ボブ・ディランの「絶望名言」前編

絶望名言

放送日:2023/08/28

#絶望名言#文学

半世紀以上にわたって第一線で活躍し続けているミュージシャン、ボブ・ディラン。ノーベル文学賞ほか数々の賞を受賞するなど、輝かしい功績をあげているボブ・ディランの「絶望名言」を、文学紹介者の頭木弘樹さんが「詩的表現」を中心に読み解きます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

どうしたらいいのか、というこたえはまだ風に舞っている

何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら為政者は
民衆のさけびがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

ボブ・ディラン「風に吹かれて」(『ボブ・ディラン全詩集』片桐ユズル、中山容(よう)訳 晶文社)

――今回は、ボブ・ディランですよね。

頭木:
はい!

――ボブ・ディランといいますとアメリカのミュージシャン、これは皆さんよくご存じでしょう。代表曲には「風に吹かれて」「時代は変る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「天国への扉」などがあります。現在、82歳(1941年5月24日生まれ)でまだまだ活躍中なんですね。
以前、このコーナーでビートルズをご紹介しましたが、ビートルズと同じように、ボブ・ディランも伝説的な存在と言えますね。

頭木:
はい。

――2016年にはノーベル文学賞も受賞されています。

頭木:
ええ。あれはびっくりしましたね。

――ミュージシャンとして初めてのノーベル文学賞の受賞でした。「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した」というのが受賞の理由でした。
今回はその「詩的表現」を中心にご紹介いただけるということですね。

頭木:
そうですね。ボブ・ディランの全詩集の翻訳が、これまで3種類出版されています。川野さん、ご紹介いただけますか?

――はい。まず、1974年に刊行された『ボブ・ディラン全詩集』。翻訳は片桐ユズルさん、中山容(よう)さんです。’93年には増補版も出版されています。
そして、2005年に刊行された『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』。翻訳は中川五郎さん。
それから、少したって2020年に刊行された『The Lyrics 1961-1973』と『The Lyrics 1974-2012』の2冊。翻訳は佐藤良明さんです。
いずれも本国でボブ・ディランが公式に出した本の翻訳で、実際の歌詞とは少し違っている場合もあるそうです。

頭木:
はい。3種類の翻訳で読めるというのはぜいたくでありがたいことですよね。今回はこの3種類の翻訳に敬意を表して、3種類すべてからそれぞれ引用させていただきたいと思います。

――そうですね。では、最初にご紹介したボブ・ディランの名言を、あらためてご紹介します。

何度見上げたら
青い空が見えるのか?
いくつの耳をつけたら為政者は
民衆のさけびがきこえるのか?
何人死んだら わかるのか
あまりにも多く死にすぎたと?
そのこたえは、友だちよ、風に舞っている
こたえは風に舞っている

ボブ・ディラン「風に吹かれて」(『ボブ・ディラン全詩集』片桐ユズル、中山容(よう)訳 晶文社)

翻訳は片桐ユズルさんです。この「風に吹かれて」という曲は、1963年5月にリリースされたボブ・ディラン2作目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録されています。60年代の曲ですが、今歌われても全くおかしくない内容といえますよね。

頭木:
本当にそうですよね。この曲は、ボブ・ディランが友人たちと長時間、公民権運動について、つまり人種差別の問題について討論して、そのあとで作ったそうなんですけど、なぜそういうことが起きるのかという、人間の根本的な問題まで深くつきつめて描かれているので、いつの時代でも、その時の、今の音楽として聴けますよね。

――おっしゃるような人間の根本的な問題というのは、ずーっと解決していないまま、ということでもありますね。

頭木:
そういうことになりますよね。どうしたらいいのかという答えは、まだ風に舞っているわけですね。

――「こたえは風に舞っている」というフレーズは、非常に心に残りますよね。この曲が多くの人に愛されるのもよくわかります。当時、ボブ・ディランは21歳だったんですね。この「風に吹かれて」という曲で一躍有名になるわけなんですが、今でも代表作というと、たいてい真っ先にこの曲があげられます。

頭木:
そうですね。ただ、この曲はまず「ピーター、ポール&マリー」というグループが歌って大ヒットするんです。全米で2位にまでなります。それで、ボブ・ディラン自身が歌っているものもシングルで発売されるんですが、それは、最初はヒットしなかったんです。

――懐かしいですね、ピーター、ポール&マリー。

頭木:
ご存知ですか?

――よく聴きましたよ。だからこの曲は、ピーター、ポール&マリーのほうで聴いているかもしれません。

頭木:
ああ、そうなんですね。でも、だんだんボブ・ディランは有名になっていって、あの’63年8月28日のワシントン大行進、人種差別撤廃を求めるデモですね。それにボブ・ディランも参加するんです。

――マーティン・ルーサー・キング牧師が「I Have a Dream わたしには夢がある」という演説をした、あの伝説的な集会ですよね。

頭木:
そうですね。あのとき、ボブ・ディランは特設ステージで何曲か歌ったんです。「風に吹かれて」も歌いました。それを集まった20万人以上が聴いて、さらにテレビ中継もされたんですね。そういうこともあって、ボブ・ディランは「フォークの貴公子」と呼ばれるようになって、社会的なメッセージを歌にする時代の代弁者として注目され、熱く支持されるようになるんですね。

――『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』はビートルズも聴いていたそうですね。ただ、これは2枚目のアルバムですよね。1枚目はあまり注目されなかったんでしょうか?

頭木:
そうなんです。ボブ・ディランを見いだして、レコードを作ったのは、ジョン・ハモンドという人なんですよ。この人は、ジャズが好きな人ならみんな名前を知ってますけど、素晴らしい“ぼっちゃん”なんですね。

――ぼっちゃん?

頭木:
ええ。財閥のぼっちゃんなんですけど、その財力にものを言わせて、いろんな埋もれているミュージシャンを発掘していたんですよ。財力をこんないいことに使ったぼっちゃんは、なかなかいないですよね。
おそろしく音楽センスのいい人で、誰も注目していない、地方の場末の店で清掃の仕事をしたりしている人のところに高級車で乗りつけて、さあ、レコーディングしよう、と。で、すばらしい演奏をレコードで残し、天才ミュージシャンを発掘しているんです。

――ほう。おそろしいぐらいすごい人なんですね。

頭木:
この人がいなかったら、ジャズの歴史はぜんぜん違っていたかもしれないですよね。例えばビリー・ホリデイを見いだしたのもこの人ですし、他にもベニー・グッドマンとか、カウント・ベイシーとか、いろんな人とかかわっています。ジャズだけじゃなくて、後にブルース・スプリングスティーンも見いだしています。

――大変な人ですね、ジョン・ハモンド。

頭木:
この人は、ボブ・ディランの才能をゆっくり育てようとしたんですね。なので、最初のデビューアルバムはあまり売れなくて、周囲からは「ハモンドの道楽だ」なんて言われても気にせずに、2枚目のアルバムも作ったわけです。

――その2枚目がうまくいったわけですね。

頭木:
ただ、ジョン・ハモンドはこの2枚目を作っている途中で、プロデューサーを辞任してしまうんですね。

――あれ? なぜ?

頭木:
ボブ・ディランの才能を見出した、もうひとりの男がいたんですね。グロスマンというマネージャーです。この人も大変目がきいたわけですけれど、こちらは商売としてボブ・ディランに目をつけたんですね。これは売れる、と。だから、ハモンドとは方向性がちがうわけです。いわゆる芸術性と商業性の対立ですよね。で、まあ、グロスマンがハモンドを排除したような形になったんですね。

――ボブ・ディランのほうから「いや、そんなことはするな」といったような話はなかったんですか。

頭木:
まあ、ここはうまくやったわけですよ。

――グロスマンが。

頭木:
ええ。

――でも、グロスマンという人が大いに貢献したわけですね。

頭木:
そうですね。その後の成功というのは、グロスマンの力も大きかったのではないかと思います。ただ、ハモンドがじっくり育てていたらどうなっていたのかも気になりますが。

――そうですね。
では、次のボブ・ディランの絶望名言をご紹介します。

若くても、過去を懐かしむこともある

叶わぬこととわかっていても、ぼくはただただ願うばかり
またあの部屋でみんなで一緒にただ座っていられたらと
またあんな日々に戻れるのだとしたら、
一万ドルでもぼくはすぐに喜んで差し出すよ

ボブ・ディラン「ボブ・ディランの夢」(『ボブ・ディラン全詩集 1962-2001』中川五郎訳 ソフトバンク クリエイティブ)

――「ボブ・ディランの夢」という曲で、これも『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に収録されています。翻訳は中川五郎さんです。

頭木:
これは過去を懐かしんでいる、ノスタルジックな曲です。昔、友達と部屋に集まってなんだかんだしゃべっていたあの時代に戻れるのなら、大金でも出すのに、ということですね。

――当時、ボブ・ディランはまだ21歳だったわけですよね。過去を懐かしむというわりには若すぎるじゃないですか。

頭木:
そうですね。でも、そういうこともあると思うんですよね、若くてもね。私の場合も、大学2年生の夏休みに田舎に帰省して、友達何人かで集まって、夕方から翌朝まで一晩じゅう飲んで食べて、ずっとしゃべっていて、なんだかその日はすごく楽しくて、誰が何を言っても笑えて……。そういう時ってありますよね。

――そうですね。

頭木:
翌朝、まだ誰もいない早朝の道を歩いて帰りながら、ああ、楽しかったなあ、またこんな日があるかなあ、と思ったんですよね。でも若いですから、まだまだ何度でもあるよ、と思ったんです。ところが、そのあとすぐ難病になってしまって。友達と一晩中飲んでしゃべって騒いでということはもう、一生できなくなってしまいました。あれが最後だったんですよ。
だから、ぼくもやっぱり、あの日に戻れるんだったらいくらでも出すのにと、若くても思いましたね。まあ、出すお金はないですけれど。

――ははははは(笑)。

頭木:
へへへ(笑)。

【絶望音楽】ボブ・ディラン「ノー・モア・オークション・ブロック」

――では、頭木さんが選んだ「絶望音楽」、今回はどういう音楽でしょうか。

頭木:
はい。今回は「ノー・モア・オークション・ブロック」という曲です。
「オークション・ブロック」というのは、アフリカからアメリカに連れてこられた人たちが、奴隷として売買されるときに立たされた台のことですね。「ノー・モア」、そういうことはもうやめろ、という曲ですね。
南部のアフリカ系アメリカ人の人たちが歌っていた「霊歌(れいか)」「スピリチュアル」と呼ばれる歌ですね。

――ボブ・ディランで、なぜ、この曲なんでしょうか?

頭木:
実は、先ほどの「風に吹かれて」という曲のもとになっているんです。

――ほう、もとになっている曲があったんですか?

頭木:
そうなんです。そう言うと、今だとすぐに「パクリ」とかそういうことを思い浮かべてしまうかもしれませんが、そういうことではないんですね。フォーク・ソングの世界ではそれが普通のやり方なんだということを、ボブ・ディラン自身も言っています。どういうことかというと、すでにある曲をまた自分なりに作り変えて、そうして伝統を継承すると同時に、新しいものにしていくわけです。
このコーナーで以前、落語を紹介しましたが、古典落語はまさにそうですよね。もともとあるものを、いろんな人が自分なりに工夫して語ると。それで、時代を経るほどに、ひとりの人ではとうてい作り上げることができない境地にまで到達していくわけです。
今の時代は、オリジナルであることがすごくもてはやされますし、ひとりの天才のオリジナルな発想というのも確かに魅力的なんですが、もう一方で、たくさんの人が何世代もかけて工夫を積み重ねることで、はじめて到達できる境地というのもあるわけです。先人の植えてくれた木に、自分もまた水をやって、次の世代に残す、そういうこともすごく大事なんだと思うんです。文化というのは、みんなで共有して育てていくべきものですよね。

――ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したとき、受賞理由が「アメリカ音楽の伝統を継承しつつ、新たな詩的表現を生み出した」ということでしたが、それはとても的確なわけですよね。今のお話からいっても。

頭木:
ええ、そう思います。「継承」ということも評価されているのが嬉しいですね。

――そうですね。では、お聴きいただきましょう。「ノー・モア・オークション・ブロック」です。ボブ・ディランによる演奏と歌です。

♬「ノー・モア・オークション・ブロック」 ボブ・ディラン

――なんだか、胸にとてもしみてくる曲ですね。

頭木:
すばらしい曲ですよね。

――どことなく「風に吹かれて」のように聞こえるところはあるけれども、まあ、ずいぶん変わっていますね。

頭木:
そういう自分なりの工夫を加えるのが肝心なところですよね。歌詞はまったく違いますしね。でも、精神は受け継いでいるわけです。

――なるほど。


【放送】
2023/08/28 「ラジオ深夜便」


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