音楽療法士が米国で聞いた最期の“告白” 佐藤由美子著『戦争の歌がきこえる』

ざっくり言うと
ホスピスで日本人を前に語り始めた患者たちの記憶
「日本兵を殺した」「憎しみはない」「忘れないでくれ」
2020/10/25 マイあさ! 著者からの手紙 『戦争の歌がきこえる』佐藤由美子さん(米国認定音楽療法士)

文学

2020/10/25

放送を聴く
2020年10月25日(日)放送より

記事を読む

アメリカで聞いた第2次世界大戦の退役軍人の体験などをまとめた『戦争の歌がきこえる』。著者の佐藤由美子さんは音楽療法士で、きっかけは勤務先のホスピスでした。人生の最期に吐き出された思いをどう受け止めたのか、佐藤さんに伺います。


日本人を前に思わず「実は……」

――佐藤さんは音楽療法士としてアメリカのホスピスで勤務していた際に、偶然、患者たちの戦争体験を聞くことになりました。なぜ彼らは佐藤さんに苦しい過去を語ったと思いますか。

佐藤さん: 私が日本人であったことが大きかったと思います。
私が働いていたオハイオ州のシンシナティという場所は、日本人がそんなにいないところなんです。彼らは日本人と接することってあまりなかったと思うんですね。もちろん、ホスピスで日本人に出会うとも思っていないわけです。なので、私が日本人だと分かったときの彼らの最初のリアクションは、ショック、驚きなんです。それと同時に、「実は……」というふうに戦争のことがすぐに出てきた。やはり人間は人生の最期に過去を振り返りますから、日本人が目の前に現れたことによって、それを吐き出すというか、それを表現するきっかけになったとは思います。

――佐藤さんのプロフィールを紹介します。米国認定音楽療法士の佐藤由美子さんは1977年、福島県生まれ。アメリカ・バージニア州立ラッドフォード大学大学院音楽科卒業後、オハイオ州のホスピスで10年間、音楽療法士として勤務しました。2013年に帰国し、日本国内の緩和ケア病棟や在宅医療の現場で音楽療法士として活動したあと、2017年に再びアメリカに渡り、現在はアメリカで執筆活動などを行っています。

「僕は日本兵を殺した」

――この作品に登場する人物たちは、すべて末期がんの患者でした。
まず、太平洋戦争中にサイパンで日本軍と戦った79歳の男性、ロンです。ロンは佐藤さんが日本人だと分かると、「僕は日本兵を殺した」と言い、泣き出したそうです。佐藤さんは今、この光景をどのように記憶しているでしょうか。

佐藤さん: 彼と出会ったのは、私がまだ音楽療法士になりたてのころだったんです。2003年でした。「自分は日本人を殺した。本当に申し訳ない」と言って泣いたんです。50年以上前に起こったことなのに、きのう起こったことを話すかのようにして彼は言ったんですね。それくらい彼の感情は生々しいものだったので、すごく驚きました。

「忘れないでくれ」

――そして、フィリピンで日本軍と戦った80代のユージーンです。ユージーンは、戦友を日本兵に殺されたと告白しますが、日本に対して怒りはないと言っています。戦後、占領政策で広島に住んだこともあるユージーンは、戦争前、日本人はアメリカ人とまったく違うと教えられていたが実際にはそうではなかった、そして「日本兵は命令されたことをやった。それは僕らだって同じだ。それだけのことなんだ」と佐藤さんに話しました。発言を聞いて、どんなことをお感じになったでしょうか。

佐藤さん: 彼は広島の焼け野原を見て、それからしばらく日本にいたので、日本人と接することがあったんです。日本という国を、少し見る機会もあったそうなんですね。その中で感じたことというのは、「憎しみはない」と。それははっきりと言いました。そして「I love Japan」。僕は日本を愛している、その気持ちも本当のものなんだなっていうのは、強く私の中にも伝わってきたんです。
そして彼は最後に「忘れないでくれ」と私に言ったんです。その言葉がずっと残っていますね、私の中に。お別れをするときに「Please don't forget」と言ったんです。それで私の手を強く握って、目には涙がいっぱいになっていて、それ以上何も言えないという状況だったんです。
しばらくその彼の目を見ていて、私はすごく強い感情を感じたんです。私が受け取ったのは「自分のことを忘れないでくれ」ということではもちろんなくて、第2次世界大戦で起こったこと、ですね。どういったことがあったのか、それを忘れないでくれ、そこから何か学んでくれということだったんじゃないかなと思っています。

「死にゆく準備はできている」

――90歳のウォルターは七十数年前、ドイツと対峙するイギリスに駐屯していました。ウォルターは戦友が乗った航空機が墜落するのを目撃したそうですが、実はその航空機には当初、自分も乗る予定だったそうです。九死に一生を得た彼は、佐藤さんに「I'm ready to go home」と語りましたが、佐藤さんはこのときのウォルターの気持ちをどう理解されたでしょうか。

佐藤さん: 「home」というのは「家」という意味ですけれども、比喩的に「天国」という意味なので、「死」を指していることもあるんです。なので彼が「I'm ready to go home」と言ったときは、彼は死にゆく心の準備ができているのだろうなと思いましたし、彼にとって死というのは恐ろしいものではなくて、むしろ待ち望んでいるものだったのかなと思いました。その戦友は他界していますから、天国があるとしたら、そこにいると考えた可能性はありますよね。
彼はずっと航空機の模型を部屋に飾っていたんです。それは仲間と一緒に整備した航空機だったので、仲間の思い出が強くあったと思うんですね。それをずっと近くに置いていた彼の姿だったり、戦友の話をする彼の目というのは、すごく印象に残っています。

歴史を学ぶさまざまな視点

――佐藤さんは70年以上前に終わったとされる戦争を、今も続いている、とお書きになっています。では、この戦争を終わらせるためにはどうすればいいとお考えでしょうか。

佐藤さん: 戦争を経験した人にとっては一生終わらないものだと思います。私たちにできるのは、その教訓から学ぶこと、ですよね。ことし亡くなったアメリカの公民権運動家のジョン・ルイスは、亡くなる前に、「歴史を勉強して、その教訓から学びなさい」と言いました。歴史をしっかり学べば、過去の教訓を役立たせて今日の問題を解決することができるんですね。逆にそれを行わなければ、過ちを繰り返す可能性があるわけです。
忘れられてきた記憶、もしくは私たちが向き合ってこなかった記憶、向き合いにくい記憶。そういうことにも向き合うのが、本当の意味での歴史を勉強するということだと思いますし、私が日本で生まれ育って学んだ太平洋戦争というのは、あくまでも日本側から見た出来事だったと思うんです。でも、第2次世界大戦というのは当然、世界を巻き込んだ戦争でしたので、さまざまな視点があります。それらの視点を知らなければ、やはり全体像は見えないと思うんですね。
歴史を学ぶというのは、自分たちの視点、日本の視点から見るだけではなくて、日本の外の視点から見ることも大切だと思います。

「ムチでたたいていたのよ」

――佐藤さんは後半で、彼らの体験を忘れないためにはどうすればいいかについて、多くのページを割いています。今、忘れないために大事なことは、どんなことだとお考えでしょうか。

佐藤さん: 例えば、本の中で書いた1人は、満州で終戦を迎えた女性です。青森の病院で出会った患者さんでした。彼女は、満州から引き揚げてくるときの悲惨な記憶もあったんですけれども、それと同時に、満州に住んでいるときに日本人が満州の人たちに対して行っていたことを私に語ったんです。「動物以下の扱いをしていたのよ」「ムチでたたいていたのよ」って、言うんですね。それを話しているときの、彼女の顔ですよ。すごくつらそうな顔をしているわけです。
恐らく、それまであまり人に話さなかったし、話せなかったことだと思うんですね。要するに、あまり向き合いたくない記憶っていう現状があったんじゃないかなと強く感じました。

――それをわれわれは聞いて、向き合わなきゃいけないんですね。

佐藤さん: それを経験した人たちはもうほとんどいませんけれども、事実は事実として、本に書かれていたり、映像もないわけではないと思うんです。さっきの話ともつながりますけれども、自分たちにとってよくないことは、知りたくない、居心地が悪いというのはありますし、私自身もそれはもちろんあります。けれどもそういったことを真剣にやらないと、今の私たちの責任を果たせないんじゃないかなと思います。
私自身も第2次世界大戦に関して、あくまでも日本人の視点しか持っていなかったので、ここで書いた患者さんたちとの出会いを通じて、初めて違う角度から見ることができたというのは、すごく大きかったんです。アメリカ人のことを知ったのはもちろんあるけれども、結局は自分自身、そして自分が生まれ育った国について、深く理解できたと感じました。

放送を聴く
2020年10月25日(日)放送より

Recommended Articlesおすすめ

Latest新着

トップページへ戻る