音楽の力を知る

ざっくり言うと
今回の「ひみつの本棚」は、佐藤由美子著
『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』
音楽がホスピス患者にどのような影響を与えたのか、音楽療法士の体験談をもとに、“音楽の力”を考える
2020/10/23 高橋源一郎の飛ぶ教室 「ひみつの本棚」

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2020/10/23

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2020年10月23日(金)放送より

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作家・高橋源一郎さんがセンセイとなって、1冊の本をテキストに現代社会の課題やひずみを考察し、生き方の指南役となる「ひみつの本棚」。今回のテキストは、佐藤由美子著『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』です。末期がん患者などの緩和ケアを行うホスピスで、音楽療法士として患者に向き合ってきた佐藤さん。音楽がホスピス患者にどんな影響を与えたのでしょうか。そして、佐藤さんの体験談を通して源一郎センセイは何を感じたのか、教えていただきます。

【出演者】
高橋さん:高橋源一郎さん(作家)
小野アナ:小野文恵アナウンサー


最期まで残る聴覚へ向けて

高橋さん: きょうの本は佐藤由美子著『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』です。
小野アナ: 著者の佐藤さんはホスピス・緩和ケアを専門とする音楽療法士。末期がんなどによって死期が近づいた患者さんやそのご家族のために、身体的・精神的なケアを音楽療法で行う仕事です。アメリカのラッドフォード大学大学院音楽科を卒業後、ホスピスで10年間音楽療法を実践。2013年に帰国、国内の現場で音楽療法を実践した後、2017年からは再びアメリカに渡っていらっしゃいます。
この本は、26歳のときに正式な音楽療法士になった佐藤さんが、アメリカで活動する中で出会った10人の患者さんとご家族のエピソードをつづったもので、2014年に出版されています。
高橋さん: 重そうな本ではあるんですが…小野さん、この本の感想はいかがでした?
小野アナ: 「こんなにも音楽と記憶がつながっているなんて…!」という驚きと、「自分だったら、人生の最期に聴きたい音楽は何だろう?」と思って…。
高橋さん: 考えさせられますよね。
僕、以前やっていた<すっぴん!>でもホスピス、特に子どものためのホスピスを訪問したことがあります。僕は何度かそういう場所へ行っているんです。ラジオのときは日本の子どものホスピスへ行ったんですね。
ホスピスというと、「暗い」。もちろん「暗い」場所ではあるんですけど、生きるための場所でもあって、「こんなことがあるのか」という驚きと敬けんな気持ちにさせられたんですね。
いろんな人が加わって仕事をされています。僕が行ったところでは、「アートセラピー」といって芸術作業をして癒やすという作業。アニマルセラピーは、動物を触って気持ちを安らげる。音楽セラピーというのは、僕はあまり聞いたことがなくて、今回初めて読んで驚いたと同時にいろいろ考えさせられたんです。
最初のほうに佐藤さんが書いていらっしゃるんですが、ホスピスというのは、単なる場所ではなくて、患者さんが安らかに尊厳を持って最期のときを過ごせるよう、医療だけでなく心のケアを提供することになる。その一環として、音楽を聴いてもらう。
その理由の1つが、佐藤さんがおっしゃっていますが、「意識を失い、目を開けることも話すこともできなくなった患者さんであっても、聴覚だけは残っています」。よく言いますよね。最後に残るのが聴覚なので、音は聞いているんですね。
小野アナ: といっても、実際に自分で音が聞こえるかどうかを確かめたことは…。
高橋さん: ないんです。その辺のことを佐藤さんは、担当していた人たちから経験して書かれているんです。
佐藤さんにとって最初のセラピストの対象になった方です。テレサさんという方です。正式な音楽療法士で初めて会った人ですね。
ある日ベテラン看護師に引き止められて、「80歳の末期の肺がん患者のテレサさんという人が来たから、担当してくれないか。音楽療法が必要だと思う。死は時間の問題なので、ご家族がずっとつきっきりで看病しているから、音楽療法は家族のためになるんじゃないか」と。患者のためというより、家族のためということで行かれたんです。
部屋に入ると、ベッドのそばに60代後半の男性と女性。これがテレサさんの息子さんと娘さんだったらしいんです。「音楽を…」と言ったら、「なんで?」と言われたんです。死にそうな患者さんにずっとついていた人が、音楽といわれても何のことだか分からない。佐藤さんも初めてだから。
でも、話しているうちに息子さんが「母さんは昔からミュージカルが好きだったし、音楽を聴くというのも悪くないかもしれないな」と。
最初に『サウンド・オブ・ミュージック』を聴く。歌っても、テレサさんはほとんど意識がないので眠っているだけでした。次に「私の宝物」という曲を弾いたんですね。
小野アナ: 『サウンド・オブ・ミュージック』の中の曲ですか?
高橋さん: これは違います。別の曲ですね。息子さんが感動して…。

そして、テレサのほうに視線を移し、やさしく語りかけた。
「母さん、さびしくなるよ……。でも、もう逝ってもいいんだよ」

高橋さん: 息子さん、子どもたちが受け入れる気持ちになってきた。

最後に、クリスマスソングを唄(うた)おうと思った。テレサがカトリック教徒であることは、事前にキャロルから聞いていた。テレサが好きだったクリスマスソングはなんですか? と尋ねると、“きよしこの夜”をリクエストされた。この季節になると必ず、いちばんお気にいりだったこの曲を口ずさんでいたそうだ。
私は、ゆったりとしたテンポでギターをつま弾き、ささやくように唄いはじめた。
ごくごく普通のセッションの光景――そのはずだった。
私が異変に気づいたのは、一番の歌詞を唄い終わったあと。歌の途中にもかかわらず、思わず「あっ」と声をあげてしまいそうになった。自分の目を疑った。
テレサの呼吸が、急に規則的になったのである。まるで、ギターのテンポにあわせるかのように、彼女の呼吸はゆっくりと自然さをとりもどしていった。そして、三番目の歌詞にさしかかったとき、それまでずっと閉じていたテレサの目が、かすかに開いたのだ。
驚きを隠せなかった。ビルとジョイスもテレサの変化に気づいたようで、私のほうをちらちらと見ていた。軽くうなずき、「私も気づいていますよ」と合図をし、そのまま歌を続けた。なにかが起こっているのは明らかだったが、それがなにかはわからなかった。このような反応を見るのは、私にとっても初めてのことだった。
テレサの目は少しずつ開いていき、最終的には完全に開いた。そして、彼女はにっこりと、やさしく微笑(ほほえ)んだのである。信じられない出来事の連続に歌詞が飛びそうになったが、なんとか演奏を続けた。
歌も終わりにさしかかり、最後のフレーズを唄いあげるのと同時に、テレサはゆっくりと深く息を吸いこんだ。
そして、彼女がその息を吐き出すことは、二度となかった。
「ああ、母さんはたった今死んだよ……」
ビルは、テレサの手を握りながら脈をとっていた。彼女の脈は、歌が終わるのと同時にとまったそうだ。
嘘(うそ)みたいな光景だった。彼女は、相変わらずおだやかな微笑みをたたえたままだった。その死はあまりにも静かなものだったので、ビルに言われなければ私は気づかなかっただろう。
それは、私が生まれて初めて間近で見た人の「死」だった。テレビや映画で観て想像していたのとはまったく違う、とても自然で、信じられないほどおだやかな死だった。

高橋さん: 息子さんから、「こんなかたちで母さんが最期を迎えられてよかったよ。今まで生きてきた中で、最も美しい瞬間だった。母さんはすばらしい女性だったから、母さんにふさわしい死に方だったと思う。ありがとう」と言われるんですね。
佐藤さんはこう感じます。

テレサは、「聴覚が最期まで残る感覚である」ということを、私に教えてくれた最初の患者さんだ。今思えば彼女は、家族から最後のお別れを言ってもらえるのを待っていたのかもしれない。母親との永遠の別れという、つらい現実を受けいれる心の準備ができるまで、子どもたちを見守っていたのかもしれない。

小野アナ: やっぱり聞こえているんですかね?
高橋さん: 聞こえているといわれています。僕もお医者さんにいろいろ聞いて…人間に最初に生まれるのも聴覚だといわれているんですね。
小野アナ: えっ? 赤ちゃんが…?
高橋さん: 赤ん坊が最初に聞くのは、母親の心臓の音や血管の音。何かが聞こえて人間ができ上がっていく。視覚やほかの嗅覚より先に、聴覚なんです。逆に、感覚がなくなっていくと、最後に聴覚が残る。

「人間に戻す」音楽の力

高橋さん: アルツハイマー病で入院していたハーブという80代の男性です。「昔ジャズシンガーだったので、音楽療法に適している」と頼まれたそうです。
ところが、だんだんアルツハイマーが進行して、「イエスかノーか」というような質問には答えられるけど、「どんな音楽が好き?」と言われても分からないようになっていたんですね。
でも、彼が好きなジャズのスタンダード「この素晴らしき世界(ホワット・ア・ワンダフル・ワールド)」をギターで弾くと、笑顔が戻った。もとはシンガーだから歌ってくれるだろうと思って「一緒に歌わない?」と言っても、ダメ。もう歌えない。記憶がほとんどなくなっているので、もしかすると自分がジャズシンガーだということも忘れているかもしれないんですね。でも、佐藤さんはずっと通ったそうです。

彼と出会ってから二ヶ月経(た)った一○月初旬、ハーブはぶつぶつとなにかをつぶやくことをのぞけばほとんど話すこともなくなり、言葉を認識する能力さえ失っていた。ひどく神経質になり、話しかけられただけで怒鳴(どな)り出すようになった。
そのころのハーブは、娘の名前さえもわからなくなっていた。自分がどこにいるかはもちろんのこと、鏡を見てもそれが自分だとわからない。彼はホーム内でもどんどん孤立していった。

高橋さん: 「もうハーブと話してもダメなんだな」と思った。
最後のセッション。亡くなる2日前。いつものように、彼の好きなジャズの曲をいくつかギターで弾いたあと、最後に一番好きな「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」を歌ったんですね。

時間がきたのでハーブにさよならを告げ、ギターをケースにしまってドアのほうに向かった。そのとき、うしろから突然ハーブの声がした。
「君のために歌を唄うよ」
驚いてふり返ると、いたずら好きな子どものように笑う彼がいた。それは、初めて出会ったときに見たのと同じ、人懐っこい笑顔だった。

高橋さん: 「もう歌えない」と言っていたのに、佐藤さんに「Bフラットでお願いします」と言った。佐藤さんがギターをBフラットで弾きだすと、歌いだしたそうです。

[…]音程ははずれていたが、低くぬくもりのある声。昔はさぞ堪能な歌手だったのだろう。
ハーブの歌は聴いたことのない曲だったが、「Love」というフレーズが聴こえてきたので、大切な人に向けて唄ったものだとわかった。[…]
ハーブが唄い終わると、私は彼がいつもそうしてくれたように、大きな拍手をした。彼は、たいそう満足な笑顔をうかべていた。
そのとき、私は初めて本当のハーブを見たような気がした。
[…]
最後のセッションから二日後、ハーブが亡くなったという知らせを受けた。
[…]
ハーブがあの日なぜ唄ったのか、その理由を今なお私は考えている。アルツハイマーだったにもかかわらず、自分の死が近いことを無意識のうち悟ったのだろうか。
最期に自分らしくあるため? それとも、キャシーと私にお別れを告げるため?
その答えは、今や彼にしかわからない。

高橋さん: これもまた音楽の奇跡みたいなことを書いていらっしゃるんですね。
10人の人たちの例が載っているんですけど、音楽を歌ったり音楽を聞かせてあげると、大きな変化が起こったり、それを受け入れて死に悠揚と向かっていく、というようなお話が多いんです。
これは、悲劇を描いたお話でもなく、「感動的なお話ですね」というのでもない。ホスピスに行かれて意識がないような方も多いので、重病の人たちだから、つきあう人たちも「僕らの世界とは切り離された人」扱いになっちゃうでしょう。
小野アナ: どうしても。
高橋さん: でも、佐藤さんの音楽を聴くことで、「人間に戻る」感じがするんですよね。
かわいそうな、死んでいくお母さんではなくて、「歌好きだったお母さん」に戻る。記憶をすっかり失っていたハーブさんが「ジャズシンガーだったころの自分」に戻る。人間って、死ぬ直前にもう1回もとの人間に戻る。その力がもし音楽にあるとしたら。
音楽療法というより、こういう力が芸術といったものにはあるんじゃないか。人間に戻らせてくれるすごい力がある。そういう音楽の話なんです。そういうものがたくさんあるといいですね。
小野アナ: 「ちょっとした気分転換」などではなくて、本当に「もう1度人間に戻らせてくれる」ような音楽。何の曲でしょうね。
「ひみつの本棚」、佐藤由美子著『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』から引用させていただきました。

放送を聴く
2020年10月23日(金)放送より

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