落ちぶれた元成功者に「どんな気持ちだ」と問いかける人や、「捨ててしまってからその価値に気づいた」人など、曲にのせてさまざまな人生や生き方を歌うボブ・ディラン。頭木弘樹さんは、ボブ・ディランの詩の世界に登場する人々やボブ・ディラン自身に思いをはせ、ときにご自分を重ねます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
落ちぶれた元成功者に「どんな気持ちだ」と問いかける人や、「捨ててしまってからその価値に気づいた」人など、曲にのせてさまざまな人生や生き方を歌うボブ・ディラン。頭木弘樹さんは、ボブ・ディランの詩の世界に登場する人々やボブ・ディラン自身に思いをはせ、ときにご自分を重ねます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
どんな気持ちだ
どんな気持ちだ
ひとりぼっちになるというのは
帰るところがないっていうのは
知り合いもなく生きるのは
石ころみたいに転がっていくのは
ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリング・ストーン」(『The Lyrics 1961-1973』佐藤良明訳 岩波書店)
――「ライク・ア・ローリング・ストーン」という曲で、1965年にシングルとして発売されて、6作目のスタジオ・アルバム「追憶のハイウェイ61」に収録されました。翻訳は佐藤良明さんです。
頭木:
これはボブ・ディランの最大のヒット・シングルです。ただ、これまでの曲と大きく違っていますよね。これまではギターとハーモニカというアコースティックなスタイルでした。でも、この曲はバンドの演奏で、しかもエレクトリックなスタイルですよね。
――ああ、そうですよね。エレクトリックですね。
頭木:
この変化が当時、大変物議を醸したんですね。フォークソングのファンの間では、アコースティックな楽器を使うということが尊重されていたんですね。ですから大不評だったんです。ボブ・ディランはコンサートの前半をアコースティックで、後半をエレクトリックなバンド演奏というふうに2部構成にしたんですが、前半を喜んで聴いていたお客さんが後半に激怒する、そういうことが起きていたんです。当時の映像などが残っていますが、すごいブーイングで、会場から「裏切り者」とののしられたりしています。
――今聴くと、どちらもいい曲という感じですが、当時はそんな騒ぎになるほどの大変なことだったんですね。
頭木:
そうですね。ボブ・ディランはどんどん変化していくタイプの人なんですよね。だから、このあともさらに変化していって、そのたびに騒ぎになっています。
――そんな騒ぎをものともせず。この曲の歌詞もまたすごいですね。
頭木:
これは、社会的な弱者を見下していた成功者が、自分自身が転落してしまって、食事にも困り、住む家もなく、誰にも見向きもされなくなってしまうんですね。その人に「どんな気持ちだ」と問いかけているわけです。
ただ、ざまあみろとか、いい気味だとか、そういう罵倒の曲ということではなく、落ちぶれることも経験した今ならもっといろんなことがわかるだろう、という曲なのでないかと思います。
――自分が経験してみて初めてわかるということは、確かにありますよね。
では、次のボブ・ディランの絶望名言です。どうぞ。
いちどでもいいから
おれのクツのなかみになって
一瞬間(いっしゅんかん)でもいいから
いれかわってみないか
そうさ いちどでもいいから
おれのクツのなかみになってみたら
あんたがどれだけ足をひっぱってるか
わかるだろうよ
ボブ・ディラン「断乎(だんこ)として四番街」(『ボブ・ディラン全詩集』片桐ユズル、中山容(よう)訳 晶文社)
――1965年にシングルとして発売された曲で、のちに『ボブ・ディランのグレーテスト・ヒット』というベスト盤に収録されました。翻訳は片桐ユズルさんです。
頭木:
はい。タイトルは「寂しき4番街」というふうに訳されることが多いですね。
先ほどお話ししたように、ボブ・ディランはアコースティックからエレクトリックに変化したことで、かなり非難を浴びました。この曲はそういうファンに向けて作られたものではないか、といわれています。でも、それだけに限定して考える必要はないと思いますね。こっちの立場に立って考えてみてほしい、と。一瞬でもいいから入れかわってみないか、というのは、すごくいろいろなときに思うことではないでしょうか。
――たしか、英語では「相手の立場になって考える」ことを「相手の靴を履く」と言うんだそうです。この「おれのクツのなかみになって」というのは、おれの立場になってみてほしいということになるわけですね。
頭木:
「相手の立場になって考えてみよう」ということはよく言われますが、実は全然できていないんですよね。難しいですよね。
私は、三田村信行さんの『おとうさんがいっぱい』(理論社)という児童文学を読んだときに、自分も全然できてないなって、すごく衝撃を受けたんです。
――ほう、それはどういうお話ですか?
頭木:
ある日、おとうさんが何人にも増えてしまうんです。ぜんぶ本物で、見分けがつかないわけですね。でも、おとうさんが何人もいては困るんで、ひとりだけ選んで、あとは処分されることになるんです。主人公の男の子は、選ばれるおとうさんたちをかわいそうには思いますが、しかたないとも思うんですね。で、おとうさんはひとりになって、平穏が戻るんです。
でもラストで、主人公の男の子が家にいたら、そこに自分が帰ってくるんです。
――ほう。主人公の男の子のほうが、逆に今度は何人にも増えてしまうわけですね。
頭木:
そういうことですね。選ぶ側のときはしかたないと思うわけですが、自分が選ばれる側になってみると、これはしかたないなんて全然思えない。
――確かにそれはそうですね。
頭木:
これを読んだときに、実際に自分がその立場に立ってみないと物事ってわからないものだなあと、本当にしみじみ思いました。
――おもしろい物語があるんですね。
人の命がかかわるようなことでも、「しかたない」ですまされていることは、実際にいろいろありますよね。
頭木:
そうなんですよね。だからやっぱりもっと真剣に「おれのクツのなかみになって」みる必要がありますよね。
――なかなかそれは難しいけれど、その必要はありますよね。
では、次のボブ・ディランの絶望名言です。
山々を掌中に握りしめ
そこを縫って流れる川は日々水が絶えることがない
そんな時もあったのにぼくは頭がおかしくなっていたのだろう
すべてを捨て去って初めて
自分が手に入れていたものに気づくだなんて
ボブ・ディラン「すべて捨て去ってしまった」(『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』中川五郎訳 ソフトバンククリエイティブ)
――「すべて捨て去ってしまった」という曲で、1969年に発売された9作目のスタジオ・アルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』に収録されています。翻訳は中川五郎さんです。
頭木:
この、山と川というのは比喩ですね。非常に豊かなものを自分は手にしていたのに、それを捨ててしまって、捨ててしまってからその価値に気づいた、ということですね。
――失ってみるまで、自分が手にしているものの価値がわからないということは、本当にありますよね。
頭木:
そうですよね。私なんかも、健康はまさにそうでしたね。健康なうちは、別に健康なだけでは幸せともなんとも思っていなかったですから。健康以外でも、家族とか、恋人とか、友達とかいろんなことで、手にしている間はわずらわしかったりするのに、いざ失ってみると掛けがえのない大切なものだったと気づかされたりしますよね。
――ありますね、そういうことはね。
あの、ちょっと気がついたんですけれど、ボブ・ディランの声はレコードやCDによってずいぶん違いますね。
頭木:
ああ、そうなんですよね。ボブ・ディラン自身は「たばこをやめたら声がきれいになった」とか。
――ああ、そうですか。
頭木:
どこまでが本当かはわからないんですが(笑)。でも、この『ナッシュヴィル・スカイライン』に収録されている歌の声は、いつもの特徴的な声と違いますよね。
――すごく滑らかな。これが本来のボブ・ディランの声ではないかというふうに思いますけれども。
50代か60代みたいなしゃがれた声で歌っているのが印象に残っているものですから、ああ、こんなに滑らかな声をしてるんだ、というふうに思ったりします。また、CDとかレコードで写真を見ると、なんだ、こんなに若々しくいい男なんじゃないか、って思ったり(笑)。意外性を感じさせるボブ・ディランですが。
頭木:
そうですね。
『ナッシュヴィル・スカイライン』を出す3年前の’66年7月29日に、ボブ・ディランはオートバイに乗っていて転倒し、ケガをしてしまいます。重症というニュースが流れて、すべてのスケジュールがキャンセルされます。そこから、’74年にツアーに本格復帰するまで、なんと7年半も隠とん生活が続くんですね。
――ああ、そんなに重症だったんですか?
頭木:
いや、そうでもないようなんです。ケガが治ってからも、しばらく家庭人として過ごそうとしたようです。
自伝の中でこんなふうに書いています。川野さん、お読みいただけますか。
――はい。
わたしはバイク事故にあって怪我をしたが、それはすでに回復していた。本当のところは、競争ばかりの社会を抜けだしたかったのだった。子どもを持ったことで人生が変わり、わたしは周囲の人や世のなかのできごとから遠く離れた。家族以外のことには興味を持たず、何もかもをちがった眼鏡をとおして見ていた。
ボブ・ディラン『ボブ・ディラン自伝』(菅野ヘッケル訳 ソフトバンク クリエイティブ)
翻訳は菅野ヘッケルさんです。
頭木:
事故当時、ボブ・ディランは25歳ですから、ずいぶん早い隠とん生活ですけれど、そうしたくなるくらいずっと走り続けてきた、ということなんでしょうね。62年にデビューですから、まだ4年の活動期間なんですけどね。
――82歳の現在でも活躍しているボブ・ディランですが、若いときに隠とん生活を送っていたんですね。
頭木:
不思議な感じがしますね。ただ、仲間たちとレコーディングはしていたんです。そして、アルバムも出します。
――そのうちの1枚がこの『ナッシュヴィル・スカイライン』ということなんですね。
では、次のボブ・ディランの絶望名言です。どうぞ。
きのうおれは通りでだれかが
泣くよりほかにどうしようもないのを見た
おおこの河はながれつづけるのです
なにがじゃまに入ろうと 風がどちらへ吹こうと
河がながれつづけるかぎりおれはここにすわって
河のながれるのを見る
ボブ・ディラン「河のながれを見つめて」(『ボブ・ディラン全詩集』片桐ユズル、中山容(よう)訳 晶文社)
――「河のながれを見つめて」という曲で、1971年にシングルとして発売され、『グレーテスト・ヒット第2集』に収録されました。翻訳は片桐ユズルさんです。
頭木:
「泣くよりほかにどうしようもないのを見た」というところが、しみますよね。
泣くよりどうしようもないことって、ありますよね。そのあとの「この河はながれつづける」というのは、泣くよりどうしようもないことが起きつづける、という意味なのか、それとも、人間が泣いていようが笑っていようが、河はながれつづけるということなのか。いろいろに解釈できますが、とてもひきつけられる詩ですね。
――頭木さん、人間って、悲しいとき、悩みのあるとき、河を見るとなんだか落ち着くような気がしますね。
頭木:
そうですね。あれはなんなんでしょうね。海を見たり、河を見たり、したくなりますよね。
これは’71年の曲で、その後、ボブ・ディランは’74年にツアーに復帰します。このときの様子は、『偉大なる復活』というライブ盤に収録されています。
――その後のボブ・ディランの活動は順調だったんですか?
頭木:
70年代はすごく順調なんですね。’76年に発売された『欲望』というアルバムは、ボブ・ディランにとって最大のセールスとなります。’79年の『スロー・トレイン・カミング』というアルバムは、ゴスペル調に変化して、また離れていくファンもいたんですけれど、それでも全米で3位になって、グラミー賞も獲得します。
ただですね、80年代に入るとアルバムのセールスが落ちていくんですね。ライブでの観客動員も減っていくんです。’90年に『アンダー・ザ・レッド・スカイ』というアルバムを出したあとは、7年間もスタジオ・アルバムを作らなくなってしまいます。
――ボブ・ディランにも、そういう時があったんですね。
頭木:
ええ。一方で、90年代に過去の音源がCD化されて、再評価が進むんですね。新しい世代のファンがあらわれてくるんです。それにボブ・ディランも元気づけられたのか、’97年に『タイム・アウト・オブ・マインド』というアルバムを出します。これが18年ぶりに全米トップ10に入り、グラミー賞年間最優秀アルバム賞も受賞するんです。で、そこからは今に至るまでずっと活躍中ですね。
――ボブ・ディランはずっと栄光に包まれた人生かと思っていましたが、細かく見ていくと、いろいろと起伏があるんですね。
頭木:
そうですね。
――さて、頭木さん、番組も終わりに近づいてきました。最後にご紹介するボブ・ディランの絶望名言についてご説明ください。
頭木:
はい。「天国のドアを叩く」という曲です。「天国への扉」とも訳されます。これは『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』という映画の挿入歌です。ボブ・ディランの曲の中でも、カバーするアーティストが最も多い曲だそうです。映画の中で、保安官が死んでいくシーンで使われています。
バッジを外し、銃を捨て、目の前が暗くなって、天国の扉をノックするんですね。ノックしているということは、天国の扉は開いていないわけですよね。ノックしても開くかどうかはわかりません。それを何度も何度もノックし続けているという歌です。
これもさまざまに解釈できると思うんですが、ぜひお聴きいただきたいと思います。
――はい。そういう意味の曲なんですね。翻訳は佐藤良明さんです。
では頭木さん、今回もどうもありがとうございました。
頭木:
ありがとうございました。
たのむ、銃を埋めてくれ
二度と使うことはない
黒い雲が空から降りる
天国のドアを叩く、そんな気がする
コンコン叩く、天の扉
コンコン叩く、天国のドア
コンコン叩く、天の扉
コンコン叩く、天国のドア
ボブ・ディラン「天国のドアを叩く」(『The Lyrics 1961-1973』佐藤良明訳 岩波書店)
【放送】
2023/08/28 「ラジオ深夜便」
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