Z世代が伝える戦争のはなし(5)“ロールプレイ”で沖縄戦を実感

Z世代が伝える戦争のはなし
放送日:2023/08/18
#インタビュー#戦争
終戦から、78年。戦争の記憶が薄れていく中、幼い頃からデジタルの世界になじんできた世代、いわゆる「Z世代」の若者たちが、新たな方法で過去を掘り起こし、体験を引き継ごうとしています。
8月に放送した特集番組「Z世代が伝える戦争のはなし」では、過去に向き合う若者たちの姿を5夜連続でお伝えしました。
第5回は、沖縄県内の学校をまわり、新しいやり方で、沖縄戦の記憶を子どもたちに伝えている「平和教育ファシリテーター」の狩俣日姫さん、25歳の取り組みです。(語り・江崎史恵アナウンサー)
狩俣日姫さん
【出演者】
狩俣さん:狩俣日姫さん(平和教育ファシリテーター)
沖縄戦体験者の記憶
――太平洋戦争末期の沖縄戦。住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20万人以上が亡くなり、当時の沖縄の住民、4人に1人が命を落としました。
狩俣さん(生徒たちへの講話):
「沖縄戦のことを勉強する時って、証言、映像、たくさんある。それって話せる人が話しているだけで、話せない人がたくさんいます。なんで思い出したくないこと、私たちに残してくれているのか、体験者の人たちの思いも受け取ってもらいたいと思ってます。」
――今年6月23日、沖縄戦「慰霊の日」。糸満市摩文仁にある戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」には、家族などの慰霊に訪れ、手を合わせる沖縄戦体験者の姿がありました。
南部の激戦地で姉を亡くし、みずからは北部へと逃げた86歳の男性です。
夜間、アメリカ軍の照明弾が上がる中を必死に歩きました。
男性:
小学校1年だったけど、山原まで歩いて、いつも泣いてたんだ。夜歩くんだ。昼は隠れる。アメリカの照明弾、普通は明るかったら隠れるんだけど、僕たちは明るいから歩いた。上がったら、見えるから。道が全部見えるから歩く。言いたいのは、戦争は二度としない、ということですね。これが頭にあります。
――父の慰霊に訪れた86歳の女性。家族と共に空襲の中を逃げ回った記憶が忘れられません。
女性:
飛行機が飛んできたんで、歩いてる途中に、きび畑の中に入って。祖母が自分の着物を取って、私と弟をかばって。これが一日中。飲みもしない、おしっこも座ったまま。やっと夕方になって、飛行機が飛ばなくなったから、外に出ようとしたら、母親が私たちを探すために、大きな声で「どこにいる、どこにいる」と泣きながら探しているのを見つけてから走って行って。こうして抱き合って泣いて。とにかく、戦争がなくなればいいなって。だから今、いつも戦争のことニュースでやりますよね。また来るのかな。これがあるんですよ。そうすると、子や孫たちがどうなっていくんでしょうと、いつも考えてるんですよ。
中学校での狩俣さんの授業
――こうした、「戦争を直接経験した人たちに若者が話をきく」というのが、これまでの体験の伝え方でした。しかし、年々それは難しくなってきています。
そこで、平和教育に取り組む狩俣日姫さんが進めているのが、「ロールプレイ」です。ある場面を想定し、それぞれがその中の役を演じることで、疑似体験をし、さまざまな気付きを得るというものです。
狩俣さん(中学校での授業):
「聞こえてますか。全員立ってください。」
西原中学校での授業
―――沖縄「慰霊の日」の前日の6月22日。
那覇市の東隣、西原町にある中学校での平和学習です。狩俣さんは、「もし自分が沖縄の戦場にいるとしたら、どんな選択をするか」生徒たちに考えさせます。
狩俣さん:
「みなさんにいまから、いくつか質問するので、沖縄戦の前から沖縄に住んでる住民になり切って、自分だったらこうします、考えて答えてください。」
―――沖縄戦が始まる前の1944年、昭和19年、自分が沖縄中部、読谷村の住民だったら、具体的にどうするかを問いかけます。
狩俣さん:
「1944年10月です。なんだか最近、飛行機が飛んでいる。友軍の訓練なのか、飛行機、米軍の偵察機なのか。3つ選択肢を準備しました。読谷、南部、北部です。」
―――生徒は、読谷村に残るか、南部へ逃げるか、北部へ逃げるかを選びます。そして・・・
狩俣さん:
「10月10日に「10・10空襲」というものがありました。」
―――1944年、昭和19年10月10日の「10・10空襲」では、沖縄県内の各地がアメリカ軍の空襲を受け、1,400人以上が死傷。那覇市の9割が焼失しました。選択肢のうち「南部へ逃げる」、つまり那覇市方面に行くことを選んだ生徒は被災することになるので、座ります。
一方、「村に残る」という選択をした生徒たちは・・・
狩俣さん:
「10月の空襲で家が焼けたので、地域の人たちと同じガマに入ることになりました。1,000人くらいの大きいガマ、140人くらいの小さいガマ、どっちに入りますか?」
―――大きい洞窟・ガマと、小さいガマ、どちらに入るか選びます。
そこで待ち受けていたこととは・・・
狩俣さん:
「4月1日にガマに隠れています。4月2日、次の日にこんなことが起きました。チビチリガマでの集団自決。」
―――1945年、昭和20年4月2日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸した翌日、上陸地点の近くだった読谷村の「チビチリガマ」で住民の集団自決が起きました。避難していたおよそ140人のうち、子どもを含む83人が亡くなりました。
狩俣さん:
「1,000人ぐらいのガマは投降に応じて全員が助かってます。チビチリガマは140人くらい。なんでこちらは投降に応じなかったのか。逆に1,000人ぐらいのガマはなぜ応じたのか。対照的です。興味があったら調べてみてください。」
―――沖縄の戦場で、どの選択をした住民がどういう運命をたどったのか。切迫した状況を、当時の証言を交えながら、狩俣さんは実感させていきます。授業を受けた中学生です。
生徒:
これまでは、机で座って話を聞いてやってたけど、この先生は立って、ロールプレイとかさせてくれたので、自分の頭で考えて、沖縄戦を体験した感じです。
生徒:
個人的に知りたいなと思ったのは、同じ読谷村のガマだけど、投降に応じたところと自殺しちゃたところがあったと聞いたので、そこを調べたいと思いました。
狩俣さんが取り組みを始めたきっかけ
―――狩俣日姫さんは、アメリカ軍普天間基地がある宜野湾市の出身です。
平和学習に取り組み始めたのは、高校卒業後のオーストラリアへの留学がきっかけでした。
狩俣さん:
いろんな国だったり地域の友達ができたんですけど、その方たちとやっぱり出身のお話をするときに、沖縄のどういうところがおすすめって言われた時に、私、海がきれいっていうのしか沖縄のことが言えなくて。でも首里城とか行ったことあるし、米軍基地も近くにあって、沖縄戦の資料館とかにも行ったことあるけど、それは全然覚えてなかったということがとても悔しくて。それでそういう沖縄のことをちゃんと勉強したいなということが実はきっかけになります。
―――帰国後、沖縄を訪れた修学旅行生に平和ガイドをする学生グループに参加します。沖縄戦の歴史を調べ、体験者の話を聞き、若い世代が担う平和教育のあり方を追求してきました。しかし狩俣さん自身は、実はかつて、戦争体験者の話をきくことは苦手でした。その時に感じたもどかしさが、新しい伝え方、学び方を考える原動力になっています。
狩俣さん:
学生時代は、本当に苦手意識を平和学習にもっていたぐらい。体験者の方たちは一生懸命、話してくださるので、それを聞きたいんですけど。でも沖縄戦の中の単語がわからない。「艦砲射撃」とかいうことも、わからなかったり。苦しい部分の話はすごく覚えてるけど。それが何で起こったかという戦争の話っていう意味では理解できてなかった。じゃあそれに対して、間とかに沖縄の地図とかをみせながら、今ここの話をしてるんだよ体験者の人は、みたいなことをアシストしてくれる人とかがいたら、私だって学生時代から興味持ったしという気持ちもやっぱりあって。じゃあそれになればいいんだ、それになりたいなって思ったんですよ。
―――今伝えている話は、沖縄のどこで起きていることか。住民はどう逃げたのか。なるべく視覚的にも理解できるように、地図などを活用しています。
狩俣さん:
一人一人の戦争体験は本当にバラバラなので。その話を聞く前に、沖縄戦の流れみたいなものをなんとなく知っていて、沖縄戦の話を聞く時に、沖縄の地図が頭の中に思い浮かんで、こっからここに逃げたんだよっていう話とかを聞いたら、わかりやすくなるかなということだったり。じゃあここの地域どうだったのかなとか、自分が知らない沖縄戦の部分というのが可視化されると思っていて。どんどん自分に引き寄せて考えたりとか、わからない部分が見えることで知りたいってなってもらえないかな、などと考えながらやっています。
―――そして、「何のために沖縄戦を学ぶのか」。子どもたちが自ら考えてほしいと、狩俣さんは願っています。
狩俣さん:
戦争がなくなる社会がいいよねっていうのは、自分たち一人一人の人生の中で、戦争がない社会、戦争がない時代を生きたいよねという話だと思うので。平和教育で沖縄戦を何のために勉強するのか子どもたちに聞いたら、次の世代に残すためとか、次に伝えるためって言うんですけど。でもそれは自分たちが生きてるなかで、戦争が起こってほしくない、沖縄戦がまた起こって欲しくないからだっていうのに気づいたら、やっぱり自分たちのためにこの過去のことを勉強する。自分たちの未来のために過去から学ぶこととか。今、自分たちがどういうところにいるのか、どこに向かっていきそうなのか考えるために必要だと思うので。そこでちゃんと自分たちのためにこの沖縄戦を学ぶ必要がある、沖縄戦から得る教訓があるってことを考えてほしいなって思っています。
―――それを遠い過去の事ではなく、今を生きる自分に引き寄せて考える。
25歳の狩俣日姫さんが取り組む「戦争のはなし」です。
【放送】
2023/08/18 「Z世代が伝える戦争のはなし」