人類は、科学の危機をどう乗り越えてきたのか? 日本の厳しい局面を打開する手だては? 5000年を超える天文学の歴史を振り返りながら、そのヒントを縣秀彦さんにうかがいます。(聞き手・坂田正已ディレクター)
【出演者】
縣:縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)
人類は、科学の危機をどう乗り越えてきたのか? 日本の厳しい局面を打開する手だては? 5000年を超える天文学の歴史を振り返りながら、そのヒントを縣秀彦さんにうかがいます。(聞き手・坂田正已ディレクター)
【出演者】
縣:縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)
――今回のテーマは「天文学史をひもとく」です。天文学史ですから、天文学の歴史ということですよね。
縣:
そうですね。
――縣さんは、この4月に『ビジュアル天文学史』という天文学史を扱った書籍を上梓(じょうし)されたばかりですよね。だいたい1項目が2ページから4ページにわたって解説されていまして、図とかカラー写真をふんだんに使っていらっしゃいますね。
縣:
ありがとうございます。天文学は、最も古い学問の1つとよく言われます。調べてみますと、今から5000年以上前、日時計が作られていましてね。1日の動きのみならず、季節によって、どういう違いがあるかも記録していたことが分かっています。
国立天文台にある日時計のノーモン(岡村定矩氏撮影 国立天文台)
――古代ギリシャまでさかのぼる「リベラルアーツの7科」、7つの学問の1つに、天文学は入っていますよね。「リベラルアーツ」というのは、生きるための力を身につける方法とか、自由に生きるための手段を学ぶ学問といわれていますよね。
縣:
はい。リベラルアーツが整備される以前から、音楽や算術・幾何、それと並んで、天文学は、古代から人々の関心の中にあったということになります。今回、この本を2年ちょっとかけて書いてみたのはなぜかと言いますと、ご存じのとおり、日本の学術、特に天文学を含む基礎科学の分野は、大変厳しい局面を迎えております。大学や研究機関の予算が、とにかくどんどん減っていますね。それから、研究者の事務作業や業務が増えていて、研究にあてられる時間が極めて少なくなってきて、かつ、研究者の数もどんどん減っていますから、研究をする環境が、以前に比べて劣悪化しているというのは指摘されているとおりなんです。歴史上、人類というのは、困難な時期を克服して、ここまできた生き物だと思いますので、過去にどういったことを乗り越えてきたのかなということに興味があって、調べてみました。
縣:
坂田さんは、私たちの研究所、国立天文台が編さんしている『理科年表』という本をご覧になったことはありますか。
――はい。科学の全分野を網羅したデータブックですよね。手元に、2023年版『理科年表』の小さなポケット版を持ってきました。
縣:
これには長い歴史がありまして、大正時代から編さんされていましてね。『理科年表』の最初にある暦の部分が毎年変わりますので、毎年版、出ています。『理科年表』には、天文、物理・化学、地理、生物などそれぞれの年表のページに、主な発明・発見と重要事項が載っています。ページを開くと年号が書いてありまして、そこに1行か2行で、「〇〇が発見された」とか「〇〇が起こった」としか書いてありませんから、内容が分からないですよね。若い人や初めて学んだ方がそれを見て、「一体何だろう」と興味を持ってもらえたらいいなということも感じまして、それぞれの項目を詳しく調べてみようと思い立ったわけです。
『理科年表』の天文学の部分を見ますと、およそ200項目の重要事項が記されているんです。さてそのうちで、この20世紀以降は、だいたいどのぐらいの割合だと思われます?
――えーっと、ちょっと待ってくださいね。全部で5ページありますから……6割か、7割はないかな。それぐらいでしょうか。
縣:
丁寧に見ていただいて、ありがとうございます。200項目のうち、およそ100項目が、およそこの100年での発見・発明、重要事項となります。だいたい最近のことのほうが、よく覚えていますし書き留めたいし説明したくなるというバイアスが当然かかりますが、それにしても、先ほど申し上げた5000年を超える長い歴史の中で、わずかこの100年で重要な発見が約半分というのは、ちょっと驚きですよね。天文学に関しては、20世紀以降にさまざまな知識が加速度的に増えているということです。宇宙そのものも加速膨張していることが知られていますけど、天文学に関する知識も、加速度的に増えているように感じますね。
――それはどうしてなんでしょう。性能のいい天体望遠鏡とか探査機、観測機器など、私たちが知識を増やすための手段を手に入れたことが大きいんでしょうか。それとも他の理由があるんでしょうか。
縣:
坂田さんがおっしゃったことも重要な1つだと思うんですけど、20世紀に入る前後ぐらいから、われわれ人類の文化が成熟していった、ということが大きいのではないでしょうか。天文学というのは、よく、「みんなの科学」というふうにいわれています。基礎科学とはいえ、望遠鏡とか、もちろんお金も多少かかるのは事実ですから、多くの人たちが関心を持つようになったというのが、ここまで発展していることの一番大きな理由じゃないでしょうかね。
――それにしましても、天文学上の発見とか知識の集積は、それまでもあったと思うんですよね。
縣:
はい。いろいろなことの積み重ねですよね。紀元前の時代、古代ギリシャの時代にも、天文学は発展しましてね。重要な発見やできごとが『理科年表』にも多数書いてあります。ところがその『理科年表』を見ますと、紀元1世紀から16世紀ごろまでのおよそ1500年の長きにわたって、科学そのものがほとんど進歩していないことが分かります。特に、ヨーロッパ発の記述はほとんどないですね。つまり、中世ヨーロッパという時代は、科学が進まなかった1500年ということが分かります。その間、天文学は一部のイスラム文化圏で発展しましたが、「大きな発展は、1500年足踏みした状態だった」と言えます。
――そういえば縣さん、「中世ヨーロッパは、科学の暗黒の時代だ」と、以前おっしゃっていましたよね。
縣:
そうですね。人類の歴史の中で“科学の暗黒時代”と呼ばれる時代が、中世ヨーロッパには確実に存在したといえると思います。当時は教会の力が強くて、基本的には、聖書に書いてあることに従うということですよね。ですから自然現象を観察して理解し、科学的に解明しようということが強く疎外されていた時代があったことがわかります。
――地動説を曲げなかったガリレオ・ガリレイと宗教界との異端審問はよく知られていますよね。
縣:
そうですね。そういう時代、実際に火あぶりにかけられた科学者、天文学者もいたわけです。その当時と比べれば、それほど極端ではないので分かりにくい、可視化されにくいかもしれませんけど、今日の日本社会を覆っている、短絡的で目先の成果のみを求める風潮、ですよね。論文の数が毎年何本ですかとか、特許の数は何本ですかとか、こういった指標のみで研究を評価し、そこにお金を出す・出さないとか、それは役に立ちますかとか、その研究はいくらお金がかかるんですかという、まあ本当に、予算第一主義的な社会構造。これが、科学への興味、特に若い人たちの自由な発想とか、科学者になりたい、科学を志そうという意欲を阻害している。日本においては、言い過ぎかもしれませんが、“科学の暗黒時代”を作っているのではないかと心配する声も多数聞かれていますね。
――そうであるならば、どうすればよいのか。縣さん、何か打開するヒントはありますか。
縣:
歴史を調べて感じたことを、これから3点に分けて紹介したいと思います。まず「天文学の歴史」というきょうのテーマなんですけど、坂田さんは、どんな人物の名前が浮かびますか。
――今出たガリレオとか、ケプラー、ハッブル、ハーシェル……
縣:
結構たくさんご存じですね。ただ全員男性でしたね。女性の天文学者はいかがですか。
――……ごめんなさい、浮かばないです。
縣:
実は女性の天文学者にも、今でいうと、ノーベル物理学賞を受賞できるレベルの大事な業績を残している方々がいらっしゃいますが、歴史の中に埋もれてしまっていますね。
――それはどうしてなんですか。
縣:
天文学に限らず、社会全般がそうですよね。歴史を見てみると、男女共同参画とかジェンダーバランスとか、こういったことがきちんと意識されるようになったのは、ごく最近でしたね。女性の天文学者の皆さん、人数が少なかったのは事実ですし、研究をする上での困難は、比較してみると、当時の男性の方よりも多かったと思うんですよね。ノーベル賞級の研究をした研究者というのは、例えば20世紀の最初に、さまざまな恒星、星のスペクトルを分類した、アニー・キャノンさんという人がいます。天体写真、分光写真から星を分類した、O型とかB型とかいうスペクトル分類がありますよね。これは「ハーバード分類」と呼ばれていますけど、実際は「キャノン分類」といってもおかしくないかもしれません。
それからハッブルは、宇宙が膨張していることや、天の川銀河の外にアンドロメダ銀河があることに気づくわけですが、これは遠くの天体の距離が測れるようになったからですよね。遠くの天体の距離を測る方法はいろいろありますけど、もっとも重要視されているのが「セファイド変光星」、これはある種類の変光星、明るさが変わる星なんですけどね。この明るさの変化の周期を調べてやれば、そこからその星までの距離を測ることができるということを編み出したのは、ヘンリエッタ・リービットという方なんです。この方も20世紀初頭、先ほどのキャノンと同じで、ハーバード大学で研究に参加していた女性の方ですけども、このリービットの発見がなければ、宇宙が膨張しているという「ハッブル-ルメートルの法則」にもいきつかないわけですから、まさしくこれはノーベル賞級の大発見だったんですね。
こういった方々の特徴を見ますと、1つ共通点があります。それぞれの女性自身も大変才能があって努力をして優秀なんですけれども、その人たちの才能を見抜き、早くから支援した親やきょうだいや配偶者、職場のリーダーが存在していたということですね。逆に言うと、周囲から何らかの支援が得られなかった女性研究者たちは、研究に没頭するという環境をなかなか作れなかったということになるかと思います。それからその業績に対して、正当な評価や称賛を、生前、生きている時代に得られなかったということも多いですね。
――残念ですね……。
縣:
もう1人挙げるとすると、「パルサー」というのがありますね。例えば30分の1秒とか60分の1秒という短い周期で、パルス、強い電波を発する中性子星のことですが、これはX線も同時に出しますが、このパルサーを1967年に発見したのが、当時大学院生だった女性の研究者、ジョスリン・ベルです。現在は結婚されて、ジョスリン・ベル・バーネルさんですけれども、パルサーの発見というのは大事な天文学的な発見で、『理科年表』にも載っていますが、そこに出てくる名前は指導教官であったヒューイッシュで、ヒューイッシュのみがノーベル物理学賞を授与されているんです。
――えーっ、そうなんですか!
縣:
発見した当時、大学院生だったベルさんにはノーベル賞が与えられなかったという話は、見過ごすことができないですね。これはイギリスの話ですけども、1967年ですから、アメリカとかだとウーマン・リブなんかが始まるくらいだと思いますけど、こういった時代でさえも、つまりごくごく最近まで、国際的にもジェンダー、男女間の差別があったということです。男女間の差別のみならず、学生には与える必要がないと、若者や学生の成果を軽視する風潮が学術界にもあったといえると思います。
しかしですね、きょうは時間の関係で他にも例をあげられなくて恐縮ですが、たくさんの女性天文学者の皆さんがいらして、その共通点は、なんと言っても探究する姿勢。そして想像を絶するほど緻密でかつ粘り強い、その気質ですね。この気質によって、大発見を導いています。通常の男性の研究者ではとても耐えられないような細かい作業、忍耐のいる緻密な作業の積み重ねによる発見なんです。
今、ジェンダー問題を考える際にも、女性・男性のそれぞれの特長を生かした協働こそが重要だなというふうに考えさせられますね。ですから歴史から感じる第1の点は、ジェンダーのみならず、多様性を認めていくといいますか、多様な方が活躍できる場を用意していくことが、学術を維持するうえで大事だと感じますね。
――天文学史において、日本の天文学者はどのあたりから登場するんでしょうか。
縣:
江戸時代とかその前にも、優れた日本人が研究をする環境があったかどうか分かりませんけれども、研究の環境があれば、優れた成果を上げた方々がきっといっぱいいたと思うんですよね。でも『理科年表』の国際的な学術の歴史に名前が残るような成果を上げるのは、明治以降なんです。そこで初めて、日本の天文学も国際的に評価される重要な成果を上げるようになります。初期の、特に大事な研究を、2つ紹介します。
1つは、京都大学の林忠四郎(はやし・ちゅうしろう)先生です。林忠四郎さんというのは、1949年にノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹さんの研究室の助手だったんですけれども、理論物理から天文学に移られて、太陽のような恒星が、生まれる前というか安定した状態で輝く前に、どういう進化の過程をたどるかという研究や、惑星たちがどうやって生まれていくかという、「京都モデル」といいますけど、そうした理論研究で、世界に先駆けて大事な成果を上げるようになりました。第二次世界大戦後、ですね。
それから、小田稔(おだ・みのる)先生。日本のX線天文学の創始者であるのみならず、国際的にもX線天文学を立ち上げた当事者のお一人です。惜しくも2001年にお亡くなりになったんですけれども、もう少し長生きされていたら、X線天文学の創始者として、ノーベル物理学賞をとられていた先生なんですね。というのは、同じ研究をしたジャッコーニさんという方が、その後、ノーベル物理学賞をとられているんです。
林先生、小田先生、このお二人についてさらに大事なことは、お弟子さんたちが、脈々と今もその分野のトップランナーとして世界で活躍しているということですよね。“鎖国”するのではなくて、広く国際舞台に出ていく。情報をある範囲で閉じないで、広く国際的に共有するとともに、新たな発見を次の世代に伝承していくことに成功した方々の分野というのは、今もトップランナーが活躍している。このことも、2つ目の大事なポイントかと思うんです。
――縣さん、先ほど「3つ」とおっしゃいましたね。その3つ目は?
マウナケア山頂のすばる望遠鏡ドーム(国立天文台)
縣:
はい。『理科年表』をご覧いただくと、日本においては、特に20世紀の末、1999年の「すばる望遠鏡」完成以降、2010年、「はやぶさ」の帰還、2013年、「アルマ望遠鏡」の運用開始、そして最近では2020年、「はやぶさ2」の帰還と、優れた成果・業績が続いています。冒頭でお話ししたように、今現在、日本の基礎科学研究をとりまく状況が厳しい中で、なぜアルマにしろ、はやぶさ2の帰還にしろ、成果が上げられたかと言いますと、これは社会が支持をしているということですね。はやぶさの場合には社会現象化、“はやぶさへの思い”というのが、次の研究への後押しになったわけです。
ですから3つ目に大事なことは、社会から支持される、社会から応援されるような研究を進めないといけない。しかし最新の学術というものは、どうしても少し分かりにくかったり、面倒くさそうな、難しそうなイメージがありますよね。ですから、なぜそれが面白いのか、なぜそれを探ろうとしているかというのを、分かりやすく社会に伝え、社会の人たちと共感しながら進めていく、次世代に引き継いでいくことが大事だと感じました。
天文学史を調べてみて、まだまだ私の調べていることは表層かもしれませんが、先人たちの地道で真摯(しんし)な研究態度に改めて感銘しました。それとともに、天文学は、なにか私たちの社会からかけ離れたように感じられる方も多いかもしれませんけれども、実は社会の発展とも非常に深く結び付いています。天文学研究の技術面は、通信技術やレンズ、光工学みたいなものなど、さまざまな分野で社会とつながっています。そして、時代の社会情勢に強く影響されている。天文学のような基礎科学は、特にそういう意味で“弱い存在”であるということです。平和な世の中でないと、天文学のような基礎科学の発展はなかなか進まないことを理解しました。
コペルニクスの肖像画(1580頃 作者不詳)
縣:
天文学で、人々に影響を大きく与えるような発見……「パラダイムシフト」という言葉がありますね。いわゆる、価値観が変わってしまう。一番有名なのはなんと言っても、「コペルニクス的転回」という言葉があるように、これはパラダイムシフトでよく使われる言葉でもありますが、そのコペルニクスの時代。つまり16世紀から17世紀に、天動説から地動説へとパラダイムシフトが起こりました。これだけではありません。今から100年前、星が見えている天の川が宇宙全体ではなくて、天の川というのは1つの銀河であり、宇宙は銀河でできていて、その銀河どうしがお互い離れていって宇宙は膨張している。これが、100年前のパラダイムシフトなんですね。
3つ目のパラダイムシフトは、20世紀の末から今世紀の最初、宇宙は膨張しているのみならず、加速膨張している。そして加速膨張させている原因は、ダークエネルギーであるというものです。実は私たちが宇宙の中で知っている物質というのは宇宙全体の5%にすぎなくて、えたいの知れないダークマターという重力源や、宇宙を加速膨張させる力、ダークエネルギーがほとんどであることが分かった。これがたぶん、3つ目の大きなパラダイム転換です。
この3つ目の理由を今、一生懸命探求しているところですが、人類は4つ目の天文学上のパラダイム転換に、もうじき遭遇する可能性が高いんです。現在、私たちは宇宙の中で、地球にしか生命を発見していませんが、いよいよ地球外生命体が見つかるかもしれない時代が目の前に来ていますから、次に期待されるパラダイムシフトも、私たち一人一人の人間の生き方の根幹にかかわるような発見かもしれません。
――今回は「天文学史をひもとく」というテーマでお話をうかがいました。縣さん、ありがとうございました。
縣:
ありがとうございました。
【放送】
2023/05/29 「ラジオ深夜便」
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