坂本龍馬の「絶望名言」後編

23/08/11まで

絶望名言

放送日:2023/06/26

#絶望名言#文学

姉の乙女、妻のお龍、千葉道場の千葉佐那。強い女性が好きだったといわれる坂本龍馬ですが、「強いから好きというより、その人のいいところを素直に評価するというのが龍馬」と頭木弘樹さんは考えます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

【絶望音楽】オリアンティ「アコーディング・トゥ・ユー」

――ではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」をお聴きください。今回はどういう音楽でしょうか。

頭木:
今回はオリアンティ(Orianthi)の「アコーディング・トゥ・ユー(According To You)」という曲を聴いていただこうと思います。

――ほう、珍しいですね。なぜこの曲を選んだんですか?

頭木:
ちょっと説明が長くなるんですが、ここで龍馬の妻になったお龍(りょう)のことを紹介したいと思います。龍馬は「慶応元年九月九日 坂本乙女、おやべあて」の手紙の中で、お龍のエピソードをかなり詳しく書いているんですが、これがなかなかすごいんですよ、このエピソードが。お龍は医者の娘だったんですが、その医者の父親が亡くなって、一家はとても貧しくなってしまうんですね。その苦しい生活の中で、16歳の妹が売られてしまうんです。悪いやつが母親をだましたんですね。それを知った23歳のお龍は、刃物をふところに入れて、悪いやつのところにのりこんで行って「妹を返せ」とどなったんです。悪者のほうは、入れ墨を見せつけてすごんだり、お龍を脅かしたんですが、お龍はとびかかって相手の胸倉をつかんで、顔を何度もたたいたんだそうです。で、「この女、殺すぞ!」と脅されるんですが、「面白い、殺せ、殺せ」と、ぜんぜんひるまない。これにはさすがの悪者もびっくりして、なんと、ついに妹を取り返したんだそうです。

――よくやりましたね、そこまで!

頭木:
龍馬もすっかり感心したようで、同じ手紙で「まことにおもしろき女ニて」と書いています。このお龍は、翌年、龍馬が寺田屋で奉行所の捕り方に襲撃された「寺田屋事件」の時も、いちはやくそれを龍馬に知らせて、さらに薩摩藩邸にも知らせに走ったと。龍馬は手紙で、このときのことをこう書いています。

此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり。

坂本龍馬『手紙 慶応二年十二月四日 坂本乙女あて』 青空文庫

頭木:
なにしろ、このお龍さんは、刀を向けられても平然としている人だったそうです。

――なかなかそういう人はいませんよ、幕末とはいえ。龍馬は、そういう強い女性が好きだったんですかね?千葉道場の千葉佐那(さな)という人がいましたけれども、この人ともお互いに好意を持って恋愛関係にあったそうですね。千葉佐那も剣術の達人で、大変強かったそうですね。

頭木:
「千葉の鬼小町」と呼ばれて、14歳で北辰(ほくしん)一刀流の免許皆伝を受けたそうですから、すごいですね。力も強かったそうですね。

――なかにはそういう人もいるんですね。この千葉佐那という人も、強い女性。

頭木:
ええ。だから、龍馬の姉の乙女も強い女性だったということから、龍馬はそういう女性が好きだったんじゃないかともいわれますね。ただ、私は、強いから好きだったというより、その人のいいところを素直に評価するというのが龍馬だったんじゃないかなと思いますね。

お龍は、龍馬以外には、あまり好かれていないんですよ(笑)。外見にひかれて寄ってくる男性はいくらもいたんですが、なにしろ気が強くて、いわゆる当時の女らしさみたいなものからは、大きくはみ出しているわけです。だから、あまり評判がよくなかったりするんです。でも、龍馬だけは「まことに面白き女」と高く評価してくれるわけですよね。だから、お龍のほうも、龍馬の言うことだけは聞いていたそうです。

――ああ、あれだけの人物ですしね。お龍さんのほうも、龍馬の言うことだけは聞いていたというのは分かりますけれども。うん。

頭木:
自分のよさをわかってくれる人だから、ということですね。で、まあ、すっかり話が長くなってしまったんですけれども。

――あ、そうそう、今回の曲だ。

頭木:
ええ。この曲はですね、「あなたに言わせると、私はろくでもない女だけど、でも、彼は言ってくれるの、私は最高の存在だと。あなたが欠点だと言ったところを、彼は好きだと言ってくれるの」と、大きく言うと、そういう内容の歌詞なんです。つまり、ある女性の、一般的にはけなされがちな性質を、ひとりの男性だけは逆にそこを高く評価して、最高の存在だと言ってくれると。坂本龍馬は、そういう男性だったんじゃないでしょうか。

――なるほど、そういうところに結びついて、この歌が出てくると。

頭木:
ええ。龍馬は女性にモテるんですけど、そういうところが理由じゃないかなと思いますね。

――はあ、わかりました。ではお聴きいただきましょう。

♪「アコーディング・トゥ・ユー」 オリアンティ

――頭木さん、よくこういう音楽を選ばれますね。

頭木:
ちょっと、お龍の感じと似ていません?

――うん、そういう曲をよくご存じですね。幅が広いですね。

頭木:
あっはっは(笑)。ありがとうございます。

――うん、私は知りませんでした。でも、歌詞の中身を見ると、そういうことが書いてある。坂本龍馬の妻のお龍さんとよく似ている。

頭木:
自分のよさを認めてくれる人は、男でも女でもなかなか見つからないですね(笑)。

――世の中に男がたくさんいるけれども、私のいいところをわかってくれるのは本当にいないんだから、わかってもらいたいわ、というふうに叫んでいる、オリアンティの「アコーディング・トゥ・ユー」をお聴きいただきました。では、次の坂本龍馬の絶望名言をご紹介しましょう。

命さえ捨ててかかれば面白い

世の中の事ハ月と雲、実ニどフなるものやらしらず、おかしきものなり。うちにおりてみそ(味噌)よたきゞ(薪)よ、年のくれハ米うけとりよなどよりハ、天下のセ話ハ実ニおふざツパ(大雑把)いなるものニて、命さへすてれバおもしろき事なり。

坂本龍馬『手紙 慶応二年十二月四日 坂本乙女あて』 青空文庫

――これは慶応2年12月4日、坂本乙女あての手紙の一節です。

頭木:
世の中のことは月と雲。どのように変化していくか予想がつきません。月は、雲に隠れて暗くなったり、またパッと出て明るくなったり、いろいろ変化しますね。おかしなものですね、と。土佐の家にいて、みそが切れそうとか、薪(まき)を割らなければとか、年末の米の受け取りをどうするかとか、家族の世話をこまごまするのに比べたら、天下国家の世話をするのは大ざっぱなものです。命さえ捨ててかかれば、面白いものです。というような意味ですね。

まあ、天下のことも、いろいろこまごましたことがあると思いますけれど、ようするに、非日常的な大きなことをするか、日常のこまごましたことをするかという対比でしょうね。

――若いときは、大きいことにあこがれるっていうことがありますよね。年をとってくると、やっぱり細かくなりますかね。日常がとっても大事なんだってことを感じるっていうふうになりますかね。

頭木:
私も10代のときは、何か大きなことがしたいと思っていましたね。二十歳で病気になって以降は、朝の空気が気持ちいいとか、みそ汁がおいしいとか、そういうささやかなことを大切に思うようになりました。山田太一の『早春スケッチブック』というドラマに、こういうセリフがあるんですよ。

「人間は、給料の高を気にしたり、電車がすいてて喜んだりするだけの存在じゃあねえ」
「偉大という言葉が似合う人生だってあるんだ」

山田太一『早春スケッチブック 山田太一セレクション』 里山社

頭木:
若いときは、こういう言葉にしびれますよね。でも、一方で、このドラマにはこういう言葉も出てくるんです。

「細々(こまごま)と心配して行くことが、生活していくことだ」
「ありきたりだろうとなんだろうと、三度三度の飯をつくり、金を算(かぞ)え、掃除をし、着るもんの心配をしていかなきゃあ、子供なんて育つもんじゃない」

山田太一『早春スケッチブック 山田太一セレクション』 里山社

――うーん。言えてますね、それは。毎日の生活の細々したこと、これも大切。今ではそっちの方が大切だって感じがしてきますけど、私はね。

頭木:
そうですね。この手紙は、龍馬が寺田屋で襲撃されたあと、そのときの傷を癒やすために、龍馬がお龍といっしょに温泉巡りをした、新婚旅行ともいわれる旅の様子が書かれたものです。ですから、「命さへすてれバおもしろき事なり」というのは、今度は、本当に命を落としかけたあとで言っていることなんですね。

――そうなんですね。まあ、覚悟があるからこそ言えるんで、しみじみと伝わってきますね。

頭木:
そのへんはさすがですね。

――では、坂本龍馬の絶望名言、次の言葉です。

龍馬も和歌を詠んでいた

人心(ひとごころ)けふやきのふと かわる世に 独(ひとり)なげきの ます鏡哉(かな)

坂本龍馬『和歌二』 青空文庫

――和歌ですね。坂本龍馬は、和歌も詠んだんですか?

頭木:
そうなんですね。いちばん有名なのは、これじゃないですかね。

世の人は われをなにとも ゆはゞいへ わがなすことは われのみぞしる

坂本龍馬『和歌二』 青空文庫

頭木:
これは力強い内容ですよね。一方で、先ほどのような和歌もあるわけです。人の心というのは変わりやすいということを、嘆いている歌ですね。こういうのもあります。

うき事を 独明しの 旅枕 磯うつ浪(なみ)も あわれとぞ聞(きく)

坂本龍馬『和歌二』 青空文庫

頭木:
細かい説明は省略しますが、憂うつな思いを抱えて、ひとりで旅をして、夜中に宿で横になっていると、聞こえてくる波音にあわれを感じる、というような意味かと思います。実はこういう和歌も、坂本龍馬は詠んでいるんですね。

――そうですか。龍馬の一面を感じさせますね。ひとりで旅をして、夜中に宿で横になっていると、聞こえてくる波音にあわれを感じる。いいですねえ。では、次の絶望名言です。

龍馬が新しい時代を生きたとしたら

大兄御事(おんこと)も今しバらく命を御大事ニ被レ成(なされ)度(たく)、実ハ可レ為(なすべき)の時ハ今ニて御座候。やがて方向を定め、シユラか極楽かに御供可レ申(なすべき)奉レ存(ぞんじたてまつり)候。

坂本龍馬『手紙 慶応三年十一月十一日 林謙三あて』 青空文庫

――慶応3年11月11日、林謙三あての手紙です。林謙三という人は、のちに海軍中将になった人です。頭木さん、訳をお願いします。

頭木:
あなたも、今しばらくは命を大事になさってください。じつは今こそ、行動を起こすべきときです。進むべき方向を見定めて、修羅か極楽かにお供するつもりです。というような意味ですね。

――何か切々と響いてきますね。「命をしばらくは大事になさってください。じつは今こそ、行動を起こすべきときです」。

頭木:
これは実は、龍馬が暗殺される4日前の手紙なんですね。暗殺されたのは、慶応3年11月15日(太陽暦では1867年12月10日)。満年齢で、まだ31歳でした。「近江屋事件」とも呼ばれますが、京都の近江屋で、いっしょにいた中岡慎太郎、山田藤吉(やまだ・とうきち)も殺されています。誰が犯人なのかについては諸説あって、いまだに議論されていますね。

――あの有名な大政奉還が慶応3年の10月14日ですから、そのちょうど1か月後なんですね。

頭木:
そうですね。龍馬の暗殺の翌月、慶応3年12月9日に「王政復古の大号令」が発せられ、翌年の慶応4年が明治元年です。

――明治元年か……。新しい時代をつくるため奔走した坂本龍馬が、あの坂本龍馬が、新しい時代になる直前に暗殺されてしまったと、いうことですね。

頭木:
そうですね、はい。

――もし坂本龍馬が生きていたら、どういうふうに生きたんでしょう?

頭木:
どうしていたんでしょうね。残っている話としては、慶応3年の冬のはじめ、暗殺される少し前ですが、龍馬と西郷隆盛が会ったときに、新政府の高官のリストを西郷隆盛が見て、「あなたの名前がないが、どういうことか?」と龍馬に聞いたんですね。すると龍馬は、「どうも私は、窮屈な役人になるのはかなわない」と答えて、西郷隆盛が「じゃあ、何をするのか?」と重ねて聞くと、「世界の海援隊でもやりましょうか」と言ったということです。

――大海原に乗りだして、世界を相手に貿易をやろうということでしょうかね。

頭木:
ただ、別の話もあって、妻のお龍には、「山の中でのんびり暮らすつもり。役人になるのはいやだ。退屈したときに聴きたいから、月琴を習っておいてくれ」というようなことを言っていたそうです。月琴というのは、楽器ですね。

――幕末の殺伐たる雰囲気の中で、国事に奔走してきたわけだから、まあ、そういう気持ちになるのも分かりますね。

頭木:
どっちも本当の気持ちだったのかもしれませんね。一段落したら、のんびりもしたいでしょうし、まだ若いですから、ずっとのんびりもしていられないでしょうし。

――新政府の高官になるつもりがなかったのは、共通しているということですね。

頭木:
そうですね。だからこれはきっとそうなんでしょうね。でも、なかなかできないことですよね。そのためにいろいろやっておいて、そういう地位や権力を放棄するというのは。あと、蝦夷地、今の北海道などですが、そこに行こうともしていましたし、坂本龍馬のその後というのは、ちょっと他人には想像がおよびませんね。

――予想がつかないところも、坂本龍馬らしいということが言えますね。

頭木:
ええ、さすがだと思いますね。

――本当に人物が大きくて、心根が優しくて、ますます好きになったなあ、っていう感じがしてきましたね。

「露の命ハはかられず」

――では、きょう最後にご紹介する坂本龍馬の絶望名言について、ご説明ください。

頭木:
はい。これは、仲のよかっためい、春猪(はるい)への手紙の一節です。先に現代語訳を紹介しておきます。

これから先のおまえの人生には、いろいろな心配事が起きてくるだろう。それはちりとりで掃き集めて捨てるわけにはいかないし、鎌(かま)や鍬(くわ)で払いのけることもできない。せいいっぱいがんばって、長い年月を生きていくんだよ。
私も、もし死ななかったら、4~5年のうちには土佐に帰るかもしれない。だけど、「露の命ハはかられず」──つまり、草の葉についた朝露のように、いつ消えてしまうかわからない。
というような意味です。

――頭木さん、今回もありがとうございました。

頭木:
ありがとうございました。

是(これ)からさきのしんふわい(心配)/\ちりとり(塵取)ににてもかきのけられず、かま(鎌)でもくわ(鍬)でもはらハれず、ふ(ず)いぶん/\せいだしてながいをとし(御年)ををく(送)りなよ。
私ももしも死ななんだらりや、四五年のうちにハかへるかも、露の命ハはかられず。

坂本龍馬『手紙 慶応三年一月二十日 姪 春猪(はるい)あて』 青空文庫
※慶応二年の説もあり


【放送】
2023/06/26 「ラジオ深夜便」


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