Z世代が伝える戦争のはなし(3)出征兵士の足跡をデジタルで可視化

Z世代が伝える戦争のはなし

放送日:2023/08/16

#インタビュー#戦争

終戦から、78年。戦争の記憶が薄れていく中、幼い頃からデジタルの世界になじんできた世代、いわゆる「Z世代」の若者たちが、新たな方法で過去を掘り起こし、体験を引き継ごうとしています。
8月に放送した特集番組「Z世代が伝える戦争のはなし」では、過去に向き合う若者たちの姿を5夜連続でお伝えしました。
第3回は、出征兵士の足どりを追ったデジタルアーカイブをネット上に公開している三上尚美さん、27歳の取り組みです。(語り・江崎史恵アナウンサー)

三上尚美さん

【出演者】
三上さん:三上尚美さん(会社員)

出征兵士の足どりを記録する

――全国各地から戦場に赴いた出征兵士。その数は数百万人に及びました。しかし、その一人一人がどこで戦い、どんな日々を送ったのか。個人の手記などのほかに、くわしい記録はほとんど残されていません。

三上さんは、大学院生のときに、デジタル技術を使った戦争の記憶の継承について研究してきました。出征していった兵士たちの足どりを、デジタルの地図上でたどることができるようにしています。去年12月には「出征兵士の足どり デジタルアーカイブ」として、ネット上で公開しました。

いま掲載されているのは、7人の兵士の情報です。
アーカイブ画面の左側には、兵士個人の行動が時系列の年表のように記されています。年表をスクロールすると、画面の右側に、その足どりを示すデジタルの地図、そしてその時その時の状況を物語る、本人や家族のインタビュー動画や写真が現れます。

三上さん:
地図上に足どりを書いてそれを追いながら、ここにいた時はどんな戦いをしてたかとか、何を思ってたか。その上で、戦死されてしまったのか戻ってきたのかという、出征兵士の、日本にいたときから、帰ってきて、その後までを伝えるものにしたかったので。

デジタルアーカイブ「出征兵士の足どり ─新潟県長岡市から─」にある樋口義雄さんの足どり

――三上さんが記録した一人、新潟県長岡市出身の樋口義雄さんの足どりです。
1943年、昭和18年3月、出征した樋口さんは、広島の宇品港から台湾へ渡り、フィリピンやシンガポールを転々とした後、当時のビルマへ向かいます。ビルマでは、ビリンという町まで数百キロを徒歩で行軍。デジタルの地図には、日本を離れて広大な東南アジアを転戦する様子が記されています。

三上さん:
いざ自分で足どりを地図に描き始めたら、やっぱり言葉で聞くのと、地図を追っていくのは全然違うなと思って。これまで例えば、おじいちゃんはフィリピンに行ったとかガダルカナル行ったとか。どこどこ行ったという感じの言葉で伝えられることが多かったと思うんですけど。行ったと言っても、まずそこに行くまでの行程とか。安全な道中じゃない中たどりつくために、こんなに時間かけたり遠回りしたりして、やっと行ってたんだというのは、地図を追わないと想像できない。

戦争に関心をもったきっかけ

――三上尚美さんが、戦争の歴史に関心をもったのは中学生の時です。部活動でシンガポールの歴史教科書を読んだことがきっかけでした。

三上さん:
その教科書を見て初めて、日本が中国とか韓国以外の、東南アジアのいろんな国に戦時中に行って、占領したり、いろんな事があったというのは、それで初めて知ったんです。

――その後、平和イベントの運営や、映像作品の制作などを通して、自ら戦争の歴史を学んできました。そのとき感じたのは、身近な地域の戦争について学ぶ機会が少ないということでした。三上さんの地元、神奈川県藤沢市では、広島や長崎の歴史を学ぶ一方、地元の戦時中の様子を知る機会はなかったと言います。その思いから、出征兵士の足どりをたどる取り組みが生まれました。

三上さん:
ふっと思ったのが、出征だったら、絶対全国どの地域にも共通して起こっている。自分の街からどんな人が戦争に行ったか、出征兵士をどんなふうに送っていたかというところをまず調べようと。そうしたら、それをきっかけに、もしかしたらまだ掘り起こされてなかった地域の記憶もどんどん出てくる可能性があるんじゃないかなと期待して、出征兵士にフォーカスしていきました。

新潟県長岡市での調査

――三上さんはおととしから、新潟県の長岡市で具体的な調査にとりかかりました。
ここは1,500人近くが亡くなった「長岡空襲」を経験し、戦争の記憶を残そうと取り組んできた地域です。
三上さんにとっては、大林宣彦監督の映画『この空の花―長岡花火物語―』を見て以来、たびたび訪れていた場所でした。兵士の証言集を読み込み、市役所や地元紙などで情報を集めた三上さん。そこで直面したのは、厳しい現実でした。

三上さん:
アポを取っていく中で、数年前だったら元気だったとか、数年前ならお話しできたんだけど、ということも結構あったので。ああ、遅かったというか。本当にこれは少しでも早く進めていかなきゃいけなかったんだ、いけないんだと思いました。

元兵士との出会い

三上さんがインタビューした樋口義雄さん
(デジタルアーカイブ「出征兵士の足どり ─新潟県長岡市から─」)

――そうした中、ただ一人、巡り合えた元兵士、それが先ほど紹介した樋口義雄さんです。当時のビルマで多くの戦闘に参加した樋口さんには、忘れられない記憶があります。同じ長岡出身で親しくなった上官の藤田曹長が、あえて自分を残して襲撃に出かけ、命を落としたことです。「藤田曹長は自らの最期を長岡の家族に伝えて欲しかったから、自分を生きて帰らせてくれたのではないだろうか」・・そう考えてきました。去年、三上さんは100歳の樋口さんにオンラインでインタビューを行いました。

樋口さん:
「男の子3人いてね、気の毒だったな。」

――「男の子が3人いて、気の毒だった。」
長岡に戻り、藤田曹長の家族に会いに行ったときの話をしてくれました。
樋口さんと多くの話はできませんでしたが、三上さんにはこの会話が印象に残っています。

三上さん:
もうご高齢ということもあって、戦争のことで忘れてしまっている部分とか、若干つじつまが合わないところもあったんですけど。その藤田曹長のところだけは、はっきり鮮明に覚えていらっしゃって。そういうところからも、生きて帰ってきた方々の役目というか、戦友のご遺族を訪ねて最期を伝えて、というところまでが、出征兵士にはあったんだなと学びました。

――そして三上さんは、樋口さんのこんな話にも注目しました。

樋口さん:
「バナナなんて大きくたくさん獲れて、端から端まで食べられて美味しいんですよ。」

――戦地にいる時に食べたバナナが美味しかったという話です。

三上さん:
面白いですね。南国のフルーツを食べておいしくてみたいな。ほんとに戦争とか戦地とかいうと、すごく特別な感じがするんですけど。その人たちにとってはそれが日常だったんだというところですね。そういう視点でみないと、逆に悲惨なところとか大きな話題のところだけを継承しても、それ以外のところが逆にわからなくなる。どっちも伝えないといけないと思う。

――調査や聞き取りを通して、およそ80年前という時代に生きた兵士たちへの見方も変わったといいます。

三上さん:
「兵士」って単語を使いますけど、特に私がインタビューや調査してきた方々というのは、軍人さんというより一般市民で、赤紙が来たから、行かなきゃいけないから出征して兵士になった方々なんです。兵士って言うけど、普通のお兄さん、お父さんで、家族があって。出征するまでは、普通に働いていたりとか、何か生活があった人たち。だから本当に一人一人の昔の兵士だけれど、もう今のまわりの男の子たちと、なにも違うと感じないです。

取り組みを全国に広げたい

――三上さんの作ったデジタルアーカイブの特徴は、専門的な技術や知識が無くても、全国の誰もが、その土地その土地での記録を作れることです。去年12月には、神奈川県川崎市の市民館で、デジタルアーカイブを制作するワークショップを開きました。参加者は10人ほど。戦時中に川崎市で暮らし、空襲や学童疎開を経験した姉妹に話を聞き、地図上に足どりを記録しました。三上さんと共に、講師を務めた川崎市平和館・専門調査員の暉峻僚三さんです。

暉峻さん:
小難しい言い方をすると「集合知」ということになりますが、これが戦争の体験でも、地域の記憶でも、ためていくすごくいいツールになりますし、三上さんが取り組んでいることは比較的誰もが使えるツールを使って行うということで、やろうとさえ思えば誰でも手が出せる。可能性を広げてくれていると思います。

―――三上さんはことし、大学院を修了し、会社員となりました。これからも兵士の足どりを集めたアーカイブを充実させて、全国各地へと取り組みを広げたいと考えています。

三上さん:
継承っていうのは、その活動が続いていかないと継承にはならないから。だから多くの人が継承に携われる、一人で重荷を背負わないでみんなで分担して、ちょっとずついろんな街で記憶を掘り起こして、つないでいけたらいいなというのが自分の中であって。このアーカイブを見て、じゃあこれをまねして、自分の町でも自分の周りの人の記憶とかでやってみようかなって思う人が増えてくれたらうれしいなと思ってます。

―――過去の戦争を生きた人々の姿を、デジタル技術で今によみがえらせる。
27歳の三上尚美さんが取り組む「戦争のはなし」です。


【放送】
2023/08/16 「Z世代が伝える戦争のはなし」

この記事をシェアする

※別ウィンドウで開きます