、自殺する人っていうのが分かるもんです。自殺しなくてよかったっていうことがあるから、考え直すようにしたほうがいい」っていうような話をするんですね。私が、「そうですね」なんて言って聞いてたんです。
翌日になって宿を出る時に、「石廊崎ってどっちの方向ですか」って聞いた。教えてくれたんです。私がぶらぶら歩いてたら、そこの番頭さんがオートバイで追っかけてきて、「私が連れてきます」って。
しっかり手を握って連れてってくだすって、ゴツゴツした岩のところを案内してくれました。「親切な方だなあ」と思ったんですね。
あとで考えたら、女1人が旅に来て、しかも夜は1人で本読んでて。私、あまりうれしい顔してない。悲しそうな顔してるらしくて。そして翌日また1人でぶらっと「石廊崎はどこですか」。だからますます怪しく思ったらしくて。「自殺に来たか」と思ったらしいんですよ。

――止めようと思って。

兼高さん: そうらしい。

――「いらっしゃいませんか」と呼び、送ってくれて、手を握った。

兼高さん: そう。ずっと握ってたの。

――当時は海外に行くどころじゃなくて、国内でも女性の一人旅っていうと、そう思われたかもしれませんね。

兼高さん: 昭和30年代だと思います。
子どもの時も1人で、旅ってことになるんですけどね。1人では出てるんですけどね。

――1人で動くことに抵抗はなかったですか。

兼高さん: 1人の方が好きです。

――小さい時からずっと、そういうふうに自立してらしたんですか。

兼高さん: 「自立」って言えばとってもいい言葉ですけど、私、一緒にいると人に気を遣うんですよ。自分1人のほうが自由だから。

日本は楽ちん!

――海外に行ったあと改めて日本を見て、日本の良さは発見できましたか。

兼高さん: 日本の良さはたくさんあります。「親孝行したい時親はなし」っていう言葉がありますでしょ。そこにいる間は分からない。自分がよそに行って日本から離れて見て、初めて日本のよさって分かるんだと思います。これも皆さんに外国へ行ってもらいたい理由の1つ。日本を外国から見ると、どんなに日本にいると楽ちんだか分からない。

――日本は楽ちんですか。

兼高さん: 楽ちんですよ。都会暮らしの人にとって当たり前でしょうけど、スイッチ1つで電気はつくし、ガスはつくし、電気・水道全部オーケーでしょ。手間がかからないでしょ。表に行けば交通が便利でしょ。自分の車を持つ必要ないですね。
この間友達が電話してきて、「とても物価が高いからアメリカに引っ越したいけども、アメリカに行くと自分で運転しなきゃならないから、それがダメで行けないんだ」って言ってきましてね。アメリカ、例えばロサンゼルスに行ったら、バスなんてほとんど使いませんものね。自分の車でないと。
日本だったら公共の乗り物がどこでもたくさんあります。それに、ほとんど外国からお土産なんかを買ってくる必要はない。何でも日本にありますね。
それから北から南に長い国ですから、四季に恵まれてて、景色に恵まれてて、美しいでしょ。
日本に全部そろってる。大きい国にはありますけど。この国は小さい。アメリカのカリフォルニアくらいの大きさで、全部そろってますし。
食べ物も、日本海側と太平洋側とで違いますしね。何でもあるし。
それでも文句を言う国民ね。だから、外国にちょっと住んでみるといいかもね。

――住めば、みんな良さを発見できて変わりますか。

兼高さん: 長く住んでた人が帰ってきて、「日本がよかった」って言いますね。

――住みやすい国だからですか。それとも、ふるさとだからですか。

兼高さん: 両方でしょうね。友だちのおじさまが、70いくつかまでずっとフランスにいて、こちらで急な用事で帰ってこられて、そして日本食を朝食に食べたら、「これはうまい」って言って。だいぶフランスへ帰るのが遅くなったみたいですけど。

――今、日本は国際化を目指してますでしょう。いろんな意味で。国際人になれますか。

兼高さん: 教育を変えないとだめでしょうね。住まいかたも。

――住まいかたとは。

兼高さん: 昔の日本の家はマナーがなくちゃいけなかったけど、今は…日本間にある机は低いでしょ。若いお嬢さんは、そこに腰掛けるんだそうですね。テーブルの上に腰掛けるなんて考えられないことですけどね。今、日本旅館の方はね。

――今、日本人が海外を巡ると何か気づいて、日本にまた変化をもたらす可能性はありそうですか。

兼高さん: どうでしょうね。ちょっと分からないです。

――旅をするとしたら、どういう旅をしたらいいとお思いですか。

兼高さん: それは人それぞれですけどね。私流に言うならば、吸収してくるほうが…。
旅に行く時は、自分の時間と労力とお金を使ってくるわけですから、それに対する代償として、仕込んでこなきゃいけませんね。知識や、発想力とかね。それから人の交流を広げる。いろいろなものを吸収してくること。

――海外に行って、より吸収するためにはどういう旅をしたらいいでしょうか。

兼高さん: それは行ってみれば分かります。わざわざ人から言われなくても、自分で見つけるんです。

――「おもしろがる」という意味ですか。

兼高さん: 見るところから始まるんです。よく歩くこと。

――定められたルートだけではなく。

兼高さん: 時間が限られているでしょうから、限られたルートでもいいです。頭を働かせていれば、いろんな吸収ができます。
とにかく見ること。「百聞は一見に如かず」。

追悼・兼高かおるさん④へ続く

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