榮谷明子さんは2004年からユニセフで働き始め、セルビア、スイス、アメリカ、ルワンダを巡り、現在エジプト在住。数年ごとに赴任する国が変わる仕事をしながら結婚し、出産。現在は12歳の男の子のお母さんでもあります。
ルワンダでのラジオ番組事業を経て、成長できたと語る榮谷さん。住む場所を転々と変えながら、仕事と同時に続けてきた子育てについて何を感じたのでしょうか。


ルワンダでつかめた「自信」

――ルワンダ国内で大人気となった<イテテロ>ですが、立ち上げるまで最もしんどかったのは?

榮谷さん: 新しいことにチャレンジをするとき、私も含めてですけど、みんな不安なんですよね。そのときに仲間を安心させるためには、リーダーの私が自信満々に「大丈夫!」という笑顔を見せて、みんなを励まさなきゃいけなかった。それがしんどかったですね。

――自信満々になれないときもあった?

榮谷さん: ずっと自信満々じゃなかったです。
この仕事をしている5年間、「やった!」と思えた瞬間はたぶん3回ぐらい。残りの時間はずっと自信がなくて、「できるかな…?」と心配だったんですけれど、私が心配な顔をしていたら、できるものもできなくなってしまう。「できる」と信じてもらうために頑張って笑顔を作って、会議のところではリーダーの役を演じきりました。

――支えになったものは何でしょうか?

榮谷さん: 日本からこんなに遠いところに来ちゃって、親にも妹にも友達にも会えない。だからこそ「与えられた5年間で、意味のある仕事をしなきゃ」という気持ちがありました。

――ルワンダでの体験で、榮谷さんの中でどんな変化がありましたか?

榮谷さん: 仕事を始めて10年の経験を経て赴任したので、何をしたらいいのか、どう進めれば仕事が効率よくできるのか、というのは見えていたんです。そういった意味では、いろんなことが実を結んだ、とても充実した仕事ができたんですが、それと同時に、殻を破った時期でもありました。

最初の10年間で、上司がアイルランド人、イギリス人、オーストラリア人、インド人…6人ぐらいの人と仕事をしたんですけれど、そのうち4人からは仕事を評価されて、2人からは「あなたには大きな仕事は無理ね」と言われていたんです。
それに対して、「そうかな? 私だって、経験をきちんと積んだら、大きな仕事ができるようになると思うんだけどな」と静かに反発する思いがあったので、<イテテロ>を成功させたことでようやく自分の実力に自信が持てるようになりました。

自信は、キャリアを積んでいくうえで本当に宝だと思いました。その後2018年にユニセフの東部・南部アフリカ地域の若手女性リーダー12名のうちの1人に選ばれまして、それからそのあとはJICAの専門家としてエジプト・日本教育パートナーシップの共同議長という、より責任の重い仕事に就く機会をいただくことができました。

ことばの通じない国で出産

――仕事をする人、社会人としては殻を破ったという榮谷さんですが、同時に子育てもされています。出産も子育てもずっと海外、しかも数年おきに任地も変わる環境で、どんな苦労をされてきましたか?

榮谷さん: 私がスイスのジュネーブでユニセフの仕事をしていたときに、夫はセルビアでユニセフの仕事をしていたんですね。同じヨーロッパですけれど、飛行機に乗らないと会えない距離でした。
結婚式はセルビアで挙げたんですけれど、土曜日にスイスからセルビアに駆けつけて、日曜日に結婚式をして、翌日にはスイスに戻るというような状況でした。
そんなわけで、妊娠中もずっとジュネーブで1人暮らしをしていたんです。「このままだと、パパに子どもが生まれるという実感が湧かないかな?」と思ったので、妊娠7か月のときにセルビアに移りました。出産した病院は、看護師さんがセルビア語しかできないところだったので不安でした。
生まれてすぐのときは母が日本から来てくれて、3週間ぐらいサポートしてくれたんですけれど、そのあとは自分の家族がいないところで赤ちゃんの面倒を見るので、孤独な時間が長かったですね。
2008年の5月に、子どもが4か月になったときに仕事復帰して、正直ホッとしました。幸い、よいベビーシッターさんが見つかったので安心して働くことができて、育児の疲れをお仕事で癒やして、仕事の疲れを育児で癒やす…というような生活が始まりました。
でも、ママとしては、セルビア人のコミュニティの中にぽつんと私1人という感じは続きましたね。子どもを育てるという新しい「任務」に没頭しているという感じでした。

アメリカの教訓

榮谷さん: 2009年、子どもが1歳半のときに家族でニューヨークに移りました。ここでたくさんの同世代のママ友ができまして、それが私の育児を大きく変えました。みんながどんなことを考えて、どんなことで悩んでいるのかを聞くことで、自分の育児のスタイルを考える参考になりましたし、悩んでいるのは自分だけじゃないことが分かると心強く思いましたね。
それから、アメリカの社会も育児がしやすかったです。電車に乗るときは誰か代わりにベビーカーを持ち上げてくれたり、子どもが地面に転がって「ワーッ!」となっても周りの冷たい視線とかはなくて、のんびりした環境でしたね。
「周りに迷惑がかかるから、叱らなきゃ」というプレッシャーはなかったです。「子どもが泣くのは当たり前」というような社会の認識があったと思います。

――子育てをするときに、一番大切だと思うのは何ですか?

榮谷さん: 「人生は経験値がものを言う」と思うので、子どもがやりたいことを見守るようにしています。
もちろん危険なことや人に迷惑をかけることはダメなんですけれど、そうじゃなければ「やってごらん」と言って励まします。うまくいかなくて怒りだしても、距離を置いて引き続き見守って、自分の心の整理がついて子どもが一緒に反省会をしたそうになったら、そこで初めて隣に座って話し合うんですね。

どうしてそのようにするようになったかというと、ニューヨークにいたころ、子どもの誘拐や虐待があるので、町の至るところに警察官がいるんです。
そういう環境の中で、ある日子どもと公園に行こうと思ってお散歩していたら、なぜかその日にかぎって子どもが「あっちの道に行く」と、言うことを聞かなかったんですよね。そっちの道に曲がると危険なにおいのする地域に向かってしまうので、「それはダメ、そっちは行けないの」と言うと、子どもが「ワーッ!」と絶叫して、道路にゴロンと横になってしまったんです。
私はそのときも、息子の隣に体育座りをしてじっと待ちました。
子どもはずっと叫んでいたんですけれど、やがて疲れて、5分ぐらい沈黙が流れたら不意に息子が立ち上がって、落ち着いた声で「帰ろう」と言ったんです。
彼の混乱した心の中のちりがスーッと沈殿して、「この子の頭がクリアになったんだな」というのが手に取るように分かりました。

このとき後ろに止まっていたパトカー。誰も中にいないのかと思ったら、実は中に婦人警官がいて、「ブラボー!」と拍手しながらパトカーから出てきたんですね。
サングラスをかけた黒人の婦人警官だったんですけれど、拍手しながら「ママ、ブラボー! あなたウエルダンよ、よくやったわね!」と言ってくれた。見ず知らずの人に褒められて、うれしかったです。
そういうことがあったので、子どもが興奮してワーッとなったときでも、まずは距離を置いて、彼自身が心を整える作業を見守ってあげるようにしています。
今はもう12歳になっているんですけれど、年齢の割には自分の気持ちをある程度コントロールできるような子になっているような気がします。

お父さんやお母さんへ温かいことばを

――仕事や子育ての経験から、榮谷さんが大事にしているものとは?

榮谷さん: 「すてきなことばで社会とつながる」ということを大切にしています。
というのは、よいことばを使うようにすると、頭の中が静かになるんですね。逆にウソだとか怒りとか嫉妬のことばというのは後を引きます。それは、相手を苦しませるだけじゃなくて、自分の頭の中も自由ではなくなってしまうんですね。よいことばは軽くて、新しく考えることがキラキラしてくる。そういう実感があります。
愛情のこもった、相手を思いやる、いいことばを使って相手を幸せにしよう。それは同時に、私とその人とのつながりを作ってくれる。
人のつながりができると、自分の小さな悩みがだんだん気にならなくなることもあるんですよね。世間には大変なことがいろいろあって、「それに比べれば自分は恵まれているな」と思ったり、「恵まれない人にこそ手を差し伸べなきゃ」と思ったり。転んだ人が立ち上がるために手を差し伸べよう…と思いながら生きるのが、いい意味のある人生じゃないかなと私は思います。

――「ことばでつながる」ということでしょうか。

榮谷さん: せめて自分がいるコミュニティの中ではいいことばを増やしていきたいと思います。
家族の形や社会の形が変化している時代なので、自分のコミュニティがどこか分からないという人もいると思うんですけれど、そのときはまず自分がよくアクセスするウェブサイトに、いいことばでコメントを書いてみることから始めてほしいと思います。
日本でも海外でもそうですけれど、ソーシャルメディアなどで吐かれる心ないことばがリアルの人の生活を縛っていることが時々ニュースでも聞かれますよね。赤ちゃんが泣くと「うるさい」と白い目で見る人が親の行動を縛っていることも、日本でも海外でもあると思います。
子どもを育てている人たちって、みんな睡眠時間を削っていて大変なんです。だからこそ、そういうお父さんたちやお母さんたちを温かいことばで包んであげたいですよね。そしたら余裕が生まれて、親も自分の子どもに一番いいと思うことをして上げやすくなるんじゃないかと思います。

「楽じゃないから人生だ」

――榮谷さん自身は、今までに「嫌だ!」と泣きたくなるようなことはありましたか?

榮谷さん: しょっちゅうですよ。「自分ではできないんじゃないか」と思って、悲しくなっちゃうことはしょっちゅうあります。

――そういうときに自分を励ましたもの、迷っているときに道しるべになるものは?

榮谷さん: まずは「人生は楽じゃない」と受け入れることですかね。
フェイスブックとかを見ていると、まるで人生が毎日キラキラしていないといけないような錯覚を覚えてしまうんですけれど、実際は人生って楽じゃないんですよね。だから困難なことがあると、「ああ…人生だ…」と思うんです。
人生は楽じゃないからこそ、よいお友達を見つけて、お互いを励ますことばでつながっていると、自分が大変なときに支えになってくれますね。
希望を紡ぐ気持ちでよいことばで話すようにしていると、年齢とか国籍とか民族が違う人とでもつながることができる。そうしてよい友達を増やしておくと、自分が迷いそうになったときや悲しくなっちゃったときに、友達のことばが道しるべになってくれます。

――今後の目標は何ですか?

榮谷さん: 人権を守って社会をよくしていく仕事は、それだけで価値を感じます。社会全体をよくすることができれば、そこに住む何十万人、何百万人という人の生活を楽にすることができますし、子どもたちが未来に希望を持てるようになりますよね。
これからまたいろんな国でいろいろなお仕事をすることになると思うんですけれど、何をしていても世の中に希望のことばや温かいことばを増やせるようにしていきたいと思っています。

人間は食べ物やお金だけでは生きていけないし、希望が見えれば「明日はきっと今日よりもよくなる」「明日はきっと今日よりも楽になる」と思える。そしてはじめて、今日を頑張れるんだと思うんですよね。
子どもも大人も楽しい未来を思い描ける国や社会を作れるように、私も微力ながら貢献していきたいと思います

<親と子を温かいことばで包む ルワンダ・希望のラジオ(前編)>