北島三郎 「歌わせてもらった」60年 ④

ラジオ深夜便

放送日:2021/03/03

#うた♪#演歌

ざっくりいうと

  • ジャズもシャンソンも演歌も「生活」を歌うからこそ響く
  • 「お客様に担いでもらってここまで来られた」という自覚を忘れずに歌い続けたい
  • 2021/03/03 ラジオ深夜便 明日へのことば「“歌の道”を歩み続けて(2)」北島三郎さん(歌手)

半世紀以上「歌」に身をささげてきた北島三郎さん。長い歌手生活を振り返ったうえで北島さんが考える「歌」のあり方、「歌手」としての生き方とはどんなものでしょうか。(聞き手・小田切千アナウンサー)

歌は生活から切り離すことのできないもの

北島さんはみずから作詞・作曲にも取り組み、原譲二のペンネームで「まつり」のほか「年輪」「山」など、数々の名曲を生み出してきました。北島さんの音楽はどう生み出されているのでしょうか。

北島さん: 机の上に座っていて毎日書いてる曲と、去年も同じ部屋の角のとこへピアノが置いてあってそれを弾いてやると、去年から同じような音しか出ない。そんなときにはふと表へ出ていって、表を歩いてるうちに、どこかの体育館に仕事で行ったら、ピアノがあった。鳴らしたらチューニングの取れてないピアノがあったけど、その音がうちで聴くピアノと違うから「別なメロディーができるんじゃないか」。
カモメの鳴く声を聞いても曲というのはできる。オーケストラなくても、あるいは波の音がオーケストラ。風の音がオーケストラ。そういうところで生まれてくるもんかな、というのが歌ではないかな。

同じ日本でも、日本海側と太平洋側と、同じ海に囲まれていながら、日本海側に立ってる松の木がなぜかみんなこっち向いて寝てる。陸へ向いて寝ているんです。それで立っているんです。太平洋側の松はまっすぐ立っています。そんなときに、「ああ、シベリアおろしの風が冷たいのかな、日本海を吹く風が冷たいのかな」というのを感じると、詞なり何かいろんなものができるんじゃないか。見たものを聞いたものを、何かそれを拾って1つのものに書き上げるんだ。

――黒人の歌声であったり、<のど自慢>でも素人さんの歌を聞いてそれぞれその歌のよさを、北島さんは感じてらっしゃる。そうすると歌というのは何なんですか。何を表しているものなんですか。

北島さん: アメリカはジャズがある。黒人霊歌もある。フランスへ行けばシャンソンというのがある。日本はといったら、やっぱり演歌。それが生活の歌だ。これを分けていくと、黒人もジャズマンも全部生活の歌を歌ってたんだよね。カッコいいわけよね。シャンソンをやってもカッコいいわけ。分からないんだけど何か伝わってくるものがある。
ただし大事なことは、なんぼ演歌がいい、ジャズがいい、シャンソンはいいと言っても、伝わらない歌を一生懸命やってたんじゃ誰も「いい」と言ってくれない。

・・・・・・難しいことですけど、歌というのはもしかしたら、人生の肥やしかな。
この歌を聞いて、この歌を聞かされて、慰められた、元気づけられた。自分の場合だと、「サブちゃん、俺がちょうどこうやってこの歌、はやったんだよ、あのおかげで俺はこうなったよ」という手紙は何べんかもらったことがある。「俺みたいな歌でも、この人はすごくこの歌によって人生が変わったんだな」と思うと、うれしいですよね。
だから、寂しくなる歌は歌いたくないな。だんだん暗くなっていく歌は歌いたくなよね。

でもやっぱり、場所によるな。息子が旅立ったとき、やっぱり思わず、「なんで、お前、1つしかない花を、命の花を散らしちゃうんだろう」と、やっぱり書きたくなっちゃうんだよね。それも歌なんだよね。
慰めてくれたり励ましてくれたり元気づけてくれたり、そして、きっと心の支えになってくれるのが歌かな。何もしゃべらなくても、そこで悲しいときに歌うと、思わず涙が出てきますね。こういうのが歌じゃないかな、という気がする。でも、それも生活から切り離すことはできないですね。

ライバルは「これから出てくる人たちみんな」

――「人生の糧が歌になる」ということもありましたし、北島さんがそうやって歌を作る、歌を歌うことは、僕が感じたのは、北島さんの人生そのものかな、という感じがするんですよね。相当北島さんの人生をさらけ出していらっしゃる。

北島さん: そうですね。84歳ですよね。人生の八十何年かの間にはいろんな出会いがあります。いろんな坂道、上り道、山、川、いろんな障害もあります。でも、なぜか夢も実現させてもらい、いいお師匠さんに出会い、いいお師匠さんのおかげでこんにちこうしていられる。「こんなことをしゃべっていられるのも、お師匠さんのおかげだな」と。
歌うことを願望にして、追いかけて歌ってきて、やっとつかんで、その道を歩いてきて、今やっと60年を迎える前に来て、このごろは「歌わせてもらえてありがたいな」という気持ちに変わってきた。「出てきたときにサブちゃんと呼んでもらえるだけ、頑張らなきゃな」と思ったり。

北島さん: 「北島さん、歌手でライバルは誰ですか」と、よく聞かれるのね。ライバルというのは、一緒に出た人、これから出てくる人たちはみんなライバルなんですよね。先輩は尊敬ですよ。いずれ頑張れば、先輩も超えていく。先輩の時間が終われば、俺たちの時間になってるかもしれない。
ライバルは今出ている人。ここを乗り越えていくためには、もう少し大きくするためには、これから出てくる連中が絶えずライバルとして張り合っていかなきゃいかんな。だから、何べんか張り合ってきてますよ。

だけど、ここ何年間は、歌を「聞く歌」よりも「見る歌」になってきたんです。テレビを見ていても、ただ歌ってるだけじゃ物足りないですよね。「よくあの子たち、あんなに動いて歌えるかな」と思うぐらい動いて歌いますよね。そういう「見ながら聞く歌」になってきちゃった。
・・・僕たちが・・・やっぱりこの道に生かされているぶんだけ、その道で全うしていくのが自分にはいいと思ってるから、まだこのまま続けていくんですけども、やっぱり難しいですよね。それで、今の若い連中やグループに後れないようにしてみたい、とやると、せっかく自分のラインからちょっと外れたラインというんですよね。聞いていてもやっぱりおもしろくないんだよね。

――北島さんが歌う歌は、やっぱり演歌である。

北島さん: そうですよね。僕はやっぱり思い入れやら思い出やら、今までの生きざまを、戻れない人たちのために。人生というのは戻れませんから。しかし、歩いてきた道にいろんな足跡があるだろう。そんな思い出を思い出させてやる歌も必要です。そういう思いの足跡のある人たちのための歌も歌ってやろうじゃないか。

――さっき「若い子たちもライバルだ」と。完全にそれは現役の歌手としての意気込み。「やっぱり歌っていきたい」とおっしゃっていた。84歳におなりになって、北島さんが「歌いたい」という気持ちは、どうなんでしょう。ふるさとを出てきて歌手になって歌いたいというときの「歌いたい」、あるいは音楽学校に通っていて流しになって「やっぱり歌いたい」、自分の歌ができて「この歌を歌いたい」という、たぶん時代時代によって「歌いたい」という気持ちは違っていたと思うんですよね。今の「歌いたい」は?

北島さん: 今の「歌いたい」というよりも、今やっぱりヨボヨボした体で体調もあまりよくないのに「お客さんに迷惑をかけちゃうな」というのはすごく感じることです。「プロとしては恥ずかしいな」と思う。
でも、座っても、そこへ倒れても歌わなきゃなんないのがプロかもしれない、というのも感じる。だけど、やっぱりお金をもらうわけですから、やっぱりちゃんとした形でちゃんとしたものを。だけど、「84になってもうダメじゃないかな、声は出るな、まだ歌えるな」というのがありながらも、うちへ帰ったら、「あなたはもうヨボヨボしてみっともないからもう歌手を卒業したら」と言う人もいるかもしれないけども、体調が悪いなと言いながらもここへ上がると、ここで生かされるんですよね。戦の場所が与えられたときは、戦がまだできるうちは、「何を歌いたいか」というよりも、やっぱり「この人たちに喜んでもらえる歌を歌いたい」というのがある。
ヨボヨボで出てきて「大丈夫かな」と思われたときには、やっぱりプロとして恥ずかしいですよ。だけど、生まれたときは、田舎で生まれて歌手を目指して歌手になったときのあの勢いはドーンと行くんだと思う。そのまま走ってきて支えてもらって、こんにち思うには、今は「歌うんだ」じゃなく「歌わしてもらえるんだ」という気持ちに変わってきたんですよね。
せっかく歌わせてもらえるんだから、こういう戦の場所を与えてもらえたときには戦をしなきゃいけないんだろう。「戦ができるな」という自信がなくなったときには終わりだろうな。

もう84になったから、あすに60年を迎えるんだったら、きれいに気持ちよくスッと行ったらいいかな、と思うときもありますよね。そんなものを意識しながら。
ただ、やっぱり好きなんですよ。「こういうものを作ったりこういうものでやってみたい」「この歌手、こういうの歌ってくれたら」とか望んでみたりね。それでいながら自分にも言い聞かせて、歌のことを。起きていれば歌のことを考えていますもんね。

歌わされて、生かされて

――北島さんから伺ったお話の中に、「生活のある歌、生活の歌を歌っていきたい」と。具体的にその「生活の歌」というのは、どんな歌をイメージされているんでしょうか。

北島さん: きょうび、世の中は暗い話ばっかりですよね。あんまりうれしい話はないね。おまけに、怖いはやりもありますわね。ここのとこ何年間地震があったり雨が降ったり、天災でひどすぎますよね。
だから僕は、「生きていこう」「生きなきゃ」って思うより、「生かされてるんだから」というふうにとりたいですよね。

もっと生きたくても旅立つ人もいるわけじゃないですか。やっぱりせっかく生かされるんだから、何かお役に立てることをしなければ。というと、歌しかないわけですよね。
ということは、歌を通じてやっぱり生活に交わる歌、海で働く人には、この歌を歌うときょうも大漁にできる元気の出る歌を、ネオンの裏町でも「ママさん」と言いながら頑張りながら、山で働く人にはこう、・・・身近に感じる土のにおいのする歌、潮のにおいのする歌、あるいはネオンが重なる歌とか、そういう歌を、生かされてるぶん歌っていきたい。

というより、歌っていくのが俺の使命だと思ってます。それには、詩的な難しい言葉はやめよう。そういう歌じゃないと、生活においても、「きのう起きてきょうも元気でいられて朝日が上って鳥が鳴いて、頑張ってきょうもいくぜ」「いろいろ世の中、コロナであるけども頑張ろうじゃないか」「ああだこうだ言ってもやっぱり始まればいつか終わるときが来るじゃないか。それを信じて、この今のつらいときの先にはいいことがあるぞ、という夢を抱きながら頑張っていこうぜ」というような歌を、俺は歌っていけばいいかな、と思ったりなんかするんですよね。
じかに今「ここにコロナが来て大変だ」というのは、そのままでもいいから歌っていればいいじゃないか。お客さんは「本当にそうだよな。あんたの歌の言うとおりだよ」という受け答えができるんじゃないかな。

北島さん: 何かに見守られて、誰かに支えられて、そして誰かに担いでもらった。歌い手になったと同時に、やっぱりお客様に担いでもらってこんにちまで来てるわけですよ。だから、終わりまで頑張りぬかなきゃなんないのかな、という気がしますね。
耐えたぶん、頑張りぬいたぶん、きっとその先には何かいいことがあるんじゃないかな。待ってるような気がする。
「未練たらしく、いつまでも歌を歌ってるんじゃねえよ」と言う人もいるかもしんないけども、そうじゃない。やっぱり「歌を歌うんだ」と決めて入ってきたけれども、今は「歌わせてもらえてありがとうございます」という感謝の気持ちで、できれば感謝の舞台を…北海道から九州までやりたいですね。「ありがとう、ありがとう」という御礼しなきゃ。

 ● おわり


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