【ようこそ宇宙へ】ゴビ砂漠に昇る星ぼし

23/08/04まで

ラジオ深夜便

放送日:2023/06/26

#天文・宇宙#サイエンス

5月にゴビ砂漠を旅した縣秀彦(あがた・ひでひこ)さんは、美しいながらも、12年前とは明らかに違う星空に戸惑いを覚えたそうです。その理由について、旅のようすも交えてうかがいます。(聞き手・坂田正已ディレクター)

【出演者】
縣:縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)

砂漠で見た信じられないほどの星空

――今回のテーマは、「ゴビ砂漠に昇る星ぼし」ですね。

縣:
はい。坂田さんも、今までさまざまな場所で星空を見たご経験があると思うんですけれども、今思い出されて、最もきれいだったなという星空はどちらでしたか。

――そうですねぇ……ずいぶん昔になりますけれども、1970年代に、八ヶ岳から見た夏の星空、これはきれいでしたね。

縣:
登山をされて、夜、星をご覧になられたんですね。

――そうですね、友人と一緒に。

縣:
私も、振り返ってみると特に2か所、「信じられない!」というぐらいきれいな星空を見た経験があります。1つ、忘れられないのは、チリのアタカマ砂漠です。標高5000m、アルマという電波望遠鏡、干渉計がありますよね。夜、登らせていただいて、はくちょう座、北十字という十字架の星の並びが見えるかと思うと、反対側には、南半球ですから、みなみじゅうじ座が高く見えます。それから、南半球に行かないとなかなか見えない、大小のマゼラン雲。2014年の秋ですけれども、忘れられない体験でした。

――いいですねぇ。

縣:
それと、個人的な印象ですけれど、双璧をなす体験というのが、2011年、モンゴルのゴビ砂漠で見た星空でした。光害(ひかりがい)がまったくないんですね。人が住んでいませんから、真っ暗で障害物もありません。地平線までずっと星が見えていて、なおかつ星が減光することがないんです。日本各地、世界中どこでもほとんどそうですけれども、地平線や水平線に近づくと、大気が厚くなりますから、星の光が弱くなりますよね。そういったことが一切なくて、本当にきれいな星空でした。

アタカマ砂漠にしろ、ゴビ砂漠にしろ「砂漠」というぐらいですから、天気がよくて晴れていて、つまり上昇気流ではなくて下降気流ですよね。砂漠の砂粒が、通常は舞い上がらない状態で、なおかつ上空をジェット気流とか季節風、モンスーンが通っていませんから、星が瞬かないですよね。これが、何よりも星をきれいに感じさせると思います。

現地で実感。光害と進む砂漠化

縣:
私とモンゴルとの縁は、モンゴル国立大学から2009年にお声をかけていただいたのが最初ですけれども、今回までで合計7回、うかがっています。そして、ことし5月、2回目のゴビ砂漠への旅行をしてきました。モンゴル国立大学主催の、ゴビ砂漠で行われるエコツーリズムとアストロツーリズムについての勉強会に参加をしたということになります。昼間は、砂漠で苗木を植樹して、夜は、満天の星空を眺めるという、前者がエコツーリズム、後者がアストロツーリズム、それを合体させた旅でした。「エコツーリズム」というのは、環境の保全を目的とした旅、「アストロツーリズム」は、星空を見る、宇宙に親しむ旅のことですね。

アストロ・エコツーリズムに参加した皆さん(2023年5月)

――その時期、モンゴルの気候はどんなものなんですか。

縣:
モンゴルは、国土のサイズが日本の4倍ありましてね。場所によってさまざまなんですけれども、今回は、まず日本から首都ウランバートルに、飛行機で行きました。ウランバートルは、私が着いた前日に雪が降ったそうで、山の上にまだ(雪が)残っている様子が見えました。5月20日に着きまして、24日までの5日間の旅でしたけれども、着いた日は肌寒く、雨が降っていました。

――どの辺りに行かれたんですか。

縣:
モンゴルの首都ウランバートルから、車で南に向かって550km離れたところが、ゴビ砂漠です。車で10時間はかかりますかね。実際に行ったときは、使用したバスの故障もあって、12~13時間くらいかかりました。この旅の目的地は、モンゴルの中では一番南側にある南ゴビ県の県都、ダランザドガドという街です。この街のすぐ近くにあるゲルキャンプ場に行って星を見ました。ゲルというのは、モンゴルの丸い形をした家のことですね。

――お天気はどうでしたか。

縣:
ゴビ砂漠も寒かったですね。緯度はだいぶ下がったとはいえ、標高が2000mぐらいありますので、寒かったんです。向かったバスの車窓から見ていると、雲がどんどん減っていって、着くのは真夜中になるなと思いましたけれども、快晴の星空が楽しめそうだなと期待して、行ったわけです。ところが私にとっては、正直、イマイチの星空だったんです、残念ながら。

――イマイチ、ですか。どうしてですか。

縣:
もちろん一緒に行った人たち、20人ほどのツアーだったんですけれども、皆さん喜ばれましてね。素人目にはすばらしい星空だったと思います。細い三日月と、その上にまぶしいぐらいの輝きの金星が、夕空に見えていましてね。春ですから北の空には、おおぐま座の北斗七星、うしかい座のアルクトゥールス、さらに、おとめ座のスピカと、北斗七星からのこの並び、「春の大曲線」が、壮大に夜空に展開していました。ほかにも、春の代表的な星座のしし座、四角形のからす座も、とてもきれいに見えていましたね。

観望会のようす(2023年5月)

――縣さんの説明を、今、目をつむって聞いているんですけれども、モンゴルの夜に、すばらしい星空が広がっていることがイメージできるんですけどねぇ。

縣:
たしかにすばらしかったんですけれども、さっき述べた、12年前の本当にすばらしい星空のレベルとは、違う感じですね。無数の星の光の印象は薄れまして、平凡な美しい星空の1つのレベルと、私には感じられました。さらに、キャンプ地からは、南から東の空の地平線近くに、夜、街明かりが見えたんです。つまり光害が発生していたんですね。

――ゴビ砂漠の星空を取り巻く環境が、12年前とは変わってしまっていたのですね。でも、縣さんの口ぶりからしますと、イマイチの星空の原因は、どうやら街明かりだけではなさそうですね。

縣:
私も不思議だなと思っていたんですけれども、翌朝、ゲルから早く起き出して外に出て、異変の理由に気づきました。青空が、かつてのように澄み渡っていなかったんです。日ざしは届いて、晴れてはいるんですけど、白く薄い雲が空のあちこちを覆っていました。キャンプ地の周りを昼間ドライブしてみますと、ゴビ砂漠には、無数の竜巻、トルネードが発生していました。車を途中で止めて遠方まで見渡してみますと、20~30個ぐらい、次々とトルネードが発達していく様子がわかったんです。

われわれが行ったのは、ゴビ砂漠の真ん中あたりで、その街の南側には、ゴルバンサイハン山脈といって1000m以上の山が連なっていまして、ずっと西に行くと、アルタイ山脈につながっていく山地があるわけです。その山脈の中腹3分の2くらいまでの高さが、白い帯でずっと横に包まれているように、白くかすんでいたんですね。砂漠の砂が巻き上げられましてね。上空にシラス雲(巻雲)と、薄いちりや、「ダスト」ともいいますが、薄い膜を作っているんですね。晴れていて星は見えるとはいえ、最良の状態、ベストの状態ではなかったということです。

縣さん、ゴビ砂漠での植樹。空がシラス雲でしらんでいる

――そんなことは12年前にはなかった、と。

縣:
ええ。12年前に一緒に行った同僚の吉田二美(よしだ・ふみ)さんが撮ってくれた写真があるんですけれども、とてもきれいな星空ですよね。天の川が見えて、地平線近くまで星がよく見えていました。前回われわれが行ったのは6月でしたから、1か月違います。竜巻もおさまっていたのかもしれませんけれど、その量がどんどん増えている。つまり、砂漠化が非常に進んでいるということが、昼の状況、または夜、星を見ることによって実感できたんです。

2011年のゴビ砂漠での観望会(撮影:吉田二美)

モンゴルならではの特殊な事情

縣:
ゴビ砂漠がある南ゴビ県は、21世紀に入って、鉱物資源の発掘が盛んになった場所でもあります。金や銀、銅、モリブデン、石炭、こういったものが、広大なゴビ砂漠で盛んに採掘されていて、特に石炭ですね。石炭が露天掘りなんですよ。ものすごく大規模ですから、そこから大量の粉じんが大気に流入してきます。大気汚染ですよね。

ゴビ砂漠は、3月~5月が、1年のうちで最も乾燥する時期です。もともと乾燥しているんですけれど、この時期は本当に乾燥しますので、以前でも5月に行けば、ある程度砂ぼこりがあるのはしかたがなかったそうですが、この10年の間に砂漠化がどんどん進んで、竜巻、トルネードの数がとても増えた。そして、露天掘りでの採掘によって、大気汚染が深刻になった。こういう社会問題が起こっています。

――ダランザドガドまでの車窓からの風景はいかがでしたか。やっぱり変わっていました?

縣:
12年前の私の記憶や撮った写真を見ると、マンダルゴビという砂漠の北の入り口くらいまでは、草木が生えている草原のイメージだったんですが、今は、それよりも北のほうからずっと砂漠です。草木が本当に生えていない状態になっていますね。マンダルゴビ以降は、草木がほとんどないので、そこにいる大量の家畜たち、砂漠までいくとラクダが有名ですけれど、ラクダのみならず牛、馬、羊、ヤギ、どうやってみんな養っているのかなと、とても心配に思うぐらいでした。

――砂漠化が、さらに進んでいるということでしょうか。

縣:
旅に同行してくれた、モンゴル国立大学のセルゲイさんという研究者の方によると、モンゴルの砂漠化は、本当に急激に進んでいて、国土の8~9割が、砂漠化の影響を受けているそうです。砂漠化が進んでいる理由は大きく2つあります。1つは、モンゴルに限らず、日本も影響を受けていますけど、地球温暖化ですよね。これが主たる原因ですが、モンゴル特有の理由がもう1つあります。

1992年に社会主義から資本主義に移行したあと、それぞれの家が、家畜をとても多く所有するように変化したんです。それまでは制限があったのに、それがなくなりましたから、たくさん育てて売れば、お金が入って富むわけですから、モンゴルの経済社会の性質上、過剰に家畜を飼育するようになりました。例えば1家族、1つの家で500頭ぐらい飼ったりするわけです。特に、羊とヤギが問題でして、根まで食べてしまうそうなんですね。当然、草木が極端に減って、かつ降水量が減る。だんだん温暖化しているわけですから、いったん草原が枯れてなくなってしまうと、そこには戻らないので、砂漠化がどんどん進むということになりますね。

――モンゴルの人にとって大事な資源である家畜が、暮らしによくない影響を与えてしまっているんでしょうか……。それでもまだまだ、すてきな星空なんでしょうね。

縣:
はい。これまで7回モンゴルへ旅をして、どこも本当に星空がきれいです。ゴビ砂漠は、やはり特にきれいだと思いますね。というのは、気流がとても安定していますので、星が瞬かないんです。肉眼で見ても瞬きません。止まっていますね。例えば望遠鏡で金星を見ますと、日本で見ると、ゆらゆらして形がよくわからなかったりしますけれど、ピタッとしますから半月のような形をした金星がはっきりわかる。星団とか星雲とか銀河でも、本当に見え方がばっちりですね。

星を愛する若者たちとの出会い

縣:
今回の旅は20人が参加しました。日本から2人、スペインから2人、ロシアから3人、あとはモンゴルの方々ですね。昼間、私たちは砂漠に木を植えるという活動をしました。現地語で「ザグ(Zag)」と呼ぶ、乾燥にとても強い木で、その苗木を植えたんですけれど、5月か9月が根づきやすいというので、今回5月にお邪魔したんです。ゲルキャンプの周りに木を植えて、光害を防ぐ。それから風が強いので、風の害も防ぐ。少しでも緑を増やそうというエコロジーの考えで、みんなで手分けして30数本植えてきました。

――参加者20人とおっしゃいましたけれども、縣さんが気になった人はいましたか。

ロシアから参加した3人

縣:
興味深かったのは、ロシアのバイカル湖というのが、モンゴルの北側にありますよね。そのすぐ近くのイルクーツクという町から、3人が参加されていました。(1人は)イルクーツク天文台の台長で、ロシア人のパベルさん。この方は、前回のモンゴルの旅もご一緒したんですが、16歳のウクライナ出身の少年、今はイルクーツクに住んでいるんですけれど、その少年を連れてきていました。なぜ16歳の中学生、ロシアでは中学生なんですけれど、その彼を連れてきたのか、残念ながらそれを聞く機会はなかったんですけれども、この少年が極めて優秀でしてね。

メシエ天体というのは、100個以上ありますでしょう。そのすべての位置を彼は覚えていまして、持ってきた望遠鏡で次々と、ものの数秒で、メシエ天体、星雲とか星団とか銀河ですよね。その明るいものを、われわれに見せてくれたんですよ。そのころ、ちょうど日本の板垣公一さんが、M101という渦巻きの銀河に超新星を見つけて発表されていたんですが、着いた晩の夜、彼はさっそくその写真を撮って、私に見せてくれました。さらにこの少年、夕食後にはギターを持ち出しましてね。ロシアの歌はもちろんですけど、モンゴルやスペインからの参加者もいたので、スペインの歌を弾いて歌ってくれて、非常に社交的な少年でもありました。

――天文が好きなだけではなくて、音楽好きでもあったんですね。

縣:
そうなんです。ロシアの方ですから、英語はそれほどお上手ではないんですけれども、努力して私たちとコミュニケーションをとってくれました。帰りのバスでは、たまたま隣に座ってくれたので、いろいろと話をしようかなと思った矢先に、彼が片言の英語で、私にこう言ったんです。「縣さん、今、日本が所有している兵器について、教えてくれませんか」。びっくりしました。「えっ」と思いましてね。私は正直申し上げて、日本の自衛隊がどういう兵器をどれだけ持っているかなんていうことを、考えたこともなかったんですよ。

――彼の質問に、どう答えたんですか。

縣:
もちろん日本は防衛力を維持している。自衛隊というのはあるんだけれども、平和憲法といって憲法で規定していて軍隊は持たない。ほかの国に出かけていって戦争することはしないと決めている国なので、日本がロシアに攻めていくことはないんだよということを、お互いに言葉が全部うまく伝わるというレベルではないので、丁寧に一生懸命、絵に描いたりもして、たどたどしくですけれど説明をしました。

なかなか彼の気持ちがすっきりしない様子だったので、いろいろ聞いてみると、彼はウクライナ出身で、10年ほど前に親の仕事の関係で、ウクライナからイルクーツクに引っ越してきたそうです。2014年に、ロシアがクリミアを併合していますが、2013年には彼の2人のおじさんが戦争で亡くなっているとも話してくれました。

「ウクライナがNATOに加盟するということは、ロシアにとっては、まるでエイリアンに取り囲まれるような不安なんだ」と言うんですね。これはリスナーの皆さんには、すっきりしないと思うんですよね。われわれ同じ地球人、人類なのに、NATOに加盟している国々は、ロシアからするとエイリアンだという、そのロシアの国民感情ですよね。なぜ国際政治が、戦争が起こる前に、ウクライナ危機が起こる前に、こういった恐怖、間違った認識を両国の国民から解き放つことができなかったのか。そして、今もきちんとそういったことが伝わっていない。もちろん、そこには長い歴史と深く複雑な関係が存在しているわけですけれども、これは本当に難しい問題なんだなと実感する出来事でした。

バスの中で、彼は最後に私にこう言ってくれたんですね。「縣さん、きょうはお話ありがとう。僕は1つ確実にわかったことがあるよ」。内心、戦争の無意味さに気づいてくれたのならいいなと思いながら、「それは何?」と聞いてみると、こう言うんですよ。「英語を勉強することにした」。ロシアでは敵国の言葉ですから、英語を習う、積極的に勉強することはほとんどないそうなんですけれども、世界中のいろいろな人と共通の言語でコミュニケーションをとる、さまざまな人と交流することによっていろいろなことがわかるので、英語を勉強してコミュニケーション力を上げようと思うと、私に話してくれました。お互い理解し合うことが第一歩なんだなということを、改めて認識しました。

――そうして旅は、いよいよ終わりに近づいたわけですね。

縣:
はい。長旅とはいえませんけれども、終わって4日目の深夜、ゴビ砂漠から10時間以上かけてウランバートル市内に戻ってきました。翌朝早い便で帰国する必要があったのと、ちょっと体調も優れなかったので、この旅を主催してくれたうちの1人、チンダルクさんと、彼の会社の運転手さんに、空港まで送ってもらうことにしましてね。もう0時を過ぎていたんですけれど、日本からもう1人参加していた、和歌山大学の大学院生の澤田幸輝(さわだ・こうき)さんを含めた4人で、レストランで食事をとりました。そのとき、チンダルクさんが、私の前に座った運転手さんを、「この若者に見覚えはないですか」と言うんです。「えっ」という感じで絶句したんですが、この青年は、9年前の2014年7月に、同じモンゴルでも西の北の果て、バヤン・ウルギーで出会った、当時13歳ぐらいの少年だったんです。

2014年、アルタイ山中(バヤン・ウルギー)でのワークショップで出会った少年

縣:
2014年にも、モンゴルでワークショップ、星を見る教育イベントを私たちやったんですけれど、そのときにそこに住んでいて手伝ってくれた少年がいたんですが、その子だったんです。成長していてなかなか気がつきませんでしたけれど、アルタイ山脈の山奥で放牧民として生まれ育った彼は、モンゴルで最初のアストロツーリズムの会社を、チンダルクさんが2020年に作って、アストロツーリズムとエコツーリズムを進めているんですが、そこの社員になっていたわけです。

9年ぶりに再会した現在の彼

――彼は縣さんのことを覚えていましたか。

縣:
ええ。チンダルクさんに「縣さんに会ったことがある」と言ったんですって。再会できて本当にうれしかったです。

――縣さんにとって忘れられない旅になりましたね。ありがとうございました。

縣:
ありがとうございました。


【放送】
2023/06/26 「ラジオ深夜便」

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