プラネタリウム100周年 まあるいドームの楽しみ広がる

23/05/27まで

ラジオ深夜便

放送日:2023/04/24

#天文・宇宙#サイエンス

ドイツで初めてのプラネタリウムが公開されてから、ことしで100年。その楽しみ方は、天体ショーのみならず、さまざまに広がっているようです。縣秀彦さんにお話を伺います。(聞き手・坂田正已ディレクター)

【出演者】
縣:縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)

ドイツで生まれて100年

世界初のプラネタリウム

――今回のテーマは、「プラネタリウム100周年」ですね。

縣: はい。皆さん、たぶんよくご存じだと思うんですけど、まあるい白い屋根、「ドーム」と呼ぶんですけど、このドームに星空を映し出す道具がプラネタリウムですよね。今、皆さんが見ることができる近代的なプラネタリウムの装置は、1923年10月21日に、ドイツで試験的に公開されたんです。それから、ちょうど100年たちますから、「プラネタリウム100周年」というタイトルになりました。坂田さんは、プラネタリウムにはよく出かけられるほうですか。

――そうですね。社会人になって、ずいぶん減りましたけど。

縣: 何か思い出はありますか。

――中学生の頃から、友達と、あるいは一人でプラネタリウムには行くようになりましたね。今はなき、東京・渋谷の五島プラネタリウムでした。当時の東急文化会館の屋上に、ドームが見えていましてね。あれを見ますと、それだけでワクワクしました。

縣: 電車の車窓からも見えましたね。今はもう、なくなりましたけれども。

――そうですね。それまでは、私、漠然と星空を見ていたんですけれども、今から思えば、プラネタリウムで解説される方のお話で、いろいろな知識を得ていったような気がするんです。そう、思い出といえば……友達とケンカをしたとき、「プラネタリウム行こうか?」「うん、いいね。そうしよう!」というようなやりとりでプラネタリウムに行って、仲直りをしたことがあるんです。これは鮮明に覚えていますね。

縣: 今、とってもいいこと、お聞きしたんじゃないですかね。例えば、夫婦げんかしたときとかも、「プラネタリウムに行こうぜ」っていうのは、いいのかもしれません。そういう利用のしかたも、ありますね(笑)。

――そうですねぇ。

縣: 私は、長野の田舎で生まれ育ちましたから、当時は、田舎にプラネタリウムはなかったので、子どもの頃からあこがれていたんですけれども、見る機会がなかったんです。大学の進学で田舎から上京したのが、1981年の春です。3月20日ごろだったかな。田舎から来て、下宿で荷物をほどいて、翌日、上京してもう2日目には、あこがれの東京に行ったら、必ず行きたいと思っていた、まさしく、その東急文化会館の屋上のプラネタリウムに行きました。何よりも最初に行きましたね。忘れられないですよね。それが、あこがれの五島プラネタリウムです。五島プラネタリウムは、1957年4月に開館をして、多くの天文ファンを育てて、2001年の3月に閉館しています。

――上京2日目に訪ねた五島プラネタリウムで、何か思い出はあるんですか。

縣: 僕が行ったときに解説をされていたのが、名解説で有名な小林悦子さんでした。初めての大きなプラネタリウム、暗い中で聞こえてくる小林さんの声に耳を澄ましまして、たいへんすてきな解説をされていて、感動したんです。解説が終わった後、出てくるときに、いろいろ質問したいな、お話したいなと思って、ずっと外で待っていたんです。あそこは、ぐるっと回れるスペースがありましたよね。そこを3周くらいしたと思います。向こうから、小林さんがいらっしゃったんですけど、実は僕は今もそうですけど、引っ込み思案ではにかみ屋だったので、声をかけられなくて、ですね。

――あらら……。

縣: ちょっと残念だなと思って、気持ちが落ち込んでいるときに、帰りに受付を通りますよね。その脇のちっちゃな売店に見たことのない薄い雑誌があって、知らない雑誌だなと思って見たら、「天文月報」と書いてあったんです。これは、日本天文学会の学会誌なんですが、それを購入して帰りましてね。「天文学会の会員になりたいな」と。「僕も一応、なれるぞ」と。それで勇気を振り絞って、次の日、上京して3日目には、三鷹の東京天文台、今、私が勤めている国立天文台に行ったんですよ。

――そうなんですか!

縣: はい。門扉がありまして、入ったところに守衛さんがいらっしゃって、入ろうとしたら、「ここは、研究者の先生方が来るところで、君のような若い人は、自由に入れるところではないんだよ」と、優しく教えてくださいましてね。でも「こういう事情で出てきたんだ」と。「天文学を勉強したくて、きょうは3日目なんだけど、天文学会に入会したいんです」と言ったら、「わかった」というんで、案内してくれたんです。天文学会の事務室が、奥のほうにあるんですが、そこに行って、名前を書いてお金を払って、会員になりました。(お聞きの皆さんには)とってもささいな話に聞こえると思うんですけど、60歳を過ぎて自分の人生を振り返ると、これはとても忘れられないできごとで、私の人生の分岐点に、東京・渋谷の五島プラネタリウムがあったということなんです。

――そうでしたか。私たち以外にも、プラネタリウムに何らかの思い出をお持ちの方は、大勢いらっしゃると思うんですよね。

縣: 同僚の天文学者や、広く科学者・研究者の皆さんの中には、子どもの頃に、プラネタリウムのある科学館施設で“育った”、プラネタリウムを見に行って、天文や宇宙に関心を持つようになったなどの経験を有する方が、たくさんいらっしゃいますね。

1937年、大阪の科学館へ

――ドイツで生まれたプラネタリウムですけど、日本には、いつごろ設置されたんですか。

縣: 1923年に公開されたプラネタリウムというのは、今、現在の、光を真ん中から放って、真っ暗な天井に星の像を映し出す装置です。これは、1923年に試験公開されまして、1925年の5月7日に、ドイツ・ミュンヘンにあるドイツ博物館の新館の落成式で、誰でも見られる状態になります。つまり、調整・開発に2年ぐらいかかったんですね。

プラネタリウムを作ったのは、カールツァイスというドイツのメーカーです。ドイツ博物館から、星空・宇宙を伝える展示をぜひ新館に入れたいという強い要望を受けて、いろいろなアイデアがあったそうです。プラネタリウムというのは、もともとプラネット、つまり、惑星を映し出す装置です。惑星の動きを示すためのさまざまなしくみ・装置といいますか、道具というのは、ずいぶん昔から伝統的に、いろいろ作られてきました。でも、このとき初めて、人々がその中に入って、真ん中には明るい光を放つ丸いものがあり、それぞれ正しく星の点が打たれてあって、その穴を通して、レンズを使って、うまく天井に像を作るわけですけど、それが作られた、と。

1925年5月に、ドイツ博物館の新館の落成式が行われまして、翌年の1月までの間に、8万人もの人が集まったそうです。最初に作られたプラネタリウムというのは、ドイツ・ミュンヘンから見える星空のみ、なんですね。今、プラネタリウムに行くと、「今度は南半球に行ってみましょう」とか、「昔の星空」とか「未来の星空」とか、いろいろできますよね。北半球も南半球も、全天に星空を映し出すためには、「スターボール」といいますけど、星を映し出す、光を出すものが2つ必要になりますよね。
最初のものは「ツァイスⅠ型」といいますけど、2つのものが早くも1924年には開発が始まって、これを「ツァイスⅡ型」といいます。「ダンベル型」ともいいますが、この2つの丸い光を放つものというのが、プラネタリウムではよく見かける形になりましたね。

――両側に球体がついていて。

日本初のプラネタリウム

縣: はい。このツァイスⅡ型は、全部で26台作られました。世界中で需要がありましてね。日本では、1923年の最初の試験公開の14年後の1937年、当時の大阪市立電気科学館が最初だったんです。今ここは、大阪市立科学館になっていますけど、ここに設置されたのが、ツァイスⅡ型の25番、25台目になります。当時、非常に高価なものでして、当時の金額で46万円。これは、小学校の校舎を2~3校分、建設できるぐらいの金額だったそうです。「見たい」という、皆さんの強い気持ちの表れじゃないでしょうか。このプラネタリウム、25台目のツァイスⅡ型は、ことし3月に、日本天文学会の日本天文遺産になりました。大阪で大事に保存されているわけです。

日本初のプラネタリウム

縣: 東京にも、その翌年やってきました。1938年、当時の東京日日新聞の本社ビルが有楽町にありまして、そこに東日天文館というプラネタリウム館が設置されたんです。しかし、戦争の時代でしたから、残念ながら、東京のものは、1945年に戦災ですべて消失してしまいました。

日本は“プラネタリウム大国”

――今、プラネタリウムは、日本にいくつあるんですか。

縣: 日本プラネタリウム協議会(JPA)という団体があります。このJPAの調査によりますと、日本は、アメリカに次いで、プラネタリウム館が多い国とのことです。“プラネタリウム大国”と言ってもいいくらいですね。現在稼働中の国内のプラネタリウム館は、JPAの調査によると、360館以上あります。過去に設置されたものや休止中のものも含めますと、420以上あることが分かっています。

――47都道府県で360館以上ですから、多いですよね。

縣: 年間を通じて、多くの人たちが、地元にあるプラネタリウムを楽しんでいらっしゃるんだと思うんです。「メジャーな文化」と言うのはちょっとおこがましいし、そこまでは言えないと思うんですけれども、われわれ日本の国民にとって、なくてはならない学習の施設であり、余暇やレジャー、文化施設といえそうですね。

――どのくらいの人が訪れているんですか。

縣: 同じくJPAの調査によりますと、全国各地のプラネタリウム館の入館者数は、年間およそ900万人。もうちょっとで1000万の大台ですね。若い方、特に都市部の若い方ですと、子どものときに、学校で、移動教室なんていう言い方がありましたけど「プラネタリウムを見に行ったなぁ」なんていう思い出のある方がいらっしゃると思うんですけど、学校単位で利用する学習投影、または移動教室ですが、これが先ほどの900万人のうちのおよそ2割程度。残り8割が「ご自身で、または、ご家族やお友達などと一緒に、自分でお金を払っている入館者数」ということになります。ですから、だいたい700万人ぐらいの方が、ご自身の意思で行かれているということになりますよね。

バブルが終わって、2000年ごろ、プラネタリウム館が減少していく時代に、「モバイルプラネタリウム」といいますが、学校に出前で、空気を入れて丸いドームを膨らませて、5メートルとか8メートルにして、体育館で展開できるものがありました。暗くして、中に1クラスずつ入って、星の動きとか、月の動きとか、季節の星空とかの学習をすることが、非常に盛んになりました。小学校や中学校だけじゃなくて、例えば病院、星を実際に見たいけれども、なかなか出かけられない寝たきりの方などのために、今、モバイルプラネタリウムが盛んになっています。

プラネタリウムというのは、もともと、学習のツールという意識があります。特にアメリカは、プラネタリウムの数が世界で一番多いんですけれども、各学校区ごとの教育センターにプラネタリウムを置いて、理科教育、科学教育で使われるイメージが強いんです。ところが今、これだけたくさんの人が行っているということは、お勉強の場所というイメージではなくて、余暇の楽しみ、映画館に行くとか、カラオケに出かけるのと同じような気持ちで、「きょうは、プラネタリウムに行って楽しみたい」と、こういうふうになってきているようですね。

ドーム空間、広がる活用法

――縣さんが関係されている、一般社団法人宙(そら)ツーリズム推進協議会でも調査をされたそうですね。

縣: はい。私が代表を務めさせていただいているんですけど、マーケティング調査というのを、2018年、19年、20年としてみました。マーケティングですから、15歳以上の全国の国民の皆さんに、「年に1回以上、プラネタリウム施設に出かけたことはありますか?」、それから「もし機会があって、条件が整えば、プラネタリウム施設に行ってみたいですか?」ということを聞いたデータがあるんです。3年間でほぼ同じ数字でして、「年に1回以上、プラネタリウム施設に出かけたことがあるよ」という人は、700万人という数字でした。先ほどのJPAの数字が、学校利用を含めて900万人ですので、ちょうど一致するくらいの数字ですね。興味深いのは、機会があれば、プラネタリウム施設に行ってみたいなという人は、どれくらいいらっしゃると思います?

――結構いそうですよねぇ……1500万?

縣: 実は、例えば美術館に行きたいなとか、動物園に行きたいなと思っている人とほとんど差がなくて、2300万人でした。機会があれば行こうという人が、2300万人という数字が出ています。これは推定値ですね。ということは、どういうことかというと、多くの人が、まだプラネタリウムに行く可能性がある。ポテンシャルがある、潜在的な需要があることになるわけですね。公益財団法人生命保険文化センターというところが、毎年、日本人の方がどういうふうに余暇を過ごしているかを調査されていまして、1位が動画鑑賞、2位が読書、3位が音楽鑑賞、4位が国内観光旅行なんです。ここまでが、年間3000万人以上の方が、経験したり参加したりしている実数です。

――1位が動画鑑賞、ですか。

縣: そうですね。コロナ禍で外に出られなくなりましたので、動画鑑賞や音楽鑑賞が増えましたが、以前は国内旅行が多かった時代もあります。これが現在の実数です。先ほど示した、プラネタリウムに行った700万人という数は、例えば、カラオケに実際行っている方は1780万人だそうですから、カラオケほどではないんですけれども、これも先ほど示したように、潜在的には2300万人ということなので、行きたい人が本当に行けるようになれば、余暇の過ごし方の上位に入るような可能性があるということですよね。ですから、どういう条件なら行ってもらえるか、がとても大事で、そこを今、調査をしているところなんです。

調査中なので、正確なことは分からないので推定ですけれど、もっと楽しめるようにということは当然ありますよね。行ったら満足できるということのほかにも、身近な場所にある、利便性、アクセスがいいということもあると思いますし、料金がある程度リーズナブル、コストパフォーマンスがいいとか、行って時間を過ごすのに値する、価値がある、タイムパフォーマンス、こういうもののよさを上げていくことも必要だろう、と推測はできますけれども、もう少し具体的なことを調べていく必要があると思われています。それと、もう少し宣伝をしていくことも必要かもしれません。例えば日本は、サッカーや野球、とても人気がありますよね。特にJリーグができてから、サッカーは大きく変わったという感じ、しませんか。

――します。

縣: Jリーグは今、J1、J2、J3まであって、全部で60チームありますけど、60ぐらいのスタジアムに、年間で実際に出かけるサッカーファンの方は、プラネタリウム施設に行く人の数とだいたい同じなんですよ。

――えっ、そうなんですか?!

縣: ちょっとびっくりしますよね。ですから、サッカー人気ぐらい、プラネタリウムの人気は、潜在的にはある。しかも、別の最新の調査ですと、これはのべ人数で言っていますけど、野球もそうですが、サッカーの場合は、どの試合も行くという熱烈なファンの方がいっぱいいますから、年間何回も行くわけです。でも、プラネタリウムは、年間何回も行く人は少ないので、1人1人行っている数で言うと、プラネタリウムのほうが、倍以上多いということになります。ですから、自分たちの問題として、もう少し頑張れば、サッカーや野球のようなメジャーな文化に育ってくれないかなという思いがあるんですよね。

――何かちょっとしたきっかけで、潜在的な人をくすぐれば、がらっと変わるかもしれませんね。

縣: 日本以上の“プラネタリウム大国”、アメリカ。規模が違うのですが、アメリカのプラネタリウムは、どこもすごいんです。2004年頃だと思うんですけど、初めてニューヨークのアメリカ自然史博物館に行きまして、そこには、ヘイデン・プラネタリウム、ローズ地球宇宙センターというのがあって、新築の頃でしたけど、行って私、本当にビックリしたんです。居心地のいい、飛行機でいうと、ビジネスクラス以上のゆったりとしたリクライニングの座席で、聞こえてきたのが、トム・ハンクスのナレーションなんです。別の番組に行ったら、今度はトム・クルーズのナレーションでした。

――おおっ……。

縣: 現在、プラネタリウムに足を運んでくださっている人たちの目的や思いは、人それぞれだと思うんです。でも、全国津々浦々にありますので、今日の日本において、天文や宇宙の話を中心にして、今は星空だけじゃなく、プロジェクターでさまざまな映像も流せる時代になりましたから、科学教育や科学成果の普及、科学文化を形成していくうえで、極めて重要な役割を担っている、大事な施設であるということですね。全国各地の街なかで、気軽に楽しめる存在だと思います。

4D2Uドームシアター

――私、先日久しぶりにプラネタリウムに行ってみたんです。そこは、上映プログラムがバラエティに富んでいて、CG画像なんかもふんだんに使われて、投影される星の数もすごく多くて、まさにエンターテインメント施設のようでした。プラネタリウムごとに、知恵と工夫で、それぞれお客さんを楽しませてくれていますよね。

縣: そうですね。プラネタリウムというのは、まあるくて、その中に入りますから、まさしく、自分のいる世界と、まったく違う世界に、瞬間で変われるわけですね。これからは、星空を映し出す場所から、もちろんそれも大事で、私自身はそれをさらに広げてほしいなと思っていますけれども、それ以外の、もう科学だけじゃないんですよ。文化的、芸術的なものだったり、全天周の映像の中で、すてきな音楽を聴くとか、ドーム空間を用いたワークショップ、演奏会、演劇も行われることがあります。中には、結婚式で使われるような施設もあります。皆さんの住む街、または近くの街にある、気軽に楽しめる学びの拠点であり、かつ文化の拠点、文化のシンボルとして、100年を機に、もっともっと活用して注目してもらえるといいなと思います。

――ことしはプラネタリウム100周年ということで、各地のプラネタリウムではさまざまな記念事業が計画されています。プラネタリウムに、足を運んでみてはいかがでしょうか。縣さん、ありがとうございました。

縣: ありがとうございました。

【放送】
2023/04/24 ラジオ深夜便「ようこそ宇宙へ」 縣秀彦さん(国立天文台天文情報センター)

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