追悼・兼高かおるさん② 「旅は“若さの泉”」

ざっくり言うと
2019/01/25 ラジオ深夜便 「深夜便アーカイブス <"世界の旅"から見えてきたこと②>」 旅行ジャーナリスト 兼高かおるさん
「よその国も日本みたいだと思っていたら大間違い」
自分の国、似たような国と比較すると、本質が見えてくる

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2019/01/25

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引き続き、2019年1月5日に亡くなった旅行ジャーナリスト・兼高かおるさんのインタビューをお送りします。現在のように情報が容易に手に入らなかった時代、兼高さんは現地に赴いてから「何を撮影するか」決めていたそうです。自身の目で確認しないと気の済まない、兼高さんのジャーナリストとしての気骨がうかがえます。


行きたい国に行けた旅番組

――世界を回る番組ができて、番組のタイトルにも『兼高かおるの…』と付きました。

兼高さん: 私は自分の名前を使うのも嫌だったし、画面に出るということでなくて作りに出たんですね。

――最初は出るつもりはなかったのですか。

兼高さん: 今まで1000本近く作ってますけど、初めのころに全然出てないのは2本あります。
視聴者から手紙が来て、「出てた方が、親しみが出る」っていうので、ちょこっと出るようになったんですけどね。初めは出たのは物のサイズを見せる時。大きな木がありまして、「大きい」って言っても、それだけ映していても画面じゃ分からない。そこに私が入れば、サイズの差が出ますね。そういうような出方はしたんですね。

――世界の旅の番組は、どこの国に行くのをどなたが決めるんですか。

兼高さん: 私。スポンサーが…もうなくなりましたけど、パンアメリカン航空ですから、その飛行機の飛んでるとこに行きます。ほとんど世界中に行ってましたから、どこへでも行けたっていう感じです。

――ということは、兼高さんの行きたい国に行けたんですね。全く知らない、初めての国に。

兼高さん: ほとんど初めての国です。

――どのくらいの情報を仕入れて行って、どういうふうに番組作っていらしたんですか。

兼高さん: まず日本で、日本語で活字になっているのは読みます。でも、これは既に古いものです。テレビはわざわざ撮りに行く以上、現在を知らせなきゃいけない。そうすると、活字になっているものは、ほとんど古いですね。だから、それは知識としてあるだけで、コピーみたいなことはしない。
例えば、アフガニスタンに行くとしたら、アフガニスタンという国の大体のことは調べていきます。でも、「何があるか」は大抵書いてないですから、行ってから聞くわけです。聞いてそこに出かけて行って。
まずいいガイドを選んでもらいますね。でも、選んでもらうと言ったって、どんな人が来るか分からないけれど。大抵いいガイドでしたね。
とにかく、こちらが女でしょ。ですから、言うことを聞いてくれます。相当むちゃな事でも聞いてくれます。「一晩で行けない」って言ったら、「一晩で行けなかったら、途中はどこで泊まるんですか」って聞いて、話を進めていくわけですね。

――向こうの国に行ってからいろんなことが決まっていくのですか。

兼高さん: そうです。

――度胸のない人だったら、ドキドキしたり震えちゃったりしたでしょうね。

兼高さん: そんなに怖いもんじゃないです。自動車事故なんていうことがありますけど。それはそれなりに処理できるし、人間って、何かにぶつかっても処理できるもんです。

――困った事はありませんでしたか。

兼高さん: ちょっと思いつかないです。

――向こうに行けば、なんとかなってきたのですね。

兼高さん: 例えば、アフガニスタンの話をすれば、見たことのないような岩山の間や、舗装もしてないガタガタ道を行くと、それなりに撮影するものが何かあります。

――その場で、兼高さんの感覚で面白いと思ったら「止まって」って言って映す。こういう感じですか。

兼高さん: そうです。

――だから、あの番組は生き生きとしていたでしょうね。英語だけじゃなく、世界各国さまざまな言葉でしたけれど、言葉で困った事は…。

兼高さん: 当時、私はアメリカの大学でスペイン語をやってましたし、アメリカに行く前には、スイスのホテル学校へ行くつもりでしたから、フランス語も習ってましたし。役に立ちました。今はみんな忘れましたけど。

日本と同じ国は1つもない!

――いろんな国へ行かれましたが、一番思い出に残っている国はどちらですか。

兼高さん: 「一番」っていうものはないですね。それぞれの良さがありますから。

――印象的な国はありませんか。

兼高さん: それぞれあります。非常に外交官的な返事ですけど、事実です。

――「日本と違う」という、対極だと思う国は。

兼高さん: ほとんど違いますね。

――全部、どの国も。

兼高さん: どこも。日本は外国にもっと人を出さないといけない。よその国は日本みたいだと思ってたら大間違いです。
私もたくさん習いましたね。ユーゴスラビアって国がありましてね。そこに行って説明された時に、「我が国は、1つのユーゴスラビアである。そして、2つの文字がある」。キリル文字とアルファベットみたいな文字。それから、「3つの宗教がある」。イスラムと、それからクリスチャン…カソリックとギリシャ正教ね。
そうやっていくつも違いを言われたんです。もう1つ驚いたのは、「6つの共和国がある」って言われたの。私は1つの国だと思ったら、6つの共和国がある。今は7つですけどね。
かつては6つを1つにしたんです。共和国のまま1つの連邦になってる。こういうのは日本では考えられなかった。
まず、日本は日本語だけですね。宗教はいくつもありますけども、日本ではお互いに邪魔をすることはないですね。文字も1つ。日本中同じニュースペーパーが行きますし、ラジオで話しても同じ日本語が日本中に行きます。
これが当たり前だと思ったら大間違いで、スイスだって4つのディファレントな公用語がありますね。インドなんかは、お札に十いくつかの公用語が書いてあります。それを見たら、「ほかのことでも、違うのはたくさんある」と思わないと。種族が違うこともたくさんあります。1つの国という中に100も違う種族がいる。お互いが話できない。それも1つの国。
こういうことは、行ってみないと、分からなかったことでしたね。

――日本で常識だと思われていることを、そのまま持っていってはいけないのですね。

兼高さん: そういうことです。ですから、見に行ってもらいたい。自分の目で見て、自分の肌で温度を感じてもらいたい。今の若い方が出かけないのは非常に残念で、日本の将来が心配です。

――いろんな雑誌やテレビで見たりするのと、実際に足を踏み入れるのとでは違いますか。

兼高さん: 違います。私の番組は、私の目で見たもの。でも今、あなたがいらしたら、違うことをお感じになると思うのね。「自分で見たその国」を知ってもらいたい。自分で感じるんです。感じるということで、発想がわきますよ。
日本の若い人たちが特に行ってくれれば、よその国で、「あれもない」「これもない」っていう時に、「ここにこういうものを作ってやったらいいんじゃないか」っていう発想があるかもしれませんでしょ。お役に立つことはたくさんできると思うんですよね。

――向こうを知るのではなくて、自分が見えてくる。

兼高さん: もちろんです。それも大きなメリットなんです。外国に行ってから日本を見る。

――知らないことだらけですから、知るきっかけを兼高さんに作ってもらったと思います。「ほかの国では、こんなものを食べてるのか」とか、市場がとても面白かったですね。

兼高さん: 市場は、一番庶民の詰まってるところですね。食べ物がありますでしょ。どういうものを食べているか。それから衣装。普通の人、いわゆる一般の人たちの衣装が見られますでしょ。
国によっては、市場に女が来ないで男が買い物に来てるんですね。アラブ、いわゆるイスラム系のところね。イスラムといっても、全部同じじゃないんです。イスラムの国は、中近東にいくつもありましてそれぞれ違うんです。

外国に行って日本と比べることが大事

――そういうことは、行けば分かるのですか?

兼高さん: 行って比べるんです。まず、自分の国と比べること。中近東に行っても、1つの国とほかの国を見て、同じイスラムでも比べてみるんです。比べれば差が出てきます。

――それを積み重ねると、いろんなものが見えてくるのですか。

兼高さん: そうです。今でもホテルに行くと、いろんなところを全部検閲します。どういう造りであるとかね。まず室内の壁から、天井から床から、全部調べて。このごろのホテルって、すごくいいですね。一時は一流でも、同じようなホテルばっかりでした。このごろはすばらしいホテルがいっぱいできてきました。

――それは「個性がある」ということですか。

兼高さん: そうですね。比較は重要なことですね。

――「31年間世界を巡っていた」。後半では、受け止め方や旅の仕方が変化しましたか。

兼高さん: 最初はプロペラで行きましたからね。東京から香港へ、お天気が悪いと9時間もかかったんです。でも、その最初の旅行で帰ってくる時、香港から日本は3時間半でしたよ。
初めの旅行は、110日くらいなんですけど、その間に世界は変わっていく。ですから、この『世界の旅』を31年やってる間、同じ国に何べんか行ってます。そこもどんどん人が変わっていくのが見られます。
例えば、ネパールに行った時、ほとんどは民族衣装ですね。2度目に行った時は、ガイドから、「今度来る時には、ジーンズをお土産に持ってきてください」って言われました。それだけ変わりましたね。「お土産を持ってきてください」と言うだけでも変わってるのと、「ジーンズを持ってきてください」。いかに服装が変わってきたか。同時に考えも変わってきてますから、新しい世界を知るのには常に見に行ってないとだめ。

――人が交流するようになると、均一化してくることもあるのですか。

兼高さん: 均一化というか、どんどん若者に…日本なんか大変な変わり方ですけど、大体こんなもんですね。香港でも昔は、ほとんど女性は中国のドレス。今はおそらく皆無ですよ。何年か後に行った時も、どんどん減ってきてしまって。とにかく見ただけでも変わる、それと同時に考えも変わってきてましてね。
アモイに行った時に、びっくりしましたけど、女性も働いてる。そして、結婚しても一緒に住まない。というのは、お料理を作る時間もない。旦那さんの面倒を見ない。だからウイークエンドだけ一緒になるんです。すごい飛び方ですね。びっくりします。
我々のガイドが、女性で27歳なんですね。まだ1人者で。もう自分の家は買って持ってる。「じゃあ、旦那さんは?」って言ったら、「旦那さんはまだいらない」って。自分の友達は、働いてるのが優先だから旦那さんはウイークエンドだけ一緒になる。「日本もこうなるのかな」と思いましたね。

――世界中が動いている時代に、各国を見てらした。その変化を肌で感じてらした。変化を見ていると、この先が読めるのかなという気もします。

兼高さん: そういうこともありました。行ってないと途端に目が曇ってきます。行ってると先が見えてくるんですけどね。『世界の旅』をやめて20年ですから、随分と疎くなりました。

――今でも世界へは。

兼高さん: 行きますけれども、もう「取材の目」じゃないんですね。残念ながら、同じ人間じゃない。

――今は、のんびりとした海外旅行ですか。

兼高さん: そうですね。それでも、一所懸命見てるつもりなんですが。前のようなことはないですね。

――日本と違うから、全てがびっくりの連続。

日本式のマナーでも分かってもらえる

――日本にはいろんなマナーや習慣がありますが、そのまま持っていくと海外で大失敗するとよく言われます。いろんな国の方と話をするコツは何ですか。

兼高さん: 幸いにして、私は欧米のマナーも知ってますよね。それと日本のマナーも…昔の女は日本のマナーをちゃんと習いますから。
マナーのない国ってあんまりないんですよ。「マナーがない人」はいますけどね。マナーのない国っていうのは、例えば発展途上国という名前を文明国は名付けるけども、彼らにも彼らのマナーと秩序がありますからね。そういう所の人たちは、我々の日本のマナーを見た時に分かってくれる。

――それぞれが自分の国のマナーでも、お互いに尊重し合えば通じ合うことができるのですか。

兼高さん: 例えば、人に会った時、私たちは簡単にお辞儀しますね。これはまず、相手の人が自分に対して尊敬の念を表してくれてると思いますわね。それから、私はあまり人に触ったり触られたりするのが嫌いなんですね。それで私は両手を合わせます。握手をしないで、両手を合わせて拝む格好。これはタイとか、あの辺の国がやります。非常にいいと思って、私はあれを使うんですね。これも相手の人は悪く取らないです。

――海外をたくさん回ってほかの国の方とコミュニケーションを取るコツは、「あなたの国とは違うけれども、私は尊重する」ということでしょうか。

兼高さん: コツっていうものはない。自分が持ってるもので行くほかないですね。
欧米諸国であれば簡単ですよね。欧米のマナーぐらいは今はご存じでしょうし。そうじゃないような国に行った時は、日本のマナーは非常にいいですね。

――日本のままでよろしいんですか。

兼高さん: よほど悪いお行儀の悪いのはだめですよ。ですけど、日本でちゃんと教わったマナーであれば大丈夫です。「日本のまま持っていっちゃいけない」のは、マナーじゃないもの。例えば…「おそばを音を立てて食べるもんだ」って言うけど、「いい」という所もあるかもしれないけれど、私の知ってる限り、あまり音は立てないですね。

――兼高さんは著名人のインタビューをされたり、常に堂々とエレガントに振る舞ったりしてらっしゃいましたが、海外をたくさん回ってきて身につけたものですか。

兼高さん: そんなことはないですね。偉い人のほうが腰は低いです。偉くない人のほうがそっくり返ってます。
例えば、日本の会社に行って、そんなに上の人じゃない人に、「あのー、どなたかに会いたいんです」って言った時に、「こっち行って、あっち行って、こう行きなさい」なんて簡単に座ったまま説明するかもしれない。ところが、そこの社長に会うと、私が帰る時にはエレベーターのとこまで、あるいは玄関まで送って行きます。そのぐらいの差があります。偉い人ほどそんなもんです。

――兼高さんにとって、旅とはどういうものでしたか。

兼高さん: 旅は若さの泉、自分発見。自分の分からない細胞を生かしてくれますね。

――兼高さんの若さの秘密は旅にあったのですね。ありがとうございました。

兼高さん: ありがとうございます。

追悼・兼高かおるさん③へ続く

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