言わずと知れた幕末の志士、坂本龍馬は「人生は思ったとおりにはならない、思いがけないことが起きる」という人生観を根底に持っていたようです。絶望とは無縁に思える坂本龍馬の絶望名言を、文学紹介者の頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
言わずと知れた幕末の志士、坂本龍馬は「人生は思ったとおりにはならない、思いがけないことが起きる」という人生観を根底に持っていたようです。絶望とは無縁に思える坂本龍馬の絶望名言を、文学紹介者の頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
扨(さて)も/\人間の一世(ひとよ)ハがてん(合点)の行ぬハ元よりの事、うん(運)のわるいものハふろ(風呂)よりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。
坂本龍馬『手紙 文久三年三月二十日 坂本乙女あて』 青空文庫
――今回は坂本龍馬ですよね。坂本龍馬について知らない人はいない、と言っていいと思います。幕末の志士として活躍した人物で、薩長同盟や大政奉還などに大きな功績があったとされています。日本で最初の商社とも言われる「亀山社中」、そして「海援隊」を結成して、船で世界に乗り出そうとした人物でもあります。
頭木:
はい、そうですね。
――坂本龍馬というと、おおらかで、とても前向きなイメージで、龍馬とこの絶望名言は、あまり合わないんじゃないかという気がしますけれども、どうですか?
頭木:
そうですよね。実際、坂本龍馬は、絶望的なことはほぼ言っていないんです。
――言っていないけれども、どうして今回、坂本龍馬の名言を、言葉を紹介することになったんでしょうか?
頭木:
以前、ゲーテをご紹介しましたが、ゲーテも、希望に満ちた言葉を語る人なわけですけれど。
――そうですよね、あの方も。
頭木:
でも、単にポジティブなだけじゃなくて、絶望に裏打ちされていましたよね?
――ああ、そうか。
頭木:
坂本龍馬も、同じようなところがあると思うんです。
――ほう。どういうところですか?
頭木:
京都国立博物館の宮川禎一(みやかわ・ていいち)さんが、坂本龍馬の手紙をすべて現代語に訳しておられるんですが、その本の「あとがき」で、非常に興味深いことを書いておられるんですね(『増補改訂版 全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙』教育評論社)。手紙の中で、龍馬が最も多く使っている表現は、おそらく「はからずも」だろうと。「はからずも」というのは、「思いがけず」とか「予想外に」とか「不意に」とか、そういう意味で、「人生は思った通りにはならない、思いがけないことが起きる」ということですね。
坂本龍馬は、幕末の志士として、なんとか思いどおりの世の中に変えようと、日々奮闘していたわけですよね。そういう人が、根底では、「人生は思ったとおりにはならない、思いがけないことが起きる」という人生観を持っていたというのは、すごく面白いと思うんですよね。
ゲーテもこんなふうに言っていましたよね。「望んでかなうことなら、努力に値しない」と。「やればできるからやるんじゃなくて、やってもできないことだからこそ、がんばるんだ」と。坂本龍馬も、そういう思いだったんじゃないでしょうか?
――坂本龍馬とゲーテが、そこでつながりがあるのは、なるほど。
頭木:
冒頭で紹介した言葉にも、龍馬の「はからずも」という考え方が感じられるんじゃないかと思います。
――改めてご紹介します。
扨(さて)も/\人間の一世(ひとよ)ハがてん(合点)の行ぬハ元よりの事、うん(運)のわるいものハふろ(風呂)よりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。
坂本龍馬『手紙 文久三年三月二十日 坂本乙女あて』 青空文庫
――ちょっと放送上、適切ではない言葉も含まれていますが、坂本龍馬の言葉をそのままお伝えしております。どうぞ、ご了承ください。これは文久3年3月20日、坂本乙女あての手紙の一節です。
頭木:
坂本乙女(おとめ)というのは、龍馬の姉ですね。龍馬と姉はとても仲がよくて、姉への手紙は、どれもすごく打ち解けた楽しい内容で、龍馬の人柄の魅力があふれています。
――意味はだいたい分かるつもりですけれども、現代語に訳していただけますか?
頭木:
人の一生は、納得がいくように説明できるものでは、もちろんないけれども、ときには、風呂から出ようとして、急所をぶつけて死んでしまうこともある、というような意味ですね。
――「はからずも」という言葉が、ここで意味を持ってきますね。このとき、坂本龍馬の身の上に危険が差し迫った、ということはあったんでしょうか?
頭木:
いえ、この手紙はむしろ、自分のうれしい近況を伝えるためのものなんです。坂本龍馬は、土佐国(とさのくに)、今の高知県の生まれですが、その土佐藩を脱藩し、つまり飛び出して1年後の手紙です。いま日本で一番の人物である勝海舟の弟子になって、やってみたかった船の勉強をしているという、やる気に満ちた内容です。姉の乙女にも、「どうか喜んでください」というふうに書いています。
――人生、順調だったわけですよね、これから、って感じで。でも、こんなことを書いたわけですね?
頭木:
そうなんです。そこが龍馬の面白いところで、人物にすごく奥行きがありますよね。
――先ほどの言葉に出てきましたけれども、「はからずも」という気持ちが、いつもあるんですね。
頭木:
実際、その後の坂本龍馬の人生は、思いがけないことの連続ですよね。暗殺されかけたり、せっかく手に入れた船が沈んだり、思いどおりにいかないことがたくさんあります。
――ねえ、幕末ですし。しかし龍馬は、挫折して苦しんだという、そういう感じはしませんね。
頭木:
そうですよね。いつもおおらかで、あまりキリキリしませんからね。それも根底に「思いどおりにはならなくて当たり前」というのがあったからじゃないですかね。
――ああ。そういうふうに思い切れる、というのが龍馬のいいところかもしれませんね。
頭木:
そう思っていたからこそ、また次の手、次の手というふうに、やっていけたんでしょうね。
――それが、大きなことを成し遂げることに結びついた、そういうわけですね。
頭木:
そうですね。坂本龍馬は大変人気があって、伝説もたくさんあるので、最近は「坂本龍馬は、本当はそこまで活躍していなかったんじゃないか」という説もいろいろ出てきているようですけれども。
――今までの話とは反するような話まで出てくるんですね。
頭木:
ただ、私は伝説というのは、たとえ作り話でフィクションであっても、真実を伝えているところもあると思うんですね。
――フィクションであっても。
頭木:
はい。たとえば、江戸時代に池大雅(いけのたいが)という画家がいて、この人が描いた龍が、絵を抜け出して、家の天井を突き破って天に昇ったという伝説があるんです。
――それを聞くだけだったら、えー、そんなことはたぶんないだろう、っていうふうに思いますよね。
頭木:
もちろん事実ではないわけです。事実は、龍の絵を描いたら、絵が大きすぎて家から出せなくなって、天井の一部を破ってそこから出したんだそうです。
――でも、それはすごいことですね。
頭木:
それが事実なんですけど、事実はただそれだけのことしか伝えない。でも、龍が絵から抜け出して天井を突き破った、という伝説のほうは、「池大雅は、描いた龍が絵を抜け出したとうわさされるほどの絵の名人であった」ということも分かるわけですよね。絵の名人だったというのは本当のことですから、事実より伝説のほうが、より豊かに本当のことを伝えてくれているわけです。
――ああ、そういう意味で。なるほど、そういうこともいえるわけですね。
頭木:
中国の有名な歴史書『史記』を書いた司馬遷も、史実だけでなく、民間に伝わっていた伝説なども取り入れていますよね。それもやっぱり、「事実とは異なる伝説であっても、より真実を伝えている面がある」と考えたからではないでしょうか。
――ああ、なるほど。今の世の中は、これが真実だ、あるいはフェイクニュースだ、といろいろかまびすしいんですが、伝説が事実ではないにしても、だからまったく無意味ということではないわけですね。
頭木:
ええ、もちろんデマは別ですけど、長く言い伝えられてきた話には、その人の人柄がよく表れている場合もある、ということですね。例えば坂本龍馬の逸話にも、こういうのがあるんです。
龍馬を尊敬していた同志が、龍馬が朱鞘(しゅざや)、赤い鞘の長い刀を腰にさしているのを見たんですね。これは、土佐ではやっていたんですが。おおっ、カッコいいと思って、自分もそういう刀を手に入れたんですね。ところが、そのときには、もう龍馬は短い刀に変えていて、「短いほうが実戦向きだ」と。それでその同志は、あわてて今度は短い刀を手に入れたんですが、そのころには、龍馬はもうピストルを持っていて、懐から取り出して撃ってみせてくれた。びっくりして、今度はピストルをいろいろ苦労してようやく手に入れたら、そのころには龍馬は「武力よりも、これからはこれが大切だ」と、『万国公法』という本、国際法の解説書ですが、それを熱心に読んでいたと、そういう話なんです。
――ああ、なるほど、そうですか。
頭木:
でも、これはまったくの作り話だそうです。
――作り話ですか。
頭木:
ええ。でも、作り話だからぜんぜん意味がないかというと、そんなことないですよね。龍馬は最初、剣術の修行をしていたわけです。かなりの腕前だったようです。で、「戦場では、長い刀より短い刀のほうがいい」と手紙に書いています。
その後、ピストルを使うようになりました。そして『万国公法』を読んでいたのも本当です。その知識を使って、船が沈没した事故のときに紀州藩とやりあって、勝っています。
つまり、この逸話自体はフィクションではありますが、坂本龍馬が、新しい時代に向かってどんどん変化していった人物であるということを、短く、わかりやすく、面白く伝えてくれているわけですよね。
――そう言われてみると、たしかにわかりやすいですね。なるほど、坂本龍馬はこういう人物であったのか、ということがリアルに伝わってきます。
頭木:
そうなんですよね。もちろん研究者の方々には、事実をきちんと突き止めていただきたいですが、私たち一般人は、龍馬の伝説を今後も楽しんでいいんじゃないかなと思うんですよね。
――そうですね。では、次の坂本龍馬の絶望名言をお聴きください。
私しおけ(決)してながくあるものとおぼしめしハやくたい(益体)ニて候(そうろう)。
坂本龍馬『手紙 文久三年六月二十九日 坂本乙女あて』 青空文庫
――これは、文久3年6月29日、坂本乙女あての手紙の一節です。先ほどの手紙の3か月後になります。頭木さん、現代語訳をお願いします。
頭木:
私が長生きをするとは決して思わないでください。そんなことを思っていると、当てが外れます、というような意味ですね。
――これもまた、いつ何があるかわからない、ということを言っているわけですね。実際に何か命が危ない、差し迫ったようなことがあったんでしょうか?
頭木:
そういうわけでもないんです。もちろん、幕末の志士ですから、命の危険はいつだってあったでしょうが、このときはむしろ、どんどん頭角をあらわして、上り調子で、すべてがうまくいっているときです。周囲から評価されて、頼りにされて、何かあったら200~300人は動かせるようになったと、手紙に書いています。
――大変な評価ですよね。周りからもね。
頭木:
この手紙は、とても有名な坂本龍馬の言葉も出てくるんですよ。「日本(ニッポン)を今一度せんたく(洗濯)いたし申候」、これ、有名ですよね。
――有名ですね。坂本龍馬の言葉というと、これがすぐ浮かんでくるくらいですね。そういう、「日本をせんたくする」というくらいの前向きな言葉と、でも、私というもの、長生きすると思ってくれるな、という悲観的ともいえる言葉が同じ手紙に書いてある、ということですね。
頭木:
人生は思い通りにはならないという思いと、それでも大きなことを成し遂げようとする思いと、ユーモアと、そういうものが一体になっているのが、坂本龍馬の魅力ですね。
――うーん、言えますねえ。では、次の、坂本龍馬の絶望名言です。どうぞ。
かの南町のうバヽどふしているやら、時〻(ときどき 二の字点)きづかい申(もうし)候。もはやかぜさむく相成候から、なにとぞわたのもの御つかハし、私しどふも百里外、心にまかせ不レ申(もうさず)、きづかいおり候。
坂本龍馬『手紙 慶応元年九月七日 坂本権平、乙女、おやべあて』 青空文庫
――慶応元年9月7日、坂本権平(ごんぺい)、乙女、おやべあての手紙の一節です。権平というのは、龍馬の兄で、おやべというのは、その娘の春猪(はるい)のあだ名のようです。訳をお願いします。
頭木:
乳母はどうしているだろうと、折々に気にかかります。風が冷たくなってきましたから、どうか乳母に、綿入れのあたたかい着物をあげてください。私は遠くにいるので、どうしてあげようもなく、気になっています、というような意味ですね。
――あたたかい手紙ですね。乳母のことをずいぶん気にしていますね。
頭木:
龍馬は母親を10歳のときに亡くして、姉の乙女が母親代わりに面倒をみたということですが、乳母のこともすごく気遣っています。乳母のことが出てくるのは、この手紙だけではないんですね。日頃も乳母の話をよくしていたようで、慶応元年9月9日の手紙には、こんなふうに書いてあります。
わたしがお国の人をきづかうハ、私しのうバの事ニて時々人にいゝ、このごろハ又うバがでたとわらハれ候。
坂本龍馬『手紙 慶応元年九月九日 池内蔵太家族あて』 青空文庫
頭木:
故郷の人で私が気になるのは、乳母のことです。しばしば人にも乳母の話をするので、このごろでは「また乳母の話だ」と笑われます、というような意味です。
――いいですね。国のために奔走しながらも、乳母のことも気にしていた、というわけですね。
頭木:
ええ。こういうやさしさも、また龍馬の特徴だと思います。「大事なことをやっているんだから、他のことはかまっていられない」というのではなく、風が冷たくなれば、乳母のことを気にして、周囲から笑われたり。そういうところ、やっぱりすてきですよね。
――また乳母の話だよ、なんていうふうに言われながらもね(笑)。いいですね、この話はね。
頭木:
乳母のほうも、いつも龍馬を心配していたそうです。
――ああ、そうですか。そういえば、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公、坊っちゃんと、お世話をしてくれた清(きよ)の関係も思い出されますね。
頭木:
ああ、そうですね。似ているかもしれないですね。
【放送】
2023/06/26 「ラジオ深夜便」
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