梯久美子 紀行ルポ『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』

ざっくり言うと
林芙美子や北原白秋も魅了した日露2つの国に翻弄された最果ての島
『銀河鉄道の夜』のモチーフとなった宮沢賢治の旅の足跡を追って見えてきたこと
2020/05/31 マイあさ! 著者からの手紙 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』梯久美子さん(ノンフィクション作家)

文学

歴史

2020/05/31

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2020年5月31日(日)放送より

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日本とロシア、2つの国に翻弄された島、樺太/サハリンは、かつて「サガレン」と呼ばれていました。最果てを目指した多くの文学者の足跡を追いながら旅した梯久美子(かけはし くみこ)さんに、お話を伺います。


近代を象徴する島

――今回のテーマは、往時「サガレン」と呼ばれたサハリン島、日本統治下時代の樺太です。まず、サガレンを取り上げた理由を教えていただけますでしょうか。

梯さん: 最大の理由は、私自身がサハリンで鉄道の旅をしたかったということなんです。もともと鉄道好きであること。それから、ノンフィクションを書く仕事の主なテーマが近現代史であること。そして、サハリンに近い北海道で育ったということ。この3つが合わさったところで、この本の取材がスタートしたんです。

――プロフィールを紹介します。ノンフィクション作家の梯久美子さんは1961年、熊本県生まれの北海道育ち。2006年、『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞、2017年、『狂うひと「死の棘」の妻・島尾ミホ』で読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞を受賞しています。その他の著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』『原民喜 死と愛と孤独の肖像』など多数あります。

樺太/サハリン、日本の宗谷岬から43キロしか離れていないこの島は、江戸時代以来、日本とロシアの間で帰属があいまいでしたが、1875年の樺太千島交換条約で全島がロシアの領有となり、1905年、日露戦争後に日本が南半分を領有することとなりました。以降、1951年にサンフランシスコ講和条約で日本が樺太の領有権を放棄するまで、日本が南部を統治しました。梯さんは、この島の歴史をどのように捉えていらっしゃいますか。

梯さん: もともと、この島は先住民の土地だったわけです。アイヌ、ニブフ、ウィルタが代表的な先住民族ですけれども、こういった人たちが住んでいた土地に、まずはロシアが西の方から東に向かってやってきた。日本は北上して南から北にやってきた。その勢力がぶつかる場所だったんです。ロシアにとっては太平洋への出口として重要な島で、日本は古くからこの島を漁場として魚を取っていたわけです。先住民の暮らす土地の上で、2つの帝国の勢力がせめぎ合うことになった。ですから、近代というものを象徴するような島だと捉えています。

文学者も魅了した最果ての地

――この作品は前半・後半に分かれています。前半は、梯さんが樺太/サハリンを南のユジノサハリンスク(豊原)から北のノグリキに至るまでの鉄道に乗って描かれた旅です。日本が南半分を統治していた時代は、ロシア、ソ連との国境を楽しむ観光が盛んで、人気作家の林芙美子や詩人の北原白秋も樺太を訪れたそうですが、梯さんはこの“国境観光”にどんな魅力を感じたんでしょうか。

梯さん: 当時は日本で一番果ての果てといいますか、日本の端っこだったんです。文学者たちは、果てまで行くというところに魅力を感じたのではないかと思うんです。児童文学作家の神沢利子さんの場合は、小学時代を樺太で過ごして旧国境に近い町に家族で暮らしていたんです。昭和8、9年ころですけれども、ハイキングのようにして国境を家族で見に行ったことを作品に書いていらっしゃるんです。それを読みますと、鉄の柵ですとか鉄条網、門のようなものがあるかというとそうではなくて、丸太が1本、国境線のところに横たえてあって拍子抜けしたというようなことを書いてらっしゃるんです。戦争が激しくなるまでは、そこで郵便のやり取りをしたりして比較的のどかな国境地帯だったと、かつての書物に書かれています。

宮沢賢治も切符1枚で花巻から

――樺太を旅した宮沢賢治の足跡をたどる後半部分。この旅は『銀河鉄道の夜』のモチーフになったそうですが、賢治の最大の理解者で早逝した妹トシの魂を追い求めた旅と言われているそうです。賢治とトシの関係は長く議論されていますが、梯さんはどの部分にひかれたんでしょうか。

梯さん: 最初は、ちょっと違う面に着目しました。宮沢賢治というのは非常に鉄道好きなんですね。『銀河鉄道の夜』以外にも鉄道関係のことをたくさん書いています。その賢治が樺太に行ったのは、鉄道が樺太まで通った直後、宗谷海峡の連絡船が通り始めた2、3か月後なんです。これによって、賢治の地元である花巻から、樺太の最果ての一番北の駅である栄浜まで切符1枚で行けるようになったんです。汽車に乗って北の果てまでというのは、鉄道好きならみんな行きたいと思ったと思うんです。賢治が旅したあとを私も追いかけて同じように旅をしてみたら、何かが分かるんじゃないかなと思いました。
ただ、妹のことは、もちろんそのとき賢治の頭にあったわけで、汽車の中にいる時間というのは日常から切り離されて、移り変わる景色の中で1人になれる。そういう時間が、妹を失ったあとの賢治には必要だったんじゃないかなと思います。それで樺太に行こうと思ったんじゃないかなというのが、私が賢治のあとを追いかけてみようと思った動機です。

――梯さんは旅の行程に合わせて、賢治が書いた詩を重ね合わせ、賢治の心象風景を読み解いています。傷心旅行であったが、「サハリンに入ってから不思議なほど空気が澄んだ詩を書いていく」、また「サガレン」のイメージが、「死後のトシのイメージと重なっている」とお書きになっています。樺太/サハリンで、賢治はトシと再会することができたということでしょうか。

梯さん: 「再会」というのは、もしかしたらちょっと違うのかもしれないなと思うんです。むしろ、もう会えないことを納得したといいますか、自分の心の中にトシの居場所を定めることができたんじゃないかなと思うんです。今の言葉で言うと、「死を受容した」というようなことじゃないかなと思うんです。汽車で旅をしている間、賢治は妹に「お前は一体どこにいるんだ」ということをずっと呼びかけ続けるんです。
花巻を立って津軽海峡を渡って北海道を縦断して、稚内から樺太の大泊までの間、船の中で大変暗くて悲しい詩を書いているんですけれども、樺太の土地に立ったあとに書いている詩は、なぜか明るいです。理由はよく分からないんですけれども、北の果ての土地の持つ「土地の力」みたいなものが、賢治に語りかけてきたということがあったのではないかなと思うんです。樺太で過ごしたのは5日間くらいですけれど、とても大きなものを彼に与えたのではないかなとも思っています。

次作も舞台はサハリン

――あとがきでは、「樺太/サハリンは、歴史のほうから絶えずこちらに語りかけてくる土地」「この地で生きて死んだ人たちの声を聴くことは、おそらくこれからの私のテーマになるだろう」とあります。ノンフィクションファン待望の梯さんの次作の舞台は再び、樺太/サハリンになる、ということでよろしいでしょうか。

梯さん: そうですね。あの島の歴史について、ほとんど無知なまま行ってしまったなというのがあるんです。行ってみたら土地のほうから教えてくれたことがあって、いろんなことにちょっとずつ気付かされて、日本に帰ってから調べると改めて分かったことがある。私の仕事柄もあるのかもしれないんですが、帰ってきて気になることを調べてそれを書くまでが、私の旅だなって思っています。
これまで3回サハリンに行きましたけれど、この土地の魅力はとても大きくて、なかなか1冊の本だけでは終わらないなというのがあります。次の作品は、帝政ロシア、ロシアが全都を支配していた時代、あの島は流刑地として使われていたんです。ロシア人だけではなくポーランド人も政治犯として送られていまして、そのうちの1人、ブロニスワフ・ピウスツキという人のことを今、調べ直しています。次の作品はサハリンにやってきたポーランド人の話になる予定です。

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2020年5月31日(日)放送より

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