Z世代が伝える戦争のはなし(2)東京大空襲・手書きの体験原稿に向き合う

Z世代が伝える戦争のはなし
放送日:2023/08/15
#インタビュー#戦争
終戦から、78年。戦争の記憶が薄れていく中、幼い頃からデジタルの世界になじんできた世代、いわゆる「Z世代」の若者たちが、新たな方法で過去を掘り起こし、体験を引き継ごうとしています。
8月に放送した特集番組「Z世代が伝える戦争のはなし」では、過去に向き合う若者たちの姿を5夜連続でお伝えしました。
第2回は、大学院で日本の古典を学びながら、空襲体験のデジタル化に取り組む、阿部翔真さん、27歳の取り組みです。(語り・江崎史恵アナウンサー)
阿部翔真さん
東京大空襲・体験記のデジタル化
――阿部さんがデジタル化に取り組んでいるのは、今から50年前に出版された『東京大空襲・戦災誌』第1巻。惨禍を生き延びた401人による体験記です。
1945年、昭和20年3月10日未明。アメリカ軍のB29爆撃機、およそ300機による空襲で、東京の下町は火の海となり、一夜でおよそ10万人が犠牲になりました。
戦後編さんされた体験記には予想を上回る量の原稿が寄せられました。そのため、書籍には全文を掲載することができず、3月10日の空襲に直接関係のない内容を中心に、カットされた部分も少なくありませんでした。
書籍に掲載されなかった部分を含む、体験者のあふれる思いがつづられた手書きの原稿。それらは、東京・江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」に保管されてきました。
4年前から原稿のデジタル化が始まり、阿部さんを含む20代の若者たち8人が、入力作業を通して手書きの原稿を読み込んできました。
阿部さん:
執筆者の方が、例えば強く書いた字とか、二重になっていたりとか、この文字は違うと思って一回消していたりとかしているものが多々あるんですよ。この表現は違うと思って一回直して。もう一回欄外に書き直して、それでもここは違うと思ったら線を引っ張って違うふうに書くとか。ここでいろいろ考えていたのかもしれないなとか。例えばここはひどくつらい思いをされて、いろんなものを考えながら書いているんだろうなと。そういうのは印刷版では見られません。
最初は薄かった戦争の時代への関心
――阿部翔真さんは、大学院で日本文学を専攻し、万葉集を研究しています。
「万葉集の研究ではできない、肉筆の原稿にふれてみたい」とデジタル化の作業に参加しました。
祖父も戦後生まれという阿部さん。戦争の歴史に触れる機会はこれまであまりなかったそうです。
阿部さん:
最初の関心はほんとに薄い。日本史の教科書でこのように習った、こういう戦争がありました、このぐらいの死傷者が出ましたというところだけが、僕の最初の出発点です。
――そんな阿部さんにとって、過去の空襲体験は、疑問の連続でした。
阿部さん:
それこそ避難する時、布団とかかぶるんですよ。普通に考えたら燃えませんか。燃えるから、自分も燃えるよなって最初思って。なんで布団を持って行くのかなと思ったら、火の粉が散ってくるから払うためにかぶってたりとかするんですよね。ああなるほど、と思いました。
デジタル化プロジェクトの目的
――今回のプロジェクトの代表は、東京大空襲の記憶の継承について研究してきた法政大学准教授の山本唯人さんです。その目的を伺いました。
山本さん:
戦争体験を伝えるという時に、一般的に例えば博物館では、直接体験した方々が、主に話して伝えるという方法を取ってきました。ところが、ご存じのように戦争体験世代の方が年々減っていくという中で、この「話して伝える」ということが今とっても難しくなっているんですね。そういう中で、この紙の上に書かれた体験、そういうものを通じて、どれぐらい戦争体験の継承ができるだろうかということを考えたいというのが、このプロジェクトを始めた一番の動機です。
――体験者が書いた手書きの原稿には、直接、編集者の赤字が入っています。
編集の際、削除・修正された箇所を含め、一字一句、正確にパソコンに入力していきます。
山本さんは、なぜ、この作業を若者たちと取り組んだのでしょうか。
山本さん:
この原稿を若者たちと一緒に入力していった時に、これはすごい貴重な機会なんじゃないかと思ったんですね。というのは、入力した若者たちは、体験記を隅から隅まで読むわけですよね。我々も読んでないような文字を今この若者たちは全て読んでいる訳です。恐らく入力する中でいろんな感情が湧き上がったりだとか。いろんな発見をしたりとかですね。そういう体験をしているに違いないだろうと思うので。そこでどんなことを感じた、あるいはそこからどんなことを考えたっていう、そこを引き出すということが、やっぱりこの体験記を継承していくという、入り口として大切なんじゃないかというふうに思っているんですね。
東京大空襲体験者・森川寿美子さんの手記
――20人近くの手記をデジタル化した阿部翔真さん。
長い時間をかけて読み込み、内容の分析を試みた1篇があります。
東京大空襲の当時24歳で、3人の幼い我が子を連れて逃げ惑った森川寿美子さんの手記『敦子よ涼子よ輝一よ』です。
手記の冒頭、森川さんは空襲におびえる様子をこう記します。
「何時ごろだろう、暗い中で時間がはっきりしない。無気味な空襲警報のサイレンの響きにはっととび起きる。断続的になる音は背すじに冷たくつたわる。窓を開けて見た。きのうからの北風がいちだんと強くなっている。ああこわい。こんな夜火事になったら大変だと思うまもなく遠くの空が真赤になった。ああやはり火事になった所もあるのだ、どうしよう。身体がカチカチふるえてきた。」
阿部さん:
日々空襲があって、それでも何とか生きながらえてきてっていう文章からぐーっと入ってきて、警報が出たと。きのうも夕方から警報が出て、きのうもそういう事があったと思わせながらきょう、ものすごく大きなものが出てくる。大きな空襲がくる。そこですね。最初の1ページ2ページの入りの部分っていうのは、怖いですよね。だんだん迫ってくるというか。火の手も迫ってきてるわけなんですけど。追体験するかのような文章ですよね。
――夫が出征していた森川さん。
4歳の輝一と、8か月の双子、敦子と涼子の3人を連れて逃げました。
火災の旋風の中で公園に逃れ、プールに飛び込みますが、迫る火の中で、下の双子は息絶えます。
森川さんは、翌朝まで生き延びた長男を背負って医者を探しますが、助けることはできませんでした。
阿部さん:
かなり苦しい体験ですね。想像しかできないんですよ。想像すらしたくない。僕はまだ結婚もしていませんし、子供もいないですけど、それをじゃあ肉親に置き換えて、完全に置き換えられるわけじゃないですけど、考えた時、絶望以外に何があるんだろうって。すごいつらかっただろうなっていう。文章で置き換えられないぐらい、つらかっただろうなと思いますよね。
――阿部さんは、「なぜ森川さんがこのつらい経験を手記に綴ったのか」考えました。
注目したのは、森川さんの手記の最後の部分。こう締めくくられています。
「何の力も持たないわれわれ一般市民の死が、戦争を知らない若い人たちが日本人口の大部分を占める時代がきたとき、ただこんなこともあったらしい、などというあいまいなことでなく、こうだった、ああだった、でもでもこの人たちは不平不満だけで死んだのではない。
そのことをせめて戦争の苦しさを知っているわれわれの年代の者たちは、ほんとうのことを伝え、残さなくてはいけないのだと私はいつも思っています。そうであってこそ、この人たちの死は報われるのだと私は信じたいのです。」
阿部さん:
ありのままを伝えていきたい。そのままを記録しながらも、ありのままを伝えていきたい、その伝えていくっていう部分に重点が置かれているんじゃないかなと僕は読み取っていて。最初の問いであった、何でこんなつらく苦しいものを描いていくんだろうっていうものに、森川さんはアンサーとして、それを伝えていきたかった、ありのままを伝えて記していこうと思った。そういうふうに僕は考えています。
空襲体験の継承の意義
――東京大空襲から78年、手記をまとめた『戦災誌』が刊行されて50年。
その記憶を受け継ぐ意義はどこにあるのでしょうか。
今回のプロジェクトを率いた山本唯人さんの話です。
山本さん:
この東京大空襲というのは、軍人と民間人を無差別に攻撃するという空襲で、約10万人の人々が亡くなった。こういう巨大な戦争災害であるわけですね。空襲という手段によって民間人が殺されるということはですね。その後、実はいま現在もずっと続いている戦争の現実でもあるわけですね。そういう意味で、いったん戦争が始まったときに、民間人はどういうふうになってしまうのかということを知るために、やっぱりこれからも伝え続けていかなければいけない事実だと思っています。
阿部さんが担う戦争体験の継承
―――このデジタル化プロジェクトでは、阿部さんをはじめとする6人の若者が、それぞれ手記の1篇を詳細に分析し、リポートの発表、企画展示などを通して、東京大空襲の記憶を広く伝える活動に取り組みました。
森川寿美子さんの手記と出会い、その思いに触れた阿部さん。
森川さんは2006年、平成18年に亡くなっていますが、これからも彼女が書き残した資料を集め、その記憶を引き継いでいこうと考えています。
阿部さん:
手紙でやり取りをしているわけでもないですし、もちろん出会ってじっくりお話をしているわけでもないですし、森川さんの例えば家族の方とお話をしているわけでは一切ないんですけど。森川さんと、こういうふうに原稿を通して対話していくことによって、森川さんのことについてももちろん考えますし、森川さんが直面した東京大空襲についても考えますし、戦争についても考えるきっかけを与えてくださった方なので。今後、森川さんのいろんな資料と向き合いながら、戦争について考える、戦争をどういう風に継承していくのか考える、歴史について考える。向き合っていくっていうのが一番大事なのかなとは思います。
―――残された原稿から東京大空襲の記憶を引き継ぐ。
27歳、阿部翔真さんが向き合う「戦争のはなし」。その歩みは始まったばかりです。
手記引用元:森川寿美子「敦子よ涼子よ輝一よ」
(『東京大空襲・戦災誌』編集委員会編『東京大空襲・戦災誌』第1巻 東京空襲を記録する会発行1973年)
【放送】
2023/08/15 「Z世代が伝える戦争のはなし」