センセイの源一郎さんが気になる1冊をテキストに授業を展開する「ひみつの本棚」。今回は、センセイが最近出版した『「読む」って、どんなこと?』です。作家生活40年のセンセイにとって初めての読書論です。源一郎センセイが考える文章の読み方とは、どんな読み方なんでしょうか? そして、読むという作業は何を生み出すのでしょうか?
読書はクリエイティブ。そして、文学は人を自由にする
- 教科書は読み方を教えてくれるが、実は何も読んでいない
- 作者がどう考えたかではなく、社会がどう読んでほしいか
- 2020/06/26 高橋源一郎の飛ぶ教室 「ひみつの本棚」
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2020/06/26
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【出演者】
高橋さん:高橋源一郎さん(作家)
小野アナ:小野文恵アナウンサー
「学校で教えられる読み方」では読めないもの
高橋さん: | きょうは高橋源一郎著『「読む」って、どんなこと?』です。 |
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小野アナ: | <飛ぶ教室>では初めての源一郎さん本人の本ですね。「2時間で読める」というキャッチコピーが付いています。「学びのきほん」シリーズの最新刊として、きのう(6月25日)発売されました。「作家生活40年」の源一郎さんによる「初の読書論!」と帯に書かれています。 |
高橋さん: | 本についての話はいろいろ書いたりしているんですけど、今回は本を読むということだけに絞っている。 よく国語の問題で、小説や詩が出るでしょう。難しくないですか? 「作者は何を考えているんですか」といった問題が出るじゃない。 |
小野アナ: | 出てきますね。「次のA~Cのうちどれでしょうか」とか。 |
高橋さん: | そうそう。僕のもよく出るんですけど、おもしろい例があるんです。出た作家や詩人は大体、異口同音に「自分で解いたら、外れ。答えが間違っていた」と言うことが多い。 |
小野アナ: | ちょっと待ってください。「このとき作者は何を考えていたでしょうか」という問題なのに、書いた本人が不正解。どうしてそんなことが起きるんですか? |
高橋さん: | どうしてだと思います? これが、今回「読む」ということを選んだ理由の1つでもあるんです。 「読む」ことは簡単じゃないですか。だって、書いてあるものを黙読する。そして意味を考える。そういうことは学校で習ったでしょう。でも、そのとおりに読んでいくと、意味が分からなかったり、読めないものもあるんです。学校の授業で出る問題になると、その文章を書いている当人が不正解に。これはなぜでしょう? |
小野アナ: | なぜなんでしょう? |
高橋さん: | 学校で教えている読み方で当てはまるやつと、学校で教えている読み方だとどうしても分からないものがある。だから、どうも小説や詩は、学校の教え方だけでは分からないところがあるんじゃないのか。「そういうものを読んでみましょう」と。 |
小野アナ: | それが『「読む」って、どんなこと?』という本なんですね。 |
高橋さん: | この中でいろいろ読んでいるんです。 章タイトルが「1時間目」「2時間目」となっていて、「簡単な文章を読む」「もうひとつ簡単な文章を読む」と少しずつテーマを変えているんです。 1時間目の「簡単な文章を読む」では、オノ・ヨーコさんの『グレープフルーツ・ジュース』という本の文章を読んでいます。生徒になった気持ちで聴いてください。 最初のページはこう書いてあります。 |
地下水の流れる音を聴きなさい。
小野アナ: | ん? |
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高橋さん: | 以上。 |
小野アナ: | 「地下水の流れる音を聴きなさい」? |
高橋さん: | はい。終わり。 |
小野アナ: | これで終わりですか? |
高橋さん: | 読んで。 |
小野アナ: | えっ? …「地下水の流れる音を聴きなさい」。 |
高橋さん: | これ、何です? |
小野アナ: | これは…何かの歌詞ですか。 |
高橋さん: | 何でしょうね。 こういうのもあります。これも1ページに1つ。 |
心臓のビートを聴きなさい。
小野アナ: | これは、ジョン・レノンに曲をつけてもらおうと思って書いた詩…? |
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高橋さん: | ああ、詩ね。 次のページ。これも1行しかない。 |
地球が回る音を聴きなさい。
小野アナ: | 「地球が回る音」…。 |
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高橋さん: | じゃあ、聴いてもらえます? |
小野アナ: | 今ですか? 地球が回る音…。 |
高橋さん: | こういうのが大体1ページに1個ずつぐらい。こんな感じ。 |
絵を切り刻み
風にくれてやりなさい。
録音しなさい。
石が年をとっていく音を。
雲を数えなさい。
雲に名前をつけなさい。
高橋さん: | 最後の部分。 |
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この本を燃やしなさい。
読みおえたら。
小野アナ: | はい? |
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高橋さん: | と書いてある。以上です。 |
小野アナ: | 「この本を燃やせ」と。はあ…。 |
高橋さん: | 読みましたよね? 感想は? |
小野アナ: | 感想? 感想…えっと、「作者は何を意図しているでしょうか」というようなことですか? |
高橋さん: | そうです。 |
小野アナ: | えー…「本人に聞いてみなくちゃ分かりません」。 |
高橋さん: | いい答えですね。 これを授業でやったんですよ。「地下水の流れる音を聴きましょう」と言ったの。どうします? |
小野アナ: | 黙ります。 |
高橋さん: | みんなでずっと30分黙ってたの。そして「どうだった?」と聞いたら、「いろんな音が聴こえました」と。 |
小野アナ: | 確かにそうでしょうね。 |
高橋さん: | これで分かるように、全部不可能なことだよね。 |
小野アナ: | そうですね。できませんね。 |
高橋さん: | どれもできないこと。ただ「できないこと」ではなくて、すごく静かになれる。 普通に僕たちが生きていて「社会でこれをやったらいいよ」というようなことは1つもないでしょう。役に立たないことばかり。その代わり、静かになるからいろんな音が聴こえてきて、「こんな音が社会には満ち満ちているんだ」と分かる。 |
小野アナ: | その時間を読者にくれるための本、ということですか? |
高橋さん: | では、ここで僕の書いた文章を読みます。 |
オノ・ヨーコさんが、わたしたちに「やる」ようにいっていることは、この社会では、ぜんぶ「無意味」で「無価値」なものばかりです。一円にもならない。そんなことをやっているのは、愚か者、落伍者(らくごしゃ)さ。頭がオカシイんじゃないの。
まるで、砂場でお城を作っては壊し、また、別のお城を作っては壊し、そのたびに、ゲラゲラ笑っている子どもみたいです。
そんなことを大のおとながやるなんて。
だから、わたしたちは、オノ・ヨーコさんのことばに警戒し、でも、同時に、なんだかちょっとやってみたくなる。そのつづきを、自分で書いてみたくなる。
たとえば、こんなぐあいに。
「教室を出て、外を歩く。二度と戻って来ない」とか、
「教科書を燃やし、その火にあたる」とか。
うーん、オノ・ヨーコさんのことばを教科書に載せるのは難しいかもしれませんね。せっかく、先生のいうことをおとなしくきいてくれる、「いい子」になったのに。アブナイ、アブナイ。
高橋さん: | これは教科書に載りにくいよね。 |
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小野アナ: | そうですね。 |
高橋さん: | …というように、「読むと楽しいね」ということですね。こういうものはなかなか教科書にはならない。 |
知らないうちに、特定の「読み方」を押しつけられていないだろうか
高橋さん: | もう1つ。今度は全然違ったやつです。 武田泰淳という人の『審判』という小説の文章を読んでみましょう。 5時間目のタイトルは「学校で教えてくれる(はずの)文章を読む」。 |
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小野アナ: | 「教えてくれる(はずの)」? |
高橋さん: | 「はず」だけど、「教えてくれないかな…?」という本です。「教えてくれたらいい」ということですね。 日中戦争で戦場に行った兵士が中国人を殺してしまう、有名なシーンです。2回ぐらい撃っている。こういう感じです。 |
射(う)たないでおこうかとも考えました。しかしその次の瞬間、突然「人を殺すことがなぜいけないのか」という恐(おそろ)しい思想がサッと私の頭脳をかすめ去りました。自分でも思いがけないことでした。
高橋さん: | 結局、農民を彼は撃ち殺してしまうんです。ほかの兵士と一緒に農民を撃ってしまうんです。 別の村に行って、今度は逃げ遅れた盲目の農夫とその妻の老夫婦を撃ち殺してしまう。これも兵士として。その次にこういう文章があります。 |
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「殺そうか」フト何かが私にささやきました。「殺してごらん。ただ銃を取り上げて射てばいいのだ。殺すということがどんなことかお前はまだ知らないだろう。やってごらん。何でもないことなんだ。ことにこんな場合、実さい感情をおさえることすらいらないんだ。自分の手で人は殺せないことはなかろう。ただやりさえすればいいんだからな。自分の意志ひとつで決まるんだ。そのほかに何の苦労もいらんのだ」
伍長(ごちょう)が立ち去ったあと、この地球上には私と老夫婦の三人だけが取り残されたようなしずけさでした。五月二十日の午後です。
高橋さん: | このあと、この兵士は撃ち殺してしまうんです。とても残酷な極限状況を描いた小説です。 これをどうやって読んだらいいのか。これはもしかしたら、学校でも教えることは可能かもしれない。そのときにはどういう教え方をするんだろう? この『審判』の兵士は、殺人鬼なんだろうか。 |
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小野アナ: | いやいや…。 |
高橋さん: | 普通の人だったんですよね。兵士たちは戦場で、兵士だけでなくて農民も撃つんです。彼らも、兵士になる前はおとなしい普通のいい人だったんですが、戦争に行った結果そうなっちゃうんです。 |
彼らは、戦場へ送られました。そして、そこでは、人は、「敵」と呼ばれるなにかを「殺す」生きものに変わるのです。
彼らを、人から、「敵という他人を殺す生きもの」に変えたのは、誰、あるいは、なにでしょうか。
いうまでもなく、それは、彼らが所属している「国家」、あるいは、「社会」と呼ばれる共同体です。
高橋さん: | と高橋さんは書いています。 「殺してごらん。ただ銃を取り上げて射てばいいんだよ」と言ったのは誰でしょう? そういう「声」が響いたよね。 |
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小野アナ: | それは…「彼の中にいるもう1人の誰か」。 |
高橋さん: | そう。普通「僕らの内面の誰か」というような言い方をする。だけど、これは本当だろうか? 「僕たちにも、もともとそういう部分があるんだ」といわれる。でも、いろんなことでずっとこれを教わってくるわけ。たぶん1人で生きていたら、そういう発想なんか生まれてこない。 「殺してごらん」と言っているのは「社会」じゃないか、と僕は思うんです。高橋さんはこう書いています。 |
「声」は、わたしたちの内側に食いこんで、ひそかに出現のときを待っている、「社会」が送りこんでいた「ウィルス」のようなものではないかと思っています。
この、「社会」が送り込んだ「ウィルス」が姿を顕(あらわ)すもっとも効果的な瞬間こそ、戦争です。そのとき、はじめて、ウィルスはそのほんとうの姿を顕し、「社会」が隠していた「ウィルス」のDNA、そこに書きこまれた、最後の、真のメッセージを伝えます。それこそが、「社会」の「敵を殺せ」という命令なのです。
高橋さん: | 「社会」というのは目に見えない。「どこでそんな『声』を習うんだろう?」と考えていくと、学校じゃないかと思うんです。 |
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小野アナ: | 学校? 「社会」の「声」を学校で学ぶ? |
高橋さん: | 僕たちがいろんなものを勉強するときの、何かを読むときの最初の習いは、学校で習うんです。教科書には「さあ、みんなで友達になりましょう」とありますが、これは誰が言っているんでしょう? 教科書って、誰かの「声」ですよね。 |
小野アナ: | 「傍線を引いてある箇所を考えているのは誰でしょう」とか…。 |
高橋さん: | そう言っているのは誰? |
小野アナ: | 誰? 誰って…誰ですかね。教科書を書いた人? |
高橋さん: | そう。でも、たくさんの人の名前は書いてあるけど、それは誰だか分からないんです。「学校というところは、みんなで一緒に生きていきましょう」と、教科書の最初に「みんなで」という言葉がある。 |
小野アナ: | 「みんなで」と出てきますかね。 |
高橋さん: | 出てきます。「友達で」とよく出てくるんだよね。その中で習って、「こうやって読みなさい」と言われて、試験に出てくる。こうやって習っていくと、「社会」の「声」に抵抗できなくなってくるんです。 国語の教科書の文章を読みます。教科書の「声」です。 |
自分の考えを広げ、深める。
わたしたちはさまざまな文章を読むことによって、ものの見方や考え方を広げ、自分の考えを深めることができます。
これまでの説明文の学習を通して身につけてきたさまざまな言葉の力を発揮し、文章の内容や筆者の主張、述べ方などについて読み取ったり、書かれていることを関係づけてとらえたりすることで、自分の考えを広げ、深めていきましょう。
小野アナ: | そういえば、教科書って、引用されている作品だけじゃないですよね。そんなことがいろいろ書いてありましたね。 |
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高橋さん: | そっちは読まないでしょう。 |
小野アナ: | はい。読んだかもしれないですけど、覚えてないですね。 |
高橋さん: | 教科書を読むんだとしたら、そっちを、今言ったような説明の部分を読まなきゃいけないんだよ。 |
小野アナ: | あれこれ指示が書いてあるところ。 |
高橋さん: | その指示に従っていくと、何でも「読め」て、問題に出たらいい点が取れて、いい成績が取れる。 |
小野アナ: | でも、書いた本人は「違う」と言う。 |
高橋さん: | 書いた本人は「違う」と言うけど、でも、みんな「これが正しい」となっていく。 こう考えていくと、「作者本人が分からない」というのはとても重要な問題です。本当は、「作者がどう考えていたか」ではなく、「『社会』や学校では『こういうふうに考えた』ということにしていますので、そう覚えてください」ということなんです。 |
小野アナ: | 知らないうちに「『社会』では、こう読むんですよ」「世の中では、本はみんなこう読むんですよ」と教わりながら…。 |
高橋さん: | だんだん自分で自主的に読む能力がなくなっていく。 「読む」ということは1人です。個人が読むということは、僕は書くよりもクリエイティブなことだと思っています。そこには「社会」の「声」といったものがまったくない。「こう解釈されているけど、僕は違う」と読むようになることが「何かを読む」ことじゃないかと思うんです。 |
小野アナ: | でも、知らないうちに体得したものを、忘れたり、そこから自由になるのは、難しいことのような気がするんですけれど。 |
高橋さん: | 個人を自由にするために、たぶん文学や詩はあるんです。 「そうやって読んでください」というようなことが『「読む」って、どんなこと?』には書いてあるはずです。 |
小野アナ: | 「ひみつの本棚」、きょうは高橋源一郎著『「読む」って、どんなこと?』から引用させていただきました。 |