【ラジオ深夜便】祖父・かこさとしの背中を追いかけて(前編)

22/08/09まで

ラジオ深夜便

放送日:2022/06/10

#インタビュー#絵本#ライフスタイル#家族

『からすのパンやさん』「だるまちゃんシリーズ」などで知られる国民的な絵本作家・かこさとしさんは2018年に92才で亡くなられましたが、かこさんが生前書き残していた童話集『くもとり山のイノシシびょういん 7つのおはなし』が、去年(2021年)出版されました。
「コロナ禍で、子どもと読んでいるとほっと安心できて笑顔になれるお話」と話題となりました。

実はこの童話集に絵を描き加えて祖父の童話集を完成させたのは、孫の中島加名さんです。
中島さんは28歳。東京大学大学院生で、現在は北海道西興部村で暮らし子どもたちの教育支援などに携わっています。
「祖父・かこさとしの背中を追いかけて」 中島加名さんにお話を聞きました。(聞き手・村上里和アンカー)


【出演者】
中島:中島加名さん(大学院生・教育支援員)

そっと孫を見守る優しいおじいちゃん

――中島さんはかこさとしさんの娘さんのお子さん、かこさんの自宅の近くでずっと育ってこられたと聞いています。どんなおじいちゃんでしたか、かこさとしさんは?

中島: どんなおじいちゃん、う~ん…なんか優しい人だなっていう印象がありますね。

――どんなところに優しさを感じていたでしょう。

中島:
何か激しいことは言わないし。物静かで穏やかで。たまに物を作って見せてくれたりとかして。僕にはあんまりそういうのは刺さってなかったですけども。やっぱりかっこいいおもちゃだったりとかビカビカしたものが好きだったりするところを、折り紙とか飛行機とか手づくりのもので攻めてくるんで。ちょっと「う~ん」みたいな感じだったんですけれども。でも、この人はそういう事してくれるんだな、っていうのはずっと感じてましたね。

――大きくなってから、中学校、高校に入ってからも顔を合わせたりしてたんですか。

中島: もちろん(顔を)合わせてはいるんですけれども、何ていうか「ちょっとこっ恥ずかしいな」というところもあるんで(笑)。あまり合わせたくないなっていうところもありつつ。
気配っていうか、毎日うちに来てごそごそごみ出したり片づけてるなっていうのは知ってはいましたけれども、面と向かって話したりとか食事を取ったりってことはあんまりなくなってしまってましたね。中学、特に高校になるぐらいには。

――小さいころのお孫さんのことを、かこさんは詩集の中に残されています。
『ありちゃんあいうえお かこさとしの71音』。この詩集に「まごまごのうた」という章がありまして、2人の孫の成長を見つめるおじいちゃんとして書かれた詩です。
ここに描かれている小さな孫が、中島さんでいらっしゃるわけですよね。
これは読まれましたか?

中島: (笑)。読みましたけれども…何ていうんですかね、そんなものを作ってたなんて全く知らなかったんで。それが出てきたのも3、4年ぐらい前だったと思うんですけれども。先に言っといてくれれば「ありがとう」って言えたんですけれども、亡くなってから出てきちゃって。心の中では(ありがとうは)言えますけど、何かちょっと困っちゃうなみたいなところもありつつ。

――その詩を一つ読ませていだいてもいいですか。

かこさとし「じいじ山登攀記」~孫にマゴマゴ


「じいじ山登攀記(やまとうはんき)」

まず たっくんが どさっと せなかを こうげきする
じいじ山の こしぼねに とりついて
かたに あしかけて よじのぼる
みみの岩を てがかりに
しらが峠に なんとか とりつくと
まっていた ひろぼうが
まえから どちんと
まんぷく山に だっこする
「いたいぞ おもいぞ こら こら
そんなとこ ひっぱるな
だめだめ それは あぶない やめろ あぶない
あぶないよ」と
そんなさけびや おどしには
とまどい ためらう ふたりではない
なにを なめたか べちゃべちゃ よだれを にじりつけ
あごやら いればを つかんで ひきよせて
くちびるのなかに ゆびをかけ
そのまま じりじり よじのぼり
ぺたぺた あしを こすりつけ
なめるわ かじるわ ぴっぱるわ
ほっぺたなんか つまらない
はなのあなやら みみのあな
のこるは めんたま くちのなか
かじる かみつく くらいつく
しゃぶるわ なめるわ ちゅうちゅうちゅう
めがねは なかよい おもちゃにて
いれば がたつき はずしたら
きを とりなおし しらが山
かきわけ かきわけ ふたりの
うしろと まえから 共同で
じいじ山の いただきで
かさなりあって ばんざいだ


『ありちゃんあいうえお かこさとしの71音』(講談社)より

――中島さんとお兄さん、2人のお孫さんがかこさんによじ登っていく様子が本当によく出てますね。

中島: (笑)。そんなこともあったんですね。全く覚えてないですけどね。

――かわいがっていらっしゃったんでしょうね。
この本のあとがきには、あとがきを書いているのは、かこさんの長女の鈴木万里さんですが、「加古にとって初めての男の子二人に「マゴマゴ」しながらあやしたり、遊び相手になったり。孫たちが保育園に出かける前に自宅から孫たちの住む家にいそいそ通い見送っては、夕方は同様に帰りを迎える。どんなに忙しくてもそんな習慣を孫たちが高校生になるまで続けていました」
と鈴木万里さんが書いていらっしゃいます。
中島さんが戻ってくるのをかこさんはさりげなく待っていらっしゃったんですね。

中島: 確かに何かやけにタイミングが合うなって毎日思ってたような気がしますけど(笑)。

――何か言うでもなく、押しつけるでもなく、さりげなくいらっしゃったんですね。その姿から教えてもらったりしたことはありますか。

中島:
よく働くなと思っていて(笑)。ずいぶん年もくってるのに、毎日毎日家に来て、毎日毎日絵を描いて、どんどん本を書いて。伯母がしょっちゅう、祖父母の家に(ぼくを)呼んで、最近はこんなお仕事をしてるんだよとか、新しくこういうものが出るんだよ、とか見せてくれたりとかして。だんだん「この人はすごい人なんだな」って。
でも、そういうのを全くひけらかさないというか。僕だったら、ここのこれが大変だったんだよなとか言いたくなっちゃったり、これも全然だめだなとかすぐ言っちゃうんですけど、本当に言わなかったです。何か「ふっふっふっ」とか笑って。

――そういうお話を聞くと、絵本から伝わってくる穏やかさっていうんでしょうか、そのままの方だったんだなと思って感動します。

中島: 僕はもう28歳になりましたけれども、例えば同じ年の彼と出会ってみたかったなっていうところもちょっとあって。例えば学生時代の彼はどんな人だったんだろうとか、大学卒業したあとはどういう事をしてどういう人だったんだろうって、やっぱり気になってしまいますね。
何か写真から見受ける限り、結構やんちゃな人だったような気がするんで。やんちゃっていうか、活発な、活動的な人だったとは思うので。もしかしたら気があったかもしれないし、もしかしたらすごくけんかしちゃうかもしれないし。

絵本作家 かこさとしさん

――とても情熱あふれる方だったようですよね。

中島: 情熱はすごかったですね。執念と言ってもいいぐらいかもしれないですけど。

祖父との共著出版~かこさとし降霊!?

――さて、中島さんはいろんな顔を持っていらっしゃいます。
1つが東京大学大学院人文社会系研究科の博士課程に在籍中の大学院生としての顔。
そして次に、北海道の西興部村で村の子どもたちの教育支援や地域づくりを担当されていらっしゃるという2つ目の顔。
そして3つ目が、中島加名というペンネームで絵を描いていらっしゃいます。その絵の話から伺います。祖父かこさとしさんとの共著・童話集を出版されています。これはかこさんが亡くなられた3年後、去年の1月に出版された童話集で『くもとり山のイノシシびょういん 7つのおはなし』という本です。かこさんが残された物語と絵に、中島さんが書き下ろしの絵を加えて出版されたということです。どうして中島さんが絵を描くことになったんですか?

中島:
出版社から描いてみませんかっていうお話を有難いことにいただきましたんで、自分の力で足りるかどうか分からないですけれども努力いたします、ということで描くことになりました。

――絵はもともと描いていらっしゃったんですか。

中島: 描いてないってこともないんですけど、別にめちゃくちゃ好きって事もないんで。日常的には全く描かないですけども。さかのぼると中学生高校生の時はちょっと…何ていうんですかね…家系のこともあるんで。「おまえ、かこさとしの孫なのに絵も描けねえのかよ」と言われるのがやだなと思っていたところもあったんで。絵は練習してました。

――今回この童話集はもともとかこさんが残された絵に、中島さんが書き下ろしの絵を加えているとのことですが、どれがかこさんが描かれたものなのか全く分からないぐらいに、お2人の絵が1つになって物語の世界を表現されてるなとびっくりしたんですが、どんなところに苦労されたり、または楽しんだりして描かれたんでしょうか。

中島: 個人的には全然だめだなっていうところはたくさんあるんですけれども。
例えば描く線とか、かこさとしが残した絵が、僕からすると彼が本当に描きたかった絵かというとちょっと怪しいところがあって。
というのも、彼は体が随分悪くなってしまっていたんで。晩年はもう目もほとんど見えていなかったし、腰も悪かったし。そんな中で本当に執念で絵を描いていたんです。それを単純にその線をまねする、絵をまねしてしまうと、あまりおもしろくない絵になってしまうんで。であるならばどうしなきゃいけないかというのを自分で考えたときに、降霊術に近いっていうんですかね。かこさとしを降ろすしかないっていう感じなんです(笑)。彼が何を考えようとして、彼がどんな絵を描こうとしていたかっていう、そこを自分なりにつかんで、そこから自分なりの絵を出すっていうようにしないとシンクロしないなって思ったんです。
気持ちとか考えをしっかり自分の中で読み込んで考えて、そこから出てくるものを出すっていうふうにしないと、いいものにならないだろうなって考えたので。
その意味で、それでなおかつしっかりと世界観が同じになっているっていうふうにごらんいただけたら、ぼくとしてはとてもうれしいです。

――この挿絵を描いているときに、新型コロナウイルスが私たちの日常に大きな影響を及ぼすようになって、その中で描く絵にも変化が現れたそうですね。

中島: 動物が何かしてるっていう事が何かすごく大きなことだなと思っていて。ともすると、例えばコロナウイルスに限らないですけども、病原菌は動物がキャリアになるということは事実なわけで。そうなってくると、じゃあコウモリを地上からせん滅するんですかっていう話になってもおかしくないというか。そこまではいかないにしても、有害ならば駆除すればいいっていう考えにならないわけでもないだろうなと思って。そういうことじゃないわけですよね、世の中は。コウモリならコウモリで大事にしていかなきゃいけないし、っていうことを考えました。そして、なおかつその動物たちが動物たちの社会を築いているというのがこの物語なので。彼らの社会、彼らが成り立たせている仕組みとかをどういうふうに保っていけるか…そういうことは考えざるを得なかったですね。考えようとしたっていうか。

実際自分が今やっている小さな自治体の中で教育に携わることだったりとか、地域をもうちょっと楽しくしていく活動なんかがまさにそうなんですけれども。
イノシシ病院の外観を描くときに、どういう外観の病院にするかっていうのはすごく悩んで。何回もボツにされたんですけれど。そこで何を考えていたかというと、“だれがその病院を建てたのか”っていうことなんです。誰が病院を設計して、どんなことをその病院の中でやりたくて、そしてだれが手がけて、病院が出来上がったのか。そこにはやっぱり社会がないといけないので、きっと動物の大工さんがいたのかもしれないし、もしかしたら人間が助けてくれたのかもしれないですけども。きっとそれを取り巻く環境があってそこに社会があるはずで。そういうところまで考えないと面白くなっていかないなと。病院のことだけを考えるんじゃなくて、地域のことだったりとか、そこに来る人たちのことを考えないといけないなっていうことですね。

【放送】
2022/06/10 ラジオ深夜便 「人生のみちしるべ」 中島加名さん(大学院生・教育支援員)


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